マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

EF71&ED78牽引:貨物列車(奥羽本線)

2019-07-31 06:49:00 | 国鉄・JR電気機関車(交流・交直流)
EF71&ED78牽引:貨物列車(奥羽本線)


過去ログ『EF71&ED78牽引 50系客車:普通列車(奥羽本線)』で奥羽本線を往く客車普通列車をご紹介していますが、今回は同時期に撮影していた貨物列車の写真を集めてみました。



昭和55年8月14日 福島駅にて EF713牽引 貨物列車

ED71の写真を撮るために福島へ出掛けた際に撮影したもの。
初めて北海道へ行く際に急行「津軽3号」を使用したため板谷峠を通過したことはありましたが、夜中の通過のためEF71やED78を実際に見たのはこの回が初めてでした。

まだ貨物輸送の大合理化前で、次位のコンテナ車もコキ5500形であることから、一般貨物列車と思われます。バックに写るタンク車も特徴的で非常に気になるのですが、画像が粗くて番号が読み取れず、良く判りません。※番号が?3052までは読み取れ、会社名か製品名?が「〇-〇ライト」のようです。カーボライト?



昭和60年6月19日 大沢~板谷間にて 上り貨物列車

友人の運転するクルマで遠征した際に撮影したもの。板谷峠としては初訪問です。
梅雨時で天気が悪く、さらに遠景からの撮影なのでカマの種類の判別もできません。
既に緩急車の連結は省略された専用貨物列車のようで、タキ1900っぽい感じのタンク車を連ねています。



昭和60年6月19日 大沢~板谷間にて EF713+ED78牽引 下り貨物列車

こちらも専用貨物のようで、背の小さいコタキを5両の小ぢんまり編成です。
とても重連牽引の必要性はなさそうですが・・・



昭和60年6月20日 大沢~板谷間にて ED78+EF71牽引 上り貨物列車

翌日は少し天気が回復。狙いとは逆向きに下り貨物列車が・・・。
貨物大合理化後ですが、編成はその昔の一般貨物列車のようです。黒屋根車としてトラの姿はあれども、黒ワムやワラの姿は既にありません。



平成2年2月18日 赤岩駅にて EF716牽引 下りコンテナ列車


平成2年2月18日 赤岩駅にて EF717牽引 下りコンテナ列車

板谷峠の4連続スイッチバックが廃止されることとなり、その前にと訪問。
この時は、なんと大糸線でシュプール群の撮影をしてからの強行軍となりました。
列車での訪問のため時間が自由にならず、赤岩駅にとどまっている間に多数の列車を撮影できました。
他の3駅は一面雪景色でしたが、赤岩駅だけは積雪が殆どなし。この赤岩駅ではシェルターがないため、本線を往く列車を効率的に撮影できました。

JRになってからコンテナ列車ばかりとなって面白みは無く、以前のような重連運用もなくなってしまったようです。そんな寂しさも束の間、改軌工事により貨物列車も経由することが無くなってしまいました。

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D51498牽引 SET:団体列車「冒険大陸号」

2019-07-28 06:00:00 | 国鉄・JR ジョイフルトレイン
D51498牽引 SET:団体列車「冒険大陸号」


現在もSL保存運転が続いている上越線において、廃止が迫った14系欧風客車「サロンエクスプレス東京」を使用した団体列車が設定されました。

当時の快速「SL奥利根」は12系客車を使用した列車ばかりで、旧型客車さえ出番は少なかった時代。このスジでジョイフルトレインを牽く機会は稀であったため、それまではイベント色の強い列車を撮ることはあまりありませんでしたが、クルマを駆って出掛けました。



平成8年9月15日 渋川~敷島間にて D51498牽引 9733レ 「冒険大陸号」



平成8年9月29日 津久田~岩本間にて D51498牽引 9733レ 「冒険大陸号」

当時の状況が思い出せないのでDJ誌で探ってみたところ、平成8年9月14・15・22・28・29日の5回、企画列車として「冒険大陸号」が組まれたようです。客車は引退間近のサロンエクスプレス東京が使用され、それまで変化の少なかった沿線は沸きに沸いた感じでした。

その後は団体列車を中心にお座敷列車の牽引などもあったようですし、サロンエクスプレス東京もお座敷車「ゆとり」としてまさかの復活で再度実現することもありましたが、この写真を撮ったちょうど1年後には娘も生まれ、撮影に行く機会は殆どなくなってしまいました。
その娘も来年は大学を卒業。遠き過去の記録となってしまいました。

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JR貨物 EF200:EF200-14牽引 貨物列車

2019-07-27 12:56:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
JR貨物 EF200EF200-14牽引 貨物列車


国鉄民営化後、次世代の幹線電気機関車としてJR貨物が開発し、平成2年に製造されたEF200形電気機関車。901号機で2年ほどの試験を行い、平成4年から量産車が誕生し、20両が製造されました。
満を持して製作された高性能電気機関車でしたが、発電所に掛かる負荷が大き過ぎることが判り、景気の後退と共に輸送量減が見え始めると地上設備強化に対する旅客鉄道側との折り合いが付かなくなり、已む無くEF66並みに出力を下げて運用することとなり、宝の持ち腐れ的な存在となってしまいました。

その後、汎用の後継機EF210形へとシフトされることとなり、高性能が生かされることなく早いうちから廃車が進みました。
そして令和元年3月をもって完全に運用から撤退し、このまま消滅形式となってしまうようです。


東海道方面への撮影回数はそこそこあったのですが、東海道本線での運用は既に激減していたためか、このEF200に出会う機会は殆どなく、写真が見つかったのはたった2コマだけでした。



平成21年8月23日 柏原~近江長岡間にて EF200-14牽引 下り貨物列車

中京地区への編成の際、足を延ばして有名撮影地へ。
この時に偶然撮影したEF200でしたが、当時はまだまだEF660番代が活躍していたこともあり、新鋭のEF200にはあまり興味を持っていませんでした。



平成22年7月25日 岡山駅にて EF200-14牽引 上り貨物列車

四国へ遠征の際、こちらも足を延ばして岡山へ。折り返し待ち時間での駅撮りで偶然に捉えたものです。
上の写真から1年しか開いていませんが、この時は既に危機感を持っていたように記憶しており、やっと2枚目が撮れた感じがしました。

早めに引退した901号機に続いてバタバタと倒れて行ったEF200。首都圏での撮影機会は皆無となってしまい、結局はこの2枚だけしか記録に残せませんでした。
しかも、まさかの同じ14号機だけとは・・・縁のない形式だったようです。

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箱根登山鉄道:モハ1形 モハ103号

2019-07-24 07:41:00 | 私鉄(中小)
箱根登山鉄道:モハ1形 モハ103号


箱根登山鉄道では、モハ1形のうち最後まで吊り掛け式駆動車のまま存置されていたモハ103-107編成が、令和元年7月18日の運転をもって終了することとなりました。

国鉄から転職するまではまったく縁のなかった鉄道ですが、転職後は職場旅行などで箱根へ行く機会が格段に増え、箱根登山鉄道に出会う機会が増えました。しかし、ロマンスカーを使用しないで箱根入りする場合に小田原から直通の強羅行きに当たってしまうと、休日にもかかわらず通勤ラッシュ然とした混雑を余儀なくされ、憤慨したことも何度かありました。

平成も半ばを過ぎた頃からでしょうか、職場旅行が消滅してきました。勢いの強過ぎる団塊世代が引退し、若い世代が入ってくると、そのようなコミュニケーションが通じなくなってきました。所得が減少する一方になったのも大きな要因かもしれません。

そんなことで登山鉄道の撮影に機会は殆どなくなり、さらに、新幹線500系「のぞみ」の引退が迫った頃には何度も小田原まで行ったものですが、登山鉄道の車両は小田原口への乗り入れが廃止になってしまったことで、近年はまったく機会を失ってしまいました。


今回、過去に撮影した箱根登山鉄道を撮影した写真を探してみたのですが、自分の写真では103-107編成の写真は見つかりませんでした。
しかし、意外なところから写真が出てきました。



撮影年月日不明 入生田駅にて

この写真、女房が友人との旅行に行った際に撮影したものです。
前後の2枚しか撮影していませんが、これが偶然にも103-107-108の3両編成でした。モハ108が水色塗装となっているので、平成16~20年の間に撮影したもののようです。
駅も写真から見た周囲の状況で車庫のある入生田駅であると判りました。

写真を見ると、モハ103号のパンタグラフが下りているところが気になりますが、車内に乗客の姿もないようですし、偶然に入庫のための回送に出くわしたのかもしれません。

箱根登山鉄道の写真は、旧型車のみ何枚か撮っていますが、スキャンしていないものもあるため、いずれご紹介したいと思います。

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島原鉄道:キハ5503サボ(諫早-加津佐)

2019-07-22 15:44:00 | 私鉄(中小)
島原鉄道:キハ5503サボ(諫早-加津佐)


長崎県の諫早と島原外港を結ぶ島原鉄道。
かつては島原半島を半周以上するほどの距離で営業してしており、その長さは78.5キロにも及びました。
普賢岳の噴火による火砕流や土石流による被害を乗り越えて営業を続けていましたが、平成20年3月31日をもって島原外港~加津佐間が廃止されてしまいました。

長崎方面へは未だに1度しか訪問したことが無く、しかも鉄分がやや薄い旅行であったため、余り写真を撮ってはいませんでした。
その際、島原鉄道も諫早~島原外港間に乗車、天草方面へと渡っており、諫早駅で撮影した『島原鉄道:D3702&キハ5503』でご紹介済みですが、このうちキハ5503に掲示されていたサボを撮影した写真がアーカイブ漏れしていましたので、今回ご紹介したいと思います。



昭和57年11月26日 諫早駅にて キハ5503 諫早~加津佐 サボ

このサボを掲出したサボは前面に「急」のサボが取り付けられています。
ちょっと古い時刻表になりますが、下り列車で全区間を急行運転するのは1本しかないようで、佐世保10:20発の大村線経由の普通列車で、諫早で切り離された1両が11:55に発車する急行列車として運転されていたと推測されます。

沿線基地にはほかの気動車も多数停まっていたのですが、既に激しい広告をラッピングした車両が多く、これが気に入らずに1枚もシャッターを切っていませんでした。
大切な昭和の時代の記録を撮り逃してしまった路線の一つでした。

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