マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

ED77牽引:ジョイフルトレイン「オリエントサルーン」

2014-11-27 23:42:00 | 国鉄・JR ジョイフルトレイン
ED77牽引:ジョイフルトレイン「オリエントサルーン」


団体専用車両、いわゆるジョイフルトレインでは、サロンエクスプレス東京・サロンカーなにわをきっかけとして、欧風客車或いは和洋折衷車両というのも多く出現しました。



平成5年2月6日 翁島~磐梯町間にて ED77+オリエントサルーン

これはオリエントサルーン使用の団体列車です。和洋折衷タイプの絨毯敷仕様で、12系からの改造6両編成です。

オリエントサルーンは仙センの配置で、主に東北地方で活躍していた列車でしたので、なかなか関東ではお目に掛かることはできません。あまり興味が湧く車両ではありませんでしたが、磐越西線でED77が牽引する姿も初めてでしたので、雪晴れにそびえる磐梯山をバックに撮影したものです。といいましても、本来このアングルはD51のために用意したものでした。

私が撮影したオリエントサルーンは、このほかにEF65が牽引しているものとの2枚だけですので、今となっては貴重な資料になっています。

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EF65PF重連牽引:臨時特急「あけぼの52号」返却回送

2014-11-25 00:31:00 | 国鉄・JR特急列車
EF65PF重連牽引:臨時特急「あけぼの52号」返却回送


今年もあと1か月に迫ってきました。
JRになって四半世紀も過ぎ、帰省ラッシュの臨時列車も新幹線とそこからアクセスする特急列車のみといった時代になってしまいました。
新幹線網が出来上がる以前は、さばききれない昼間を避けた夜行列車による大量輸送が行われており、高校時代は上野駅での乗客整理のアルバイトに精を出したものです。

車両が少なくなる増発時は、普段は団体列車や予備で待機している車両をかき集めて臨時夜行列車仕立てており、14系座席車のみの”運ぶだけ”を目的とした特急列車もありました。
今回はそんなシーンを1枚。



昭和60年1月5日 栗橋~古河間にて 回6105列車レ 

年末年始輸送でUターン客を東京へ運ぶために設定された「あけぼの52号」。下り客は見込めないので、上野到着後小休止の後に回送で秋田に戻ります。
設定された回6105レは急行スジで、福島からは列車番号が変わってしまいますが、東北本線内は臨時急行「まつしま」や団体列車で使われるスジです。

当時、与野駅に勤務していた私は局報を自由に見ることが出来ましたので、EF65が重連になることも当然分かっていて出撃した次第です。
この頃は、既に東北新幹線も開業し、定期客車列車も少なくなっていましたので、臨時と言えども客車列車を重連で牽くことは極めて稀でした。したがって、大変注目した訳です。残念ながら下り列車でしたので、光線状況が良くなかったのですが、それでも14系座席車10両を従えて牽くEF651000番代の重連は非常に貫禄がありました。昔からの「あけぼの」など定期特急でもまず見られることはありませんでしたから。

今では14系客車ですら絶滅してしまいましたね。客車最後の時代とも言える頃でした。
写真からのスキャンで画像が見づらいのですが、もしフィルムからのスキャンが出来れば差し替えて大きく見られるようにしようと思います。

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仙台運転所のクロ481・クハ481

2014-11-22 18:50:00 | 試験・事業車、配給、列車車両等
先般発売された『KATO 485系初期型「ひばり」7両セット』について記事を書いたところですが、編成やボンネット車のタイフォンなど興味深い部分があること、私の認識が誤っていた部分もあったため、仙台運転所に配置されていたボンネット型先頭車についてまとめておきたいと思います。


483系の誕生

昭和39年度
モハ482・483 1~13
クハ481 9~28
サロ481 19~25
サシ481 5~14

昭和40年度
モハ482・483 14~15

北陸本線用60Hz車の481系に対し、50Hz用の483系が誕生、仙台運転所に配置されました。
誕生時はクハを両端とする10両編成で、「やまびこ」に使用されました。

485系の誕生

昭和42年度
クロ481 1~4
クハ481 29
※以下、モハユニット・サロ・サシの記述は省略します。

昭和43年度
クロ481 5
クハ481 30

43・10ダイヤ改正において、三相直通や広域配転を目論んで製造を開始した485系が誕生しています。
50Hzと60Hz区間のどちらでも使用できるようになり、その後のメジャー形式となります。
また、本改正において奥羽本線山形交流電化(直流からの切替を含む)が完成、ディーゼル特急「やまばと」が483系化され、さらに「会津やまばと」からの分離運転で「あいづ」とも共通運用を組むようになったため、両端クハ10連をクロ481を含む9連に置き換えることになりました。これは、短編成化によりMT比を上げて磐梯や板谷峠の勾配対策とし、磐越西線内の最大有効長の制限も考慮して実施されたようです。ここで初めてクロ481が誕生します。
※付随車は共通で使用することができるため、形式変更は行われず、クロ・サロ・サシは483系からの続番となっています。

サロ481の先頭車化改造

43・10改正に合わせ、早くも余剰となってしまうサロ481を不足するクロ481に転用するため、先頭車化改造を実施しています。
これにはサロ481-19~25が種車に充てられ、クロ481-51~57となりました。
このことにより483系サロは早くも消滅することになり、仙台運転所にAU12を搭載したサロが見られなかった最大の要因となっているようです。

クハ・クロに100番代の登場

昭和45~46年度
クロ481 101~104
クハ481 101~104

MG(電動発電機)の大出力・小型化を達成し、従来ボンネット内に収めていたMGを床下に架装することができるようになりました。
クハ481・クロ481もMGを床下に装備することになり、それぞれ100番代が登場しましたが、クハネ583と同様の貫通型形態とはせず、ボンネットスタイルを堅持しました。
そのため、ボンネット内はCPのみの搭載となっており、機能がスタイルに結びついて出来上がったボンネットスタイルも、ここで矛盾が生じた感があります。
また、100番代のスタイルの外観的最大の特徴が、それまでスカートに装備していたタイフォンにありましたが、ボンネット部に設置されるようなって印象が大きく変化しました。
ただし、昭和45年度に製造された101のみはスカート部のまま竣工しています。

クロ・サロ編成の登場

昭和48年1月、サロ481-84~86が新製配置され、これを組み込んでクロ・サロを含む13連が登場し、53・10改正まで活躍します。

クロ481の九州への転属

昭和51年、長崎本線及び佐世保線電化に伴う「かもめ」「みどり」の運転開始により、4両編成を組む必要が生じた「みどり」へのクロ供出のため、-1、-2、-51~57が南福岡区へ転属、さらに昭和57年秋に-101~104が南福岡区へ転属し、仙台運転所のみに存在したクロ481が3~5を除いてすべて転出しました。
残った3両も昭和58年度に鹿児島へ転出し、仙台運転所のクロはすべて九州車となりました。


ボンネット車のタイフォンについて

481系はもちろんですが、483系で誕生したクハ481-9~28及び485系で誕生したクロ481-1~5並びにクハ481-29・30・101、さらには先頭車化改造により誕生したクロ481-51~57はずべてスカート部にタイフォンを装備していました。
しかし、雪害対策としてクハ481-102以降についてボンネット部に装備したことにより、これにならってスカート部に装備した車両もその殆どが移設改造を施工しています。
改造は昭和47年から49年に掛けて実施されたという記述があります。
なお、国鉄の末期に九州から勝田区へ大挙として戻って来たクハ481の初期型で、シャッター式或いはスリット開放型へ改造したらしきタイフォンをスカート部に装備した車両がありましたが、これらはいずれも向日町(金沢も?)へ配置されたものであり、仙台運転所に居たボンネット型はクロを含めすべて改造されたようです。
※タイフォン改造の見分け方として、改造前に設置されていたヘッドマーク左右下部の手すりがタイフォン直上に残っているものが改造車、タイフォン直上に手すりがないものが-102以降の車両となります。

ボンネット上の点検蓋について

ボンネット上に点検蓋があるものとないものが存在していましたが、100番代でも点検蓋が取り付けられている車両を確認しており、番代の識別の問題ではなく、改造によって塞がれたものがあるということのようです。


181系では用途の関係から形式数が多くなってしまった反省を踏まえ、その形式数を抑えて設計された485系列ですが、製造の長期化、配置の広域化はもとより、形式間の改造も相まって、非常に複雑怪奇な奥の深い形式に仕上がってましたね。

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ED78牽引:「サロンエクスプレス東京」

2014-11-19 01:06:00 | 国鉄・JR ジョイフルトレイン
ED78牽引:「サロンエクスプレス東京」


「サロンエクスプレス東京」は、14系客車を改造して誕生した欧風客車で、西の「サロンカーなにわ」とともに欧風改造の先駆けとなった車両です。
団体以外の臨時列車にもしようされるなど、撮影する機会が比較的に多かったため、まとめずにシーンごとにご紹介いたします。

今回は1枚のみですが、板谷峠に行った際に撮影したもの。



昭和60年6月20日 大沢~関根間にて ED78牽引 「サロンエクスプレス東京」

板谷峠2回目の訪問だったと思います。この時は事前に情報を確認していったので、臨時列車も逃さず撮っていました。
国鉄時代と言えども寝台設備を持たないジョイフルトレインは、長距離運転には限界があったと思いますが、東北南部くらいだとそれなりに設定があったと記憶しています。
ただ、場所が場所だけにそうそう訪れる機会もなく、撮影したのはこの1回のみでした。
まだスイッチバックの廃止など、全く想像が及ばなかった時代です。

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EF58122牽引:お座敷列車「白樺」

2014-11-17 02:16:00 | 国鉄・JR ジョイフルトレイン
EF58122牽引:お座敷列車「白樺


昭和58年、長野鉄道管理局に初めてお座敷列車が配置されました。
12系余剰客車を種車とするお座敷改造が進み、長野(長ナノ)にもこれに漏れず導入されることになった訳ですが、それまで種車のイメージのまま竣工するものばかりであった中、クリーム地に黄緑色という、まるで電車のような配色に度肝を抜かれたものです。また、スロフの一部窓を固定化しサロン室を設けるなど、その後のジョイフルトレインの個性化に与えた最初の例と言えるでしょう。



昭和60年5月頃 与野駅にて EF58122牽引 12系お座敷「白樺」

当時は、塗色変更による一新化を毛嫌いした私ですが、12系お座敷列車の中でも、この長野車だけは大変お気に入りの存在でした。
しかし、EF58の撤退後、いわゆるジョイフルトレインを追いかけているような暇も無く、その後黄緑がやや薄暗い色に塗色変更され、さらには秩父の12系のようなダークグリーンとなり、そのインパクトのある個性的な印象が薄れてしまいました。

そんなこともあって、これ以降同車の写真を撮っていないようでした。フィルムチェックもしていますが、これ以外の画像は出てきません。お気に入りの塗色だっただけに、カラーで撮っていなかったのが非常に残念です。

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