マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

西武鉄道:4000系(パンタグラフ換装前)

2020-04-30 00:01:00 | 私鉄(大手)
西武鉄道:4000系(パンタグラフ換装前)


西武鉄道秩父線及び秩父鉄道への乗り入れ用として製造された4000系電車。
101系の機器を流用し、2ドアクロスシートの車体を新造して載せた、西武鉄道唯一の形態となっており、車体色もライオンズカラーと他の車両とは全く違った雰囲気を持った車両です。

西武秩父線で主に運用されており、一部は秩父鉄道に乗り入れ、長瀞や三峰口へ直通運転を行う運行形態も、登場時から継続しています。
休日には、池袋から長瀞・三峰口行きとして都心からの直通運転を行っていましたが、令和2年3月のダイヤ改正において運用を飯能で分割されることになり、都心からの直通運転が消滅してしまいました。
西武鉄道 4000系:池袋発 快速急行 長瀞・三峰口行き


我が地元からすれば便の良い場所では無いため、殆ど縁のない形式。都心の走行シーンを記録するため初めて撮影したのが最期のこの時だけでしたが、過去の撮影の中で、1度だけ撮った写真が見つかりました。


※撮影は、平成2年4月30日、武州日野~白久間にて。





西武鉄道 4000系 快速急行 三峰口行き

「SLパレオエクスプレス」をセッティングしているときに撮影したものです。

昭和63年12月に運用を開始した4000系ですので、撮影時点ではまだ登場1年半ほどしか経っていません。
ワンマン対応化や転落防止幌の取付けなどの改造が施行されていますが、特に外観から大きく変わったのがパンタグラフの換装でしょうか?平成16~19年にかけてシングルアーム化されましたが、登場当初は大型のひし形パンタグラフを2基搭載していました。

この写真を撮ってから30余年。都心直通が消滅してしまったのもホームドア設置という時代の趨勢で仕方のないことですが、後継車の話も全く出ていませんので、もうしばらくは現状維持となりそうです。


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名古屋鉄道 1700系+2200系:1704F編成

2020-04-26 11:38:00 | 私鉄(大手)
名古屋鉄道 1700系+2200系:1704F編成


自らがフィルムスキャンをしなくなったため、準備ネタも少なくなっており、更新がやや滞っております。仕事も多忙期であるため、記事の作成をする時間が無くなり、更新回数も少なくなってしまいました。

そんな中で何かネタになるものがないかと画像を整理していましたら、1枚の写真に目が留まりました。

愛・地球博で名古屋を訪れた時に撮影した名古屋鉄道のリバーサル写真を、15年近く経って初めてデジタルで画像化しました。これをもとに、塗装変更によって形態に変化のあった2200系について『名古屋鉄道:2200系(登場当初)』でご紹介したところですが、その後、佐久間レールパークの最終訪問をした際に飯田線と共に撮影した画像の中に、1枚の2200系がありました。
そのため、記事を再編集しなければと考え画像を改めて見たところ、豊橋方の先頭車のパンタグラフの位置が運転台上にあることに気が付きました。

名鉄車両には全然詳しくないので調べたところ、元1600系を改造し、2200系と共に編成を組み直した1700系であることがわかりました。



平成21年8月22日 下地~船町間にて 1700系+2200系 1704F

特に何も考えずに撮影した2200系です。下地駅側から撮影したため、肝心の豊橋方の車両の存在は曖昧です。しかし、パンタグラフが運転台上にあるのが辛うじて判りました。
当時は500万画素のコンデジだったのですが、拡大したところ岐阜方の車両が「2334」のように見えました。




当該写真から画像縮小せずに切り取ったものです。したがって、画質が良くありません。
Wikipediaから「2334」の連結された編成を探してみると、
1704+1654+2434+2484+2384+2334であることが判明しました。

この形態の編成は1701~1704Fの4編成が存在していたようですが、このうち1703と1704は令和2年2月に廃止になってしまったそうです。ただし、相方である普通車の2200系は、新造した2200系特別車と手を組み再出発となっているということです。

偶然にも撮影していた稀少編成でしたが、肝心の1700系の顔を記録できなかったのが残念です。

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185系OM車:臨時快速「足利藤まつり」

2020-04-19 21:19:00 | 国鉄・JR快速列車
185系OM車臨時快速「足利藤まつり」


あしかがフラワーパークの大藤まつりに合わせ、毎年GWを中心に運転されるJR東日本の臨時快速列車。
2020年も例年どおり予定されていましたが、新型コロナウィルスの感染拡大防止のため、やむなく中止(臨時休園)に追い込まれる事態となってしまいました。
このことにより、JR東日本高崎支社からも臨時快速の全面運休が発表されています。

183系による臨時快速「足利藤まつり」については過去ログでまとめが終っていますが、183系の引退により、平成26年度からは185系による「足利藤まつり」が運転されていました。
そして、185系の廃車が進む中、平成31年の設定では185系の運用が1往復残ったものの、ここにE257系500番代5両編成が初めて進出して来ることになり、さらに何故か列車名「あしかが大藤まつり」変更されてしまいます。

どちらにしてもヘッドマークが用意されておらず、精々「臨時快速」を表示するくらいなので面白みも何もありませんが、地元を走る列車として記録を続けていました。



平成26年4月29日 185系B5編成 「足利藤まつり3号」

田町車両センターからの185系が運用されるようになり、湘南塗装のB編成による「足利藤まつり」が見られるようになりましたが、やはりヘッドマークは「臨時快速」でした。



平成29年5月1日 鶯谷駅にて 185系OM03編成 「足利藤まつり2号」

この間、まったく興味が無かったので撮影することも無くなってしまったのですが、185系そのものが引退ではないかとの危機感があり、仕事に帰りにギリギリ間に合いそうな上りを狙ってみました。塗装は///ばかりになりました。
しかし、近年のJRは合理的というか準備が良いというか、終点到着前にヘッドマークをひっくり返してしまうことが多くなり、ご覧のように最悪の「回送」マークでの到着となってしまいました。



平成29年5月4日 185系OM03 快速「足利藤まつり2号」

「TRAIN SUITE 四季島」の初運転・初帰還の撮影を兼ね、上り2号を撮影しておきました。やはり「回送」マークが悔しかったのでリベンジです。





平成30年5月5日 東鷲宮~栗橋間にて 185系OM04編成 「足利藤まつり1号」

翌年も185系による運用が残り、他の臨時列車撮影を兼ねてプチ遠征してきました。


令和2年度も185系による「あしかが大藤まつり」が設定されましたが、冒頭のとおり運転取り止めとなりました。
E257系の改造がやっと進み始めたこともあり、1年後の185系設定はもう無理かもしれません。

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国鉄 20系寝台客車:ナハネフ21・ナハネフ23

2020-04-18 02:05:00 | 試験・事業車、配給、列車車両等
国鉄 20系寝台客車:ナハネフ21・ナハネフ23


鉄道ファンであれば、必ず大好きな車両や列車があると思います。
特に子供の頃に鉄道ファンになったのであれば、初めて見た車両、初めて乗った列車など。特に洗練されたスタイルの特急列車などに憧れた方も多いと思います。

私も鉄道好きになったのは小学生の低学年であり、国鉄沿線の地元で見られる列車が情報が全て。その中で特に大好きになったのは583系寝台特急列車でした。

しかし、初めて時刻表を買ってもらった時、鉄道の世界の見え方がまるで違ってきました。
全国各地に様々な名前の列車が走っている。客車列車、電車列車、気動車列車・・・特急列車、急行列車・・・そういえば、蒸気機関車の引く列車にはSLのマークも付いてましたね。

そして、小学5年生のとき、どうしても関西の特急列車の写真が撮りたくて、わがまま言ってじいさんに連れて行ってもらいました。


その頃になると、東京口のブルトレも存在を知っていましたし、地元を通る「あけぼの」や、回送ですが「ゆうづる」などに使用される20系も好きになっていました。
早朝の大阪駅で、「あかつき」「彗星」「明星」といった寝台列車を夢中になって撮りましたが、残念ながら当時の高価な写真代から撮影できる枚数が限られており、1列車1枚というしばりを自分で作ってしまい、殆どの20系を撮り損なっていました。


そんな中で、衝撃的な出会いがありました。



昭和49年8月 大阪駅にて ナハネフ21 特急「日本海」

たまたま新大阪寄りの階段を昇ってホームへ出ると、青森からの「日本海」が到着していました。
もちろん20系客車だったのですが、それが切妻型のナハネフ21でした。
20系客車は、それまでに東京駅におけるブルトレを見ていたので知っていましたが、流美なカニ21やナハネフ22ばかり見ていましたので、全く違うシルエットの車両を初めて目にし、衝撃を受けてしまいました。
当時はナハネフ23だと思っていましたが、当時の青森運転所の配置状況から、ナハネフ21であることは後になってから知りました。

この時以来、すっかりナハネフ21、ナハネフ23のファンになってしまいました。


しかし、本来中間に連結され、切り離しをしたときに初めて姿を見せる車両であるため、フル編成で集まる都心で見ることは殆どなく、憧れだけが募ることになります。
そんな中、地元にも姿を見ることができるようになりました。これは、中学生になって活動の時間が拡がったことで分かるようになったものです。



昭和51年 大宮駅にて 「ゆうづる」入庫回送

常磐製経由の「ゆうづる」でしたが、3往復設定されていた20系客車のうち2本は、尾久推進回送後にカマを付け替え、東大宮操へ回送されていました。その列車を早朝の地元で見ることができたのです。
大宮駅で撮影していると、「ゆうづる」の回送列車がやってきて、大宮駅で運転停車します。そこで初めて「ゆうづる」にも切妻型のナハネフが連結されていることを知ります。
さらに、窓の大きさの違いから、ナハネフ23ではなく、座席車改造のナハネフ21であることを知ります。



昭和51年 上野駅にて 特急「ゆうづる3号」&「ゆうづる2号」

そんな衝撃的な発見から、早速早朝の上野駅へ出掛け、20系「ゆうづる」を捉えることができました。

しかし、この写真を撮って間もなく、「ゆうづる」に東海道ブルトレの25形化ではじき出された24系が青森運転所へ転入することになり、「ゆうづる」の20系運用は消滅することになります。



昭和52年 蕨~西川口間にて 急行「天の川」

特急列車からの淘汰が進む20系客車でしたが、車齢の若い状態の良い車両は急行列車の10系寝台の代わりとして使用されるようになり、「ゆうづる」や「日本海」を追われた20系は、急行寝台列車用として尾久客車区へ転属します。
その結果、急行「新星」や「天の川」にナハネフ21が使用されるようになり、「新星」ではしんがりの8号車に、「天の川」では写真のように後部から2両目に連結されることが多かったようです。


一方、全車寝台化と分割需要の拡大により誕生した新製ナハネフ23(一部ナハフ21からの改造車あり)ですが、「あさかぜ」の中間に繋がっていたりするのを見たことがあったくらいであり、やはりこれを都心で撮影するのは難しい存在でした。



昭和52年3月頃 上野駅にて ナハネフ23 特急「あけぼの」

20系の登場から20年弱ですが、軽量車体が仇となって老朽化が早まり、廃車される車両がでてきました。また、急行等への使用列車が出てきたためか、中間に収まっていたナハネフ23もしんがりを務めるようになったようです。



昭和55年頃 大宮駅にて ナハネフ23 特急「あけぼの」

特急列車として最後まで残った「あけぼの」。廃車や急行列車への格下げも増え、いよいよ緩急車が足りなくなってきたようで、ナハネフ23が常用されることも多くなってきたように思います。



昭和55年3月 青森駅にて ナハネフ23 特急「あけぼの」

こちらは青森駅でとった下り「あけぼの」。秋田回転車2両を切り離すため、ナハネフ23しか見ることができない区間になります。



上野駅にて ナハネフ23 特急「北陸」

昭和50年3月改正で誕生した「北星」「北陸」にも20系客車が使用されるようになりますが、わずか3年半で14系客車へと置き換わってしまいます。
カニ21&ナハネフ22のコンビばかりのイメージでしたが、ご覧のように稀にナハネフ23が使用されたことがあったようです。
写真は同級生のもーまんさんから提供を受けたもので、自身としては一度も目撃したことはありませんでした。



昭和57年11月6日 上野駅にて ナハネフ23 急行「新星」

20系急行列車も終焉となる頃、むしろナハネフ23の方が多い印象でした。



昭和56年? 東京駅にて ナハネフ23 臨時特急「あさかぜ52号」

一方で、運用を外れ余剰気味となっていた20系客車は、臨時列車にも使用されるようになりました。
首都圏に運用されるスジはこの「あさかぜ」くらいしかありませんでしたが、広島や下関以遠に行かないと見ることができなかったナハネフ23「あさかぜ」を撮ることができたのは非常にうれしいものでした。


晩年は1000番代や2000番台に改造され、12系併結で夜行急行列車などに各方面で使用されるようになります。
しかし、帯が消えてしまったり、色の合わない車両同士の連結にはまったく魅力を感じることはできず、全く撮影することはありませんでした。特に、設定当初はマークも用意されていなかったので、余計に写欲も湧きませんでした。

そんな彼らの最後の活躍を無視してしまった形となり、たった1枚の写真さえも撮っていなかったことについては、悔いが残る結果となっていましました。



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EF651000番代牽引 20系寝台客車:寝台特急「あけぼの」

2020-04-11 18:59:00 | 国鉄・JR特急列車
EF651000番代牽引 20系寝台客車:寝台特急「あけぼの」


特急「あけぼの」は、昭和45年10月に誕生した奥羽本線初となる寝台特急。実際には毎日運転の臨時特急として前倒しで設定されたそうです。

登場当初から20系寝台客車を使用し、1往復による運転で登場しますが、利用好調により昭和48年10月ダイヤ改正で秋田行きが1往復増発されます。
さらに、昭和57年11月のダイヤ改正で急行「津軽」1往復を格上げし、3往復体制となりました。

軽量客車の宿命で老朽化の激しかった20系客車。昭和50年代になると早くも老朽廃車が多くなり、全国でも最後の20系客車使用の定期寝台特急となった「あけぼの」も、昭和55年10月ダイヤ改正で24系に置き換えられることになりました。

直流区間の牽引機は、専ら宇都宮運転所のEF651000番代が担当していました。EF65PFは、東北本線の高速列車における象徴のような存在でした。
※臨時特急「あけぼの」には、EF58やEF57が牽引していた記録があるようです。


今回は、20系が活躍していた時代の寝台特急「あけぼの」の写真をご紹介したいと思います。



昭和51年頃 上野駅にて

リコーオートハーフを使用していた時代なので、残念ながらブレブレです。ナンバーの読み取りは厳しいのですが、印象としては1045号機のように見えます。
ヘッドマークがないため、撮影の狙いは後部のナハネフ22でした。ホーム端にあるごみ運搬用のカゴも懐かしく、この写真の数年後、バイトでこのカゴを引くようになるとは思ってもいませんでした。



昭和52年頃 蕨~西川口間にて マニ20

一眼レフの導入により、ある程度走行写真もそれなりに撮れるようになった時期。夏休みくらいでしょうか、早朝から撮影に出ることもあったようです。
この頃になると、特徴のある電源車の写真も撮りたくなったみたいで、ヘッドマークのない機関車は重点とせず、2両目に連なる電源車に目標が定まった構図です。

この写真では、次位にマニ20が連結されています。登場時のパイオニア形式ですが、荷物室のサイズが仇となり、登場時の3両の製造に留まりました。
マニ20は、昭和52年中に廃車・形式消滅となってしまったようなので、この写真も最晩年の活躍のシーンとなってしまったようです。



昭和52年頃 蕨~西川口間にて カニ22

こちらも同じような構図ですが、次位にはパンタグラフを撤去したカニ22が連結されています。この頃は、既に武骨なスタイルのカニ22が大好きになっていました。
当時は荷物車の連結位置が上野寄りと決まっており、上野駅からの回送もすべて推進運転となっていましたので、電源車の顔を撮るには夜の上野駅へ出向くしかありません。しかし、今の世の中と違い、中学生ではそのような行動に限界があったため、このような写真で満足するしかありませんでした。



昭和55年7月23日 南浦和~蕨間にて

スキャンのモードを間違ったため、見難い写真ですみません。
20系客車使用の晩年で、電源車は最もメジャーなカニ21になっています。
マニ20は既に廃車され、カニ22も廃車又は24系化による改造で居なくなっていたと思います。


この時代は既にヘッドマークが外されているため、機関車の写真を撮ることなど考えられず、走行写真も殆ど撮っていませんでした。
そんな中でも、たまたま撮っていた写真に写っていたこれら貴重な電源車。末期の活躍時代のシーンを記録に残すことができましたので、大変ラッキーだったと思います。

寝台特急「あけぼの」に関しては、過去ログで数々のまとめをしていますので、時間があったら下記リンクからご覧ください。


EF641000番代牽引:寝台特急「あけぼの」
EF6437牽引:寝台特急「あけぼの」
EF6438牽引:寝台特急「あけぼの」
EF81青森機牽引:寝台特急「あけぼの」
EF81田端機牽引:寝台特急「あけぼの」
EF510代走牽引:寝台特急「あけぼの」
ED75700牽引:寝台特急「あけぼの」
EF65PF重連牽引:臨時特急「あけぼの52号」返却回送
20系寝台客車:寝台特急「あけぼの」(カニ21・22編)
20系寝台客車:寝台特急「あけぼの」(ナハネフ22・23編)
24系寝台客車:寝台特急「あけぼの」
オハネ24551:寝台特急「あけぼの」(乗車記)
583系:臨時寝台特急「あけぼの81号」(秋田車)
583系:臨時寝台特急「あけぼの81号」
寝台特急「あけぼの」:あり得ない牽引機編

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