マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

711系試作車:クモハ711-901+クハ711-901

2015-03-27 01:22:00 | 国鉄・JR普通列車
711系試作車:クモハ711-901+クハ711-901


711系型電車は、北海道初の電化区間開業に合わせて製造された、国鉄初の交流専用型電車です。また、それまでMM’のユニットで製造されていた新性能電車群の中で、初めて1M方式を採用したのも711系になります。
北海道における過酷な寒冷地での使用に当たり、徹底した寒冷地対策が施され、その成果は後に誕生する781系型特急電車以降の車両にも生かされています。

711系は、量産に当たってTcMTcの3両編成となって製造・運用されましたが、昭和42年に誕生した試作車については、McTcの2両を1ユニットとし、2タイプの2編成で落成しました。

量産車の登場後においても、試作編成は2両編成のまま使用されたようですが、3次車(100・200番代)誕生時において新製車を連結し、TcMcTcの3両編成で運用されるようになっています。



昭和56年3月19日 恵庭~島松間にて

2度目に渡道した際、運良く901編成を撮影することが出来ました。ただし、移動中に偶然出会ったもので、構図を選ぶ間はありませんでした。

試作車は901編成がユニット窓の2段昇降式であり、165系や455系といった急行型に非常に良く似ていました。ただし、登場時は客扉が4枚折り戸となっており、157系に次ぐ奇異なスタイルでした。その後引き戸に改造させて大きな個性を失ってしまいますが、2段昇降式の窓によって遠目にも901編成と識別することは容易でした。





平成元年7月2日 小樽駅にて

「C62ニセコ」の撮影後、小樽から札幌へ向かう際に、偶然ですが発車した列車の窓に映った901編成を発見しました。手元にあったコンパクトカメラで咄嗟に撮りましたので、写りが良くなかったのが残念です。
それでも、新色になってから901編成を撮影したのはこの時のみであり、自分としては貴重な資料となっています。



昭和56年3月 旭川駅にて 急行「かむい」(再掲)

2回目の渡道の際、旭川駅で偶然にも2度目の出逢いがありました。ヘッドマークはありませんが、まだまだ急行列車が幅を利かせていた時代であり、「急行」表示も誇らしく見えます。


901編成については、すべて偶然ですが3回も撮影することが出来ました。
一方、902編成は量産型との区別が付きづらいため、もしかしたら出逢っていたかもしれませんが、残念ながら記録に残すことはできませんでした。

平成27年3月、最後の711系が運用を離脱し、北海道電化に大きな功績を残した電車が、その歴史に幕を下ろすことになりました。


関連リンク

711系交流電車:函館本線(オリジナル塗装時代)
711系:急行「かむい」
キハ27:快速「ミッドナイト」

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E231系:上野東京ライン(開業記念ヘッドマーク取付)

2015-03-21 15:37:00 | 国鉄・JR普通列車
E231系:上野東京ライン(開業記念ヘッドマーク取付)


平成27年3月14日、上野駅と東京駅を連絡する東北本線がつながり、宇都宮線・高崎線、そして常磐線の直通運転が行われるようになりました。
路線名を「上野東京ライン」というそのまんま名付けましたが、既に利用者には浸透しているようです。開業から初めての平日を迎えた3月16日、早速効果が表れたようで、朝のラッシュ時間帯、従来は2~3本見送らないと乗り換えができなかった3・4番線ホームがガラガラになったということです。
私的見解ですが、効果があるのはここだけではなく、地下鉄の乗り換えや、湘南新宿ラインへの影響もあるのではないかと考えます。私が通勤で利用する埼京線においても、改正前に比べて1割程度、或いはそれ以上にギュウギュウ詰めが無くなったように感じます。

一方の車両面ですが、常磐線からはグリーン車の無いE231系は乗り入れさせず、編成が他系列と揃っているE531系についても車両価格面から増備を控え、品川までの乗り入れとしたようです。東海道~宇都宮・高崎線は相互乗り入れとし、E231系・E233系とも運用されています。また、運用の弾力性を高めるためか、E231系・E233系の併結も行われるようになりました。JRも東日本以外では早くに行われていましたが、JR東日本では各種試験をおこなってきた実績はあるものの異系列併結は極めて珍しいこととなっています。
また、上野東京ラインではありませんが、改正前までE231系のみで限定運用されていた湘南新宿ラインに、今改正からE233系も運用されるようになっています。
さらに、運用増大に伴い、総武線から常磐線への車両異動など、今までになかった動きも見られました。


これからの路線ですので現時点でのアーカイブはいたしませんが、開業記念ヘッドマークを掲げた列車が運転されましたので、この点のみ記録しておきたいと思います。





平成27年3月14日 E231系 上野東京ライン 1553E

開業初日の上野東京ラインで、2編成にヘッドマークが取り付けられました。
目的が2レ最終「北斗星」でしたので、ついでではありましたが、突然来てしまったのでカメラの取り出しが間に合わず、構図や露出をセッティングする暇がありませんでした。なので出来栄えが悪く大変残念な状態です。

後日改めて確保しようと思ったのですが・・・2日間限定だったらしく、これが最初で最後となってしまったのは非常に残念です。


今でこそ上野東京ラインが「開業」と言っていますが、その昔は東北・常磐線の列車が一部東京まで乗り入れを行っており、「はつかり」「ひばり」「とき」「あさま」「そよかぜ」「ひたち」と言った列車も東京駅で見ることが出来ました。営業運転が休止になった後も、157系・183系「白根」はこの回送線を使って回送されていましたし、EF15の牽引する荷物列車も私が高校生の頃までは健在でした。
その後、新幹線工事の開始により秋葉原付近で分断されてしまったために引上げ線として利用されていましたが、あれから30年、やっと直通列車が運転されるようになりました。

まだ今のところ利用する機会はありませんが、品川以遠に行く際は、赤羽駅で敢えて乗り換えて利用してみようかと思っています。

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485系:特急「北越」

2015-03-15 23:36:00 | 国鉄・JR特急列車
485系特急「北越」


昭和44年10月、大阪~新潟を結ぶ臨時列車として誕生した特急「北越」。
翌昭和45年3月に定期列車に格上げ、昭和48年3月には2往復の増発が行われ、大阪~新潟間2往復及び金沢~新潟間1往復の3往復体制となります。
昭和53年10月ダイヤ改正において、大阪~新潟間を結ぶ特急は「雷鳥」として存続し、「北越」は金沢~新潟間1往復のみとなります。ここで「北越」は大阪口から撤退することになります。

昭和57年11月、上越新幹線大宮暫定開業時において、関東~北陸圏への需要増から長岡を接続点とするアクセス特急としての役割も担うことになり、新潟~北陸の都市間アクセスの役割と合わせた全国でも珍しい存在の特急列車となります。

以来、32年半もの長きにわたってその性格も車両も変わることなく運転され続けてきた特急「北越」も、北陸新幹線の開業によってその任を下りることになりました。



平成27年1月23日 「北越3号」 黒部~生地間にて



平成27年1月23日 「北越4号」 水橋駅にて



平成27年1月23日 「北越3号」 福岡~石動間にて



平成27年1月24日 「北越4号」 呉羽駅にて



平成27年1月24日 「北越6号」 小杉~越中大門間にて



平成27年1月25日 「北越2号」 水橋~東富山間にて



平成27年1月25日 「北越3号」 東富山~水橋間にて

最後に北陸特急を撮影するために訪れた際、出来る限り撮影をしてきましたが、3日間全てが3000番代で運用されており、国鉄色はおろか字幕のT編成すら撮ることができませんでした。
帰って来てからT編成がすべて廃車になっていたことを知り、非常にガッカリしました。



平成23年5月4日 R21編成 「北越1号」 米山~笠島間にて



平成23年5月4日 T14編成 「北越2号」 潟町~土底浜間にて

急行「きたぐに」が廃止になるために撮影に行った際のもので、なんとか1列車のみですがT編成を撮影していました。



平成20年4月23日 「北越1号」 金沢駅にて

485系特急「雷鳥」を撮影に行った際、金沢駅で撮影したもの。
この回は、金沢以西での撮影であったため、「北越」にあったのは金沢駅に到着したこの時のみ。隣に停車中の国鉄色は、上野からやってきた急行「能登」。



昭和52年 上野駅にて

これはウソ写真になりますが、上野駅での幕回しの光景。
489系は関西特急への運用を考慮して装備しているので、「つばめ」「雷鳥」「しおじ」「みどり」といった関東では見られない列車名を拝むことが出来ました。



昭和49年8月 大阪駅にて

私と「北越」の出会いはここからでした。当時は「きたこし」と読んでいたと思います。
2回目に関西を訪れたのが昭和55年になりますので、既に「北越」は大阪口から撤退していました。

その後、昭和の時代にも富山港線など数回訪れていますが、1日1往復と本数が少なかったためか、1度も出会っていなかったようです。

この記事を書く前日に思ったのですが・・・
昭和44年に誕生して以来、最後まで一貫して485系が使用されており、途中に489系が入っていたかもしれませんが、1系列を46年にもわたって使用してきた列車は無い筈で、直流電車も含めてこの記録を破ることが出来る列車は現れないような気がします。
現時点ですと185系「踊り子」や381系「くろしお」「やくも」が追随していますが、誕生が8~12年ほど差がありますので、世代交代の時期を考えるとこの記録に及ぶのは難しいように思います。


「北越」という地域名を、運転開始当初から特急列車に使用した例も珍しい存在でした。
全国の特急列車の中でも地味な存在でしたが、その役割は非常に大きいものであったと評価できると思います。もし、北陸新幹線が全通して大阪~新潟間を結ぶことがあれば、迷わず「北越」の名を復活させてほしいものです。

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EF81牽引:寝台特急「トワイライトエクスプレス」

2015-03-14 04:18:00 | 国鉄・JR特急列車
EF81牽引:寝台特急「トワイライトエクスプレス」


平成27年3月12日、日本最長距離を走る寝台特急列車が幕を下ろしました。

平成元年、団体列車用としてJR西日本が満を持して誕生させた豪華寝台列車。平成3年度までに3編成を改造により落成、日本最長距離を走る豪華寝台列車「トワイライトエクスプレス」としての地位を築きました。

ダイヤの関係から1日で3編成を要するため、予備車が無く、最後まで定期列車とはならずにいましたが、繁忙期にはフル回転で毎日運転としていました。このような運転形態は、東京~西鹿児島間に片道24時間の運転時間を要した寝台特急「富士」の再来を思わせるものでした。

運転経路も料金的にも、そして日程的にみても関東在住の身からは縁遠い列車でしたので、私的にはまったく利用したことが無く、写真に記録したものもごくわずか。
最後に北陸を訪れ、やっとそれなりに残すことが出来ました。





平成23年5月4日 EF81114牽引 8002レ 安田~茨目間にて

急行「きたぐに」を撮影のために訪れた際、時間が近い場所を選定しました。
下り列車は合わせた立ち位置にしてしまったため、中途半端な構図にしてしまったのが残念。



平成27年1月23日 EF8144牽引 9002レ 生地~黒部間にて



スシ241

EF81初期車が最後まで活躍した「トワイライト」塗装。誕生当初は新鋭機でしたが、その車齢は40年にも及ぶ古典機となってしまいました。
そして、電車特急から改造された食堂車スシ24。その活躍は電車時代を遥かに凌ぐものとなっていました。



平成27年1月23日 EF8143牽引 8001レ 津幡~倶利伽羅間にて

こちらもEF81初期車が牽引する下り「トワイライトエクスプレス」。
既に終焉となっており、有名撮影地には大勢の撮り鉄たちが訪れていました。



スロネフ25

「トワイライトエクスプレス」最大の売りであった展望スイート。昔で言う展望車の景色を2人占めできる至福の空間。先発の「北斗星」にはなかったスタイルです。



平成27年1月25日 EF8143牽引 9002レ 水橋~東富山間にて

最後は立山連峰バックに撮りたかったのですが、生憎山側の天気が悪く、その姿を見せませんでした。



スシ242

こちらもAU12クーラを搭載した初期の食堂車。こちらも誕生してから40年が経過しています。

撮影回数で言うと2回のみ。
これ以外にも485系「雷鳥」の撮影で訪れていますが、運が悪く、上下列車とも運転の無い日でした。

あまり縁がなく、個人的には思い入れのない列車なのですが、豪華列車旅を演出し、「乗る楽しさ」を世間に印象付けてきたその功績は、「北斗星」と並んで大変に大きいものと言えます。
北海道新幹線の開業という節目がなければ、もしかしたら新車導入による継続運転もあったかもしれないですね。
西日本から新潟以北へ直通する列車ですら消滅してしまうという事態は、文化交流の寸断にもなり兼ねませんし、西日本と東日本でタッグを組み、臨時列車でも良いのでなにかつなぐ糸を残してほしいものです。

そして、臨時運転やリバイバルトレインなど、イベントで復活を期待できる列車もありますが、北海道新幹線と言うネックができてしまうため、今後同区間を走る「トワイライトエクスプレス」の復活可能性は皆無ということになります。
本当にさよならです。

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183系・189系:普通列車「妙高」

2015-03-08 03:06:00 | 国鉄・JR普通列車
183系・189系:普通列車「妙高」


平成27年3月14日ダイヤ改正において、長野~直江津間を結んでいた快速・普通列車「妙高」が廃止されることになりました。昭和33年に準急列車として運転されて以来、伝統ある信越本線の急行列車として使われてきた名称は、信越本線の長野県口の路線と共に運命を終えることになります。

国鉄時代から何回かは利用したことのある路線でしたが、長野新幹線が開業してからは1度しか訪れたことがありませんでした。
急行「きたぐに」を撮影した帰路に長野電鉄に寄り道するためにクルマで通過していますが、山岳路線であるがゆえに国道とは離れており、「妙高」の列車本数が少ないことから撮影していませんでした。もっとも、その時にはまだ北陸新幹線の開業などまだ先の話と思っていました。

※撮影は、いずれも平成23年5月4日、直江津駅にて。




帰路にたまたま立ち寄った直江津駅にて、発車待ちをしている「妙高4号」に出くわしました。




編成ごと1枚しか撮っていなかったので、ヘッドマークをアップにしてみましたが、当時は画質を落として撮っていたため、モザイク様になってしまってました。車両番号はクハ189-510と読み取れます。




越後湯沢行きの「はくたか」が到着しました。この列車を接続して発車となりました。

その後、この区間に撮影で訪れたことが無く、最後に訪問したくもクルマは冬対応になっておらず、重度の金欠病に陥ってしまったため、これだけしか記録することが叶いませんでした。

最後の北陸撮影に行った際、往きの「はくたか」で直江津駅に到着すると、あさま色の「妙高」と国鉄色の「くびき野」が並んで停車していました。
下車して写真を撮りたいところですが、途中下車の利かないフリー乗車券が仇となり、指をくわえているしかありませんでした。写真に残せなかったあの光景は、これから先も忘れることはできそうにありません。


関連リンク
EF621牽引:夜行急行「妙高」

169系:急行「信州」

EF62牽引:急行「越前」

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