マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

185系:臨時特急「なつかしの新特急なすの」

2019-05-27 00:29:00 | 国鉄・JR特急列車
185系:臨時特急「なつかしの新特急なすの」


「踊り子」からの撤退が発表され終焉迫る国鉄型185系電車。
様々なリバイバル列車が企画されましたが、何故か東北本線の代表新特急であった「なすの」が設定されることはありませんでした。

この終焉が間近になって、令和元年に突然臨時列車として「なすの」が設定されました。


※撮影は、令和元年5月26日です。





185系OM8編成 5006M 「なつかしの新特急なすの」





185系OM8編成 回5007M

残念ながら「新特急カラー」にはなりませんでしたが、現役当時と同じデザインのヘッドマークシールが前後に用意されました。

本来なら下りの送り込み回送を狙って準備を整えていたのですが、気が付いたら9時を回っており、ガッカリな1日でした。
全国的に記録的な猛暑となった5月、天気の良い中で回送を含む1往復をカブリなしで記録できたのは幸いでした。

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キハ58系:急行「丹後」

2019-05-26 15:26:00 | 国鉄・JR急行列車
キハ58系:急行「丹後」


今回は、私の撮影した中では珍しいものですが、山陰急行の写真です。

昭和50年代、まだ山陰本線はオール非電化であり、この路線が電化されるなど想像も付かなかった時代です。しかし、幹線であったことに違いはなく、京都口では特急「あさしお」を始めとする優等列車でにぎわっていました。もちろん、急行列車も多数が健在であり、特急列車よりも多くが設定され、観光地への足が確保されていました。

しかし、個人的なところでは、この京都の日本海側の地域に土地勘が無く、列車の行先も複雑怪奇で今もって良く理解できていないのが実情です。
そんなこともあって、特に行先が難解な急行「丹後」については、説明を避けたいところなんです。



昭和55年8月 京都駅にて キハ58系 急行「丹後」

京都発の急行では「丹後」が定期で4往復設定されていました。同じくグリーン車連結の優等列車で「白兎」がありましたが、編成順序から「丹後」であることが判ります。

昭和50年代半ばでもあり、さすがにこの地域では冷房化が完了しているようです。

現在は駅舎も大きく変わってしまいましたが、配線自体はあまり変化がなさそうです。
しかし、京都口は電化が完成してから既に久しくなり、発着する車両は大きく変わってしまいました。

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201系:中央快速線(末期)

2019-05-24 07:25:00 | 国鉄・JR普通列車
201系:中央快速線(末期)


中央快速線の201系については過去ログで何回かアップしていますが、今回はE233系との交代が始まった頃の末期の写真を集めました。
この時代はデジカメの導入と重なったこともあり、それまで殆ど撮影することのなかった通勤型の写真もそこそろ撮影するようになりました。



平成18年5月3日 編成番号不明


平成18年5月3日 クハ200-48


平成18年5月3日 クハ200-6

いずれも交通博物館の閉館間際に訪問した際に撮影したものです。上の2枚は交通博物館屋上から撮影したもの。DD51+24系は記念展示されたものです。もうこのような光景をセッティングすることさえ不可能となりました。



平成18年5月3日 信濃町駅にて 13編成

同日、なんでここに寄り道したのか記憶がありません。



平成18年6月7日 T113編成


平成18年6月7日 25編成

後期の201系は、T100番編成のパンタグラフがシングルアーム式に換装されました。





平成18年6月7日 西国分寺駅にて 24編成

201系同士がすれ違い、さらに隣の国分寺駅にも後続の201系が停車しており、1枚の写真に3編成が収まりました。当該24編成は湖池屋Pinkyのラッピングをしていました。
デジカメの性能を理解していない時期であり、画素を減らして撮影してしまい勿体ないことをしました。



平成18年6月7日 西国分寺駅にて 19編成 「青梅特快」



平成19年3月14日 西国分寺駅にて 10編成 「中央特快」



平成19年3月14日 西国分寺駅にて T113編成 「青梅特快」



平成19年8月10日 T115編成 「中央特快」

E233系の導入は既に始まっていましたが、まだまだ201系との遭遇率が高く慌てる感じではありませんでした。しかし、「中央特快」「青梅特快」といったヘッドマーク付きの写真を殆ど撮っていなかったので、最後の頃は特快ばかり撮影していたようです。
現在のE233系は別付ヘッドマークがなくなってしまったので、ここでも国鉄時代の名残が完全に消えてしまったように思います。

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EF651001牽引:コキ10000系「北海ライナー」

2019-05-19 01:57:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
EF651001牽引:コキ10000系「北海ライナー」


今でこそスタイリッシュな機関車が長大編成を牽いて高速で走る貨物列車に魅力を感じるファンは多いと思いますが、私が小中学生の頃は貨物列車と言えば黒い地味な貨車を古い茶色の機関車がモタモタと牽いて走る印象しかなく、それほど興味の対象ではありませんでした。

そんな時代においても、唯一憧れの存在であったのが、青いコキ10000系の貨車を長く連ねて高速で走る北海道行の高速貨物「北海ライナー」でした。
特に、「北海ライナー」は特急列車の牽引に優先的に充てられていたEF65PFが限定運用されていたのも、格好良さを感じた大きな理由であったと思います。


この「北海ライナー」、地元では午後の良い時間帯に上下列車が走っていたため目撃することも多く、撮影する機会も良くありました。
その中でも、PFのトップナンバーである1001号機が牽いてきたとなれば大喜びでした。そんな写真が2枚だけありました。



昭和52年頃 EF651001牽引 上り「北海ライナー」

当時は牽引機の情報など全くありませんので、何か別のものを撮影中に偶然捉えたものだと思います。今のようにデジタルで確認することは出来ませんから、写真で仕上がって来るまで牽引機のナンバーを確認することは殆どできません。当時もさぞかし喜んでいたと思います。
それにしても、大動脈の主要列車でありながらコンテナが1個も乗っていないというのは奇跡的な光景であったと思います。



昭和52年頃 EF651001牽引 上り「北海ライナー」

一方、こちらは下り列車です。同じような空色なので、もしかしたら同日なのかもしれません。
前の写真とは対照的で、コンテナがほぼ満載のように見えます。

現在は貨物列車は殆どがコンテナ列車となり、100km/hを超えて走るのが当たり前ですが、当時はコキ10000系だからこその芸当であり、子供心にもその速さ・長さには特急列車にも負けないくらいの魅力を感じていました。
それが当たり前となり、そんなスピード感のある貨物列車しか残らなくなってしまう時代が来るとは、40年前には想像もつきませんでした。

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長野電鉄 2000系:D編成(りんご塗装)

2019-05-18 09:41:00 | 私鉄(中小)
長野電鉄 2000系:D編成(りんご色)


前記事に続き、長野電鉄の2000系特急型車両です。

C編成から5年遅れて誕生したD編成は、スタイルや編成そのものはA~C編成と変わりませんが、台車が空気バネになるなどの仕様が変更されています。

A編成が引退した平成23年は、JR東日本から購入した元253系が特急運用に充当された時であり、旧型として残ったD編成も既に特急運用からは撤退し、普通列車への充当で細々と最後の活躍をしていたようです。※一時的には代走充当があったようです。

1度だけしか訪問していなかった長野電鉄ですが、須坂駅ホームで撮影中に、偶然にも普通列車に充当された2000系D編成に遭遇することができ、現役を記録することができました。


※撮影は、平成23年5月4日、長野電鉄須坂駅にて。




長野駅からの運用で須坂駅に到着したD編成。個人的にはやはりこちらの塗装が好きです。




折り返しまでの間合いが長いため、乗客のいない車内も撮ってみました。後方側も撮っておけばよかった。




先発の長野行が先に発車。元東急8500系との並びは不思議だけど、年代的にはそれほど変わらない世代。
例え普通列車としてでも、現役として出会うことができたのはラッキーでした。


この後、途中駅間で走行写真を撮っているのですが、リバーサルを露出オーバー然に現像されてしまい、画像化していません。今後機会があれば追加いたします。


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