マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

485系300番代 非貫通型:特急「ひばり」

2012-05-31 00:30:00 | 国鉄・JR特急列車
485系300番代 非貫通型:特急「ひばり」


上野~仙台間を結んでいた特急「ひばり」。その運転本数は、当時の国鉄随一となっていました。
仙台運転所所属の12連を基本に、青森運転所の12連も共通運用。さらに、仙台運転所持ちでは12連クロ編成、クロ+サロの13連、青森運転所の583系と、バラエティーに富んでいました。

今回は、485系300番代を使用した特急「ひばり」を撮り始めから晩年までご紹介いたします。
※画像は全部大きくなるようにしておきました。



昭和52年頃 大宮駅にて



昭和52年頃 上野駅にて

53・10改正前の文字マーク時代。ヘタクソシリーズの頃なので、お見苦しい写真で申し訳ない。
なんかこの文字マークの非貫通型ってイマイチ文字のバランスが良くない感じがします。貫通型だと文字マークが際立ってカッコ良いんですけどね。文字間が詰まり過ぎかな。



昭和54年 蕨駅付近にて

こちらはイラストマーク化後の「ひばり」です。
この時代になると上野方にはボンネット車が無く、貫通形か非貫通型でした。ボンネット車のほうが好きな私としては、敢えてこちら側を撮ることは少なかったようです。
現在は左側の貨物ヤードは無くなり、駐車場や駐輪場なってしまいました。
画面の右側(東口)は現在ともあまり変化が少ないのですが、左側(西口)は全く様相が変わってしまいましたね。



昭和56年 蕨~西川口間にて

仙台編成の上野方後追い写真ですかね。私は最近良く撮っている近所の写真です。
昔は陸橋の上からだと様々な電線が邪魔して撮りづらかったので、当時はどこからでも撮影可能な道路側から撮っていました




昭和56年1月5日 豊原~白坂間にて

母親の実家から帰ってくる際、単独行動で途中下車の上、写真を撮ってきました。
駅近辺ですが、上下線が離れており、雪があるとまた絵になりますね。
ただ、雪の中を平行移動するのは結構大変です。当時は本数が多かったので、行ったり来たり忙しかったですね。



昭和56年10月 西川口~蕨間にて クハ481-309

これ、ヘッドマークがイラスト化されてから随分経つのに、しばらくの間文字マークのまま使用されていた車両です。当時はこれが来ると嬉しかったのですが、仙台車なので「ひばり」と「ひたち」くらいしか見ることが出来ませんでした。



昭和57年 撮影月日不明 上野駅にて

上野駅での名シーン。583系「はつかり」と並ぶ非貫通型「ひばり」。



昭和57年1月4日 豊原~白坂間にて

翌年の同じ時期にも訪れていますが、これは田舎に行くためではなく、完全な撮影行でした。前年と違って全く雪が無く、行程中雨の止むことがない、どうにもならん天気でした。



昭和57年2月 上野駅にて

東北・上越新幹線の上野駅乗り入れ工事の前段として、17・18番ホーム間にあった広大な荷物ホームが撤去され、番線間に大きな空間が出現しました。



昭和57年6月22日 東北本線 藤田~桑折間にて

「やまびこ」最終日の撮影で、ED71を撮影するため途中下車して撮ったものです。1時間待っていれば必ず2本の「ひばり」が来る時代。でも、翌日は東北新幹線が開業し、「ひばり」の本数も斬減しました。





昭和57年6月22日 東北本線 貝田~越河間にて

食堂車込みの12連で疾走する堂々とした姿。現在ではこのような長大編成は見られなくなりましたが、当時は極一般的な姿であり、列車名問わず共通の編成内容で運用されていました。

特急「ひばり」は運転本数が沢山あったので、それこそ数十枚の写真が残っていますが、写真を撮り始めた頃の非貫通型写真は『え?これだけ?』ってくらい少ないです。
やはり、「ひばり」と言えばボンネット車くらいの憧れというか常識みたいなのが自分の中にあったので、あまり好んでカメラを向けることは無かったようです。


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国鉄 飯田線:80系(その1)

2012-05-29 00:30:00 | 旧型国電
国鉄 飯田線:80系(その1)


鉄道史上初となった長距離用電車80系。長大編成で東海道を闊歩していた80系も、新性能化とともに西へと追いやられ、晩年は一部の幹線に残るのみとなりました。
最晩年は、昭和52年に戦前型淘汰を目的として投入された飯田線。4連を基本とし、豊橋口では2両増結の6連も走っていました。

飯田線にはかなりの回数を訪問しましたので、この80系の写真も多く撮っていました。
今回は、5月から9月くらいの暖かい時期の写真を集めてみました。



昭和56年7月21日 為栗~温田間にて

この写真は、高校の時初めて本格的に旧型国電の撮影に行き出した時のものです。
初めての飯田線で何処で撮影したら良いものか分からず、こんなに奥まで来てしまいました。天竜川沿いの急峻な場所で、しかも一番本数が少ない区間だったので、あまり成果は得られなかったような気がします。これがある意味その後の飯田線行脚の引き金になったかもしれません。このあと、大糸線→身延線と旧国を訪ねる旅が続きました。



昭和57年8月10日 撮影場所不明

この撮影のときの行動の記録が無くて、詳細な場所が判りません。が、おそらく飯島~上片桐の間くらいではないかと思います。



昭和57年8月10日 撮影場所不明

こちらも同区間内でしょう。朝早い時間だと思いますが、天気も良くなく、夏らしい雰囲気は伝わってきませんね。



昭和57年8月10日 大沢信号場にて

初めて訪れた大沢信号場。時刻表に載っていないので、信号場があることは知りませんでした。
この写真は、信号柱に上って撮っています。何故怒られないかって?頼まれたからです。
撮影に行った時に運転主任氏に声を掛けられました。私も国鉄職員だったので話も弾み、何でも間もなくCTC化工事が始まり信号場が無人になってしまうとのこと。記念になるように、信号場の全景を撮ってくれたらとの依頼を受け、このようなアングルで撮ったわけです。



昭和57年8月10日 大沢信号場にて

運が悪く、写真を撮っていた時に来た2本の列車はいずれも80系でした。本当は戦前型が撮りたかったんですが・・・。
この写真、右側通行になっています。
この信号場は、本線と待避線の配線になっていて、交換する時しか上下の区別がされていません。交換・退避のないときは上下関係無く本線上に停車し、タブレットの授受を行って発車していきます。



昭和57年8月10日 撮影場所不詳

これも何処の駅かわからないのですが、多分、撮影の帰りに駒ヶ根駅辺りで乗り継いだ時に撮ったのではないかと思います。
80系と165系の交換風景、今ではどちらも無くなってしまいました。急行は「こまがね」か「天竜」か。今となっては判りません。



昭和57年8月10日 伊那松島駅構内にて

これは帰りがけに伊那松島区へ寄ったときに撮ったようです。窓から嬉しそうに顔を出すなっちゅーの!

(その2)はいずれ・・・

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ED75700番代牽引:快速「ノスタルジックビュートレイン」

2012-05-27 00:30:00 | 国鉄・JR快速列車
ED75700番代牽引:快速「ノスタルジックビュートレイン」


現在も風光明媚な路線として観光列車が設定されている五能線。そのはしりが客車列車で運転されていた快速「ノスタルジックビュートレイン」です。
電車化によって余剰となりつつあった50系客車を改造し、展望車両も設けていました。

五能線自体は乗ったことがありますが、その時点ではこうした観光用のジョイフルトレインとは遭遇したことがありませんでした。



平成4年8月18日 八郎潟~鯉川間にて ED75700番代牽引 快速「ノスタルジックビュートレイン」

このときは同区間で撮影可能なブルトレを中心に撮影を行っていたわけですが、特にこの列車はマークしていませんでした。なので、一般的なアングルで構えていなかったため、真横からのこんな写真になってしまったのです。

五能線では非電化ですから、当然にしてDE10が牽引したのでしょうが、電化区間をED75が牽いていること自体を知りませんでした。当時はあまり興味も無かったんですが・・・。

これらの客車は『老朽化』を待たずとして引退となってしまい、現在も活躍している気動車改造の編成に変わってしまいました。折り返し作業やダイヤの設定上、他の気動車と足並みが揃った方が運行管理、保守の面で有利だったのでしょう。

前後の展望車は、その後SL奥利根号の増結車としても使用されましたが、あまり活躍もしないまま引退してしまったようです。展望室の分、定員を稼げなかったのも原因でしょうか?あと、暖房装置とかも12系とは違ったのでしょうかね。その時期は殆どテツを休業していたような状況で、記録として残っておりません。

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キハ181系:特急「おき」(その1)

2012-05-25 00:30:00 | 国鉄・JR特急列車
キハ181系:特急「おき」(その1)


特急「おき」は、山口線小郡駅(現新山口駅)~米子・鳥取を結ぶ列車で、昭和50年3月、新幹線博多開業の際にアクセス特急として誕生しています。
元々の特急「おき」は、新大阪~(伯備線経由)~出雲市を結ぶ、現在で言うところの「やくも」の列車の前身となる列車で、キハ181系が使用されていました。この時代の特急「おき」は、新幹線岡山開業によって岡山~出雲市間の「やくも」として継承され、特急「おき」はしばらくの間、不在の名称となっていました。
昭和50年3月に別経路で名称が復活しますが、当初はキハ82系によって運転されており、翌年の昭和51年10月、特急「つばさ」の電車化によって捻出されたキハ181系を利用し、置き換えが行われています。

山口線へは一時期SL「やまぐち」号を撮りに通いましたが、この際、図らずも特急「おき」の写真を撮っておりましたので、2回に分けてご紹介したいと思います。今回は5~8月くらいの夏場に撮影したものを集めてみました。





昭和55年8月 山陰本線 揖屋~荒島間にて





昭和55年8月 山陰本線 出雲市駅にて

こちらはまだSL写真を始める前、キハ181系「やくも」が電車化されるということで、北海道以外では初めての長距離旅行をした時のものです。
この頃は6両編成で、グリーン車も連結されていました。



昭和58年5月15日 仁保~篠目間にて



昭和58年5月15日 篠目~仁保間にて



昭和59年8月18日 仁保~宮野間にて



昭和59年8月18日 撮影場所忘れた

すべてSL「やまぐち」の待ち時間の待ち時間に撮影したものです。
昭和57年7月、多客期を除きグリーン車の連結が廃止になってしまったと言うことで、写真の編成も5両編成となり、車掌室を設備したキハ181-100番代を連結しています。
いずれもヘッドマークがイラスト化される前、編成が短いと言えども特急列車らしい時代でした。


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松本電気鉄道:モハ10形

2012-05-23 00:30:00 | 私鉄(中小)
松本電気鉄道:モハ10形


長野県松本駅から分岐して走るローカル私鉄、松本電気鉄道。
まるで縁のないローカル線ですが、大糸線に旧型国電を撮りに行った際、一度だけ大糸線の普通列車の車窓から撮影したことがありました。

当時は戦前型国電淘汰という一大転機を迎えていた時代であり、いくら旧型と言えども戦後生まれはまだ若いイメージがありました。それでも70系や80系も廃車が進んでいたことを考えると、いくら斬新なイメージのある日本車輌の標準型といえど、本来は記録しておくべき地位にあったと思いますが、やはり国鉄オンリーな私としては、あまり興味の対象外でした。



昭和56年7月22日 松本駅にて

写真は日車標準型と呼ばれるモハ10形で、片方はモーター車ですが、もう片方は全く同じ形をしていながらクハとなっています。これは電装解除に由来するもので、松本電鉄ではただ1両だけの珍車でした。クハなのに両運転台というのもおかしなイメージですね。

現在は井の頭線の車両が派手なアルピコ塗装で活躍していますが、その昔はあまり変わり映えのない旧型を使用した地味な路線でした。
車窓からとはいえ、偶然に撮っていたこの写真も、遠くなりつつある昭和の記録となっています。

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