485系300番代 非貫通型:特急「ひばり」
上野~仙台間を結んでいた特急「ひばり」。その運転本数は、当時の国鉄随一となっていました。
仙台運転所所属の12連を基本に、青森運転所の12連も共通運用。さらに、仙台運転所持ちでは12連クロ編成、クロ+サロの13連、青森運転所の583系と、バラエティーに富んでいました。
今回は、485系300番代を使用した特急「ひばり」を撮り始めから晩年までご紹介いたします。
※画像は全部大きくなるようにしておきました。
昭和52年頃 大宮駅にて
昭和52年頃 上野駅にて
53・10改正前の文字マーク時代。ヘタクソシリーズの頃なので、お見苦しい写真で申し訳ない。
なんかこの文字マークの非貫通型ってイマイチ文字のバランスが良くない感じがします。貫通型だと文字マークが際立ってカッコ良いんですけどね。文字間が詰まり過ぎかな。
昭和54年 蕨駅付近にて
こちらはイラストマーク化後の「ひばり」です。
この時代になると上野方にはボンネット車が無く、貫通形か非貫通型でした。ボンネット車のほうが好きな私としては、敢えてこちら側を撮ることは少なかったようです。
現在は左側の貨物ヤードは無くなり、駐車場や駐輪場なってしまいました。
画面の右側(東口)は現在ともあまり変化が少ないのですが、左側(西口)は全く様相が変わってしまいましたね。
昭和56年 蕨~西川口間にて
仙台編成の上野方後追い写真ですかね。私は最近良く撮っている近所の写真です。
昔は陸橋の上からだと様々な電線が邪魔して撮りづらかったので、当時はどこからでも撮影可能な道路側から撮っていました
昭和56年1月5日 豊原~白坂間にて
母親の実家から帰ってくる際、単独行動で途中下車の上、写真を撮ってきました。
駅近辺ですが、上下線が離れており、雪があるとまた絵になりますね。
ただ、雪の中を平行移動するのは結構大変です。当時は本数が多かったので、行ったり来たり忙しかったですね。
昭和56年10月 西川口~蕨間にて クハ481-309
これ、ヘッドマークがイラスト化されてから随分経つのに、しばらくの間文字マークのまま使用されていた車両です。当時はこれが来ると嬉しかったのですが、仙台車なので「ひばり」と「ひたち」くらいしか見ることが出来ませんでした。
昭和57年 撮影月日不明 上野駅にて
上野駅での名シーン。583系「はつかり」と並ぶ非貫通型「ひばり」。
昭和57年1月4日 豊原~白坂間にて
翌年の同じ時期にも訪れていますが、これは田舎に行くためではなく、完全な撮影行でした。前年と違って全く雪が無く、行程中雨の止むことがない、どうにもならん天気でした。
昭和57年2月 上野駅にて
東北・上越新幹線の上野駅乗り入れ工事の前段として、17・18番ホーム間にあった広大な荷物ホームが撤去され、番線間に大きな空間が出現しました。
昭和57年6月22日 東北本線 藤田~桑折間にて
「やまびこ」最終日の撮影で、ED71を撮影するため途中下車して撮ったものです。1時間待っていれば必ず2本の「ひばり」が来る時代。でも、翌日は東北新幹線が開業し、「ひばり」の本数も斬減しました。
昭和57年6月22日 東北本線 貝田~越河間にて
食堂車込みの12連で疾走する堂々とした姿。現在ではこのような長大編成は見られなくなりましたが、当時は極一般的な姿であり、列車名問わず共通の編成内容で運用されていました。
特急「ひばり」は運転本数が沢山あったので、それこそ数十枚の写真が残っていますが、写真を撮り始めた頃の非貫通型写真は『え?これだけ?』ってくらい少ないです。
やはり、「ひばり」と言えばボンネット車くらいの憧れというか常識みたいなのが自分の中にあったので、あまり好んでカメラを向けることは無かったようです。
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上野~仙台間を結んでいた特急「ひばり」。その運転本数は、当時の国鉄随一となっていました。
仙台運転所所属の12連を基本に、青森運転所の12連も共通運用。さらに、仙台運転所持ちでは12連クロ編成、クロ+サロの13連、青森運転所の583系と、バラエティーに富んでいました。
今回は、485系300番代を使用した特急「ひばり」を撮り始めから晩年までご紹介いたします。
※画像は全部大きくなるようにしておきました。
昭和52年頃 大宮駅にて
昭和52年頃 上野駅にて
53・10改正前の文字マーク時代。ヘタクソシリーズの頃なので、お見苦しい写真で申し訳ない。
なんかこの文字マークの非貫通型ってイマイチ文字のバランスが良くない感じがします。貫通型だと文字マークが際立ってカッコ良いんですけどね。文字間が詰まり過ぎかな。
昭和54年 蕨駅付近にて
こちらはイラストマーク化後の「ひばり」です。
この時代になると上野方にはボンネット車が無く、貫通形か非貫通型でした。ボンネット車のほうが好きな私としては、敢えてこちら側を撮ることは少なかったようです。
現在は左側の貨物ヤードは無くなり、駐車場や駐輪場なってしまいました。
画面の右側(東口)は現在ともあまり変化が少ないのですが、左側(西口)は全く様相が変わってしまいましたね。
昭和56年 蕨~西川口間にて
仙台編成の上野方後追い写真ですかね。私は最近良く撮っている近所の写真です。
昔は陸橋の上からだと様々な電線が邪魔して撮りづらかったので、当時はどこからでも撮影可能な道路側から撮っていました
昭和56年1月5日 豊原~白坂間にて
母親の実家から帰ってくる際、単独行動で途中下車の上、写真を撮ってきました。
駅近辺ですが、上下線が離れており、雪があるとまた絵になりますね。
ただ、雪の中を平行移動するのは結構大変です。当時は本数が多かったので、行ったり来たり忙しかったですね。
昭和56年10月 西川口~蕨間にて クハ481-309
これ、ヘッドマークがイラスト化されてから随分経つのに、しばらくの間文字マークのまま使用されていた車両です。当時はこれが来ると嬉しかったのですが、仙台車なので「ひばり」と「ひたち」くらいしか見ることが出来ませんでした。
昭和57年 撮影月日不明 上野駅にて
上野駅での名シーン。583系「はつかり」と並ぶ非貫通型「ひばり」。
昭和57年1月4日 豊原~白坂間にて
翌年の同じ時期にも訪れていますが、これは田舎に行くためではなく、完全な撮影行でした。前年と違って全く雪が無く、行程中雨の止むことがない、どうにもならん天気でした。
昭和57年2月 上野駅にて
東北・上越新幹線の上野駅乗り入れ工事の前段として、17・18番ホーム間にあった広大な荷物ホームが撤去され、番線間に大きな空間が出現しました。
昭和57年6月22日 東北本線 藤田~桑折間にて
「やまびこ」最終日の撮影で、ED71を撮影するため途中下車して撮ったものです。1時間待っていれば必ず2本の「ひばり」が来る時代。でも、翌日は東北新幹線が開業し、「ひばり」の本数も斬減しました。
昭和57年6月22日 東北本線 貝田~越河間にて
食堂車込みの12連で疾走する堂々とした姿。現在ではこのような長大編成は見られなくなりましたが、当時は極一般的な姿であり、列車名問わず共通の編成内容で運用されていました。
特急「ひばり」は運転本数が沢山あったので、それこそ数十枚の写真が残っていますが、写真を撮り始めた頃の非貫通型写真は『え?これだけ?』ってくらい少ないです。
やはり、「ひばり」と言えばボンネット車くらいの憧れというか常識みたいなのが自分の中にあったので、あまり好んでカメラを向けることは無かったようです。
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