マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

EF64牽引 貨物列車:青梅線

2018-10-28 02:53:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
EF64牽引 貨物列車:青梅線


ED16が長きにわたり活躍した青梅線の貨物列車ですが、貨物輸送の大合理化に伴って旧型電機は消滅し、八王子機関区にも強出力のEF64が配置されるようになりました。

ED16自体は南武線内でも撮影することが出来たため、青梅線内へは数度しか撮影訪問していませんが、置き換え後に何故か1度だけ撮影に行ったことがありました。


※撮影は、昭和61年3月17日です。



EF6457牽引 上り貨物列車

赤ホキを牽引する0番代。久し振りに訪れた青梅線で、EF15ならまだしも、青い大型電機には大きな違和感を覚えました。



番号不詳 下り貨物列車

下り列車は上り勾配のみとなりますが、空車であることからED16でも十分なところ、当時の最新鋭EF641000番代では役不足だったでしょうね。



EF641020牽引 上り貨物列車

梅の花が咲いた3月。こちらも1000番代でした。
黒ホキの前にチキ80000が3両連結されています。下り勾配にフル積載では相当な重量になっていたと思いますが、勾配抑速ブレーキは使用していたのでしょうかね?

写真は国鉄時代に撮影していたのでオリジナル塗装となっていますが、この撮影を最後に青梅線への訪問はなくなりました。そのため、塗装変更機などがどのように運転されていたのか全く知らないまま、青梅線における貨物輸送は廃止されてしまいました。



ED75757牽引:12系お座敷客車「江戸」

2018-10-22 00:26:00 | 国鉄・JR ジョイフルトレイン
ED75757牽引:12系お座敷客車「江戸」


過去ログでも12系お座敷客車「江戸」をご紹介しておりますが、フィルムスキャンをしていなかった写真の中にもう1枚、ED75が牽引する12系「江戸」の写真がありました。
画質は良くありませんが、あまり撮っていなかった「江戸」ですので、アーカイブしておきたいと思います。



平成6年2月2日 中山宿~沼上(信)間にて ED75757牽引 12系お座敷客車「江戸」

磐越西線を行く下りの団体列車です。
冬のD51として恒例になっていた1月末~2月初旬の磐越西線では、閑散期となるこの時期においても団体列車が必ずと言って良い程運転されました。
この時もSLの待ち時間に下りの団体列車を捉えることが出来ました。
35mmネガフィルムで撮影しており、大体はピンが甘くアップにすると不鮮明になってしまうのですが、この写真をアップにしたところ、牽引機がED75757であることがしっかりと読み取れました。

いずれも絶滅又は絶滅危惧種となってしまった国鉄型ですが、ED75757号機は語呂の良い番号が幸いしてか、今なお現役で稼働しています。



国鉄 直流型電気機関車:EF58174・175(高崎第二機関区)

2018-10-19 19:58:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
国鉄 直流型電気機関車:EF58174・175(高崎第二機関区)


しばらく時間が開いてしまいましたが、EF58シリーズの最後を飾るナンバーである174号機と175号機をご紹介いたします。


174号機



昭和55年頃 EF58174牽引 急行「鳥海」回送



昭和55年7月23日 EF58174牽引 急行「鳥海」



昭和56年8月 EF58174牽引 急行「鳥海」

いずれも上り急行「鳥海」です、高崎第二機関区のEF58が牽引に当たっていました。
上野着の上り列車は夏場なら撮影が可能ですが、この「鳥海」は上野駅に到着すると推進運転で尾久客車区まで回送され、さらに尾久で牽引機関車をそのまま前後付け替えを行い、東大宮操車場まで回送するというパターンを廃止になるまで続けていました。
そのため、上りの営業列車よりも時間帯の良い東大宮への回送列車を目にすることが多く、高崎第二機関区のEF58としては、荷物列車と共に目撃例の多い列車でした。



175号機


昭和56年8月 単機回送

赤羽駅地平ホーム時代にキャッチした175号機の単機回送です。



昭和57年8月 EF58175牽引 2321レ

大宮駅8番線に到着した高崎行きの客車普通列車。115系化直前は12系に置き換えられてしまったようですが、上越新幹線大宮暫定開業の昭和57年11月まで運転されていました。
この列車、早朝に上野駅を発車しますが、次々と名前を変え、最終的にはその日のうちに信越本線経由で新潟駅まで到達していました。



昭和57年1月5日 水上駅にて EF58175牽引 急行「天の川」

初めて水上駅でのバルブに挑戦した時の写真です。
EF16とのコンビが有名な上越越えでしたが、既にEF641000番代に変わっていました。

ラストナンバーの175号機ですが、竣工日付で言うと最後は173号機だったようです。
最終型は側面窓センターのHゴム化が特徴でしたが、何故かこの175号機のみパテ押さえになっていたようです。


174号機
昭和33年 7月25日 東洋電機・汽車会社製 高崎第二機関区
昭和57年12月23日 廃車 高崎第二機関区

175号機
昭和33年 7月28日 三菱電機・新三菱重工製 高崎第二機関区
昭和57年11月 9日 廃車 高崎第二機関区



国鉄NC1形コンテナ(日通ペリカン便)

2018-10-15 23:27:00 | 貨車
国鉄NC1形コンテナ(日通ペリカン便)


今回はコンテナです。

かつてはトミックスのNゲージストラクチャとして製品化されていたペリカン便デザインのNC1コンテナ。
昔、まだ若かりし頃に情景用として購入してあった同コンテナを1組だけ所有していましたが、今から7年ほど前、模型談義の中で絶版になっていたことを知りました。




今では再販されることが見込めなくなってしまったペリカン便コンテナ。
同じく絶版となってしまった日本たばこCABINとの懐かしいコラボです。タバコのデザインと言うだけで闇に葬られてしまった気の毒なコンテナ模型。自分が30年以上もCABINを吸っていたので、特に思い入れがあって購入していたものです。




平成24年11月13日 川崎貨物駅にて NC1-185 NC1-575

もう遥か昔のコンテナなので、もうこの世には存在していないと思っていました。
この日、珍しく都外の現場があり、地図を見ると川崎貨物駅の近くでした。本来なら川崎駅からバスで行けば楽なのですが、どうしても初めての川崎貨物駅を見たくて早めに出発。京急の小島新田駅からグルっと川崎貨物駅を歩きました。

そして中の様子を見ながら歩いて行くと、あろうことかこのような光景に出会ったわけです。
国鉄コンテナ塗装だけでも十分貴重な年代ですが、まさかペリカン便コンテナが2個もあるとは、夢にも思いませんでした。




光線や風雨に晒されてしまっており、塗装もかなり褪せてしまっていますが、懐かしいペリカン便コンテナであることは十分に判ります。しかも、番号すら完全に判別できるため、現在残っているのかどうか分かりませんが、大変貴重な資料となっています。
本当にこの光景を捉えることが出来たのは非常にラッキーでした。





模型の方をアップで見ると、現在の製品レベルと比較するとかなり落ちてしまうディテールですが、塗装デザインそのものの精度がかなり高いことが判ります。




小田急電鉄 7000形LSE車 特急「はこね」(リバイバル塗装)

2018-10-14 06:16:00 | 私鉄(大手)
小田急電鉄 7000形LSE車 特急「はこね」(リバイバル塗装)


小田急電鉄では、平成30年10月13日の「特急ロマンスカー・LSE(7000形)さよならツアー」の開催をもって、LSEの営業運転が終了したそうです。

昭和55年に誕生して以来、歴代のロマンスカーの中でも一番好きなデザインでしたが、小田急電鉄そのものに撮影に行く機会がなく、さらにHiSEと同様の塗装となってからは全く興味が失せ、足を運ぶ機会は一度もありませんでした。

そんな中、LSE撮影のきっかけとなったのがリバイバル塗装によるオリジナルの復活でした。
ちょうど500系「のぞみ」や寝台特急「富士」「はやぶさ」の引退で小田原方面へ足を延ばす機会があり、デジカメ導入と共に仕事でも現場回りで小田急沿線への仕事も重なったため、何度か撮影する機会に恵まれました。

LSEについてはその殆どが過去ログで整理済みですが、特急「はこね」だけはLSE引退の機会を捉えてまとめようと残していましたので、ここに最後のアーカイブで締めにしたいと思います。





平成20年1月26日 「はこね11号」 小田原駅にて

LSEにリバイバル塗装が復活後、3度目の訪問で初めてオリジナル塗装を捉えることができました。





平成20年1月26日 「はこね12号」 風祭~箱根板橋間にて

500系「のぞみ」の間隔が開く時間を利用し、箱根登山鉄道の区間まで深追い。初めてこの区間での撮影をしました。既に3軌条では無くなっており、もっと早く来ていればと後悔。



平成20年1月26日 「はこね25号」 栢山~富水間にて

せっかく捉えたスジを見過ごすことが惜しくなり、500系「のぞみ」の撮影を捨てて、撮影を続行しました。





平成23年10月29日 「はこね8号」 経堂駅にて

好評のリバイバル塗装はそのまま走り続け、また捉える機会がありました。
この間も何度か小田急沿線に出掛けていますが、リバイバル塗装になかなか当たらず、371系「あさぎり」の撮影に行った際に同業者からの情報で撮影することができました。



平成23年10月29日 「はこね21号」 経堂駅にて

上り列車は出来が良くなかったため、上り折り返しまで待機。
やっときれいな順光の写真を撮ることができました。





平成23年11月13日 「はこね35号」 新宿駅にて

井の頭線の撮影の帰り、新宿駅の乗り換えで偶然にLSEを発見。
東日本大震災復興のステッカーも。



平成24年2月19日 「はこね7号」 新松田~開成間にて


平成24年2月19日 「はこね21号」 渋沢~新松田間にて

この日は、HiSE、RSE、そしてLSE更新色がすべて最終運用となったロマンスカー史上もっとも大きな転換を迎えた日。
残存が約束され、復刻塗装が2編成に増えるLSEとしては主役になれなかった日でした。



平成30年1月31日 「はこね45号」 新宿~南新宿間にて

現場回りの仕事が無くなり、小田急線での撮影の機会も全くなくなりました。
新宿での会議があった際、LSE引退のアナウンスがあったことからどうしても「ホームウェイ」の記録を残したくなり、帰宅時間を調整して寄り道しました。
この頃はまだ2編成とも残っており、「ホームウェイ」撮影前にもう1本のLSEに出会いました。



平成30年2月17日 「はこね2号」 豪徳寺駅にて

小田急電鉄複々線化完了に伴うダイヤ改正で多摩急行廃止などの動きがあり、午前中をメインに撮影。
偶然にも「はこね2号」に運用されている姿を捕らえました。



平成30年2月17日 「はこね23号」 新宿駅にて

「あさぎり」→「ふじさん」化に伴い、最後に「あさぎり」を待ち構えていると、またLSEに出会いました。

ダイヤ改正後は小田急線へ撮影に行く機会もなくなり、これが最後のショットとなりました。

他のロマンスカーと比較して晩年とは言えそこそこのカットが残せたので悔いはないですが、職場旅行というのが無くなってしまって以来ロマンスカーに乗ってもなかなかLSEに当たることが無く、惜しむらくは1度も乗車機会がなかったことです。


小田急電鉄:7000形LSE「ホームウェイ」
小田急電鉄:7000形LSE「さがみ」
小田急電鉄:7000形LSE「スーパーはこね」
小田急電鉄 7000形LSE車 特急「はこね」(新塗装)