マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

"さよなら国立競技場"ブルーインパルス展示飛行

2014-05-31 23:53:00 | 船舶・飛行機
"さよなら国立競技場"ブルーインパルス展示飛行


今日は飛行機です。
「ブルーインパルス」。かっこいい名前ですね。航空自衛隊の精鋭、最花形の職業ですね。
その存在は子供の頃から知っていますが、飛行機はどうも怖いイメージがあって、昔から好きではありませんでした。30代半ばで初めて飛行機に乗ってから、随分意識が変わり、今では機会があれば撮影する程度までにはなりましたが・・・
航空ショーでも行かないと見る機会の無いブルーインパルス。人ごみや待ちが嫌いな私は決してそのような集まりには出掛けません。
しかし、今回は状況が全然違います。スノ・ラビさんの情報から地元をかすめて行くことを知り、これは是非とも記録しておきたいと。

【参考資料(抜粋)】
"2020年東京オリンピック・パラリンピック開催に伴う改修のため、スポーツの聖地として親しまれてきた国立競技場は、56年の歴史に幕を下ろします。
最後のイベントとして「SAYONARA 国立競技場 FINAL “FOR THE FUTURE”」が開催され、プログラムの一つとして、ブルーインパルスの展示飛行が行われます。その際、新宿区上空を通過し、騒音が発生する恐れがありますがご理解のほどよろしくお願いします。"
"(1)事前訓練
平成26年5月30日(金)午後5時30分から午後6時00分の間のうち、10分程度
(2)本番
平成26年5月31日(土)午後5時30分から午後6時00分の間のうち、10分程度"


普段は遠出をしませんが、今回は自転車漕ぎ漕ぎ、荒川まで行ってみました。
予定時間より1時間半も前に現地に着いてしまいましたが、貨物列車の写真などを撮りながら時間を潰し、その時を待ちました。
予定時間30分前くらいになるとぼちぼちと見学者らしき人たちが到着し始め、直前にはおばちゃんや子供連れなど、数十名或いは100人程度は居ましたでしょうか。目の届く範囲が広過ぎるので捉えきれませんが。

荒川下流から旋回してきて直上辺りを通過すると思われますが、下流側ではスモークを噴出していなかったので全く気が付かず、旋回してきたのを見た子供の叫び声で初めて接近を知りました。
最初の1発目はオートフォーカスが定まらず、慌ててマニュアルに切り替え、必死状態で追い掛けました。
結果、1周目では構図はバラバラ。とにかく、ピントを調整しながら追い掛けていくだけで精いっぱいでした。カメラの性能からしてアップに耐えない写真と諦めていましたが、帰って来てチェックしましたら、信じられないほどピントが合っており、思ったよりかなりいい仕上がりになってました。目の悪い私には奇跡としか思えない写りでした。

1周目の全カット10コマを並べます。全コマともノートリミング、コントラスト20%注入の加工のみとしています。
※撮影は、平成26年5月31日です。

























ちなみに、2周目は落ち着いて撮ることができ、最後は機体が光って「ヤッター!」と思ったのですが・・・




このコマも含めて、すべてピントが外れてましたorz


コースがどの程度正確なのか分からず、どの位置からトライするか賭けですが、鉄橋寄りに集まった集団から離れて戸田橋寄りへ200mくらいは移動したでしょうか。
このポジションとしたのがなんとも良かったですね。遠過ぎず、真下に入らず、順光にもなってベストだったと思います。
欲を言えば、隣国で吐き出す有毒ガスと黄砂が無ければもっとクリアになっていた筈ですがw

とにかく、これが我が人生において最初で最後になるかもしれません。
良いものが見れました。とにかくカッコよかったぁ~。

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113系:紀勢本線(関西色・阪和色)

2014-05-25 00:45:00 | 国鉄・JR普通列車
113系:紀勢本線(関西色阪和色


紀勢本線は、昭和53年10月に和歌山~新宮間が電化されましたが、当初は特急「くろしお」のみが電化され、急行「きのくに」や普通列車は電車化できずにDCのままでした。
置き換えによって発生した電車が押し出しで紀勢本線にも使用されるようになり、とりあえず普通列車には113系や165系が使われるようになります。

紀勢本線の電化区間へは1度だけしか撮影に行ったことがありませんが、その際に113系も3カットほど撮っていたのでご紹介いたします。
全部プリントからのスキャンですので、画像がガチガチな点はご了承ください。


※撮影は、昭和59年7月6日です。



周参見~見老津間にて

非冷房初期車のクハ111ですね。グローブ型ベンチレータの初期車です。





白浜~朝来間にて

下の写真はどちらかが阪和色で、もう一方が関西色だったと記憶していますが、モノクロの印象がどちらも変わらないので分からなくなってしまいました。こういう写真こそはきちんとカラーで使い分けるべきだったなと思います。

上の写真は先頭車のみ押し込み型ベンチレータの冷改車、それ以外はグロベン型初期車の冷改車、下の写真はオール初期車の冷改車のようです。

113系阪和色はこの時以外に撮影しておらず、カラーで撮らなかったのが本当に惜しまれます。

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113系:総武快速線

2014-05-18 17:57:00 | 国鉄・JR普通列車
113系:総武快速線


昭和47年7月、総武本線の錦糸町~津田沼間で複々線化が完成し、東京~錦糸町の地下線区間の開業と合わせて113系による総武急行線が運転されるようになりました。
同時に設定された183系による「わかしお」「さざなみ」といった特急列車を始め、急行列車の運転と合わせて113系による快速運転が行われるようになり、「総武快速線」が確立します。
東京駅への地下の乗り入れは、その先品川駅までの区間を延長し、さらに横須賀線との相互直通運転を睨んだものでした。

昭和51年10月に品川までの地下線区間の運転を開始、昭和55年10月に横須賀線との直通運転が実現しています。

横須賀線との直通運転が開始される前、総武快速に使用する113系は既に難燃化対策を施した1000番代が用意されており、後の直通運転に備えていました。113系1000番代は、地下区間におけるATC運転のための車上装置が運転席下部に設置され、タイフォンが下方に移されたために他の113系や115系とは表情を異なったものにしていたことが大きな特徴でした。



昭和55年頃 総武本線 錦糸町駅にて 113系 総武快速電車

総武線快速は基本9両+付属4両の13両編成で運転されていました。ちょうど、横須賀線の15両フル編成からグリーン車2両を除いた編成であり、今から考えるとかなり異質な編成であったと言えます。
東京駅乗り入れの車両は、全てA-A基準(難燃化)施行車で1000番代を名乗っていました。一方、地下区間に乗り入れていなかった横須賀線も同様に1000番代が使用されていましたが、横須賀線では初期車が残っている一方、総武快速線ではユニット窓車ばかりだったように記憶しています。しかし、増備車は冷房準備車が多く配置されており、写真のように冷房車ばかり連なっているとは限りませんでした。



昭和55年頃 総武本線 平井駅付近にて

こちらは横須賀線への直通運転開始直後くらいに撮影したものと思われます。
横須賀線との編成を揃える必要からサロが2両追加され、11両基本又は増結4の15両編成となりました。
これによってグリーン車が不足することになりますが、サロ110-1200番代の製造は最小限とし、関西で連結廃止となったグリーン車「サロ113」によって対応しました。転属直後は湘南色のまま連結され、写真のように混結となった時期が存在します。
なお、サロ113は元々関東に配置されたものですが、シートピッチの拡大により定員が少なくなったため、使い勝手の関係から関西に転属したものであり、このような形で里帰りすることになったのも因縁めいています。

当時、急行列車にはヘッドマークが取り付けられ、華やかな雰囲気のあった房総各列車が走っており、快速電車の写真は殆ど撮っていません。
参考までに、総武快速線113系関連のリンクを貼っておきます。

113系:総武線 快速「アポロ」号

113系:快速「白い砂」

113系:快速「青い海」

房総 幕張区 113系初期車

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キハ40系:快速「深浦」

2014-05-17 03:48:00 | 国鉄・JR快速列車
キハ40系:快速「深浦」


平成26年3月のダイヤ改正において、五能線と青森駅を結ぶ直通の快速列車「深浦」が廃止されました。この列車の歴史は古く、伝統のある優等列車でした。

昭和40年10月ダイヤ改正において、鰺ヶ沢~青森・鮫を結ぶ準急「岩木」として誕生し、昭和43年3月に準急列車の制度がなくなったために急行列車となり、同年10月ダイヤ改正で名称を「深浦」と変えています。
その後、運転区間の変更や、他の急行列車との併結、一部区間の普通列車化などの変遷があり、昭和57年11月改正において快速列車へと格下げになって、終焉の頃までそのスタイルが続きました。

最終的な運転区間は深浦~青森となっていましたが、下り列車の深浦発は弘前行きとなっており、鰺ヶ沢で増結された2両が青森行きとなります。下り列車は青森~深浦となっていました。

住まいからして縁のない列車でしたが、特急「日本海」の最後を撮影に行った際、そのダイヤの関係から快速「深浦」を撮影することが出来ました。



平成24年3月12日 鶴ヶ坂~津軽新城間にて

キハ48とキハ40の2連のようです。
過去に五能線を訪れた時は、まだキハ40系がすべて首都圏色(いわゆるタラコ)であり、キハ58系も走っていました。
最後の頃は五能線色と、一部タラコ色があったようです。



平成24年3月13日 鶴ヶ坂~津軽新城間にて

こちらは翌日に撮影したもので、キハ48の2連になっています。

運転本数の少ない区間ですから、このような直通快速列車と言うのは重宝されそうなものですが、時刻表を見て唖然としました。
全運転区間の中で通過する駅はたった2駅のみ、しかも電車普通列車が37分ほどで走る区間を50分も掛けている訳ですから、乗り継ぎで電車化したほうが所要時間を短縮できる可能性があります。
車両の違いからボックス席云々という声も聞こえそうですが、それはファンの心理から来るモノだけで、現地の利用されている方からすればどうでも良いことだと考えます。
「これは廃止になっても仕方ないか・・・」と思うより先に、「良く今までもっていたな・・・」という印象でした。

いずれにしても、伝統のある列車がなくなることは寂しいものですが・・・。

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東武鉄道8000系:オリジナル塗装現役時代&リバイバル

2014-05-11 02:03:00 | 私鉄(大手)
東武鉄道8000系オリジナル塗装現役時代&リバイバル


東武鉄道8000系は、昭和38年に誕生した通勤型新性能電車です。
大量に存在した吊掛式電車を淘汰するために製造が長年に及び、単一形式としての製造両数は私鉄界随一を誇ります。

712両も製造された8000系ですが、初期車の登場から50年を経過した今日、既にほとんどの車両が引退し、野田線や東上線に一部が運用されるまでに削減され、惜別の意を込めてリバイバル塗装車が出現しています。

8000系は、登場時にロイヤルベージュとインターナショナルオレンジのツートンカラーが使用されましたが、昭和49年から簡略化によりセイジクリーム1色、さらに昭和60年から
ジャスミンホワイトにロイヤルブルーとリフレッシュブルーの帯を配した塗装に変更されています。

今回は、リバイバル塗装で復活した8111Fから遡って、ロイヤルベージュとインターナショナルオレンジのツートンカラーの車両たちを集めてみました。









平成24年8月29日 東武野田線 大和田~大宮公園間にて

東上線で最後まで残った前面未改造車の8111F(6両編成)がオリジナル塗装へリバイバルされました。予想もしませんでしたが、最後まで残った東武鉄道を代表する形式として動態保存されることになり、活躍の地を伊勢崎線方面へ移し、団体・臨時列車等で使用されることになりました。東京スカイツリーの開業も契機の後押しになったかもしれません。

写真は復活塗装にて団体列車が組まれた最初の頃で、東京スカイツリーから野田線へ直通する団体列車として運転されたものです。



平成17年2月11日 東上線 朝霞台付近にて


平成17年2月11日 東上線 新河岸~上福岡間にて


平成17年2月11日 森林公園駅付近にて

平成16年10月、これよりも前に同じリバイバル塗装を施された8000系が存在しました。
8108F(6両編成)で、約半年間の予定でラッピングされたものですが、好評のために運転期間が延長され、翌平成17年の6月まで運転されています。

まだデジカメを持っていない時代、1度だけリバーサルを入れた645で撮影に行ったことがありました。





昭和48年? 東上線 朝霞~新座間にて

こちらはずっと時代を遡ります。まだセイジクリームの簡略化塗装さえ出現する前、東武の通勤車と言えば吊掛車も含めてこの塗装でした。
上の写真は準急ですが「池袋←→???」が不鮮明で判読できません。
下の写真は上り急行池袋行きで、こちらは矢印式ではありません。

この時代の8000系はもちろん非冷房車のみで、列車種別は板サボによるものでした。上の写真の準急は、後部ながら通過表示灯が点灯している様子が見て取れます。

撮影の場所は、現在の朝霞台駅に当たる場所と思われます。
武蔵野線の旅客営業化直後であり、北朝霞駅はできていましたが、駅前は広大なニンジン畑のみと言った様相で、利用者がいるとはおおよそ予想がつかない状況でした。
でも、下の写真を良く見ると、左側には将来の駅幅を確保して用地買収済みのようなフェンスが写っており、既に接続駅の新駅設置の準備が整っている様子が判ります。
参考までに、過去ログ『東武鉄道:7300系・7800系』にて、その後昭和59年頃のほぼ同じ地点での撮影の様子をご紹介しています。

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