マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

489系金沢車:団体列車「489系特急とき」

2016-08-30 23:14:00 | 国鉄・JR団体・臨時列車
489系金沢車:団体列車「489系特急とき」


2010年3月14日、急行「能登」の上りラストランが上野駅に到着しましたが、この編成の金沢への回送を兼ねた団体列車が設定されました。
しかし、その列車名は「能登」や「はくたか」、或いは「白山」などの489系使用の名列車ではなく、なんと新潟特急の「とき」でした。


平成22年3月14日 上野7:28発 → 新潟13:10着 9015M
団体列車「489系特急とき」




いつもの場所は案の定テツだらけなので、光線状態も悪い時間帯でもあることですし、今回は誰も撮らないようないつもの場所?で、逆向きに構えてみました。

ド逆光で後追いアングルを優先としたため、ガードレール上から無理な体勢であることでもありますし、焦点距離を変えずに撮れる逆光ドアップにしました。いわゆる捨てアングルだったのですが・・・。失敗しました。先頭はなんとモノホンのヘッドマークを付けていました。もちろん、それを期待していたのですが、本当にやっちゃいましたね。




そして、こちらはメインアングルにした後追いです。
先頭が文字マークだったので、後はイラストマークかと思ったんですが、予想に反してこちらも文字マークでした。
「ヤッター!」と思ったのも束の間、ファインダーの残像に違和感があったのでモニタで見直したところ・・・「?」!
これ、完全なニセモノ!多分、「能登」のヘッドマークの上から「ホームライナー」の板を噛ませ、さらにホームベース型の文字マークシールを貼ってあります・・・orz


元々489系「とき」の、しかもボンネットなんてありえないと思っていたわけですし、企画そのものに違和感がありました。しかし、今回改めて見ると、シールは不自然でいただけないですが、先頭のモノホンマークは絶妙に似合っている、というか、板に付いて見えますね。元々のトータルデザインに共通性があったことは事実ですが、なかなかカッコイイ!じゃないですか。

この列車は、団体企画の立案者、回送列車を団体列車に仕立て実行したJR東日本、車両をそのまま活かすことに同意したJR西日本の三位一体となった、見事な連携企画となったわけですね。これを「白山」とか「はくたか」などの安易なモノとせず、181系のマークまで調達して「とき」とした企画力は賞賛に値します。



183系OM103編成:団体列車「はばたけ・トキめき新潟号」

2016-08-28 00:12:00 | 国鉄・JR団体・臨時列車
183系OM103編成:団体列車「はばたけ・トキめき新潟号


2008年11月、団体列車「はばたけ・トキめき新潟号」という列車が走りました。
車両は大宮総合車両センターの183系OM103編成。これはどうも両端が特急マークを取り付けているために選抜されたようで、リバイバル運転へかなりこだわりがあったようです。

運転区間は、定期運転当時のまま上野~新潟間としており、平成20年11月8日に上野→新潟、翌11月9日に新潟→上野と両日の片道運転となっています。



平成20年11月8日 下り 「はばたけ・トキめき新潟号」

団体列車の名前からある程度それらしいヘッドマークが付けられるだろうと想像はしていましたが、意外にも現役当時と同じ「とき」のイラストマークで登場となりました。しかも、きちんとロールに用意されたものであるため、現役時代そのものの見栄えでした。
この列車の運転当時、ヘッドマークの緑色が薄いとクレームを付けているファンがいたようですが、標準のデザインでは濃い緑としながら、この黄緑色のヘッドマークは存在しました。ただし、数ある編成のうちの1編成のみであったと思われ、捕獲するは困難でした。



平成20年11月9日 上り 「はばたけ・トキめき新潟号」

翌日は返しの運転となりますが、こちらはなんと文字マークの再現となっていました。これにはビックリ!イベント用にこれらのマークを準備していたとは、この当時は夢にも思っていませんでした。自身も文字マーク時代はあまり写真を撮っていませんでしたから。

しかし、悲しいかな、スキャニングしてみると、ヘッドマークが明る過ぎて肝心の文字が殆ど見えません。これには参りました。

往復とも撮影に適した時間の設定となっていながら、天気が非常に悪く、厳しい撮影条件でした。
当時はあまり良い性能のデジカメではなかったので、あえてF-1にISO400で臨んだのですが、それでもやはり相当厳しいものでした。
今のようなデジイチであれば増感してクリアできたと思いますが、これも時代を反映した物語ですね。



大井川鉄道:モハ1906(元小田急デハ1906)

2016-08-24 00:48:00 | 私鉄(中小)
大井川鉄道:モハ1906(元小田急デハ1906)


前回の大井川鉄道:6000形の続きとなる記事で、6000形の牽引車を担っていたモハ1906です。



昭和57年11月29日 モハ1906 大井川鉄道 千頭駅にて

初めて訪問した大井川鉄道で初めて出会った車両は、なんとも古めかしい旧型電車でした。
当時は知識がなかったので全然何者か知りませんでしたが、これは元小田急電鉄のデハ1906であることが判りました。

相方となる北陸鉄道の6000形が電圧の関係で自走するための改造が出来ず、この1906が牽引車として使用されており、まるで電気機関車のような扱いだったようです。

当時は私鉄に関心がなく、ただ撮っていた写真ですが、こんな17mの電車が小田急を走っていたなんて、今となってはとても信じられません。

左の方にも怪しい電車(廃車体?)が写っているのですが、残念ながらこちらは撮影してませんでした。



大井川鉄道:6000形(元北陸鉄道6000系)

2016-08-21 00:56:00 | 私鉄(中小)
大井川鉄道:6000形(元北陸鉄道6000系)


北陸鉄道の看板列車として誕生した6000系電車。

北陸鉄道加南線が昭和46年7月11日に廃止されましたが、車両限界の違う6000系は他線への転用が利かず、大井川鉄道で第二の人生を歩むことになります。



昭和57年11月29日 クハ6051「あかいし」 大井川鉄道 金谷駅にて

しかし、元々600Vの仕様で製作された6000形は1500V化が困難であったため、大井川鉄道入線に当たっては電装解除されることになります。電装の復元が断念されたモハ6001は、昭和49年に正式に制御車化、クハ6052に改められています。

自力走行が出来なくなった6000形は、モハ305により牽引される形で運転され、同車が昭和52年に廃止されたあとは、元小田急のモハ1906ペアを組んで運用されることになります。
ただし、内装の格差が大きいことから、電動車であるモハ1906は締切扱いとし、2両編成と同様の扱いで運転されていたようです。

このような事情からワンマン運転の取り扱いが行えず、予備車的な存在となり、平成6年、南海電鉄からのズームカー21000系の転入に伴い、これに役目を譲り、モハ1906共々運用を離脱しました。

運用離脱後は例の如く長期放置され、平成8年3月30日付で廃車、解体された模様です。



485系ニューなのはな:快速「ブルーオーシャン外房」

2016-08-19 01:35:00 | 国鉄・JR快速列車
485系ニューなのはな:快速「ブルーオーシャン外房」


快速「ブルーオーシャン外房」は、夏臨で大宮から武蔵野線・京葉線を経由し、外房線の安房鴨川を結んだ臨時快速列車です。
詳細は記録していませんが、平成26年~28年と連続で設定され、使用車両はいずれも485系多目的車両のニューなのはなによるものでした。



平成26年7月20日 485系ニューなのはな 回9222M 快速「ブルーオーシャン外房」送込み回送

これは送込み回送で、別の列車の写真を撮りに行った際、偶然出くわして撮影したものです。

485系ニューなのはなの引退がアナウンスされたので、今年こそはきちんとしたものを撮ろうと思っていたのですが、町会の行事や手術等で日程を潰され、さらに自分の体調もクルマの調子も悪いなど悪要因がことごとく重なって来たため、とうとう撮影することができませんでした。

ニューなのはなが平成28年8月のさよなら運転をもって引退する模様で、もうこの形態の快速「ブルーオーシャン外房」も見納めとなってしまいます。
平成29年度のシーズンは、果たしてどのようなシチュエーションとなるのでしょうか?