マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

安中貨物 トキ25000-

2021-10-31 00:08:00 | 貨車
安中貨物 トキ25000-


かつては地元を通っていたことから撮影に興じていた安中貨物。
往復とも武蔵野線経由となって以来、それほど遠くない距離でありながらも完全に疎遠となってしまいました。

最近ではあまり話題になるようなことはありませんでしたが、一部で安中貨物からトキ25000の運用がなくなるという情報が載っていました。

ネットで調べてみると、過去にもそのような情報があったようですが、ガセということだったようです。
しかし、今回の情報では、令和3年10月26日の発送を最後に、トキが連結されていないという目撃情報が散見されており、現実味があるようです。

一時的な運用離脱なのか、工場の作業内容変更による永遠のものなのか確かな情報はありませんが、地元時代の過去を振り返ってみたいと思います。



平成20年8月9日 佐和~東海間にて

デジカメで初めて撮影した安中行きの安中貨物。まだ頭の中ではこの列車が地元を通過していることを知らなかった時代のもの。
デジカメで撮影枚数の心配もなかったためか、後部のトキ25000も撮影していました。この頃は、このトキ25000が私有貨車でハイフン付きであることもまだ知らなかったと思います。



平成21年4月4日 EF8185(再掲)


平成21年7月4日 EF8157(再掲)


平成22年4月3日 EF8181(再掲)

地元でキャッチできる列車であることを知り、夕方のゴールデンタイムを構成する列車であったことも幸いし、一挙に撮影コマ数が増えました。
基本はコタキ+トキの混成でしたが、何らかの都合によりタキだけの編成となることも多く、これらのようにトキだけとなることも少なからずあったようです。特にここではご紹介いたしませんが、カーブで撮影しているときには編成が短くなってしまい、絵面的にもガッカリすることがありました。



平成21年3月14日 EF8157

編成はカマ次にタキ、続いてトキという順序で連結しているため、カマ+トキという画はタキが無いときにしか成立しませんでした。当該トキのハイフン車は、台車がグレーなのも特徴的でした。



平成26年2月11日 トキ25000-5

特に意識はしていませんが、トキの最後部を撮っていた写真。
車体、台車、連結器に至るまで、まるで新車のようにピカピカでした。



平成20年12月27日

1年中で一番陽の長さが短い頃、どうしようもないロケーションに去り行く安中貨物を撮ると、トキ1両にだけスポットライトが当たった。


このトキハイフン車は、平成11年頃に私有貨車として12両が製造されたそうで、新製からまだ20年ちょいしか経っていません。
一般的に、貨車は4~50年使用されることも当たり前ですから、用途が無くなってしまったとしても廃車にはちょっと勿体ない気がします。
もし、JR貨物でも少数のトキ25000が現存していることがあれば、こちらを買い受けて使用しても良いようですが、最近は目撃の情報もありませんし、実現はないのでしょうか・・・。


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保存車:ヨ5000形 ヨ14493(旧青森桟橋)

2021-10-28 21:04:00 | 貨車
保存車:ヨ5000形 ヨ14493(旧青森桟橋)


過去ログ『保存車:キハ27(旧青森桟橋)』で保存車の記事をご紹介いたしましたが、至近にもう2両の保存車が居ました。

車掌車と控車のような物体ですが、前記事でもご紹介のとおり、とにかく大雪の降った年であったため、近寄ることができませんでした。



平成24年3月13日 旧青森桟橋にて

車掌車の表示はヨ4493となっているので、北海道で使用されていた1段リンク式のヨ3500だとばかり思っていましたが、どうも実車はヨ5000形に改造されたヨ14493が正しいようです。

また、同じく連結された控車のような車両ですが、ヒ759らしいです。
雪に埋もれてしまって近寄って見ることも乗ってみることもできないのが非常に残念でした。

こちらの車両は前記事のキハ27と比較してそれほど荒れていないようですが、こちらお残念ながら今年(2021年)8月に撤去されてしまったようで、大変残念です。

記事内容は旧青森桟橋のヨ14493・ヒ759を参考にさせていただきました。


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C581牽引:快速「SLやまぐち」

2021-10-24 02:05:00 | 国鉄・JR蒸気機関車
C581牽引:快速「SLやまぐち」


現在も蒸気機関車の動態保存を行っている山口線。
昭和54年8月1日からC571牽引による快速「SLやまぐち」号が運転されるようになりました。
また、昭和55年からC581号機が予備機として設定され、比較的に閑散期を中心に運転されていたようです。特に、6月には重連運転も設定されていたと記憶しています。


※撮影は、昭和58年5月15日、 山口線 篠目~仁保間にて。



C581牽引 下り 快速「SLやまぐち」



C581牽引 下り 快速「SLやまぐち」

3回目の山口線訪問で、1回目もC581牽引、2回目はC571との重連で、C581とは縁がありました。
しかし、同機は不具合が多かったようで、特に国鉄末期には財政的にも修理費を捻出することが困難となったようで、昭和59年1月の運転を最後に引退となってしまったようです。

その後はC56160が予備機となりましたが、C56では勾配の続く山口線では力不足で、DD51の力を借りなければならず、永らく継続したものの山口線からは引退となり、D51200にその道を譲っています。

貴婦人とも称されるC57は今でも人気がありますが、個人的にはC58の方が好きでした。


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キハ42055(キハ0741)

2021-10-16 11:58:00 | 試験・事業車、配給、列車車両等
キハ42055(キハ0741)


九州鉄道記念館で保存されている キハ07 41 が国の重要文化財に内定したそうです。

九州鉄道記念館のキハ42055号、国の重要文化財指定へ

戦前の昭和12年製だそうで、登場時の形式番号はキハ42055ということです。

当時は気動車の創生期でもあり、蒸気機関から始まり、エンジンの導入によりガソリン車が一般的。これに、より安全性が高く燃料コストの安いディーゼルエンジンへと発展していきます。
また、液体変速機なるものもできていないため、クルマで言うところのマニュアルミッションとなっており、人力によるギアチェンジが必要でした。


※撮影は、平成24年9月22日、九州鉄道記念館にて。(再掲写真)




指定ではキハ42055となっていますが、保存車の車体表記キハ0741となっています。
登場時の塗装は茶色だったと思いますが、戦後のカラー化で青ベースの旧気動車色、そして写真の標準色と変化しました。

称号改正においてキハ07となり、戦前製が0番代、戦後製が100番代、さらに100番代から液体式変速機に載せ替えたものを200番代としています。
つまり、同車は戦前製のマニュアルミッション車となります。




同車は車内も見学できるようになっていました。
座席は戦前製の電車と比較しても貧祖で、背もたれも非常に低いもの。うっかり寝落ちすると後部を背中合わせに座っている人にぶつけてしまいそう。

重要文化財になってしまうと、立ち入りも制限が掛かってしまうのでしょうか?




見学のメインイベントはなんと言っても運転台。
ブレーキは標準型の差し込みハンドル式ですが、右手にはシフトレバー、足元にはアクセルとクラッチペダルが付いており、丸いハンドルが付いていない大型バスと言った感じです。
私もマニュアル歴が長いので、こうした車両を見ると運転したくなってしまいます。





鹿島鉄道で活躍していた元キハ07系の600形。
キハ0741と同時期に製造された戦前製の0番代であり、液体式変速機への載せ替えや運転台、前面の改造が実施され、外見的にはちょっと・・・の雰囲気でした。
同車は、払い下げを受けてから鹿島鉄道が廃止となるまで主力として活躍し、現役気動車としては最長の70年にも及ぶ生涯をまっとうしました。


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JR東日本 蕨変電所火災

2021-10-11 00:23:00 | 駅・停車場・操車場
JR東日本 蕨変電所火災


我が家から徒歩10分程のところにあるJR東日本の蕨変電所(正式には「蕨交流変電所」?)で、令和3年10月10日13時前に出火、付近を走る東北本線や京浜東北線はもちろん、山手線や常磐線、埼京線に至る広範囲の路線が停電による運行停止となりました。
令和3年10月7日には首都圏で震度5強を記録する地震により、地震当日の深夜から翌8日に首都圏のJR線が大混乱に陥ったばかりであり、またか?という悪夢が浮かび上がります。

NHK JR 首都圏10路線で一時運転見合わせ ほとんどの路線で運転再開

この日、9時過ぎに「カシオペア紀行」の返却回送を撮影したばかり。あれから3時間もしないうちに火災が起きたのかと思うとゾッとします。


※撮影は、令和3年10月10日です。


夕刻、路線の様子を見てみようと線路際に出掛けると、意外にも信号機は点灯していました。消灯しているところを記録しようと思っていたのでちょっと気抜け。
蕨駅では南行電車がヘッドライトを点灯したまま停車している様子がうかがえました。また、湘南新宿ラインの南行の接近灯が点滅したままとなっていましたので、蕨駅よりも浦和寄りで立ち往生していたのかもしれません。




線路を渡って西川口方向を撮影しようと歩いて行ったところ、手前で通行止めされ、迂回させられてしまいました。西川口方向に向かうことができずにひたすら迂回させられると市民公園まで到達してしまい、図らずも現場に出くわすことになってしまいました。
蕨市消防本部大集合状態です。




さらに公園内を歩かされると正門?辺りに。いつもクルマでサッと通過してしまう場所なので、変電所を意識したこともありませんでした。
写真はレスキュー車とバックは変電所設備が写り込んでいます。火災があったのはこの左側辺りと思われます。この辺りで電気火災特有の焦げた臭いを感じました。




歩いている間に完全に日没を迎え、写真も厳しく。
アップで様子を狙うもブレブレ。撮り直そうとしたら女性警察官に「写真を撮らないで!」と制止されてしまいました・・・なぜ???




もうちょっと動いたところで撮ってみましたが、日没で明るい空だけを拾ってしまって全然ダメな写真。
ここで声を掛けられ、レッドライダーさんと対面。このまま一緒に帰ることに。




市民公園前の大通りで凄い封鎖!パトカー横向きです。




帰り道は自転車橋(蕨駅方面)に向かうつもりでしたが、規制が解除されていて西川口駅方向へ通り抜けられるようになっていました。
塚越陸橋から様子が見えるかと上がってみましたが、真っ暗で何も見えません。
帰路につくと線路の反対側から良く見えましたので、ダメ元で撮ってみました。明るく写っていますが、肉眼では殆ど見えないほど暗いです。フェンスも高いため手を伸ばしてフルオートで。
国鉄時代から、生まれて物心ついてからは既にあった施設ですが、変電所の写真を撮ったのは初めて。
さらに西川口方向を見たときに京浜東北線の北行・南行とも停車しているようでした。見に行ってみようということになり、さらに遠い寄り道。




西川口駅に停車中の京浜東北線。
午前中に訪れた跨線橋から西川口駅方向を見ると、北行電車がどうも中途半端な位置に停車している感じがしました。ここでももっと近くへ行ってみようということになり、今までまず撮影することのないアングルで。
やっぱり定位置に停まっていると思いきや、ドア1つか2つ分くらい手前で止まってしまっている様子でした。
それよりも、北行と南行で行先表示の色が違っていることが気になってしまいました。至近に寄ってみると、もしかしたら南行電車の表示ガラス(アクリル?)が汚れてオレンジ色に見えているのかもしれません。
考えてみれば、こんな暗い時間に「快速」表示を見ることは不可能ですね。ある意味貴重な記録かも?

ちょっと様子見のつもりが、1時間以上も歩き回って、殆ど「取材」のような夕方になってしまいました。


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