マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

オハネフ12形:夜行急行「狩勝」

2011-12-31 00:30:00 | 国鉄・JR急行列車
オハネフ12形:夜行急行「狩勝」


昨日は昼行列車の急行「狩勝」をご紹介いたしましたが、今日はもう1つの顔である夜行急行の「狩勝」をご紹介いたします。

札幌~釧路間は、古くから需要があっていわゆる『全車指定制』の急行列車が走っていました。変遷のある列車ですが、昭和50年代は急行「狩勝」を名乗っていました。

北海道ワイド周遊券と言う北海道フリークには便利な周遊券があり、20日間有効で急行自由席車も乗り放題だったため、「各方面への移動は夜行急行で」というのが当たり前だった時代。しかし、この夜行「狩勝」だけは全車指定のため、指定席券、或いはグリーン券や寝台券とともに急行料金を別途取られてしまうという意味で、大変使いづらい列車でした。私的には移動の必要性に迫られて、「狩勝」時代に1度だけB寝台車に乗ったことがあります。



昭和56年3月 札幌駅?にて オハネフ12 急行「狩勝」

この写真は記念的に撮ったものではなく、元ナハネ10の改造車であることが判った為に慌てて撮ったものです。洗面所の明かり窓が横長ではなく大型であることから容易に判断できるのです。
昭和40年代、増大する寝台需要に対応してスハネ30など旧型車によりB寝台車が増備される中、普通車の緩急車を連結しない列車が設定されるようになったため、中間寝台車である初期のナハネ10に車掌室や緩急設備を設け、全てのナハネ10が緩急車化されました。その後、冷房設備の需要から冷房化改造され、重量が増してオハネフ12になったわけです。この大型の明かり窓も初期車の名残です。

写真を撮った当時、本州では10系寝台車の淘汰が既に進んでおり、10系寝台車そのものが希少になりつつある頃で、初期の10系寝台車に逢えたことが非常に嬉しかったことは記憶しております。ストロボを焚いてしまったのは、ホームがあまりにも暗かったのと、運転には支障の無い中間だったからと判断したからだと思います。※今だったらこのような状況でももちろん炊かないでしょうけど。

その後14系化されたり、名称が急行「まりも」になり、さらには特急化されて「おおぞら」、また特急「まりも」に愛称が戻ったりと目まぐるしい変遷がありましたが、平成20年夏の臨時運転を最後に廃止されてしまいました。

急行寝台列車「狩勝」は、そんな歴史を刻んできた特急「まりも」のルーツともいえる列車なのです。

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1年間のご愛読ありがとうございました。
皆様、良いお年をお迎え下さい!

キハ56系:急行「狩勝」

2011-12-30 00:30:00 | 国鉄・JR急行列車
キハ56系:急行「狩勝」


「狩勝」は、札幌圏から釧路方面を根室本線で結ぶ急行列車でした。
昭和55年当時ですが、急行「狩勝」はDCが3往復、客車夜行が1往復設定されていました。このうちDC急行は、札幌~釧路間を基本とし、下り夜と上り朝が帯広発着です。
釧路発着の1・6号は富良野駅にて富良野線直通の普通列車を釧路間で併結しています。
また、上り4号のみは根室~札幌を直通としていました。これは、急行「ニセコ」の上り1本が根室~函館に設定されていた頃からの名残で、札幌にて系統が分割されて「狩勝」となったものです。

当時はまだ石勝線が完成していない時代ですので、根室本線への列車は全て滝川経由となっていました。特急「おおぞら」も3往復しか設定がありませんでしたので、夜行含めて4往復設定されていた急行「狩勝」は、全ての列車にグリーン車も連結された、重要な幹線優等列車でした。



昭和56年3月 根室本線 落合~新得間にて

こちらはネガプリントからのスキャニング画像です。残念ながらブレてしまっていますが、キハ56形の213番ですね。
キハ56系はキハ58系の北海道版で、外観は窓が1周り小さいのが特徴です。また、グリーン車のキロ26はキロ28形のような2連の大窓ではなく、さらに1周り小さい1席1個の窓が特徴となっており、キハを含めて全て2重窓となっています。
キハ56形200番代は最終増備車で、パノラミックウィンドウにスカート付きが特徴で、さらに写真では判りませんが冷房準備工事車でクーラー搭載予定箇所にフタがしてありました。※最終的には、廃車となるまで冷房化されることはありませんでした。



昭和56年3月 根室本線 落合~新得間にて

上の写真と同じ区間ですが、新得側からやや落合寄りの第1ターンとなる橋梁です。
こちらは番号が不明ですが、初期型のキハ56を先頭とする「狩勝」。
全てが小窓で判り難いのですが、前から5両目のフレームギリギリに写っているのがキロ26形グリーン車です。



昭和56年3月 「狩勝」の愛称サボ

なんでこんなサボの写真をリバーサルフィルムで撮っていたのか疑問だったのですが、よくよく考えて見ると車体色がクリームと赤のツートンではありませんので、どう見てもキハ22に取り付けられたサボと言うことですね。「狩勝」には基本的にキハ22は使用されていなかったと思いますので、おそらく富良野線からの直通併結車両を目撃した際に撮影したのではないかと思われます。



昭和56年3月11日 函館本線 白石~厚別間にて

同区間を撮影場所を探しながら歩いていた際に撮影したものです。コレは列車を撮るために待っていたのではなく、前を歩いていた親子が大変絵になるスタイルだったのと、そこに偶然この列車が通り掛かったので思わずシャッターを切ったことを憶えています。
なお、この写真、もしかしたら急行「大雪」かもしれないことをお含みおきください。
※編成的には「狩勝」で間違いないと思いますが・・・。

急行「狩勝」は、ご多聞に洩れず特急化の波に飲まれ、尚且つ石勝線の開業と言う一大プロジェクトのアオリもあって全て特急「おおぞら」に吸収・格上げされて消滅いたしました。
辛うじて根室本線の快速として「狩勝」の名前が残っていましたが、そこには急行時代の優等列車としての面影は残っていませんでした。

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101系:京浜東北線

2011-12-29 00:30:00 | 国鉄・JR普通列車
101系:京浜東北線


鉄道ファン誌のNo561(2008年1月号)とNo562(2008年2月号)で、「京浜東北線を駆け抜けた車両たち」と題して京浜東北線に使用された車両や時代背景など詳細に記された記事が載っております。この記事をお読みになった方はお判りと思いますが、京浜東北線にも都合3編成の101系が運用されていたことがあります。

私も詳細については知らないのですが、昭和45年12月2日から運用開始され、昭和53年10月、現在の武蔵野線(新松戸~西船橋)延長開業による列車本数増に必要な車両として捻出されるまで、8年弱の期間に亘り京浜東北線を走っていたとのことです。



昭和51年頃 南浦和~浦和間にて

ネガが露出不足のため、コントラストの欠ける寝ぼけた写真になってしまいました。
原版は6×6の「リコーフレックス」という2眼レフで撮影したものです。夕方らしい上にレンズシャッター式なので、写真もブレブレな感じです。
当時、103系の写真など全く撮る気の無い頃でしたので、おそらく、101系が来たことが判って慌てて撮ったものではないかと思われます。



昭和52年 赤羽駅にて

旧高架の赤羽駅です。
おそらく・・・赤羽駅で特急列車を撮影した帰り、家に帰ろうとホームへ来たものの赤羽止まりに遭遇。しかもそいつが101系だったものだからたまらない。駅員さんがサボを回し始めたから、せっかくだからレアな幕の時に撮ってやれ!なんてシチュエーションだったのでしょうね。
ネガから見つかった唯一のカラー写真であり、構図は悪いですが私的には大変貴重な1枚です。



昭和53年頃 蕨駅にて

こちらは最晩年の頃の写真と思われます。当時は、鉄道雑誌をお小遣いで買える頃ではなかったので、101系がなくなることも察知出来なかった筈です。おそらく、蕨駅で特急列車の写真を撮っているときに偶然来た101系を収めたのだと思います。
時代的に判断して、この後間もなく武蔵野線用に1000番代化改造され転出していったものと思われます。

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カニ24100番代・スハネフ15:寝台特急「彗星」

2011-12-28 00:30:00 | 国鉄・JR特急列車
カニ24100番代・スハネフ15:寝台特急「彗星」


「彗星」は、昭和43年10月ダイヤ改正で誕生した、新大阪~宮崎を結んだ寝台特急列車です。運転開始当初から20系客車を使用していました。
大改正ごとに増発が行われ、大分・宮崎・都城の各行先が誕生し、最大で5往復(臨時列車を除く)まで成長しています。使用車両は20系の他、14系・24系などの新鋭車両もあり、さらに2段式寝台の24系25形も導入されています。
一部の列車は「あかつき」と併結されており、この場合はヘッドマークの取り付けが省略されていました。

昭和50年3月、新幹線博多開業に伴うダイヤ改正により運転本数が縮小され、583系が新たに設定されるとともに、客車寝台は1往復のみの設定となってしまいました。



昭和54年3月23日 下関駅?にて



昭和54年3月23日 門司駅?にて

上の写真がリバーサルで、下の写真がネガカラーです。カメラが別なので、撮影した順序が分からないのですが、周辺の明るさから考えてこのような順序でないかと思っております。駅の風景は全く覚えていません。

昭和51年後半に登場したカニ24100番代を連結した「彗星」。編成自体は24系25形0番代車で関西オリジナル編成ですが、カニのみ後発の100番代を連結していました。カニ24100番代は東京発の九州ブルトレ用として製造された車両でしたが、九州方面の20系客車の老朽化交換を機に関西にも若干数が導入されています。

いずれも私が中学を卒業するとき、春休みに卒業旅行として九州に行った時に乗車したものです。
ただ、私は事情があってエレクトーン発表会のドラマーのアルバイトをしなければならないことになり、同行のみんなから数日遅れて九州入りとなりました。それで、往路は1人旅となったわけですが、東京からブルトレで行くとなると寝台特急「富士」のみとなり、せっかく九州まで行くのだから東京に走っていない列車に乗りたくなったため、新幹線→寝台特急「彗星」という行程を選んだのです。私の寝台特急(ブルトレ)デビューは、意外にも寝台特急「彗星」となったのです。
※乗った列車は、その後「彗星5号」であることが判明しました。


平成14年3月29日 新大阪駅にて スハネフ15 「彗星」

時は流れ、利用客の低迷から寝台列車は衰退の一途を辿ります。特に関西発のブルトレはその傾向が顕著であり、この時代に残っていたのは単独「なは」と「あかつき・彗星」の2往復のみとなっていました。

親戚の結婚式に参列するため奈良に行った際、急行「銀河」で終点一つ手前の新大阪駅にて下車し、テツって来たときのものです。
別の列車を撮っていたら到着してしまい、慌てて撮影したのでこんな構図になってしまいました。

まさか廃止になるとは思っておらず、その数年後に九州ブルトレがまさか全滅するなんて、夢にも思いませんでした。
結局はこのときが「あかつき」「彗星」としても、関西発のブルトレとしても最後の出逢いとなってしまいました。

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205系量産先行車:京葉線

2011-12-27 00:30:00 | 国鉄・JR普通列車
205系量産先行車:京葉線


京葉線は、103系や201系の配置を経て、205系の新製配置もされるなど、E電線区としては比較的に型式混在の多い路線です。
205系に関しては、後期車となる前面デザインのことなる車両が導入となりますが、これ以外に山手線のE231系500番代化で余剰となった205系の量産先行車が4編成とも終結することになります。4編成が出揃ったのは平成17年でしょうか。

しかし、首都圏における新顔のE233の登場により、その活躍も僅かの期間で終わってしまうことになります。



平成19年8月26日 葛西臨海公園駅にて ケヨ24編成



平成19年8月26日 葛西臨海公園駅にて ケヨ26編成



平成19年10月28日 新木場~潮見間にて
 


平成20年5月3日 潮見駅 ケヨ24編成



平成21年10月24日 潮見駅 ケヨ24編成



平成21年10月24日 潮見駅にて ケヨ26編成
 


平成22年7月17日 市川塩浜駅にて ケヨ25編成


2段昇降式の窓が特徴の205系量産先行車。山手線時代に1枚しか撮っていなかったこともあり、京葉線では悔いを残さないように出来るだけ多く撮っておくことを心掛けました。
しかし、以外にも終止符が打たれるのが早く、その活躍はあまりにも短かったように思います。


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