マル鉄・鉄道写真館

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国電 103系:クモハ103

2015-05-31 00:15:00 | 試験・事業車、配給、列車車両等
国電 103系:クモハ103


東日本では全滅して久しい103系ですが、関西ではまだ生き残りが多数存在していました。
しかし、ここに来て急速に淘汰が始まったようで、平成26年度において103系のうちクモハ103が廃形式となったようです。

関東でクモハ103系と言うと3両編成の短編成を想像してしまう方も多いと思いますが、8~10両編成を組む103系にあって一番身近に見ていたのは京浜東北線に他なりません。
新性能化に当たって10両貫通を前提としていた京浜東北線ですが、蒲田電車区の検修庫の関係で7+3に分割する必要があり、クモハ103を編成中に2両も組む特殊な編成になったと聞いたことがあります。



昭和55年頃 京浜東北線 西川口~蕨間にて

地元を走る京浜東北線。フィルムが勿体無いのであまり撮ることをしませんでしたが、ATC化によって低運が中間封じ込めになる情報があったため、晩年は何枚も撮っていました。



昭和56年頃 京浜東北線 西川口~蕨間にて

パンタグラフの無い先頭の流し撮りですが、台車を見れば判るのもクモハ103の特徴です。



昭和52年頃 京浜東北線 西川口~蕨間にて

オレンジ色の京浜東北線クモハ103+モハ102を含む編成。訳あってこんな変わり種が走っていました。詳しくは『103系:オレンジ色の京浜東北線』で別紹介しています。



平成14年5月5日 鶴見線 安善~武蔵白石間にて

103系晩年の鶴見線。3両編成のため、全ての編成にクモハ103が組まれていました。



昭和57年の5月頃か10月頃 上野駅にて

常磐線も都心部では最後に新性能化された路線でしたが、ここでもクモハ103が取手方に連結されていました。写真はまだ15両編成が誕生する前。



昭和53年2月19日 青梅駅にて スカイブルーの青梅線

京浜東北線のATC化で余剰となった103系が青梅線・五日市線に進出。
4連ですがクモハ+モハ+サハ+クハで組成され、転属当初はほとんどの車両がスカイブルーのまま走っていました。



昭和61年3月17日 青梅線 軍畑

青梅線・五日市線に封じ込めの編成たちでしたが、工場入場の度に塗り替えが行われ、101系と同じ姿になって活躍ししました。



昭和55年1月? 矢吹駅?

東北に撮影に行った帰り道だと記憶していますが、通り掛かった交流区間の駅に直流型の103系が留置されているのを発見し、途中下車して撮影したものと記憶しています。
それまであまり見た記憶の無いウグイス色のクモハ103ですが、おそらくはATC・冷房化で余剰となった横浜線用の103系を仙石線用に転用するため疎開していたものと思われます。
横浜線は殆ど撮ったことがないので、ウグイス色で記録できた唯一のクモハ103です。

余剰で使いまわしにされたクモハ103はATCの導入されなかったほとんどの路線に転用されていたものと思われますが、通勤型を追い掛けることは殆どなかったため、あまり写真が見当たりませんでした。
それでも、モノクロを含みますが5色のクモハ103の記録を残すことが出来ました。
思い起こせば、小学生の頃、最初に形式に興味を持った車両がこの「クモハ」103だったかもしれません。

50年にも及ぶ活躍、お疲れ様でした。さようなら、クモハ103。

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165系:東海道本線 普通列車

2015-05-18 02:43:00 | 国鉄・JR普通列車
165系:東海道本線 普通列車


東海道の普通列車と言えば、111系や113系といった平坦線区用の近郊型が思い浮かんでしまいますが、静岡~名古屋地区においては80系による普通列車が昭和52年くらいまで大勢を占めていたようで、私自身も乗車した記憶があります。
新性能化により都落ちした111系の非冷房車に置き換えられ、さらに冷房化の推進にあたって余剰となった急行型車両によるローカル運用へと移行していきました。

大垣区辺りには山陽地区や京阪神で余剰となった153系に加え、修学旅行で使用されなくなった155系といった非冷房タイプの車両が集められ、新快速色を含めた様々な車両が混結で名古屋~米原辺りの普通列車に使用されていたようです。

153系:新快速色の普通列車

国鉄末期からJR化された頃、東海地区では遅くまで急行列車が残っており、これの関係か静岡地区を中心として165系で組成された普通列車が運転されていたようです。



平成6年8月20日 金谷~島田間にて 165系4連 普通列車

結婚して間もない頃、ある意味この時代くらいから極端に鉄道写真を撮る機会が少なくなった頃です。ただでさえ東海道地区で普通列車の写真を撮る機会はありませんでしたので、たった1枚だけですが良く撮っていたな、という165系普通列車の写真です。

モハユニットを含む4連で、おそらくは神領辺りに居た中央西線や飯田線などで急行列車に使用されていたものと思われます。

直流急行型の活躍も最晩年となっており、その後次々とJR車両が誕生するに連れ、直流急行型は急速に姿を消していきました。

東海道本線普通列車関係のリンク集を貼っておきますので、どうぞ過去ログをご覧ください。

113系:東海道本線 普通列車

国鉄 153系:東海道線 普通列車

211系:東海道本線(東京口)

国鉄 70系・80系:名古屋駅にて

国鉄 155系:修学旅行用電車

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185系C7編成:快速「GOGO NIKKO」

2015-05-07 00:42:00 | 国鉄・JR快速列車
185系C7編成:快速「GOGO NIKKO」


平成27年GW(ゴールデンウィーク)、宇都宮~日光間に臨時快速「GOGO NIKKO」が走りました。
185系4連のコンパクトな編成を使用した臨時快速も、東日本管内では稀な存在です。(651系やE653系による設定は実績があります。)
また、列車名がすべてアルファベットというのもなかなか見られ無いタイプの列車でした。

残念ながら日光線を走る列車を撮影することはできませんでしたが、撮影のついで、帰区回送のみ撮影することが出来ました。

※撮影は、平成27年5月6日、蓮田~東大宮間にて。



185系C7編成 回9582M 快速「GOGO NIKKO」帰区回送

久し振りにヒガハスに行きましたが、4両編成の構図はちょっと迷いましたね。




こちらはヘッドマークを切り撮ったものです。
183系OM編成の撤退以来、一般の臨時列車にはまずヘッドマークを用意することがなくなってしまいました。今回はどのようなPRなのか謎ですが、宇都宮~日光間という極めて短い営業区間でありながらヘッドマークが用意されるとは思ってもみませんでした。


運転記録

運転日
平成27年5月2日~6日

経路
回9580M 東大宮操7:58~大宮8:04-05~大宮操8:09

回9581M 大宮操8:24~宇都宮9:56

9881M 宇都宮10:06~日光10:43

回9882M 日光11:11~宇都宮12:00

回9582M 宇都宮12:15~大宮13:26

回9583M 大宮13:32~東大宮13:38


設定はご覧のとおりとなりますが、回送で大宮操折り返しとなるのも珍しいですね。

それにしても、わずかな区間の片道営業だけのためにこれだけの回送区間を組むのもかなり不合理に思います。しかも、入出区は毎日であり、完全な赤字運用です。
おそらく、東武鉄道との乗り入れ協定で大宮からの営業は難しいものと考えられますが、せめて日光~宇都宮の帰路を営業しても良かったのではないかと思われます。
夏休み、或いはお盆期間の設定も期待できるでしょうか?

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国鉄旧型電機 EF15142(長岡運転所)

2015-05-04 00:12:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
国鉄旧型電機 EF15142(長岡運転所)


地元を走る長岡のカマと言えば、近年ではEF641000やEF81でしたが、昭和の時代はEF58が牽引する夜行列車くらいしか思い浮かびません。

上越型として高崎第二機関区のカマと同様のスタイルであり、外観からは区別が付きづらく、地元を通っていたのかどうかすら定かではありませんでした。
スキャニングを通して番号等を調べた結果、今のところ長岡運転所所属のEF15は、今回ご紹介する142号機しかないことが判りました。もっとも、スキャニングを逃しているものもあるかもしれませんので、今のところの暫定ではあります。



昭和57年6月 大宮駅にて 貨物線を通過中のEF15142



昭和57年11月6日 水上駅にて 出発を待つEF15142牽引貨物列車

偶然ですが、両方とも142号機です。上越形の中でも後期タイプで、ナンバーもプレートではなく切り抜き文字の車体貼付けタイプです。この形態はEF58の流れと非常によく似ています。また、この番台からパンタグラフはPS15が装備されていますので、この姿がオリジナルとなります。強いて改造箇所といえば、正面窓のHゴム化くらいでしょうか。


142号機のデータ

昭和32年 7月27日 落成 東洋・汽車会社製 吹田第二機関区新製配置
昭和39年 3月 1日 岡山機関区へ移動
昭和44年 8月21日 東新潟機関区へ移動
昭和54年 5月15日 長岡運転所へ移動
昭和58年 9月13日 廃車

EF16との重連も撮ってみたかったですが、初めて上越を訪れた時には既に水上機関区のカマはEF64化後になっており、残念ながら1枚も記録することができませんでした。

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