マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

惜別:十和田観光電鉄(走行写真編)

2012-03-31 00:30:00 | 私鉄(中小)
惜別:十和田観光電鉄(走行写真編)


十和田観光電鉄について、施設編、保存車両編をご紹介いたしましたが、最後に雪の中で撮影した走行写真を中心にご紹介したいと思います。

※撮影は、平成24年3月11日です。走行写真は全て大きくなるように設定しておきました。



三沢駅にて

この日は7701+7901の2両編成で運転されていました。



営業終了のお知らせ



ドア上の路線図



祝いのサボが悲しい





十和田市駅に留置されていた7304と7305
両車とも両運転台に改造されています。







いずれも北里大学前駅付近にて



七百駅にて


昔から北海道へ行ったり来たり、クルマで八戸を通り掛かったときもありながら、一度も訪問することの無かった十和田観光鉄道。
都合の良い最初で最後の訪問になってしまったのが非常に残念です。

長い間お疲れ様でした。

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長野電鉄:屋代線

2012-03-30 00:30:00 | 国鉄ローカル線
長野電鉄:屋代線


この年、また一つのローカル路線が姿を消します。
長野県、屋代駅と須坂駅を結ぶ長野電鉄の屋代線です。

長野電鉄は、以前何度か近くを通ったことがあるにもかかわらず、1度も撮影に訪れたことはありませんでした。
平成23年5月、急行「きたぐに」の撮影の帰り道、信越本線経由でクルマを走らせた際、急遽思い出して立ち寄ったのが最初で最後となりました。

※撮影は、平成23年5月4日です。




須坂駅の隣となる井上駅です。こちらは駅舎。というよりは、待合室になっており、トイレが併設されています。最近の無人駅は、せいぜい待合室となる屋根が付いているくらいで、トイレなんて無いのが普通です。サービスとしては非常に助かりますね。




駅に着いたら直ぐに電車が来ることになっていたので、慌てて進入の写真を撮りました。1時間半に1本ということで、見ることができただけでもラッキーです。




さらにその隣の綿内駅です。こちらは有人風の駅舎だったのですが、残念ながら無人駅です。

そして、各駅に寄って帰ろうと思ったのですが、時間は既に14時を回りました。
駅数が思ったより沢山あるため、とても各駅に寄るほど時間はありません。

各駅停車の旅もここで断念。始点のしなの鉄道屋代駅へ向かいます。




屋代駅ではしなの鉄道に業務が委託されているため、残念ながら切符類は買いませんでした。券売機券でも買っておけば良かったかな・・・失敗しました。
タバコを売っている?駅の切符売場




ちょうど屋代線の電車が到着したので、駅舎から反対に回り込み、なんとか駅名板と列車を入れて撮ることができました。徒歩だと厳しい距離ですが、クルマだと早く行動ができて助かりました。

昭和57年11月の改正までは、急行「信州」に併結した「志賀」を屋代駅で切り離し、長野電鉄の終点湯田中駅までの直通列車がありました。それでも、モーターリゼーションの影響は大きく、経営は良くなかったようです。
このようなローカル線、一度なくなってしまったら戻ることはできません。

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ED16 直流型電気機関車:南武線編

2012-03-29 00:30:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
ED16 直流型電気機関車:南武線編

ED16は、国産の量産第1号となった直流型貨物用電気機関車です。
18両と少数ですが、戦前型としては標準的な製造量であり、同機に適した路線が存在したためか、50年もの長きにわたって活躍することができました。

今日はED16を撮影した写真のうち、南武線のものを少しですがご紹介いたします。



昭和51年7月4日 立川機関区にて ED162

EF57以来旧型電機に目覚め、友人たちと次の獲物として狙いに行ったED16です。このときが初めてのED16の撮影でした。この頃は写真さえ撮れれば、パンタが上がってなかろうが、走っていなかろうが、何でも良かったんです。
この2号機の後には、EF1013(一次形)が連結され、奥の機関庫にも3次形と思われるカマがいます。





いずれも昭和52年8月 浜川崎操車場内 発車待機中のED161号機
(撮影会実施のため、団体で許可を取っています。)

何の機関車でもそうですが、1番とかトップナンバーで感動しますよね。儲かった気分がします。昔「EF571」や「EF131」を見るとすごくうれしかったです。この歳になってもそうなんですから、どういうことですかね。
奥多摩工業の石灰石輸送が廃止になって久しく、後に連結されたホキも既に懐かしいと言える貨車になってしまいました。



昭和57年5月 武蔵野・南武線 府中本町駅にて ED166牽引 ホキ貨物列車

これは、マミヤM645の試運転時に撮影したものです。さすがにネガが大きいので、非常にシャープに写っています。

浜川崎で荷を卸した貨車は、空車回送となって再び奥多摩の山奥に登っていきます。
同形式のホキを連ねた列車は、秩父や熊谷貨物タ、そして、この南武・青梅線くらいでしか見ることの無い限定品でした。

私が国鉄時代、大宮操車場で入れ替えをしておりましたが、ホキ9500など青梅線用のホッパー車は、大宮工場への入場車くらいしか見ることは無いので、稀に自分の持ち番線に(ハンプの坂から)落ちてくると非常に緊張しました。(ブレーキを扱う位置が特殊なんです。)



昭和58年3月20日 立川駅にて ED1614+ホキ

さよなら運転を撮影に行った日、立川駅の側線に留置されていました。
ED1614は初撮影で喜んだものですが、それまで装着されていたスノープラウが外されており、大変ガッカリしたものです。
土日だったため、運休に伴う留置だったのでしょうか?

このほか、青梅線で撮影したものがありますので、別の機会にご紹介いたします。

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国鉄氷見線:気動車&客車のサボ

2012-03-28 00:30:00 | 国鉄ローカル線
国鉄氷見線:気動車&客車のサボ


氷見線は、北陸本線高岡駅から分岐し、終点氷見駅までを結ぶ路線。
一度だけ乗り鉄をしたことがあります。

※撮影は、昭和57年8月8日です。




富山港線の旧型電車などを撮りに行った際に立ち寄った、国鉄氷見線のサボの写真です。
この時は生憎の雨で、あまり撮影などする気も無く、城端線と同様に乗り鉄してました。
当時は当たり前の気動車だったので、列車写真は全く撮影していなかったのですが、今から考えればキハ26やキハ30系、キハ45系といった旧型車ばかりだった筈で、かなり勿体無いことをしました。
写真は窓桟の間隔が狭いので、おそらくキハ30系の車両ではないかと思われます。




こちらは客車編成のサボを撮影したもので、オハ352877となっています。
当時は朝のラッシュ時に客車列車が運転されており、ローカル線に良くありがちなダイヤ設定となっていました。
既に客車の1往復は終った時間であり、構内に留置してあった車両を撮ったものと思われますが、天気が良ければ雨晴など風光明媚な場所で撮影していれば、大変記念になったのではないかと思います。

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181系100番代:特急「とき」(その1)

2012-03-27 00:30:00 | 国鉄・JR特急列車
181系100番代:特急「とき」(その1)


「とき」は、上越線経由新潟行きの初の特急として昭和37年6月10日に誕生しています。折りしも上越線が全線電化されると同時になります。
勾配区間の長い上越線を走るため、当時の直流型特急車両である151系に勾配抑速ブレーキを付加した161系が導入されました。
しかし、当時から151系の出力不足が課題となっていたため、モーターを大出力のものに取替え、181系へと発展します。また、その後の新製車は181系として製造され、これらは151系からの改造車と区別するため、100番代の区分が与えられます。

今回は、昭和52年から昭和56年まで撮影したものと思われる写真をご紹介いたします。



昭和52年頃 上野駅にて

文字マークの時代。「とき」以外にも「朱鷺」と漢字で表記されているのが特徴のヘッドマークでした。



昭和52年頃 西川口~蕨間にて

100番代でタイフォンが2つ折シャッター式ますが、これはクハ181-100番代最終増備車の-109番だけに見られる特徴だそうです。



昭和52年頃 蕨~西川口間にて



昭和53年頃 上野駅にて



昭和54年頃 上野駅にて

特急電車にイラストマークを導入したのが53・10改正で、その後気動車やブルトレなども1年遅れくらいで浸透してきます。
ボンネット型は経費の関係でしょうか、なかなかイラスト化されない中で、上越線の「とき」「はくたか」、信越本線の「白山」には昭和54年後半くらいからイラストマークが導入され始めました。



昭和55年頃 西川口~蕨間にて



昭和55年頃  蕨~西川口間にて



昭和55年頃 尾久~赤羽間にて
 


昭和55年頃 尾久~赤羽間にて



昭和55年10月頃 蕨~南浦和間にて



昭和56年1月 西川口~蕨間にて



昭和56年頃  蕨~西川口間にて


昭和56年10月 西川口~蕨間にて


昭和56年12月 鶯谷駅にて

100番代の台車は485系の台車とほぼ同じものを履いておりますので、形態的には近代化された感じがします。
また、先頭車の100番代は、スカートに取り付けられたタイフォンが楕円形をしているので判りやすいと思います。ただ、写真では2枚目と8枚目のクハ181のみが開閉式のタイフォンを装備しており、異彩を放っています。

(その2)に続きます。

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