マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

銚子電鉄 デハ1001(桃太郎電鉄塗装)

2016-02-27 22:47:00 | 私鉄(中小)
銚子電鉄:デハ1001(桃太郎電鉄塗装)


今から1年前の平成27年1月、旧営団地下鉄銀座線用のデハ1002が運用を終えて除籍されましたが、残っていたもう1両の1000形デハ1001が明日平成28年2月28日の運転をもって運用を終えることになりました。

同車が銚子電鉄に導入されてから1度しか訪問しておらず、当時の旧型ばかり着目し、1000形はあまり撮っていませんでした。
天気も悪くて写欲が湧きませんでしたが、復路に1区間のみ乗る機会がありました。


撮影は、平成20年5月3日、外川駅にて。




外川駅に停車中のデハ1001。当時は桃太郎電鉄の塗装となっていました。
経営状況の厳しい同鉄道が、ハドソンの援助を受けて実現した。




楽しいラッピングですが、オリジナルの良さが全く無くなり、鉄道ファンとしてはあまり魅力を感じません。




車内もとにかく桃太郎電鉄一色と言ったところ。
このような車両に乗っても落ち着かないですが、もし支援がなかったかなり荒廃したまま運用されていた可能性もあります。




この時は2連運用となっており、デハ702と手を組んでいました。
同じ鉄道の電車ながら連結器が統一されておらず、中間連結器によって連結され、さらには総括制御が出来ないため、2名の運転手による協調運転となっていました。

平成24年8月から銀座線使用時と同じカラーとなって活躍していましたが、車内は桃太郎電鉄のままであったようです。
日立電鉄の廃止以降、銀座線用車両の活躍する最後の路線でしたが、伊予鉄道からの譲渡車に後進を譲り、引退となります。





113系 内房・外房線:新聞輸送列車 (その2)

2016-02-23 01:50:00 | 荷物列車、荷物車
113系 内房・外房線:新聞輸送列車 (その2)


前記事からの続きになります。

ダイヤ改正前の最後の土曜日となった日。
夕刊輸送なので日曜日がなく、休みで撮影に行けるのはこの日が最後。同じような境遇の人たちが集結しました。
あまりの数の撮影者に一般人も加わり、2番線側はパニック状態。
危険を察してか、荷物ホームの3番線を急遽開放するというサービスが行われました。


※撮影は、平成22年3月6日、両国駅にて。荷物電車、最後の土曜日夕刊。




赤い絨毯が敷かれた第2ホームへ。
私は一番階段から遠いところにいたので他の人たちより出遅れてしまったのですが、発車までまだタップリ時間もありましたので、余裕で見て回ることができました。




間近に見ることができた締切幕。




3番線を開放した時には既に荷物となる夕刊の積み込みは終了しており、残念ながら窓越しからの写真しか撮ることが出来ませんでした。できれば積み込んでいる最中の撮影をしたかったですが、仕事の邪魔になってしまうでしょうから仕方ありませんね。

新聞は床に置いてあるものと座席に置いてあるものがあります。着駅順に整理されているんでしょうね。



荷2331M

先頭となる8号車。編成は206F。
「回送」表示が勿体無いですが、「荷」とか「荷物」は無いでしょうな・・・




他の駅に移動して撮る気力もなかったので、発車まで残ることにしました。テツが殆ど消えてしまったので、最後は209系500番代との並びを撮るほどの余裕が。




備品としては非常にキレイな台車たち。あと1週間で働く場所をなくしてしまう彼らは、一体どんな気持ちで明日の仕事を待っているのでしょうか・・・。




4番線側には搬路が設けられ、トラックはここに着けられるようになっていたんですね。多分、むかし急行列車が発着していた頃は、こんな風になってはいなかったんではないかと思います。




後部は115F。
もうすぐの発車に備えて車掌は待機済み。
最後の1ショットをしつこく・・・




最後にホーム端から去り行くシーンを撮影しようと思ったら・・・発車してしまいました・・・




113系になってからは全く縁がなかった新聞輸送列車。この期に及んで最後の見送りとは、自分的にも図々しいという自覚があり、気持ちは重かったです。
しかし、最後になるであろうこの日に、3番線を開放して見送りをさせていただいたことに気持ちは晴れ晴れとし、より深い思い出として心に残りました。
おそらく危険回避のために特別開放という措置を選択されたこととは思いますが、貴重な時間を与えてくださったJR東日本、両国駅の皆様に、心より感謝申し上げます。

最後にホームに残ったのは10名程度でしょうか。赤い鮮やかな絨毯を出来るだけ踏まないように、帰途につきました。

そして、平成22年3月12日(金)をもって、新聞輸送列車は終焉を迎えました。



113系 内房・外房線:新聞輸送列車

2016-02-21 19:22:00 | 荷物列車、荷物車
113系 内房・外房線:新聞輸送列車


総武本線~内房線・外房線に向け、夕刊紙の輸送が行われていました。
道路事情の悪い内房・外房各線へは、時間的に確実な新聞輸送が列車により行われました。
国鉄時代は都心でも同様な対策が行われていましたが、コストや車両維持の事情などから次々とトラック輸送に転換され、ごく一部に存続しているものの、専用列車による輸送としては房総地区が最後となり、既に鉄道ブームが到来していたこともあって、廃止に当たってはマスコミにも大々的に取り上げられました。


※撮影は、平成22年3月6日、両国駅にて。荷物電車、最後の土曜日夕刊。

荷物列車が入線する3番線ホームは立ち入れないので、2番線側からの撮影となります。
時間が経つに連れ、テツや一般人が続々と押し寄せてきます。




両国駅に到着したのは12時過ぎくらいでしょうか。
折り返し発車となる13:18までは1時間あるので、荷電の姿はまだありません。しかし、夕刊の束は既に到着しており、積み込み準備が始まっています。




トラックがホームに着けられており、次々と新聞を下ろしていました。急行列車が走っていた時代に何回か訪れた始発ホームですが、こんな構造になっているのは知りませんでした。




既に積み込み位置にセッティングされている新聞もありました。











12時50分頃、荷物電車となる回送列車がやってきました。
クモユニ143が撤退して以来、113系4連×2の8両編成と、荷電としては異例の長さです。これも配置車両の効率的運用からなる仕方のないものでした。




積み込みの光景もこんなポジションからしか撮影できません。




ホームでの異様な光景に、一般の乗客の方々も注目してます。




そして113系に群がるテツたち。「黄色い線から出ないでください!」という放送が絶え間なく鳴り響く中、言われているそばから黄色い線を越えるテツたち。耳が悪いのかアタマが悪いのか、性質が悪いのか・・・。まあ、これだけ大勢いると仕方ないですかね。←親ブログから再掲。




溢れるテツたちの間からの記念ショット。




荷物の搬入が終ると、荷物専用の仕切り幕が設置されました。これも一般車を使用する荷物輸送ならではの光景。

最初で最後となってしまいましたが、記念写真は撮れたので、「やっぱり来て良かったな・・・」と思いつつ元の錦糸町寄りに移動。さて、発車をここで見送るか、何処かの駅へ逃げて走行写真を撮るか・・・考えていたわけですが。

ここでまさかのアナウンスが・・・

「本日の夕刊電車ですが、3番線ホームを本日に限り開放いたします。秋葉原寄りの階段を下りて・・・」


そんなことがあって良いのでしょうか!またとないラッキーチャンス。締切られたりしないうちに、急いで3番線へと向かいました。

続く



キハ40系:五能線深浦駅にて

2016-02-15 00:06:00 | 国鉄・JR普通列車
キハ40系:五能線深浦駅にて


風光明媚な路線として有名な五能線。
観光用のジョイフルトレインを複数運行している路線としては、JRでも随一と言えると思います。
そんな五能線ですが、過去に1度だけ踏破したことがあります。



昭和62年12月14日 五能線 深浦駅にて

乗継だったか交換待ちだったか忘れましたが、深浦駅での並びシーンです。五能線の駅の割にはしっかりした駅だったので、あまりひなびた雰囲気ではないですね。
私たちが乗っていたのは左側で、キハ40系の2連。反対側がキハ40+キハ28のようですね。

JRになって間もない頃ですから、例のJRシール以外に塗装変更なども無く、まだ国鉄らしい雰囲気でした。

海沿いに出た時、TVでしか見たことのなかったその素晴らしい風景に感動したものですが、延々と続く同じ景色に飽きてしまい、途中からは爆睡・・・北海道からの帰り道で、かなり疲れていましたね。
やはり乗り鉄には向いていないようです。




EF641000番代牽引:寝台特急「あけぼの」

2016-02-11 20:54:00 | 国鉄・JR特急列車
EF641000番代牽引:寝台特急「あけぼの」



平成21年5月23日 EF641032牽引

平成21年3月改正において、EF81牽引からEF640番代の牽引にバトンタッチされた「あけぼの」。基本的には高崎から長岡へ移動したEF6437EF6438が牽引の任に当たったが、時折1000番代が充当されることもあった。
写真は、まだ双頭連結器化される前の1032号機牽引、上り「あけぼの」。



平成21年6月7日 EF641031牽引

37号機と38号機のサイクルで単純に運用される機会が多く、双頭連結器改造の1030号機や1031号機の牽引が待たれたが、この日、初めて双頭連結器の1000番代が充当された。
この写真は鉄道ファン誌にも掲載された。



平成23年1月23日 EF641053牽引

37号機・38号機牽引による運転は、寝台特急「北陸」の廃止によってわずか1年で終了。また元の余力に戻った長岡から一般形2両は放出され、「あけぼの」は1000番代6両による運転となった。
写真は、5時間遅れでの上京。一番良い光線状態。



平成23年3月6日 EF641031牽引

浦和駅高架工事関連で、貨物線を迂回して走行。川口から本線に戻っている。



平成23年5月21日 EF641052牽引



平成23年6月5日 EF641030牽引



平成24年5月4日 EF641032牽引

悪天候時は基本的に撮影に行かないが、金町のHさん乗車ということで記念撮影。
1032号機は、甲種回送繁忙により双頭連結器に追加改造された。



平成24年5月27日 EF641031牽引



平成24年6月24日 EF641030牽引



平成24年7月28日 EF641051牽引

冬の遅れは定番だが、近年は台風や豪雨での遅れも目立った。当該列車は2時間半遅れ、「北斗星」と同じくらいの時間に通過した。



平成24年11月3日 EF641052牽引



平成25年3月10日 EF641030 推進回送



平成25年4月6日 EF641051牽引



平成25年4月13日 EF641052牽引



平成25年7月21日 EF641053牽引



平成25年9月14日250914 EF641051牽引



平成26年3月14日 EF641031牽引 下り最終「あけぼの」



平成26年3月15日 EF641052牽引 上り最終「あけぼの」

平成26年3月改正により、歴史ある寝台特急「あけぼの」が廃止された。
臨時列車としての運転も既に発表されていたが、最後は別れを惜しむファンで賑わった。
これで通勤時間前の上野口夜行列車は、すべて消え去ることになる。



平成26年5月24日 EF641001 「あけぼの」

好きな塗装ではないが、これが牽いているところも見てみたかった・・・


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