マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

485系非貫通型:特急「ひたち」

2012-02-29 00:30:00 | 国鉄・JR特急列車
485系非貫通型:特急「ひたち」


特急「ひたち」は、昭和44年10月に上野~平を結ぶ季節列車として誕生しました。
車両はキハ81を含む80系気動車で、特急「いなほ」の間合運用のかたちを採っていました。
昭和47年10月、羽越本線の全線電化により「いなほ」が485系化。これにあわせて、特急「ひたち」も仙台運転所の485系を使用するようになりました。
485系は仙台運転所持ちの9連又は12連が使用され、9連は「あいづ」と、クロを含む12連は「ひばり」「やまばと」と、クロを連結しない12連は「ひばり」と共通運用を組んでいました。

その後、フリークエンシーによる整備が始まると短編成化が実施され、サロを含む9連のみ、さらにはサロを連結しない7連へ変化していくことになります。

今回は、枚数は少ないですが、国鉄色時代の485系非貫通型300番代の画像をご紹介いたします。



昭和52年頃 上野駅にて

53・10改正前のため、ヘッドマークは文字マークとなっています。
中央改札方のクハとなっていますので、12連のクロが300番代に置き換わった直後くらいかもしれません。



昭和57年10月12日 常磐線 土浦~荒川沖間にて

上越新幹線の開業直前。まだ短編成化が実施される前ですね。後部が写っていませんが、影から察すると食堂車なしの9連編成(「あいづ」と共通)ではないかと思われます。



平成元年5月5日 常磐線 土浦~荒川沖間にて

既に九州から大量のボンネット初期車がやってきた後になります。
編成は食堂車無しの9連に統一、ボンネット車が幅を利かせていて、非貫通型の割合はかなり少なくなっていました。

この後7連化となり、塗装変更や併結の14連化も行われていますが、新塗装に食指が動かなかったこともあり、まったく記録として残っていません。
ボンネット型は別の機会にご紹介いたします。

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クモエ21009 救援車:伊那松島機関区

2012-02-28 00:30:00 | 旧型国電
クモエ21009 救援車:伊那松島機関区


救援車は、大規模な鉄道事故が発生した際に、現地へ出向いて救援活動を行うための車両です。そのため、車内には様々な工作機械等が用意されています。
車両種別としては電車と客車があり、気動車の救援車は存在しません。非電化区間においては客車で用が足りるということによります。

飯田線においては、当時機関区のあった伊那松島と中部天竜に救援車が常置されていました。
飯田線は、天竜峡から中部天竜辺りまで天竜川沿いの狭い場所を通っているため、救援用の機材を車外に搬出するにあたり、サイドから降ろすことが出来ない状況にあります。このため、車外に資機材を下ろすためのクレーンを線路方向へ伸ばすために、前面が大きく観音開きで開くようになっているという特徴があります。



昭和56年11月23日 伊那松島機関区にて

これは2度目に飯田線を訪れた際、初めて同所に行った時の写真です。
初めてだったので中に入れてもらえると思わず、一般道から撮りました。一番奥まっていたところに止まっていたので写真は撮り易かったのですが、特徴ある反対側を撮ることができませんでした。
この手の救援車は「クエ」を名乗って自走式ではないタイプが多く存在するのですが、線形の特殊性でしょうか、自走の出来る「クモエ」となっていました。



昭和58年2月23日 伊那松島機関区にて

記録によると、同線に6回目に訪れた時。この時は機関区の中央辺りに止まっていました。
検査が上がったばかりなのでしょうか、下回りなども非常にキレイになっています。
そして、特徴のある前面も堂々と撮ることができました。



昭和58年8月6日 伊那松島機関区にて

飯田線の旧型国電、最終最後のさよなら運転の日に撮影したものです。機関区は入りたい放題の開放で、大勢のファンで賑わいました。
この日はファン大サービスが行われており、このクモエ21009もなんとパンタグラフを上げて展示(と言うか留置)されていました。検査入場でもないと撮影できない姿です。


昔の古い写真を見ると、飯田線に常駐していた救援車は、前面に白い大きな三角と、黄色い丸の警戒色が付いているのが特徴でした。ただ、それもかなり昔の話であって、私が初めて逢った頃は既に無くなっていました。

救援車というのは、機関区など車両区の片隅に止まっており、なかなか撮影の機会が無いのですが、この飯田線の「クモエ21009」の特徴ある車両だけは撮りたかった。そして幸運にも、こうやって記録を残せておけて大変良かったと思います。

1つ悔やむとすれば、中部天竜区に常駐していた木造救援車の写真が撮れなかったことでしょうか。

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直流型電気機関車:EF651056~1068(6次車その1)

2012-02-27 00:30:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
直流型電気機関車:EF651056~1068(6次車その1)


EF651000番代は、先に誕生した0番代一般型や500番代の改良版として誕生したマイナーチェンジ車です。
主な改良点は、寒冷地での使用に応えるために耐雪耐寒を装備しており、また、同じく寒冷地での重連運用を考慮して貫通扉が設けられすべての車両が重連仕様となっている点において、0番代一般型や500番代と大きく異なります。
貨客両用の装備もあることから、PF型とも称されています。

5次車の製造で一旦終わったかのように思われたPFですが、昭和50年に製造が再開されました。それまでの菱形パンタ(PS17)からクロスパンタ(PS22B)が搭載され、かなり印象が変わっています。
6次車は昭和50年度~51年度にわたって製造された1056号機以降が該当し、1068号機までが50年度債務車となります。本日はこの昭和50年度債務車である1056号機~1068号機まで、かなり枚数がありますがご紹介いたします。



1057号機 平成22年1月31日 2082レ 3色更新色


1057号機 平成23年2月19日 3086レ 2色更新後

※ EH500の代走を務めた珍しいシーン。



1058号機 平成22年9月26日 4094レ 3色更新色


1058号機 平成23年12月16日 7071レ2色更新後



1059号機 昭和57年7月頃 大宮機関区

※国鉄時代。JR化後に試験塗装化され活躍したが、撮影前に廃車されてしまった。



1060号機 平成20年11月22日 +DE10 3色更新色


1060号機 平成22年5月22日 大宮車両所にて 2色更新後
 
※2色更新中にフェアで展示された。



1060号機 平成22年12月28日 3075レ 2色更新後



1061号機 平成21年9月20日 2082レ

※ナンバープレートが車体色青色と同じく塗られた随一の変形。



1061号機 平成24年1月29日 3055レ

上の写真を撮影して間もなく廃車になってしまったと思われたが、なんと復活し、話題になっています。



1063号機 平成21年5月9日 3色更新色


1063号機 平成22年5月22日 大宮車両所にて 3色更新色
 
※更新工事施工前にフェアで展示された、更新前の最後の姿。



1063号機 平成22年8月1日 2071レ 2色更新後



1064号機 平成24年3月16日 8283レ 廃車回送

悲しいですが、廃車回送シーンです。
ちなみに、編成はEF651080+EF651055+EF651064。




1065号機 平成21年1月17日 大宮駅にて 3色更新色



1065号機 平成22年7月18日 2071レ 2色更新後



1066号機 平成22年5月29日 2071レ 3色更新色



1066号機 平成23年12月17日 3055レ 2色更新後



1067号機 平成21年9月5日 2082レ 3色更新色



1068号機 平成22年1月24日 2082レ 2色更新後


掲載後にフィルムスキャン等で過去写真を発見した場合は、この記事に追加掲載いたします。その場合は青字で表示いたします。

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只見線:キハ55のサボ 

2012-02-26 00:30:00 | 国鉄ローカル線
只見線:キハ55のサボ


昭和57年1月、東北線の撮影から上越線の撮影に抜ける際、無謀にも真冬の磐西~只見線を使って移動しました。
もうこの頃から温暖化の影響があったのでしょうか、只見線は何の支障もなく走っていました。昔は急行列車を計画運休するほどの豪雪地帯だったんですがね。





昭和57年1月4日 国鉄 只見線

ずっとキハ58のサボを撮っていたと思ったのですが、良く考えたら、キハ58系のサボは向かって左側ドアの右上についています。
これはどう見ても車体センターの下部。急行塗装でこの位置と考えれは・・・そう、キハ55系ですね。そう言えば、キハ55に乗り、走行音を録音していましたね。あのテープ、どこに行ってしまったろう。

こういうサボの写真は、アップで撮ってしまうと車両の状況を隠してしまいがちですね。
センターについているサボだったら、少し引いて形式と一緒に撮っておきたいもんですが・・・もう、こんな車両も無くなってしまいましたね。

誰の乗り降りも無い静寂なローカル線。エンジン音の響きだけが聞こえる車内で、終点のこいでまで乗り通しました。


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伊豆急行電鉄:2100系 リゾート21

2012-02-25 00:30:00 | 私鉄(中小)
伊豆急行電鉄:2100系 リゾート21


伊豆急行電鉄2100系は、昭和60年7月に営業を開始した、当時の同社の目玉列車。
それまでハワイアンブルーを基調とした100系・1000系を使用していましたが、100系の更新に当たってそれまでの方針を転換、ある意味、今までの常識を覆す普通列車用電車が誕生しました。当然、当時もかなり話題になっていました。

伊豆にはそれほど訪れる機会は多くありませんでしたが、何とか撮れた車両もありましたのでご紹介いたします。



平成8年10月27日 伊東駅付近にて 4次車

バンパーの部分にちゃんと「Resort21EX」と書いてありますし、運転席・展望窓にピラーが無いので、明らかに4次車だと判別できます。
現在は、2代目「黒船号」となっておりますので、今となっては誕生時の貴重な姿となります。



平成8年10月27日 伊東駅付近にて 3次車

バンパーの「Resort21」は同じ表記ですが、位置が微妙に違います。
下の車輌は現在のようにスッキリとしたスカートですが、上の車輌はスカートの左右に一対の通風孔があります。
晩年の姿は何れもスッキリとしたスカートになっており、スカート周りが改造(取替え?)されてしまったようです。

運転台のパネルが運転席と助士席にまたがった一体型であること、戸袋窓が後方の客室窓側に寄っていることから3次車のようです。



平成8年10月27日 伊東駅付近にて 1次車

全面手すりの数の違い及び最大の特徴となる連結器カバーを擁するのは1次車です。
写真ではオリジナル塗装ですが、その後初代「黒船号」となり、平成18年3月をもって廃車となっています。





平成20年3月9日 網代駅にて 2次車

これは唯一撮っていて2次車のようですね。平成21年5月末をもって引退となっています。バンパー部に「Resort21」の表示が無いのが気になります。





平成20年3月9日 伊豆多賀~網代間にて 4次車 2代目黒船電車

同日、ラッキーにも黒船電車を見ることができました。



平成20年12月20日 熱海駅にて 3次車

現存するリゾート21としては最古参になりますが、1・2次車が100系の部品を流用したのに対し、3次車からは完全新製車となっていますので、もうちょっと長持ちが期待できます。
平成23年に100系風塗装にリニューアルされてしまい、このオリジナル塗装は消滅してしまいました。


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