20系&14系ハザ:急行「十和田」
「十和田」は、上野~青森を結ぶ急行列車。
線路容量の関係と思われますが、青森への夜行は常磐線経由の方が運転本数が多く、寝台特急「ゆうづる」が5往復運転されている中、これを補完する夜行急行「十和田」も季節列車を含めて5往復設定されていました。(後に「ゆうづる」は「十和田」を格上げして7往復まで成長。)
昭和50年代初頭までは、「十和田」は5往復とも旧型客車により組成されており、編成は寝台重点のものや座席重点のものなど多様に設定されています。
昭和51年、24系25形100番代が登場するようになると、20系客車淘汰が加速度的に早まり、急行列車にも20系客車が充当されるようになります。
そして、昭和52年9月、「あさかぜ」「瀬戸」及び新大阪~下関を結ぶ寝台特急「安芸」に25形100番代が投入されると、この捻出された20系が客車が急行「十和田2号」に充当されることになりました。資料によれば、20系客車を使用した急行列車としては「銀河」「天の川」「新星」に続き4例目となるようです。
上記3列車は寝台専用急行であったため、編成をそのまま充当されましたが、「十和田」の場合は寝台専用列車ではなかったため、ナロネ21を座席改造したナハ21を編成中3両連結し、旅客の便を図りました。20系誕生以来、座席車を寝台化したことはありましたが、寝台車を座席化したのは初めての例でありました。
EF80に牽引され上野駅20番線に到着した20系「十和田」 カヤ21
1号車に連結されたナハ21のサボ
最後部のナハネフ22
写真はいずれも昭和52年~53年初頭頃、上野駅にて撮影したものです。
「銀河」の登場時と同様に、テールマークは「急行」でした。
資料を調べたところ、「十和田」が20系寝台客車で運転されていた期間は意外に長く、昭和57年11月(上越新幹線開業)でした。その際、「十和田」は12系座席車化されています。
この20系編成はそのまま「津軽」に転用されましたが、座席車が少ないために苦情が多発、わずか9ヵ月半で季節急行「おが」に使用していた14系客車と交換され、以降廃車となるまで「おが」に使用されていました。
昭和57年11月 上野駅13番線にて EF8021牽引 14系「十和田」
長躯青森から到着した「十和田6号」です。もちろん牽引機はEF80です。
57・11改正直前の「十和田」は、12系の定期、20系の定期、そして14系の季節列車がありました。
14系季節列車も、いわゆる学校で言う休み時期は殆ど運転されており、北海道の旅行などでは重宝した列車でした。私も2度目の北海道の帰りにはこの「十和田」で帰ってきた経験があります。
発着番線は、上野駅における新幹線工事の影響で、改正ごとにちょくちょく動いていたようですが、末期の頃は13番線だったようです。
こちらの写真は、入口やサボ周辺を撮影したものです。新幹線開業直前はこのような写真を撮っていました。
昭和57年に撮ったものですが、上の写真と同一日か、確証はありません。というか、撮った記憶すら実はありませんでした。
平成元年5月5日 常磐線 荒川沖~土浦間にて EF81+14系「十和田」
上越新幹線の開業に伴う57・11改正までは3往復が設定されていた急行「十和田」でしたが、同改正によりわずか1往復にまで減ってしまいました。
さらに、新幹線の上野開業である60・3改正では臨時化され、皮肉にも季節列車として長年運用されていた14系座席車による編成が最後まで残りました。
臨時急行となった「十和田」は、平成6年12月のダイヤ改正と比較的遅くまで残り、この間に、牽引機は全廃のEF80からEF81へとバトンタッチしています。
そんな中、偶然にも撮ってあったEF81牽引の14系「十和田」。「北斗星」の運転開始から1年を過ぎた頃でしたので、既に星ガマになっています。
あまりマークすることの無かった常磐線の列車でしたので、EF81が牽引する14系座席車の写真は、僅かこの1枚だけとなってしまいました。
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