マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

キハ35系 職員輸送:川越線→大宮操車場

2021-12-28 09:10:00 | 駅・停車場・操車場
キハ35系 職員輸送:川越線→大宮操車場


貨物大合理化が行われた昭和59年2月ダイヤ改正まで、大宮操車場では朝の通勤時間帯に職員輸送用の列車が走っていました。


定期列車の川越線が大宮到着後、客を降ろすとそのまま回送扱いとし、大宮操車場の職員を乗せて西部入換(下り発着線の位置)まで職員輸送を行っていました。

大宮操車場の発着線はすべて電化されていましたが、当時の川越線は非電化でしたので、キハ35系4連を延長のように使用していました。




構内が大雪の画になっていますので、おそらく昭和59年に撮影したものではないかと思われます。このシーズンは非常に雪が多く、入換でも泣かされたものですが、既に廃止を間近に向かえた職員の心情としては、お別れの記録作りに恰好の演出を提供してくれました。


列車は入換扱いで下り線を逆走、下り発着線(現在の国の合同庁舎付近の位置)まで走り、折り返してまた大宮まで戻って来ました。この写真は返しの写真となります。
返しには乗ったことが無かったので、大宮機関区に入庫したのか、大宮駅まで行って定期列車に充てたのかまでは定かではありません。


この列車では始業時間ギリギリの到着となるため、当時一番下っ端であった私などは、余程さらに下の職員(私は同期の中でも一番早く配置されたので、既に同じ年の後輩がいた)が同じ出番にならない限りは、使用できるものではありませんでした。そんなことで、ほぼ2年間配属となってしましたが、10回も乗ったことが無いと思います。


当時はキハ35系そのものが珍しくも貴重でもありませんでしたので、カメラを向けることは殆どありませんでした。
そのため、大宮操車場構内を走る同列車を撮った写真というのは殆ど無く、広大な発着線をノンビリと走る同列車の風景を撮らなかったことは、非常に勿体無いことをしたと思います。


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新京成電鉄:8000形

2021-12-24 23:39:00 | 私鉄(中小)
新京成電鉄:8000形


私のアンテナ外だったようで知らなかったのですが、永らく新京成の顔として活躍してきた8000形が令和3年11月1日をもって引退となってしまったようです。

8000形は昭和53~60年に掛けて6両編成9本が製造され、同社初の冷房車となっていたそうです。
非貫通2枚窓が独特なデザインで、タヌキさんの愛称が付くのも納得。

初めて京成電鉄の写真を撮りに行った際、京成津田沼で同車を見掛けました。昭和54年5月頃ですので、まだ登場間もない頃。吊り掛け電車が幅を利かせていた時代です。その際に写真を撮ったような記憶があるのですが、ポジフィルムの水害により行方不明。登場島しょの写真なので探してみようと思います。


その後、時代の移り変わりとともに他の新車が導入され、さすがに影が薄くなってきた8000形。あまり撮り歩きをすることがなくなり、現場仕事も基本的には都外に出ることがなかったので、殆ど出会う機会はありませんでした。それでも、チャンスがあればと押さえておいたものがありましたので、少ないですがまとめとしたいと思います。



平成21年10月11日 京成津田沼駅にて 8508F

京成リバイバル色を追い掛けて行ったときに同駅で見掛けたためにとりあえず。
何やら賑やかなラッピングが施工されていました。






平成30年7月1日 松戸駅 8514F

新金線経由の団体列車に乗車する際、少し早めに出て松戸駅で撮影したもの。
各形式が均等に現れ、8000形も撮影することができました。

未だに1回も乗ったことが無い新京成。目玉が無くなってしまい、益々足が遠退きそうです。


新京成電鉄:吊り掛け式電車 モハ204


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2022年 ダイヤ改正(京王・小田急)

2021-12-20 02:25:00 | ノンジャンル
前記事にてJR東日本のダイヤ改正について記しましたが、同時期に発表された首都圏の大手私鉄についても斜め読みしてみましたので、個人的に気になる部分だけ触れておきたいと思います。

京成電鉄や東急電鉄についてはまだ発表が無いようですが、やはりコロナ禍の影響に伴う生活様式の変化、これによる日中時間帯を中心とした減量化が各社共通の方針のようです。
これは利用者にとって改正ではなく改悪的なものと言えますが、各社とも大幅な減収を余儀なくされたことから、仕方なしと捉えるしかないと思います。


今回の発表で一番衝撃的な内容だったのは、やはり小田急電鉄の50000形ロマンスカーqVSEの早過ぎる引退でしょう。
VSEの同期として、JR東日本のE531系や東武の50000系などがありますが、いずれも路線の主力として活躍し、引退の「い」の字が全く見えない現状です。20年にも届かない同車の引退は本当に早過ぎです。
2編成しかないこと、連接車のために車体長が違うこと、ここに来て小田急ロマンスカーのトレードマークであった構造がホームドア設置の障害となってしまったことなど、時代の趨勢に合わないことがネックになってしまったと考えられます。
VSEに関してはそこそこ写真を撮っていますので、いずれまとめをすることになります。


そしてもう一つ、意外な消滅となるのが京王電鉄の「準特急」という列車種別。
全国的にも珍しい種別で消滅は残念ですが、特急との差別化を改め、種別を統合するという意図のようです。
現場仕事時代、何度も京王を利用したことがありますが、これと言ったネタが無かったこと、新線の利用が多かったことから、準特急の写真が殆ど見つからない状態でした。
今後もあまり利用が期待できないため、勤務先が新宿であるにもかかわらず、今後の短い期間で記録できるかどうか微妙です。


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2022年 JR東日本ダイヤ改正

2021-12-19 00:50:00 | ノンジャンル
2022年ダイヤ改正について、JR及び私鉄各社から発表がありました。

ボリュームがあるのでまだ殆ど目を通していませんが、とりあえずJR東日本について、自身のブログのまとめや記録の方向性から、個人的に気になる内容をメモしておきたいと思います。



横浜支社

・相模線のE131系化により全面的にワンマン化が実施されます。
これにより、205系500番代が撤退となり、同時に横浜線八王子への乗り入れが廃止されてしまうそうです。


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八王子支社

・八高線・川越線川越以西のワンマン化が実施されます。
これにより、青梅線~中央快速線への乗り入れ列車が廃止されるそうです。また、八高線乗り入れと併結していた五日市線への直通も廃止されるということです。


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大宮支社

・「成田エクスプレス」の新宿~大宮間が廃止となり、2往復あった大宮発着の列車が廃止となります。
ただし、入庫の関係があるので、地元で見られなくなるのかどうかの詳細は不明です。

・都落ちして日光線・宇都宮線で運用されていた205系が撤退となり、E131系化され、ワンマン運転が行われます。
撤退する205系には「いろは」も含まれるそうです。

・同時に、宇都宮~黒磯間からE231系・E233系によるグリーン車を含む編成の乗り入れが一切なくなってしまうそうです。


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高崎支社

・八高線の高麗川以北の非電化区間において、一部を除きワンマン化されます。


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新潟支社

磐越西線の新潟~会津若松間に1往復設定されていた快速「あがの」が廃止されます。



今回の改正は、コロナ禍による出控えの影響を大きく反映し、運転本数や範囲の削減が目立っているように思います。
気になったのは、E231・E233系や水戸支社のE531系の運用範囲が大きく狭まったことにより、そこで発生した余裕をどうするのか?ということです。
水戸支社はE531系による上野行きの普通列車の殆どを品川行きとしたため、この運用増を車両増備なしにするための措置と想像できます。
東北・高崎線の方は上野東京ラインや湘南新宿ラインの運用増が見えないので、良く分かりません。

日光線から107系が撤退する直前に撮影に行き、まだそれほど経っていない印象ですが、当時導入され始めた205系がもう撤退とは、ちょっと驚きました。
「いろは」が登場したのは2018年4月。金掛けて改造した割に大して使われていないような気がしますが・・・。

2月中くらいまでに遠征できるチャンスがあるかどうか・・・


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583系 クハネ581:特急「はつかり」(常磐線)

2021-12-12 20:05:00 | 国鉄・JR特急列車
583系 クハネ581:特急「はつかり」常磐線


既にアーカイブ済みの特急「はつかり」ですが、先般、金町のHさんより常磐線を走る特急「はつかり」の貴重な画像の提供を受けましたのでご紹介したいと思います。

特急「はつかり」が誕生したのは昭和33年10月。特急「つばめ」が電車化されたことにより余剰となった客車を転用した客車編成で、東北初の特急列車として設定されました。
昭和35年12月、特急形気動車の開発によりキハ80系(キハ81)よる運転が始まります。開発を急いでしまったために故障・不具合が多発したことは有名です。

そして昭和42年に誕生した世界初の電車寝台の特急形車両581系が誕生。翌43年には50Hz区間も走行可能な583系が追って製造され、全線電化された東北本線に導入されることになります。
この583系による「はつかり」の運転は昭和43年10月ダイヤ改正からとなりますが、その導入はやや前倒しとなり、改正前月の昭和43年9月より、気動車時代のスジのまま、常磐線経由で運転が開始されました。



昭和43年9月頃 常磐線 金町~松戸間 特急「はつかり」
※金町のHさんよりご提供。

常磐線の江戸川橋梁を行く583系による特急「はつかり」で、登場当初のためクハネ581が両先頭に連結されています。
この時代はまだ片側のみ旧橋が使用されていたようで、右側には新しい複線分の橋梁が架橋されている様子が分かります。

583系が誕生した当初は電動車のみの対応となっており、共通して使用できる付随車は581のままになっています。しかし、MGの小型化により床下装備が可能になったことにより、クハネ583が誕生し、定員の増加を図ることができました。昭和45年のことでした。
これにより、混雑が激しかった青森車はすべてクハネ583に交代し、余剰となったクハネ581はすべて西日本へと転属しています。

そしてこの常磐線経由の583系「はつかり」ですが、昭和43年10月1日改正より正式に東北本線経由として再出発となる前、同年の9月9日より先行導入となったため、わずか3週間のみ見られた姿となるそうです。その後昭和45年8月に臨時特急「はつかり」として常磐線経由で運転されたことがあるそうで、おそらくその時にはこの橋梁の様子も変わってしまったことでしょう。

そんな1枚の写真、クハネ581であること、常磐線であること、旧江戸川橋梁を渡っていること、どれを取っても貴重な時代の記録となっています。



ちなみに・・・
クハネ581は581系と言われがちですが、581系に属するクハネ581は-9番までであり、-10番以降は583系に属する車両となります。この583系クハネ581は青森と南福岡へ導入されていますが、青森車についてはタイフォンにシャッターが付いた開閉式を採用し、雪の侵入防止を図っています。クハネ583導入によりクハネ581青森車は南福岡へと転属しますが、開閉式のタイフォンのまま使用されたため、西日本に見られるクハネ581の中でも東北出身であることが一目瞭然で判る姿で走っていました。



特急「金星


特急「しらさぎ2号」

名古屋発着として異色の寝台特急だった「金星」。間合い運用で「しらさぎ」にも充当されており、当時は唯一となる北陸本線運用でした。



特急「雷鳥」

「しらさぎ」は昭和53年10月ダイヤ改正で消滅しますが、変わって大阪発として特急「雷鳥」に4往復が設定されます。しかし、これには九州特急の相棒がおらず、夜行需要の低迷による485系代わりという位置付けになっていました。※雪害等による運用への支障から切り離す意味があったような・・・。



583系「彗星」 回送

同時期に撮影した九州特急の「彗星」。時間的には「雷鳥」に運用することは可能だったと思いますが・・・。問題は夜発への運用ですかね。

これらの写真を撮影した時代にはそんな事情を考えたこともなかったですが、今こうして調べてみるとある程度の答えが出てきますし、そんな様々な事情があったんだな~と今更ながら感心してしまいます。


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