マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

国鉄 貨車(車掌車):ヨ8000(後編)

2020-05-31 17:24:00 | 貨車
国鉄 貨車(車掌車):ヨ8000(後編)


前記事からの続きです。
KATOから発売のヨ8000は、5月29日金曜日には店舗に並んだようで、ちょうどポイント消化を兼ねてヨドバシカメラへ行ったのですが、割引率が悪くどうしようか考えている間に、なんと最後の1個が後から来た人に買われていってしまいました。
ただ、実物で確認したいところは見ることができたので、記事の続きを進めたいと思います。


一般乗客にはなかなか乗車する機会のない車掌車ですが、国鉄職員時代に大宮操車場駅で2年間入換を担当していた私としては、ヨ8000を含め、ヨ5000、ヨ6000には数えきれないほど乗ったことがあります。

車内設備を見ると、ヨ5000とヨ6000は車体長が違いますが似たような設備で、デスク付きの回転いすと、ロングシートで構成されています。暖房の引き通し管が無いため、暖房装置として石炭式のだるまストーブが設備されおり、室内隅に石炭置き場のような囲いがありました。
また、貨物室と合造のワフ29500も狭いながらも同様な雰囲気でした。

一方、後進のヨ8000は、木張りペンキ塗りの旧型車とは異なり、電車と同様な化粧板を張り付けてあり、蛍光灯の使用により車内は明るく清潔な感じです。
一番の違いはそれまでに無かった便所の設置。これは乗務する列車掛にとって一番の安心感だったと思います。ただでさえ運行時間の長い貨物列車ですから、トイレに行きたくなればそれなりの措置を考えなければなりませんから。
その分、ただでさえ狭い室内がより狭くなってしまったわけですが、一人乗務のためヨ5000ほどの広い空間は必要ないかもしれません。デスクテーブルもキレイで、回転イスは1客しかないコンパクト設計。ロングシートが確保できなくなったため、確かクロスシートタイプが1組あったように記憶しています。
そして、暖房装置としては石油ストーブになったため、点火は楽になったと思われます。



昭和62年5月16日 EF651050牽引 東北本線 上り貨物列車

昭和61年改正時に列車掛の乗務が原則廃止となった車掌車ですが、一部の列車にはまだ連結されていたものがありました。

貨物列車の大合理化が実施された昭和59年2月までは、車掌車の連結が必須でした。
入換の際も、工場入場への車両は別として、車掌車は1つの群線に溜めるようにしていました。大宮操車場下りハンプ入換では、10番線に溜めておいて、必要の都度与野方へ引き上げていました。

車体重量が常に空車であるため、入換でも一番楽な車両でしたね。しかも添乗位置に屋根が付いているのは車掌車くらい。しかし、ヨ8000だけは屋根が添乗位置までないため、雨の日の入換ではハズレでした。また、旧型車よりブレーキが固めなため、ほんの少しだけですが力が必要です。それでも10tしかありませんので、苦労するようなものではありません。
また、冬場の入換で事務所に戻るのが難しいとき、雨や雪が降っていれば暖をとりたいところ。旧型車では燃え切っていない石炭ストーブが心の拠り所となりますが、ヨ8000は石油ストーブのために暖気は残ることがなく、その点でもハズレでした。※旧型車でも石油ストーブに改造されていた車両もありました。

同期でも列車掛の試験に受かり、車掌乗務をしていた人が何人かいました。こんな車両に一人でのんびりというのもありか、と思いましたが、私はお腹が弱いことが分かったので、こんなところで乗るほんの短い旅でも良かったかもしれない。




ここではあまり模型のことを書かないようにしているのですが、今回はちょうど機会が重なったので少しだけ触れたいとおもいます。
今回のKATO製ヨ8000のポイントは、今までの製品にはなかった両端のテールランプ及び室内灯の点灯でしょう。価格も高騰してしまいましたが、この時代としてはやむを得ない価格でしょうか?
そして、手ブレーキ側のステップの白色化ですね。これは、実際に入換で貨車に触れていた身としては非常に大きなポイントです。他社製品もそうですが、細かい部分なので他の貨車でもなかなか表現されませんでした。今までは自分で手塗り表現をしていた部分です。モデラーでも拘る人はあまりいないところかもしれません。
ここを敢えて表現した製品ですが、やはり白色成型の別パーツとなっているように見受けられました。ただし、その分全体が白色となってしまったのはちょっと残念かな?と思いました。
写真のように、実車のステップ踏面には白塗装されていませんので、模型は上から見る機会が多い分、逆に違和感を覚えます。
そしてもう一つの白色表現になりますが、ブレーキがある部分の手すりも白塗装されていなければならない部分です。入換手からすれば、安全に飛び乗るための命綱となる表示だからです。しかし、この部分も実車さえも手塗りされている部分だと思われ、Nゲージのような小さな模型において境目をきっちり塗り分けるのは非常に難しい部分です。

近年ではドアの足摺りや戸当たりのステンレス部分の表現までされているものが製品化され、グレードが非常に高くなっています。それでも、コストを考えるとやはりどこかで妥協しなければならないと思いますので、過度な要求は難しい。
やはり、自分で拘る部分は自分で手を入れて何とかする。モデラーであればそれくらいの気持ちは持っていたいものだと思います。
入換をしていた昔を思い出す度、ブレーキを掛けたくなる衝動に襲われます(笑)。


にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村

国鉄 貨車(車掌車):ヨ8000(前編)

2020-05-28 00:32:00 | 貨車
国鉄 貨車(車掌車):ヨ8000(前編)


KATOから国鉄貨車のヨ8000形がフルリニューアルで発売されるようです。
ヨ8000については、KATOからかなり昔に発売されていましたが、テールランプの点灯しないお飾り状態が続いていました。一方で、TOMIXからはテールランプ点灯のものがこれまたかなり昔から発売されており、個人的にはあまり目新しさは感じていません。

ただKATO製品は、今回のリニューアルでテールランプが前後とも点灯となるそうで、こうした機能としては待望の製品化と言えると思います。

令和となった現時代で、購入或いは興味を示している方は、このヨ8000をどのように見ているのか、非常に興味深く思います。

昭和49年から製造が始まったヨ8000。老朽化したワフやヨを置き換えるために1170両も製造されたそうで、それまでの車掌車(緩急車)とは違い、トイレの設置やストーブの灯油化など、職務環境の改善に大きく貢献しました。

現在でもほんの少しのヨ8000が現役で使用されていますが、用途としては貨物(甲種を含む)で添乗者を伴うようなケースで連結される程度です。
国鉄時代、貨物列車には必ず列車掛(又は車掌)が乗務していたため、混合列車のように客車に車掌が乗務するようなケースを除き、必ず車掌車が連結されていました。
しかし、昭和61年に貨物列車の車掌乗務が原則廃止となったため、ごく一部を除いて車掌車の連結はなくなってしまいました。
つまり、平成生まれの方は、貨物列車に車掌車が当たり前に連結されていたシーンをリアルに見たことが無かったわけですね。






今でも良く見られるのは、大物車による変圧器輸送や甲種回送でしょう。
これは、伴走車として添乗員が乗り込むケースや、留置の際のブレーキを掛けるための目的があると思われます。




車掌車に乗ることができるのは、元国鉄職員である列車掛や車掌のみ。一般の方は乗ることはできません。
しかし、車掌車としての用途廃止後は、大量に余剰となったヨ8000を含む車掌車を使用し、このようなイベント列車を仕立てるようなケースも存在しました。独特な2軸の乗り心地を体験することができた方、大変貴重な経験をしたことになります。

他にも、「ハイパー有明」のように電源設備を搭載して非電化区間への電車乗り入れに使用されるような変わった使われ方を使用されたケースもありました。

個人的には、当時ニューファッションに感じたヨ8000よりも、趣きの深いヨ5000やワフ29500の方が好きでした。この機会にヨ8000を購入される方はどのようなシチュエーションを選ぶのでしょうかね。

後編は、まだ構想が曖昧です。資料というよりコラムチックになりそうですが、気が向いたらまたお越しください。


にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村

名古屋鉄道:3880系

2020-05-23 23:37:00 | 私鉄(大手)
名古屋鉄道:3880系


まだ飯田線にのめり込む前、1度だけ名古屋鉄道に接する機会がありました。

若い世代には想像も付かない時代。東海道本線名古屋~岐阜間ではキハ82系「ひだ」485系「しらさぎ」が当たり前に走り、普通列車は153系、貨物列車ではEH10も最後の活躍をしていました。

初めて下車した木曽川付近では名鉄が並走していました。しかし、フィルムの貴重な高校時代、名鉄電車にはなんの興味も示していませんでした。
そんな時代、2コマだけ名鉄を撮影したものがあります。


※撮影は、昭和55年8月、木曽川堤~黒田間にて。





名古屋鉄道 モ3880形ほか3連

撮影現場へ歩いている最中、並走する名鉄本線に鳴り響くツリカケ音。古い電車が走ってきました。
首都圏でもまだ吊り掛け式電車が最期の活躍をしていた時代で、それほど珍しいものでもなかったかもしれませんが、あまりにも外見の古い電車だったので、反射的に撮ってしまったようです。リバーサルからスキャンしてみました。

ナンバーの大きな名鉄ですが、あまり鮮明ではなくはっきりとは判りません。
そんなこともあって整理せずに10年以上も放置していた画像。この度やっとその素性が判明しました。

名鉄3880系電車で、モ3880+モ3880+ク2880の3連のようです。
しかもこの電車、元東急目蒲線を走っていた電車で、昭和50年頃に名鉄に譲渡されたようなのです。確かに、良く見ると東急電車の面影が見えます。1両目と2両目のドア窓の形状が違うので別形式だとばかり思っていましたが、ここは個体差のようです。

大手私鉄同士の車両譲渡は大変珍しく、当時も大きな話題となったそうです。ただ、当時は東急も名鉄もまったく興味が無かったので、今回の調査で初めてわかりました。

咄嗟に撮った写真で構図も良くなく、資料写真としては何にも役に立ちませんが、こんな古い電車が名鉄本線を走っていた、一つの物語として私の脳裏に焼き付いています。


にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村

名古屋鉄道 1000系:パノラマsuper(リニューアル前)

2020-05-20 07:50:00 | 私鉄(大手)
名古屋鉄道 1000系:パノラマsuper(リニューアル前)


昭和の時代、旧型国電に夢中になり、何度も出掛けた飯田線。豊橋口では名古屋鉄道と線路を共有し、7000系・7500系パノラマカーは嫌ってほど目にしておきながら、1度も写真を撮ったことがありませんでした。
時は流れ、平成17年。愛・地球博の開催にちなみ、名古屋の親戚を訪問するとともに、愛・地球博へ。そして、女房と娘が別行動をする日に名鉄の撮影に行ってみました。

折しも中部国際空港セントレアが開港となり、名鉄特急の体制も大幅に変化しました。
特に、元祖パノラマカーやその後継のパノラマデラックスさえも廃止になってしまうという。ミュースカイの誕生と共に、それまでのフラッグシップとなっていたパノラマsuperも4両編成は2つにばらされ、1200系と手を組むことになります。

当時、この情報を得たのは鉄道ダイヤ情報のみ。どうにか最後の姿を見てみたくて名鉄撮影を試みたのですが、これらの動きは既に終わってしまい、記録することはできませんでした。

最後の7000系を待つも、撮影に訪れた本線では1本も見ることができず、代わりに撮影できたのは6両編成に組み変わった後のパノラマsuperだけでした。


※撮影は、すべて平成17年7月23日、ポジフィルムからのスキャンです。



木曽川堤~黒田間にて 1016F


木曽川堤~黒田間にて 1116F

番号を読み取れる写真はこの2編成しかなかったのですが、偶然にも元4両編成時代のコンビを捉えることができました。



木曽川堤~黒田間にて 編成番号不詳



木曽川堤~黒田間にて 1115F?

しばらくこの区間で撮影していましたが、目的とする車両は通りませんでした。



本笠寺~本屋崎間にて

変化がないので已む無く移動してみるものの、途中の支線でパノラマカーを見るなど、悲惨な結果でした。

しかし、このパノラマsuper編成もここ数年の間にリニューアルされたそうで、塗装の印象もかなり変わってしまいました。
当時はこのような状況に非常にガッカリしたものですが、今となってはこれらの光景も貴重なものとなりました。

名古屋鉄道 1700系+2200系:1704F編成
名古屋鉄道:2200系(登場当初)
名古屋鉄道 2000系:「ミュースカイ」(登場当初)
名古屋鉄道 モ811:荷物電車
名鉄キハ8000系:特急「北アルプス」


にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村

国鉄 スハ43系:スハフ422031

2020-05-16 21:17:00 | 試験・事業車、配給、列車車両等
国鉄 スハ43系:スハフ432031


仕事が多忙で記事を作成する時間もないため、今回は1枚ものです。

かつては普通列車が客車列車ばかりであった東北本線黒磯口の交流区間。
東北新幹線の開業により455系の余剰が大量に発生。電車化を前に、機会があれば旧型客車の写真を撮っておくようにしていました。



昭和58年10月5日 黒磯駅にて スハフ422031

モノクロプリントからのスキャンで、画像がイマイチなのはご勘弁下さい。

スハ43系緩急車のスハフ422031。普通列車の中間に連結されていました。プリントの色調から体質改善工事施行車の青塗装と思われます。
これらの体質改善工事施行車は、主に急行列車に使用されていたと思われますが、この時代ですと殆どの旧型客車による急行列車は12系化又は廃止となっていますので、オハ60系淘汰の玉突きにより普通列車への使用が多くなっていたと思います。
その後、黒磯口にも急行からの転用455系や583系改造の715系などが投入され、終焉を迎えることとなります。

盛岡局の配置となっていたようですが、所属の客車区が良く分かりません。
検索しますと、急行越前さんのブログがHITしましたので、参考にご紹介させていただきます。
1982年10月10日釜石~宮古


にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村