マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

エアーニッポン:YS-11

2021-07-10 17:57:00 | 船舶・飛行機
エアーニッポン:YS-11


日本で最後まで使用されていた航空自衛隊のYS-11が退役したそうです。

すっかりアーカイブを忘れていたのですが、私が最初に乗った飛行機がYS-11でした。
地に足の付かない乗り物に恐怖を感じ、まったく飛行機を使用したことがなかったのですが、時間の都合で初めての搭乗。
その頃には乗り物としての興味を持っており、YS-11が既に希少な機体になっていたことも知っており、一生の記念となる搭乗となりました。


撮影は、平成11年7月17日、大島空港にて。








羽田から到着したYS-11が空港ターミナル前へ。
当時は大島便が3往復ありました。他に調布からの便と大型船がありましたが、ジェットフォイルが導入された悲惨な現状と違い、小さな機体のYS-11では満席となることも良くあったようです。現実、この時の旅程では往きの便はチケットが取れず、已む無く新幹線~高速船を使用しています。




機体に何かマークが付いていると思ったら、エアーニッポンが25周年となった記念のようです。ちなみに、平成16年に便名をANAに統一、平成24年には全日空へ吸収合併された解散となっているようです。当時は航空機の写真を殆ど撮ったことがありませんので、エアーニッポン(ANK)としての記録もこの時限りとなっています。




到着を見守ってからいよいよ初搭乗です。初めての航空機搭乗はジェットコースターの順番待ちをしている感じと似ていたかもしれません。間近でみる飛行機は大きく感じたかもしれませんが、ジェットと比べたら遥かに小さいですね。
操縦席下の〒マークもご愛敬です。




乗る間際もカメラを離さず、記念すべきプロペラも間近で。搭乗口からでは焦点距離35mmでも入りきれませんでした。




機内は想像よりも遥かに狭く、在来線の特急列車よりも窮屈な印象。
友人から「YSにはモニタを搭載していないので、搭乗案内が実演」ということを聞いていました。そんなこともあって、カメラはしまわずに手に持ったまま。
同乗した娘は座席がないので抱っこしたまま、羽田までの航路を満喫しました。

羽田~大島航路は有視界飛行のため、千葉~東京上空からは地上の様子が良く見えました。地図上で見ていたかつての職域であった江戸川区も、江戸川・新中川・荒川が本当に地図どおりなんだと実感。

実際に空を飛んでいるのは30分強くらいだったか、あっという間でしたね。途中で空気の壁にぶち当たるような衝撃を3回くらい味わいました。まあ、今でも恐怖感はあります。

その後、数回は飛行機に乗る機会がありましたが、2度目の航空機利用はなんと航空自衛隊のC-130で、またしてもプロペラ機となりました。


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青函連絡船(船内)

2021-07-04 22:34:00 | 船舶・飛行機
青函連絡船(船内)


前記事で青函連絡船「羊蹄丸」をご紹介したところ、金町のHさんから船内の様子を撮った貴重な写真が送られてきましたので、予定を変更してご紹介させていただこうと思います。


※撮影は、昭和48年12月26日だそうです。



桟橋にて

確か青函連絡船の桟橋は2段になっていて、上段がグリーン席及び寝台、下段が普通席及びカーペット席で差別化されていたと記憶しています。
長距離列車が青森に着くと、改札口とは反対の青函連絡船乗り場に向かって全速力で走る「連絡船ダッシュ」も風物詩となっていました。

私は5往復乗っていますが、カーペット席は飲み物や吸い殻入れをこぼした跡が汚くて嫌だったので普通座席を好んで使用していました。カレーライスを喰って夜行便に乗ると嵐に遭って船酔いするというジンクスがありました。



船内弁当売り場

良く撮ってましたね。
私も青函連絡船の廃止に近い頃に乗っていますが、平常時は勿論それほど興味はありませんでしたし、最後の頃はにわか連絡船オタクでごった返していたので、写真になど撮る気もなかったと思います。食堂も営業していましたし、弁当売り場があった記憶もありません。
とにかく船酔いするのが嫌で動かない人だったんでしょうね。



旅客案内&切符売り場

大きな船だからこそできる芸当ですね。船内で指定券まで発売しており、青森や函館からの切符が手配できるのは便利だったと思います。
私自身は基本的に貧乏旅行しかしませんでしたので、指定は買ったことないですね。「ゆうづる」「はくつる」にも乗ったことがあるんですが、当時は連絡船の中で購入するという意識はありませんでした。
窓口の向かって左に郵便ポストまであります。電報まで受付とは凄いですね。ここで投函された郵便は連絡船内での消印とかになったんでしょうかね?
今考えると、非常にアメージングな乗り物だったんですね。
ところで、窓口氏は杉下右京さんでしょうか?


いつも提供を受けている写真を拝見すると、時代を記録されているなぁ~とため息が出ます。私の人生で一番欠如していたところですね。昔はとにかく写真代の負担が大きかったので、貧乏性が板についてしまったようです。今もってこのスタンスは変わっていないかな。

いつも貴重な写真をありがとうございます。


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青函連絡船「羊蹄丸」

2021-07-03 05:06:00 | 船舶・飛行機
青函連絡船「羊蹄丸


「羊蹄丸」は、昭和40年に就航、青函連絡船が廃止されたのが昭和63年ですから、その活躍は僅か23年です。

私は青函連絡船に5往復、都合10回乗船していますが、何故か「摩周丸」とこの「羊蹄丸」に3回ずつ当たっており、非常に縁の深い船です。

廃止後、整備をして船の科学館で永らく保存されてきましたが、新しい旅客ターミナルの計画が策定となり、これに合わせて保存船もご用済みとなり、四国に送られ解体されるということになってしまいました。

この「羊蹄丸」に乗船した頃は単なる移動手段であったために写真を撮ることもなかったのですが、現場仕事の関係で保存中の同船を撮ることができました。




平成22年9月1日

小笠原出張の際、小笠原丸の船上から撮影した羊蹄丸。
エンブレムはJRからJNRへ復元されましたが、塗分け線が違うようです。



平成23年11月15日

こちらも現場回りの際に「ゆりかもめ」車窓から撮影したものです。
既に情報として「同館リニューアルのため展示を終了しました」ということを知り、下車する時間もなかったので車窓からでもと撮っておいたもの。

譲渡先は、愛媛県新居浜市『東予シップリサイクル研究会』への贈与が決まったとあったのでホッとしたのも束の間、続きを読むと「2012年に新居浜東港で一般公開後、解体され資源リサイクルされる予定」とプレスされており、実際に平成25年4月に解体が完了したそうです。
これだけの巨大物体ですし、さらに保存場所が海水上となりますから、保存するのも大変そうです。青春時代の思い出が一つ消滅しました。




オマケ画像で、羊蹄丸内で発行された急行券。
青函連絡船では、指定席券も含め乗り継ぎの乗車券類が発行されていました。


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小笠原海運:おがさわら丸(2代目)

2016-07-12 23:56:00 | 船舶・飛行機
小笠原海運:おがさわら丸(2代目)


東京竹芝と小笠原父島二見港を結ぶ定期貨客船「おがさわら丸」。
平成28年7月に3代目「おがさわら丸」が就航し、2代目「おがさわら丸」は19年余りの活躍にピリオドが打たれました。

ところで、船ってもっと長持ちするんではないですかね?建造費がハンパでは無く高いですから、4~50年くらい使えないと・・・と思うのですが。


生涯鉄道ファンの私からすれば、まったく縁もゆかりも無い筈の島しょですが、何故か仕事で縁があって小笠原に行かされる羽目に遭いました。
行きたくなかったと言えばそんなこともないのですが、実際に行ったことでもう行きたく無くなってしましました。
小笠原は本当に良いところです。自然豊か、天然の楽園。島の人たちも親切。見るところも沢山あるし、自然を体験するのも、古来生物を学ぶのも良し。
問題は交通機関です。基本的にはこの「おがさわら丸」に乗らないといけないのです。

2代目「おがさわら丸」では、片道25時間半も掛かるのです。往復で51時間。母島になるとさらに・・・苦痛以外の何物でもありませんでした。



平成22年9月3日 小笠原村父島 二見港にて

夜、あまりにも暇なもんで、港をブラブラすること毎日。
この日は暇つぶしに港でバルブをやってみました。まだこの頃は初購入のCanonパワーショットでした。
往復51時間も生活を共にしながら、写真を撮っていたのはこの1枚だけでした。昼間も竹芝で目撃した記憶があるのですが、写真には撮っていなかったみたいです。つまり、この暇つぶしのバルブをしていなければ、1枚も写真を撮っていなかったことになります。ハハハ・・・って感じですね。

新しい3代目は24時間ちょうどになるそうです。竹芝の出港が1時間遅く出来ること、大変大きな意義があるそうです。
多分、中身は2代目よりもずっと良くなっていることでしょう。



青函連絡船「空知丸」

2016-02-08 23:20:00 | 船舶・飛行機
青函連絡船「空知丸


いくつか撮影することが出来た青函連絡船の中で、まだご紹介していなかったカットが一つだけ残っていました。



昭和63年2月23日 青森桟橋にて 二代目「空知丸」

青函連絡船で最後まで残った8隻のうち、唯一の貨物専用船となっていたのがこの「空知丸」です。

客室がないため、他船と比べて薄っぺらで全長が長い印象があります。

当時は自分で情報探しをしないと知識にならない時代でしたから、「さようなら青函連絡船」のオレンジカードセットを購入するまで、この「空知丸」の存在を知りませんでした。

そして、この写真を撮ったのは、青函連絡船が無くなる前、最後に青森を訪れた時。桟橋で青函連絡船を撮ろうと青森港に出ると、偶然に停船中の「空知丸」に出会うことが出来ました。

終焉に向かって連絡船フィーバーに沸いた青森・函館。
思えば、この頃からにわかファンを巻き込んだ鉄道フィーバーというのは始まっていたかもしれません。

青函連絡船の中でも一番地味で目立たなかった貨物専用船「空知丸」。
情報では、まだ外国で存在しているらしいですね。