マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

品川客車区:寝台特急「はやぶさ」「みずほ」「さくら」

2021-07-30 12:08:00 | 駅・停車場・操車場
品川客車区:寝台特急「はやぶさ」「みずほ」「さくら」


東海道本線の田町~品川間は、その殆どが東京機関区、品川客車区、田町電車区で埋め尽くされた鉄道の一大基地となっており、東海道本線の車両の拠点となっていました。まさかあの壮大な車両基地が跡形もなくなってしまうとは、昭和の時代には想像していませんでした。

子供の頃は、こうした基地に停まっている車両たち、特に滅多に見ることができない事業車や機関車を見るのが楽しみで、特にこの区間は東海道本線・横須賀線で下り電車に乗ると、東京機関区や品川客車区の裏側を見ることができた楽しみな区間でした。



昭和55年 横須賀線車内から

品川客車区は、品川駅から東京方面を見ると、洗浄線に止まっているブルトレたちを見ることができ、写真は品川駅から撮ることが多かったのですが、発着線を見ることは出来ませんでした。
写真は、横須賀線が総武快速線とスルー運転で地下化される前、記念乗車をしていた時のもの。当時はまだ冷房化率も半分くらいで、窓を開けてカメラを構えることには何のためらいもありませんでした。今の時代はこのような行為は物理的にも人道的にもなかなか難しくなりました。

左から24系25形「はやぶさ」、14系「みずほ」、同「さくら」と並んでおり、東京着のブルトレが到着した順に並べられているようです。おそらくはここで車内清掃等整備が行われ、空いた順に洗浄線へ向かうものと思われます。これよりも早く到着している急行「銀河」、特急「瀬戸」「出雲」「あさかぜ」は既に洗浄線へ行っているのでしょう。


今や日本の鉄道からブルートレインが全滅してしまいました。
写真を撮影した高校時代はそのような時代が来るなんて想像することもできず、鉄道の進化と比例して面白みも失ってしまいました。この面白みのない時代に生まれ、新車や廃車の配給輸送を必死に追い掛ける若者を見ると憐れみず感じざる得ません。


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【完結】根室本線:C58牽引 貨物列車

2021-07-26 06:30:00 | 国鉄・JR蒸気機関車
【完結】根室本線:C58牽引 貨物列車


先般、混合列車ネタから話が発展し、とんでもない深掘りをすることになった根室本線。

話の発端は、根室本線唯一の客車列車には混合列車としてコキ10000が連結され、これが隅田川行き「北海ライナー」の源流になっていたということ。
ここから話が発展し、まずはこの混合列車の編成が急行「狩勝」(のちの「まりも」)のうちオマケだと思っていた座席車+マニ+郵便車が基本編成として根室まで運転されていたということ。さらに、このマニ及びオユは急行「ニセコ」等を介し遠く隅田川から運用されたいたこと。

こうした壮大な運用が国鉄時代に組まれていたことに、組織の大きさ、緻密さ、それを動かすために多くの人力が関わっていたことに感服しました。

多くの謎が解けてきたと同時に、新たな謎も生まれてきました。
当初の目的であったコキ10000の運用が、どうも上りの444レに限定されていた様子であるということ。しかし送り込みが必要であることから別の貨物列車に連結されていたのだろう。そうした疑問に答えをいただいたのが金町のHさんから提供されたC58牽引の貨物列車の写真でした。





前回ご紹介させていただいた貨物列車の写真。後部にコキ10000が2両連結された貨物列車です。
しかし、またここでネタが新たなネタが発生。最後部に連結された客車は一体何なのか?
先の記事のコメントから、スユニであることが判りましたが、これが常連結だったのか?その疑問に対し、早速金町のHさんからご返答があり、さらに関連する貨物列車の写真と、当時のSL運転情報を追加いただきました。
今回は追加のご提供写真をご紹介させていただき、完結編にしたいとおもいます。


まずは当時の貨物関連の時刻です。(昭和48年:牽引機はC58)

混441 釧路  6:41 根室 10:21 → 混444 根室 11:28 釧路 14:57
1495 釧路操 7:15 根室 12:30 → 1498 根室 14:19 釧路操20:03
 471 釧路操12:34 根室 17:24 →  470 根室  6:37 釧路操12:32

このように、1往復の混合列車のほか、2往復の貨物列車が設定されていたようです。これ以外に、臨時貨物のスジが1往復あったようです。

この時刻に加え、件のスユニは撮影してた471レ及び1498レのいずれの列車にも毎日連結されていたという情報をいただいております。この2列車は時刻表によると厚床駅で交換となっていることから、運用を考えるといずれの列車にも毎日スユニが連結されていたと考えられます。
当時は道路網が発達していませんでしたので、小口程の輸送量ながらも最大限に鉄道を利用せざる得なかったものと推測できます。




昭和48年3月24日 厚床駅 1498レ

先着して下り471レを待つ上り1498レ。最後部にスユニを連結している。一番後ろに出っ張っているのは煙突だろうか?
待合室で見えづらいですが、中間にコキを連結しているように見える?・・・???



昭和48年3月25日 落石~別当賀 1498レ

こちらは翌日の上り1498レ。やはり最後部にスユニが。しかし、コキは連結されていない・・・。



昭和48年3月24日 厚床駅 471レ

厚床駅で交換した下りの471レ。スユニが真ん中に???
煙で見えづらいが、コキが繋がっているように見えない。



昭和48年3月26日 厚床 471レ

同じく厚床駅手前のカーブを行く下り471レ。やはりスユニが中間に連結されており、これが同列車の常態と思われる。
こちらにはコキ10000が2両繋がっており、トラが中心の編成。最後部の1つ目がGoo!


いただいたSL写真から編成や列車の分析をするのは大変失礼ながら、その資料性を蔑ろにするのは非常に勿体なく、敢えてまとめさせていただきます。

まずスユニについて。
編成の特性から、石炭又は石油ストーブ或いは温気暖房装置を搭載したスユニを限定して運用に充てていた。そして、窓配置からスユニ60及びスユニ61が両方とも存在していたことが分かりました。

そして件のコキ10000について。
これについては下りも上りも連結されていたりされていなかったり。下りが貨物列車に必ず連結されていたという証明に至らなかったこと。
ただし、ご提供された写真はいずれも3月とは言え北海道としては冬季のものであり、遅れ等の運用でダイヤどおり運用できなかったとも考えられます。さらに、もう1往復の貨物列車もあったので、どの列車が定時とされていたのかも分かりませんでした。

いずれにしても、当時の根室本線末端区間において、これら3本の混合列車と貨物列車が、ローカル運用ながら重要な物資輸送を担っていたということが分かりました。

沢山の資料写真のご提供で楽しませていただき、また、模型遊びの参考として大変役立ちました。心より感謝いたします。


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E233系 埼京線:オリンピックラッピング

2021-07-24 07:46:00 | 国鉄・JR普通列車
E233系 埼京線:オリンピックラッピング


令和3年7月23日、1年遅れで東京オリンピックが開幕となりました。

コロナウイルスで翻弄され、開催は無理と思っていましたが、賛否両論の中での開幕を迎え、複雑な気持ちで見守っている国民も多いことでしょう。
それにしても、森元会長を含め、直前まで不祥事(又は過去の不祥事)による”クビ”が相次ぎ、これに関しては国民としてガッカリしています。混乱の中での開催とは言え、日本での開催に「泥を塗った」のは間違いなく、怒りを隠せません。ただ、これを国やオリンピック委員会だけのせいにはしません。コロナを蔓延させているのは「節度や常識を持ち合わせていない」不届きモノが大きく関与していることを蔑ろにできません。「我慢の限界」と軽く口にする馬鹿者に「我慢をしていたモノ」など1人も居ないと信じています。


さて、1年半以上も前、オリンピック開催に向けて準備を着々と進めていた事業者。
鉄道関係者も例外ではなく、PRを受け入れてラッピングした電車が沢山走っていました。
しかし、オリンピックが1年延期になると共に、殆どが掲載期間を切れて延長されなかったため、いつの間にかこれらのラッピング編成を見ることはなくなりました。





令和2年3月22日 新宿駅にて 埼京線

コロナウイルスによって世の中の動きが怪しくなってきた頃。まだこの時はコロナ騒動がこれ程長引くとは思ってもいませんでした。
通勤時にはそこら中に東京オリンピック・パラリンピックのラッピングを装着した編成を見ていましたが、通勤客でごった返すラッシュ時に写真を撮ることは難しく、ほぼ唯一と言える写真です。たまたま時間休で早帰りできた日に撮影していたようです。


その後、緊急事態宣言の発出、オリンピックの延期など、どんどん世の中がおかしくなり、自然とオリンピック熱が冷めてしまい、掲載期限切れや時差通勤の影響もあって殆ど撮影できなかったようです。

ここまで来たからには無事にパラリンピックまで実施されることを祈るのみ。「オリンピックのせいでコロナがさらに蔓延した」なんて言わせないようにして欲しい。おそらく、コロナを蔓延させているのは「オリンピックすら関心のない」輩だと信じます。


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3分岐ポイント:大宮操車場ハンプ入換

2021-07-22 16:50:00 | 駅・停車場・操車場
3分岐ポイント:大宮操車場ハンプ入換


鉄道に使用するポイント(分岐器)にはさまざまな種類があることは勿論ご存知かと思います。特に鉄道模型を楽しんでいる方は、レイアウトにどんなポイントを使用しようか悩むのも楽しみと言えると思います。

実際の鉄道におけるポイントは現地に合わせた手作りですが、規格が決まっている模型では複雑な分岐形態を表現するのは難しく、複雑なものほどとんでもない金額で売られています。

昨日、帰り掛けにIMONに寄り道したのですが、TOMIXで3分岐のポイントが発売されているのを知りました。元々はTOMIXで揃えていたのですが、レイアウトの作成をやめてからは線路の発売状況など知る由もなく。


ところで、表題の大宮操車場ハンプ入換で使用されていた3分岐ポイントをご紹介したいと思います。




大宮操車場では、限られた線路延長の中で多くの群線を分けなければならないため、このような3分岐ポイントが多用されていました。

ご覧のようにキレイな左右対称の3分岐器となっており、下りハンプでは3分岐~3分岐×3で9本に分かれ、さらに2分岐で18本の入換線(このほかに1番線の外方へ20番線が分岐)がありました。上りハンプは3分岐~3分岐×2+2分岐×1でさらに2分岐の合計15本でした。
つまり、この狭い範囲で同じ構造の3分岐ポイントが7対もあったことになります。

実はこのポイント、エアー式なんです。マニアの方でも殆ど知らないと思います。

ポイントの切り替えといえば、転轍テコを使用した手動式とモーターによる継電式が一般的ですが、このようなエアー式が存在するということを大宮操車場に配属になって初めて知りました。




次々と坂の上から貨車が転がってくるわけですから、人力に頼るだけの手動式なんて危険過ぎますし、モーター式は力は要らないものの切替えに10数秒掛かってしまいますので、いずれもハンプ入換には不適なんですね。

で、安全性と作業性を優先した場合に有利だったのがこのエアー式だったのではないでしょうか。切替えは2秒ほどです。『シュー、バタン』。口で表わすとこんな早いんです。解かるかな?(笑)




何故このようなエアー式が可能だったかというと、カーリターダーと関係が深いのです。

カーリターダーはエアーがないと作動しませんので、ポイントを動かすためのエアーも供給が可能なわけです。もちろん、数が沢山ありますので、相当強馬力のコンプレッサーが使われていたものと思います。

これらの一連の動作は、高い位置の設けられた信号所の中で全て操作されています。カーリターダーを操作する担当と、ポイントを操作する担当、そして入れ替え間隔を見張る担当がコンビで作業を行っていたと記憶しています。

このようなエアー式のポイントが設置されることはもうないでしょうね。


模型ではその小ささ故にこの左右対称のこのタイプはちょっと難しいかもしれません。狭いスペースで群線を作るには持って来いのポイントなんですけれども。


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【謎】根室本線:C58牽引 貨物列車or混合列車?

2021-07-17 23:37:00 | 貨車
【謎】根室本線:C58牽引 貨物列車or混合列車?


このところ連続で金町のHさん提供の根室本線混合列車に関する写真等をご紹介させていただき、好評を得ました。

先述のとおり、この列車には混合列車という性格の中に主目的であったコキ10000系「北海ライナー」の源流となる部分のほか、荷物車や郵便車の運用や役割まで、想像以上に深堀することになり、自分自身が一番わくわくしてしまう結果となりました。


そして、一連のご提供いただいた写真の中で441レ&444レではない写真が1枚あり、ネタに組み込めませんでした。この写真も注意してみると非常に興味深いものであったので、検証できた範囲だけですが説明を組んでみたいと思います。



昭和48年3月23日 厚岸にて

写真は大きくなるように設定しましたが、画質を落としてあるので車両の分析は難しい状態です。

C58牽引の根室本線を行く貨物列車。
後部から2両目と3両目はコンテナ車が連結されており、フルコンで色彩的に冷蔵コンテナが積載されていることを考えるとコキ10000と思われ、上りの444レでしか確認できなかった「北海ライナー」用コキの下り送り込みと考えられます。やはり、時間帯の関係で441レではなく、貨物列車で運用されていたと考えて良さそうです。


それ以外にどんな貨車で構成されているかを見てみますと・・・

カマの次位は草で見えにくいのですが、どうも車掌車のようで、しかも黄帯を巻いているようです。ワフ21000の二段リンク未改造車であるロワフ121000でしょうかね。

その次にかなり古い形のワムが。これはワム50000形でしょうか?

その後は定番のワム群、タキ3000のようなタンク車が連結されています。

そしてお馴染み、木材チップ輸送用のコトラ90000が5両。コキ10000が2両と続きます。


そして最後部。この車両が謎を深めてしまいます。

最後部に連結されている荷物車らしき車両。アップにして注視してみると、ベンチレータの数からどうも郵便車っぽいです。スユ42のような車両でしょうか?しかも、さらに良く見るとT形の煙突らしきものも確認できます。1つは向かって右側の車端に、もう1つは中央よりやや左寄りにあります。これは右側に車掌室、センターは郵便区分室に当たると考えられます。
このことから、途中駅解結がある貨物列車で、終点まで運用される郵便車を最後部に連結し、暖房が届かないためにストーブ付きの車両を用意している、と想像することができると思います。

ただ、これは最後部の郵便車が定期運用であることが前提での話になります。
単にこれが回送連結だとすればすべてがクリアになってしまい、定期連結だとすればこれが混合列車ということになります。

しかし、これも微妙で、荷物車や郵便車と貨車を混結した定期混合列車(つまり客を乗せない)と言うのはあまり認識がないので、これを混合列車と言うのか貨物列車と言うのか分からない、というのがオチです。


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【答え】列車番号を調べれば分かります・・・知りませんけど。

1枚の写真でこれだけ楽しめる。素晴らしいです。模型での編成ネタにも持って来いですね。