マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

JR貨物 交直流機関車:EH500-15~19(3次車その2)

2011-05-31 00:30:00 | 国鉄・JR電気機関車(交流・交直流)
JR貨物 交直流機関車:EH500-15~19(3次車その2)


EH500型電気機関車は、平成9年に誕生したJR貨物の交直流型電気機関車で、EH10型直流電気機関車以来、久し振りとなった重連車体・H級の形態となっています。
901号機の試作車、1号機・2号機の量産先行車(1次車)、3~9号機(2次車)、10号機~(3次車)に分類されますが、実際には形態にやや差異があるため、細かく分類することができます。

3次車は、2次車の同様に、着雪による支障を防止するため、ヘッドライトが窓下まで上げられています。さらに、塗色のベースである赤色が901号機のような明るい色となり、窓周りの黒色も省略されたため、2次型とはかなり印象が異なります。
15号機以降、現在も毎年度において継続的に製造されており、同形式の完成形と言えると思います。



平成22年8月1日 EH500-15 3086



平成24年5月20日 EH500-16牽引 3054レ

苦節4年、やっと捕獲することが出来ました。



平成22年8月18日 EH500-17 3086レ



平成21年12月20日 EH500-18 3086レ



平成22年6月19日 EH500-19 3086レ

つづく

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東武鉄道 8000系・5700系:快速「たびじ」

2011-05-30 00:30:00 | 私鉄(大手)
東武鉄道 8000系・5700系:快速「たびじ」


日光は、昔も今も小学生の修学旅行の定番となっている地域です。
したがって、昔から修学旅行列車の設定が途切れたことはないと言っても良いでしょう。
日光へは国鉄(JR)日光線経由、並びに東武鉄道からのアプローチが考えられますが、ある程度乗車に便利な方を利用するといった形が一般的ではないかと思います。
ちなみに、埼玉県南部に居住している当方の地域では、昔からバス利用の形態は変わっていないようです。本線の停まる駅に直接接していなく、乗車時間が短いことも一因でしょう。


さて、東武鉄道においても修学旅行臨があります。
種別は「快速」で、名称を「たびじ」としています。



昭和56年6月6日 栃木駅にて 5700系 快速「たびじ」

撮影したときは、臨時快速「だいや」だとばかり思っていた5700系のヘッドマーク付列車。(クリックすると大きくなります。)




約30年振りにプリント化した際に、初めて「たびじ」だと判りました。



昭和56年6月6日 新大平下~新栃木間にて 8000系 臨時快速「たびじ」

こちらは、8000系使用の「たびじ」です。
被写体ブレをしてしまい、カラーとモノクロとの差があって判りづらいですが、ヘッドマークの作りが少し違うような気がします。(字体や字の大きさが明らかに違うように見えるのですが・・・。)

両方とも絵的にはダメダメなんですけど、今となって見ることができなくなってしまった車両たち。やはり貴重に思います。

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EF621牽引:夜行急行「妙高」

2011-05-29 00:30:00 | 国鉄・JR急行列車
夜行急行「妙高」


「妙高」は、上野~直江津を横軽経由で結ぶ急行列車でした。
設定はほとんど昼間で169系を使用していましたが、上り下りの最終は旧型客車を使用した夜行列車でした。(他に、169系使用の季節列車で夜行列車が存在していました。)



昭和53年3月21日 信越本線 横川駅にて EF621牽引の急行「妙高」

編成は、郵便車、荷物車、A寝台、B寝台、普通車自由席で、グリーン車と普通車指定席は連結されていません。横軽を通過するので、牽引機はもちろんEF62です。

写真は、中学2年の終わり頃、鉄仲間と何故か長野方面へ行くことになり、現地活動時間の節約できる夜行「妙高」に乗りました。上野発が23:58で、定期列車としては高崎線の最終列車でもありました。
この「妙高」に乗ったとき、出発直前になって震度4程度の地震が発生し、安全確認が取れるまで抑止がかかり、日付が変わって0:20過ぎくらいに上野を出発したことを覚えています。

そして、この日の牽引は幸運にもEF62のトップナンバー車でした。この夜行「妙高」は、上野発が深夜、上野着が早朝4:47でしたので、関東圏で走行写真を撮ることはできません。まして当時、京浜東北の初電よりも早く上野に到着してしまうので、中学生には非常に厳しい列車でした。

上越新幹線の開業以降も夜行急行「妙高」だけが残存しましたが、189系による運行となり、むしろそれまでの季節急行が定期化された感じでした。

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キハ391 ガスタービン動車

2011-05-28 00:30:00 | 試験・事業車、配給、列車車両等
キハ391 ガスタービン動車


キハ391系は、昭和47年に国鉄大宮工場で製造され、川越線内での試運転の後、陰陽連絡の重点路線である伯備線や山陰本線で試験運転が行われました。



気動車と言えばディーゼルがメジャーですが、その歴史を辿ると、最初は蒸気機関を搭載した蒸気動車、ガソリンエンジンを搭載したガソリン動車がありました。その後、燃費やトルク、大型・大出力化などの利点からディーゼル動車が普及していきました。

ガスタービンは、燃料の反応熱等で生成された高温のガスでタービンを回し運動エネルギーを得る内燃機関のことで、ジェット機やヘリコプターに使われている原動機です。



平成5年11月28日 国鉄大宮工場(現大宮総合車両センター)にて

車体を見ると、当時製造中だったキハ181と酷似したお顔、これまた当時開発された振子車同様に背の低い車体、そして、当時の国鉄では導入を見送っていた連接式の台車など、非常に特徴があります。

ガスタービンは、専用の中間車のみに搭載され、両端のキハは付随車となっています。ただし、連接構造で片側を動力車としているため、「キクハ」ではなく「キハ」とされています。

非電化の幹線における特急列車のスピードアップを目指して開発されましたが、ちょうどオイルショックに掛かって燃料費が高騰してしまったこと、燃費の悪さ、騒音対策の問題が顕著となり、計画が頓挫してしまいました。


この写真を撮影したときは、非常にキレイな状態で整備されており、中を見学できるようにしてありました。この時は今の嫁と一緒に訪問しており、もちろん2人で車内見学もして参りました。

言わば失敗作となってしまったキハ391ですが、可能性を追求した国鉄研究陣の魂のような車両でもあり、製造された大宮工場で現在も保存されています。

しかし、「ふれあいまつり」で同所を訪れた時、非常に悲惨な姿で所の片隅に留置されており、今後の保存方法なども決まっていないと言う心配があります。


現在の高速振子気動車の礎になったのかどうか良く分かりませんが、可能性に挑んだ国鉄魂を後世に伝えていくためにも、大切に保存していただくことを切望いたします。

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季節リゾート特急「そよかぜ」

2011-05-27 00:30:00 | 国鉄・JR特急列車
特急「そよかぜ」


特急「そよかぜ」は、上野~中軽井沢を結ぶ季節列車として長らく設定されていた特急列車です。
登場当初は181系でしたが、ほんの一時期に157系を使用したことがあります。
また、その後は183系0番台(幕張車)や、189系(長野車)、489系(金沢車)、185系(新前橋車)と、実に多彩な車両が使用されました。

季節列車でもあり、また運転区間も短距離でもあったため、絵にしづらい列車でしたが、そのさわやかなネーミングが大好きでした。

現在は横軽(碓氷峠)も廃止されてしまったことですし、軽井沢行きの新幹線の設定というのも考えづらいので、特急列車としての「そよかぜ」のネーミングはおそらく復活することは無いのでしょう。



東北本線 蕨~西川口間にて 183系0番代「そよかぜ」



東北本線 西川口~蕨間にて 183系0番代「そよかぜ」



蕨駅にて 183系0番代「そよかぜ」

昭和52年から53年頃で、イラストマーク化される以前の写真です。
幕張区の183系を使用していることから、夏季の海水浴シーズンではない頃に撮影したものと思われます。
元々157系が1シーズン使われた後、181系オンリーだった「そよかぜ」ですが、信越本線の181系撤退に伴って、幕張区の183系0番代が使用されるようになったようです。当時はまだ189系の両数が揃っていなかったための措置と思われますが、横軽非協調である183系0番代では8両以下に編成が制限されてしまうため、クハ+モハ+モハ+サロ+モハ+モハ+クハの7両編成に組み替えられて使用されていたようです。



上野駅にて クハ189-0番代「そよかぜ」



上野駅にて 181系「とき」と並ぶクハ189-500番代「そよかぜ」

こちらも年代的には昭和52年~53年頃の同時期です。日によって、或いは季節によって幕張区の車両と使い分けされていたのではないかと思います。
189系は横軽の協調運転が可能なため、最大の12両編成で運転することが出来ました。車種的にはこの189系が一番多用されていたように思います。



昭和52年頃 上野駅にて クハ489-600番代「そよかぜ」

「そよかぜ」は、同じこの年代においても489系が使用されることがあり、その写真も少ないですが残っています。ただ、489系時代においても殆どボンネット型が使用された例は稀であり、雑誌で見た中でもグレードアップ改造(白山色)後のものしか見たことがありません。



昭和54年8月 上野駅にて 183系1000番代「とき」と並ぶ189系「そよかぜ」

こちらはイラストマーク化された後のものとなります。運行形態は特に変わっていませんでした。



昭和60年11月4日 高崎線 岡部~深谷間にて クハ489-600番代「そよかぜ」

489系「そよかぜ」の写真は2枚だけしか見つかりませんでした。いずれも489系の貫通型です。
「そよかぜ」の場合、運転時に波動用の車両を充てるケースと、489系のように変運用で対応するケースがあったようで、「白山」の折り返しで「そよかぜ」に充てられケースも多々見られたようです。

現在は横軽(碓氷峠)も廃止されてしまったことですし、軽井沢行きの新幹線の設定というのも考えづらいので、特急列車としての「そよかぜ」のネーミングはおそらく復活することは無いのでしょう。

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