マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

キハ58系:急行「たかやま」

2019-01-29 23:33:00 | 国鉄・JR急行列車
キハ58系:急行「たかやま」


高山本線の優等列車と言えば特急「ひだ」となりますが、かつては特急「ひだ」と名古屋鉄道からの乗り入れ特急「北アルプス」が1往復ずつしかなく、むしろメインは急行「のりくら」が多く設定されていました。
また、観光シーズンには様々な臨時急行も運転されており、名古屋発をメインとしながらも、大阪発の定期急行列車も設定されていました。
それが、急行「たかやま」です。

古くはキハ55系なども使用されていたかもしれませんが、キハ58が主たる運用車両となっていたと思います。
もちろん、国鉄時代は標準色となりますが、民営化後も急行列車としての設定が継承され、特に平成2年頃からはアコモ改造車も導入されるようになりました。



平成6年12月12日 上枝~飛騨国府間にて キハ58系 急行「たかやま」

こちらの写真は、『C56160牽引:快速「SL奥飛騨」(高山本線)』を撮影している際に偶然撮ったものです。
当時は塗色変更を受けた車両には全く興味がなく、完全にノーマークでした。多分、カメラをセッティングしている最中に背後から襲われ、シャッターを切ったのではないかと思います。こんなアングルでありながらやたら遠くまで逸してしまったのは、フィルムを巻き上げていなかったからではないですかね。




上の写真を切り取ってアップにしてみました。
サービスサイズからのスキャンなので、見るに堪えないほど不鮮明ですが、原版は6×4.5判なので、ネガスキャンすればもう少し見られるようになるかもしれません。

キハ58系でこんな塗装はないだろう、と言いつつも、目の前を行く急行「たかやま」を撮り損なったという気持ちは当時も強かったと思います。これもSLばかりに夢中になり、下調べを怠ったためとしか言いようがありません。

4両と短編成化されつつもグリーン車まで連結しており、まだ急行の面目を保っていた頃でした。
結局はこのあとに遠征する機会は無くなってしまい、気が付けば急行「たかやま」もキハ58系ごと消え去っていました。

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国鉄 オハ60系客車:オハフ612714(黒磯)

2019-01-26 18:26:00 | 試験・事業車、配給、列車車両等
国鉄 オハ60系客車:オハフ612714(黒磯)


一連の60系客車のついでとなってしまいますが、東北本線普通列車に連結されたオハフ61の写真をご紹介いたします。


昭和57年11月ダイヤ改正までは、上野口の夜行急行列車に旧型客車が使用される例が多く残っていました。ただし、それらの旧型客車は体質改善車で構成されており、昭和50年代前半までに設定されていた予備車寄せ集めで設定された臨時急行や、一時期に急行「鳥海」で見られた茶色のスハフ42と見られるもの以外に茶色の客車は見たことがありません。

一方、客車普通列車を振り返ると、高崎線に残っていた客車では軽量客車が中心となり、やはり青色の客車ばかり、上野口で最後まで残った常磐線の客車列車でも荷物車以外には茶色を見た記憶がありません。

昭和53年10月ダイヤ改正までは東北本線にも長距離普通列車が残っており、こちらには東北出身のバラエティー豊かな旧型客車が使用されていました。編成も10両編成前後と長く、青よりも茶色の方が割合としては多かったように思います。
そして、黒磯からの交流区間は殆どの普通列車が客車によるものとなっており、53・10改正後も旧型客車がしばらくの間は残存、旧型客車としては終焉まで活躍していました。



昭和58年10月5日 黒磯駅にて オハフ612714

昭和57年11月改正を過ぎ、余剰急行車両による電車化も見え始めてきた頃で、まだ普通列車が旧型客車で残っているとはいえ、オハ60系客車は余り見た記憶がありません。
そんな中、たまたま黒磯駅へ行った際、最後部(上野寄り)にオハフ61を連結している場面に出くわし、撮影したものです。

プリントからのスキャンで足回りが潰れてしまいましたが、原版はしっかりとTR11が写り込んでいます。

昔から田舎へ行く際には121レを良く利用しましたが、背ずりにモケットが無く、足元の狭い60系を積極的に利用することはありませんでした。
今この写真を見ると、戦後改造でありながらスハ32系のような鎧戸式日除けが写っており、車内の様子も記録しておけば良かったな、と改めて思いました。



国鉄 オハ60系客車:オハフ6044(釧路)

2019-01-24 01:25:00 | 試験・事業車、配給、列車車両等
国鉄 オハ60系客車:オハフ6044(釧路)


前記事と同じく3連で留置されていた客車のうちの最後の1両で、オハフ60の写真をご紹介いたします。

オハフ60は、中間車のオハ60が誕生した翌年の昭和25年に改造されたものですが、当時はまだ北海道向けの二重窓化が難しかったということで、小窓で誕生したそうです。
戦前型のオハ31のような3連小窓スタイルで、窓3つに対してボックス2組となっています。中の1組の座席を外すとストーブが設置できるような配置ですが、実際には蒸気暖房が使用されている時代でもあり、ストーブを設置するための配置とするような意図はなかったようです。



昭和56年3月 釧路駅にて オハフ6044

繋がれた3連のうち、一番最初に目を引いたのがこの車両でした。
客車と言えば旧型ばかりの時代に育った私からすれば茶色い客車など珍しいものではない時代でしたが、3連窓の客車を見るのは初めてであり、60系客車にこんな車両があったのか・・・と初めて知り、とても感動してシャッターを切ったものです。

そろそろ50系客車の導入も始まってきた頃ですが、北海道ではまだほとんど見たような記憶はありません。しかし、そんな時代であってもこのスタイルはこのとき以外には見たことがありませんので、おそらくは真っ先に廃車となってしまったグループではないかと思われます。

そんな最初で最後の1枚となった、私的に貴重な資料となっています。





国鉄 オハ60系客車:オハニ6221(釧路)

2019-01-21 00:25:00 | 試験・事業車、配給、列車車両等
国鉄 オハ60系客車:オハニ6221(釧路)


過去ログ『国鉄 スハ32系客車:スハ32233(釧路)』と同じく留置されていた3両のうち、札幌寄りに連結されていた荷物合造車のオハニ62をご紹介いたします。


戦前の木造車の台枠を延長の上、20m級として鋼体化した客車が60系を名乗り、初期3連小窓のオハ60、広窓に改良されたオハ61、広窓で北海道仕様となったオハ62などに分類されます。

昭和50年代後半くらいでは、旧型客車の置き換え用として50系客車が台頭してきましたが、まだ全国的に旧型客車は存在しており、珍しいものではありませんでした。しかし、その中でもアコモ的に見劣りする60系客車の淘汰が早くに進んだため、昭和50年代半ばにはかなり少なくなっていたように記憶しています。



昭和56年3月 釧路駅にて オハニ6221

釧路駅の側線に留置されていた荷物合造客車のスハニ62。
ローカル線ではまだ重用されていた合造車で、特に北海道では合造気動車キハユニの配置が少なかったため、ローカル運用に良く用いられていたようです。

当時としてはそれほど珍しく思っていなかったのですが、北海道仕様の特定形式の珍しさもあって、パスせずに記録していたようです。

内地でもオハニ(スハニ)を見ることはありましたが、客車自体の形式写真を撮るようなことをしていなかった時代でもあるため、結果的には貴重な記録となってしまいました。



185系OM車:快速「シーハイル上越」

2019-01-19 22:18:00 | 国鉄・JR快速列車
185系OM車:快速「シーハイル上越」


かつては冬の上越線を賑わせていた特急「新雪」や各種急行スキー列車ですが、高速道路の普及や上越新幹線の開業によって在来線需要は著しく減退して行きました。
安価なツアーによる「シュプール上越」なども設定されましたが、ツアーバスの台頭やスキー需要そのものも昔に比べると減退しており、スピードの遅い在来線では辛うじて快速「シーハイル上越」が残った程度で推移していました。

しかし、どうも平成27年2月の設定を最後に、その「シーハイル上越」の設定すらもなくなってしまったようです。



平成27年1月25日 越後湯沢駅にて 185系OM03編成 快速「シーハイル上越」

北陸新幹線開業直前に、最後の「トワイライトエクスプレス」などを撮影するために北陸へ出掛けた際、帰路の乗継ぎ時に偶然出くわした快速「シーハイル上越」を撮影したものです。

大宮発着で地元を通る列車ではないため、なかなか撮影する機会のない列車でした。
過去、183系でヘッドマークが用意された頃に一度だけ撮影したことがありましたが、185系化されてからはヘッドマークも用意されることがなかったことから、わざわざ撮影に行く意欲さえ湧かない列車となってしまいました。

185系の廃車により運用が厳しくなって廃止となったと思いたいところですが、写真でお判りのとおり、この列車に乗るためにホームで待っている乗客は異常なほど少なく、スキー列車としての存在感は甚だ疑問と思うしかありません。
一方、乗り継ぎで使用した新幹線は、MaX16両編成でありながら、正規の停車時間中に乗り切れずに遅延するほど乗客が利用しており、もちろんその殆どはスキーバッグをもった乗客ばかりで、鉄道利用者の99%以上が新幹線利用と言う印象でした。

夜行旅客列車の消滅した高崎~上越線では、作業ダイヤの変更はより難しくなり、団体列車と言えども夜行列車の復活運転はなさそうです。
昼間の団体列車くらいが良いところで、上越線への撮影など今後も行くことは益々可能性がなくなりました。