マル鉄・鉄道写真館

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E2系基本番台:北陸(長野)新幹線「あさま」

2017-03-29 01:06:00 | 新幹線
E2系基本番台:北陸(長野)新幹線「あさま


高崎~長野間の新幹線として暫定的に開業した長野新幹線(当初は長野行新幹線)。
JR東日本では、新幹線で初めて急勾配に対応し、さらに交流60Hz区間への乗り入れと言うことで2電源方式を採用したE2系が量産されました。(東北新幹線用として、1000番代も同時に製造・運用開始。)

長野新幹線用は8両編成となっており、東北新幹線用の10両編成と区別され、東北新幹線のピンク帯に対し、長野新幹線では赤帯とされました。よって、外観でも容易に区別することができます。

平成7年の製造から、平成9年に営業運転を開始、20年が経過した今、平成29年3月をもって、北陸新幹線「あさま」として使用されてきたE2系基本番台が全車引退となるそうです。



平成24年8月25日 N4編成 「あさま508号」 大宮駅にて



平成25年12月23日 番号不明 回送? 王子駅付近



平成25年12月23日 N6編成 「あさま519号」 北とぴあから



平成25年12月23日 N11編成 「あさま518号」 北とぴあから



平成25年12月23日 N11編成 あさま521号 北とぴあから



平成26年3月9日 N2編成 「あさま525号」 大宮駅にて



平成26年3月9日 N4編成 「あさま524号」 大宮駅にて



平成26年6月14日 N10編成 「あさま508号」  大宮駅にて



平成26年6月14日 N21編成 「あさま561号」  大宮駅にて

北陸新幹線が金沢まで開業した際、「あさま」用のE2系は全面置き換えになると発表されていましたので、事あるごとにマメに撮影したつもりでしたが、あくまでもついでであったためか、ロクな写真は残せませんでした。



都電7000形: 7022(復刻塗装)

2017-03-26 02:24:00 | 公営鉄道(地下鉄・路面など)
都電7000形: 7022(復刻塗装)


都電7000形のうち、後年の7022は、冷房改造前の姿に塗装を復刻して営業運転を行っていました。
自分の年代としてはリアルに見てきた姿ですので、その存在は嬉しいものでした。



平成19年11月25日 熊野前にて

都電撮影の帰り、熊野前電停で乗車待ちしていると、目の前に突然姿を現しました。
なんのことかさっぱり分からずに、アタマの中が真っ白。おぉ、昔の塗装だ!とアタマが理解するまで結構時間が掛かりました。慌ててしまってあるカメラを取り出し撮影したもの。こんな車両が走っていることは全然知りませんでした。









平成22年9月10日 鬼子母神にて

現場での作業での昼休み、電停が近かったのでちょっと撮影にと行ってみると、偶然にも7022がやってきました。
この辺りは線形に変化があるので、4ショットも撮ってしまいました。
それにしても、どうしてこいつだけシングルアームなんでしょう?



平成24年11月13日 庚申塚にて

これも現場での昼休み、食後の散歩の際に捉えた7022。
アタマが切れちゃっていますが、いつの間にかパンタグラフがひし形に変わっていました。



平成26年1月13日 王子駅付近

これは北王子支線の撮影のついでに寄ったもの。これも偶然。



平成26年11月15日 王子駅付近

これは尾久車両センター公開の帰り道ですね。

都電荒川線での撮影はそれほど多くないですが、2回に1回くらいは7022号に遭遇していたかもしれません。
人気があったと思いますが、いつの間にか引退してしまったんですね。

まだ残っていて、これからさよならヘッドマークを掲げて運転されるそうです。




国鉄 直流型電気機関車:EF58102・103(宇都宮運転所)

2017-03-23 01:17:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
国鉄 直流型電気機関車:EF58102・103(宇都宮運転所)


EF58シリーズ、今回は宇都宮運転所の102号機と103号機です。

宇都宮運転所に所属する連番機ながら、姿が全く異なります。



昭和55年10月頃 田端操車場にてEF58102牽引 荷物列車

田端駅南行ホームから撮影した上り荷物列車です。隅田川方面とは違った位置に停車しており、何故ここに居るのかは、今となっては良く分かりません。
宇都宮運転所には、上越仕様のEF58が58号機、89号機、152号機、153号機と配置されていたと記憶していますが、102号機は遅くまで原型小窓で残っており、大変美しい形態となっていました。
また、他のカマは上越仕様でありながらホイッスルカバーが撤去されていましたが、102号機はこの写真で見る限りホイッスルカバーが残存していました。
なお、同機の上越仕様は東京機関区時代に施工されたようで、Hゴム化はEF58の中でも最も遅かったそうです。



昭和52年8月 蕨~西川口間にて EF58103牽引 普通客レ(回送?)

写真がピンボケで非常に分りづらいかもしれません。画像をダブルクリックして拡大していただくと、米原区特有であった原形小窓・ワイパーカバー付きであることが辛うじてお判りいただけるのではないかと思います。
ちなみに、次位に連結されているオハニ61かスハニ64と思われる客車は、当時首都圏では見ることができなかった車両で、何故この列車に連結されて上京したのか謎ですが、まれに荷物車代用として使用されていたようで、常磐線でも目撃例があります。それでも珍しく、貴重な記録だと思います。



昭和60年3月 北浦和~与野間にて 重連単機回送の次位に連結されたEF58103

局報で当時では珍しく重連が組まれるということを嗅ぎ付け、単機回送ではあったがわざわざ撮影に出掛けて撮ったものです。
半逆光でスキャニング画像ではナンバーすら見えなくなっていますが、末期の頃の103号機です。
既にHゴム化され、デフロスタが装備されていることがお判りいただけると思います。これが宇都宮区の最終的な標準形態で、ある意味あまり面白みのない形態になってしまいました。
この103号機は、宇都宮区の牙城を最後まで守った精鋭の1機でした。


102号機

昭和31年10月 2日 日立製 東京機関区
昭和58年11月11日 廃車 宇都宮運転所


103号機

昭和31年10月19日 日立製 米原機関区
昭和60年 9月12日 廃車 田端機関区(宇都宮運転所の統合による)



国鉄 直流型電気機関車:EF58100・101(宮原機関区)

2017-03-20 02:14:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
国鉄 直流型電気機関車:EF58100・101(宮原機関区)


EF58シリーズ、今回は宮原機関区の100号機と101号機です。

いずれも末期まで原型小窓を保っていた、人気のあるカマでした。



昭和53年8月5日 真鶴~根府川間にて EF58100牽引 荷物列車

写真は広角で撮ってかなり小さいため、トリミングアップしています。
有名撮影地である白糸川の鉄橋を渡る100号機の牽く荷物列車。後に連なった多数の荷物客車が古き良き時代を物語ります。



昭和59年8月19日 小郡(現:新山口)駅にて 側線に留置中のEF58100


昭和59年2月の改正(貨物の大合理化)で余剰となった電機たちが、限りなく長い縦列で留置されているシーンです。この列には、主にEF60の1次・2次車、EF61が連結されており、そのうちの下関方の1両だけがEF58で、それがこの100号機でした。
活躍末期に下関機関区に移籍となり、EF62への置き換えまで使用され、置き換え完了と共に旧車になって留置されたようです。



昭和54年頃 東京駅にて EF58101牽引 急行「銀河」

変わってこちら、急行「銀河」を牽引して上京してきた101号機です。
リバーサルの写真ですが、まるで新車のようにピカピカに見えます。



昭和56年7月 品川駅にて EF58101 重連単機回送

品川駅における重連回送のシーンです。品川駅に行くと、EF58の単機回送に良く出くわしましたが、時折りこのような重連に遭うことがありました。今になって調べましたら、単回2033レという列車で、宮原区と宇都宮区のコンビで回送されていたようです。



昭和58年5月17日 瀬野~八本松 EF58101牽引 荷物列車

写真は、瀬野八を行く101号機牽引の荷物列車です。編成はそこそこ両数があった割りには、EF61200番台の補機無しで坂を上ってきました。
101号機に関しては、活躍末期ににシールドビーム化されています。なお、このシールドビームは、同ライトを装備したまま廃車となった竜華区のEF58のものを取り付けていたそうです。


100号機

昭和31年 8月31日 川崎車両・川崎重工製 沼津機関区
昭和60年 2月 4日 廃車 宮原機関区(下関機関区?)


101号機

昭和31年 7月 6日 東洋電機・汽車会社製 東京機関区
昭和59年12月15日 廃車 宮原機関区(下関機関区?)




東武鉄道:業平橋駅(最終日)

2017-03-18 21:01:00 | 駅・停車場・操車場
東武鉄道:業平橋駅(最終日)


東武鉄道の本社がある旧「業平橋駅」が「とうきょうスカイツリー駅」に改称されてから丸5年が経過しました。ついこの間だったような気がしますが、気が付けばあっという間の5年です。

5年前の「業平橋駅」としての最終日、訪問した記録が残っています。


※撮影は、平成24年3月16日です。




東京スカイツリーの本格開業に合わせ、駅もリニューアル工事が大掛かりに行われています。
駅名板も新しくなっておりますが、「業平橋」を新規に作成してあります・・・と思いきや、全面がステッカー式になっており、剥がすと「とうきょうスカイツリー」が現れるようになっているようでした。




ホームも改札口も含めて全てがリニューアル工事中。旧業平橋駅の面影は消え失せ、何だか中途半端な状態に。駅名板も仮設で、駅入口らしくもありません。




外に出るとこんな案内。もう1ヶ月以上も前から工事が始まっていたんですね。




交差点の信号機に取り付けられた表示。さすがにもう直されている筈ですね。




都バスのバス停表示。駅名改称は鉄道以外の様々な場面に影響しますので、事前の調整って大変なんでしょうね。




ほぼ完成したスカイツリー。建設中から良く見てました。やっとてっぺんまで見えるようになりましたね。
間近からだと上を見て写真を撮るのも大変です。




改札口で最終日の入場券を購入しようとする訪問者で大行列。待っていても何時間掛かる?くらいの様子だったので諦めました。
画像は既にシービーさんが買っておいてくれたものです。




こちらは券売機券で購入した最終日付の乗車券です。多少並びましたが、硬券に比べれば全然早く購入できました。




またホームに戻ると、旧スタイルの駅名板も残してあり、老若男女問わず、ここで記念写真を撮っている人が多数。良くあるゆるキャラとの写真待ち行列みたいな状態でした。




スカイツリー開業に合わせ、スペーシアにはカウントダウンステッカーが貼られ、お祭りムード最高潮です。




別れを惜しんで帰ろうとしましたが、電車が来るまでちょっと時間が空きました。
何気に路線図があったのでこれも撮っておこうと思いましたら・・・
なんと、既に「とうきょうスカイツリー」に変わってました。フライングです。(笑)