茨城交通 キハ2000形:キハ2004
茨城交通キハ2000形は、元留萠鉄道が昭和40年頃に導入した国鉄キハ22タイプの気動車。
キハ2004は、留萠鉄道の廃止に際し、昭和45年頃に茨城交通にやってきました。
車体はキハ22と同様のスタイルですが、タイフォンが上部ヘッドライトの脇に設置されているため、キハ22とキハ55系を折衷にしたような印象です。
転属時から車体カラーの変遷がありますが、茨城交通時代末期には淡黄色に赤ラインを配置したいわゆる「国鉄準急色」に塗り替えられ、人気がありました。
※撮影は、平成18年5月4日、中根~金上間にて。
茨城交通 キハ2004
国鉄時代において、キハ22にはこの塗装は設定されていなかったはずですが、タイフォンの位置や側窓が1段上昇式であることから、違和感はさほど大きくないかもしれません。
平成27年12月にひたちなか鉄道で引退となりましたが、その後平成筑豊鉄道で動態保存されることになり、陸送及び航送により九州に向かいました。昨今、維持が困難になって貴重な車両たちが解体されてしまう事例が非常に多くなる中、珍しく明るい話題と言えるでしょう。
何回か訪れた茨城交通でしたが、ひたち海浜鉄道を通じてキハ2004には当たらないことが多く、コマ数もたったこれだけでした。
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茨城交通キハ2000形は、元留萠鉄道が昭和40年頃に導入した国鉄キハ22タイプの気動車。
キハ2004は、留萠鉄道の廃止に際し、昭和45年頃に茨城交通にやってきました。
車体はキハ22と同様のスタイルですが、タイフォンが上部ヘッドライトの脇に設置されているため、キハ22とキハ55系を折衷にしたような印象です。
転属時から車体カラーの変遷がありますが、茨城交通時代末期には淡黄色に赤ラインを配置したいわゆる「国鉄準急色」に塗り替えられ、人気がありました。
※撮影は、平成18年5月4日、中根~金上間にて。
茨城交通 キハ2004
国鉄時代において、キハ22にはこの塗装は設定されていなかったはずですが、タイフォンの位置や側窓が1段上昇式であることから、違和感はさほど大きくないかもしれません。
平成27年12月にひたちなか鉄道で引退となりましたが、その後平成筑豊鉄道で動態保存されることになり、陸送及び航送により九州に向かいました。昨今、維持が困難になって貴重な車両たちが解体されてしまう事例が非常に多くなる中、珍しく明るい話題と言えるでしょう。
何回か訪れた茨城交通でしたが、ひたち海浜鉄道を通じてキハ2004には当たらないことが多く、コマ数もたったこれだけでした。
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