マル鉄・鉄道写真館

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EF57~EF58牽引:急行「津軽」

2011-08-22 00:30:00 | 国鉄・JR急行列車
EF57~EF58牽引:急行「津軽」


「津軽」は、ご存知のとおり上野~青森を奥羽線経由で結んでいた急行列車です。
その昔、普通列車で上京し、仕事をしてお金を稼ぎ、この急行列車で帰って来るということから「出世列車」とも呼ばれていたのは有名です。

私としても写真だけですがこの列車との付き合いは古く、写真を撮り始めて間もない頃からの記録が残っています。



昭和48年 蕨~西川口間にて 上り急行「津軽1号」

この時代は上り下りで奇偶の号数が区別されていません。
番号は判りませんが、EF57のスノープラウ台座を装備していない号機ですね。
多分ですが、次位がマニ36、1号車がスハフの座席指定、2号車は車体幅が狭いところを見るとスハネ30のようです。私の世代では実車を見るのが困難だった筈なのですが、意外なところで残っていました。



昭和51年 蕨~西川口間にて 上り急行「津軽2号」

こちらもEF57が牽引する、上りの2号です。
2号は秋田回転車が連結されていませんので、マニ36の次はいきなりグリーン車となる編成が特徴でした。



昭和51年頃 蕨~西川口間にて 上り急行「津軽2号」

こちらも同じシチュエーションです。とにかくEF57だったら何でも良かった頃。
妻板から足回りまで雪まみれになっていますので、おそらく1月から2月頃に撮った写真でしょう。もしかしたら、昭和52年かもしれません。
完全な順光となっていますので、いくらか遅延して上って来たのかもしれませんね。
当時の写真としては比較的綺麗に写っていますので、編成の様子が判ります。



昭和57年5月 浦和~南浦和間にて EF5884牽引 上り急行「津軽2号」

ずぅ~と時代が流れて、東北新幹線開業直前です。
寝台車は10系が存置されましたが、座席車は12系化されています。
荷物車・グリーン車は既に外されていますが、A寝台車はまだ連結されています。

何故かこの間、全然「津軽」の写真を撮っていないんですよね。昭和54~56年頃は、南浦和~蕨~西川口間でもかなり写真を撮っていた筈なんですが、9時代の「はくつる」「津軽」の時間は避けていたようです。







3枚とも 昭和57年11月6日 上野駅にて EF5889牽引 上り急行「津軽2号」

上越新幹線開業直前、上野駅へ時代の変遷の様子を収めに行きました。
標準塗装時代のEF5889の牽引で上野駅に到着した上り「津軽2号」。たった半年後なのに、A寝台車もとうとう運用から外れてしまいました。新幹線の開業により、東北方面の夜行列車は完全に冬の時代と化してきました。



昭和57年 上野駅にて EF58122牽引 上り急行「津軽4号」

これ、上の写真と同日でしょうかね。記録が曖昧です。
やはりA寝台がなくなり、わずかにマニ36とB寝台が1両だけ残った寂しい姿です。
新幹線が開業すれば、客車急行列車も殆どが消滅し、EF58の運用も縮小することが目に見えていました。しかし、上の89号機やこの122号機は誰もが予想しないほど長く生き残ったわけですね。



昭和60年1月5日 東北本線 栗橋~東鷲宮間にて EF58154牽引「津軽」

昭和58年7月のダイヤ改正で1往復が廃止、同時に20系化された「津軽」。ナロネ21を改造した自由席車ナハ21を3両連結してグレードアップを図りましたが、自由席車が少ないことから苦情が殺到、間もなくオール14系座席車に変わります。
しかし、今度は寝台車が連結されていないことへの不満が出てきたため、14系寝台車を併結することとなりました。
写真は、そんな過渡期を越えた14系寝台車+座席車の時代で、結局は、この姿が最後の客車急行「津軽」となり、後に電車化→臨時列車化→廃止という運命を辿ることになりました。

せっかく良い時間帯を走っていた列車なのに、本当に撮った数が少ないです。これは「津軽」以外にも、「はくつる」や「あけぼの6号」にも共通して言えます。14系ハザ時代や、20系時代、そして電車時代。全く撮っていません。

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