マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

国鉄 出雲市駅機関庫(レンガ庫)

2019-06-30 21:33:00 | 駅・停車場・操車場
国鉄 出雲市駅機関庫(レンガ庫)


山陰本線にある出雲市駅。
県庁所在地でも無い駅ですが、昔から山陰地区の交通の要衝として有名です。
現在でもその地位は揺らぐことなく、山陰地区における特急列車の拠点となっており、現在唯一となった定期寝台特急「サンライズ出雲」の最西端到達点にもなっています。


過去に2度ほど出雲市駅を訪れたことがありますが、いずれも昭和時代となります。
初訪問は昭和55年8月で、特急「やくも」を撮影後、夜行普通列車「山陰」に乗車するために利用しました。2度目は昭和59年2月で、大社線に乗車後、出雲大社を観光し、やはり夜行普通列車「山陰」に乗車するために利用しています。

いずれも夕刻から「山陰」の発車時刻である19時まで駅及び周辺をブラブラしていた筈ですが、最初の時は何をしていたか全く記憶はなく、2回目の時は暇つぶしに駅前のパチンコ屋に入り、パチスロでかなり儲けて夕食を買いに行った記憶くらいしかありません。
駅前もそんなに栄えていたような印象もなく、Wikipediaに載っているような駅前の光景もまったく記憶にないのが残念。

あまり印象が残っていない出雲市駅ですが、唯一、駅の情景を印象付けているのが駅構内にあった機関庫(レンガ庫)の写真です。


※撮影は、昭和55年8月、出雲市駅にて。




過去ログ『キハ181系:特急「おき」(その1)』からの再掲写真です。
出雲市駅の下関寄りから撮影したものであり、構内にはそこそこ広さのある留置線があるのが判ります。旧型客車が留置されているので奥が見えませんが・・・




留置線の奥には機関庫(レンガ庫)があり、検修中と思われる車両が留置されています。
写真はおそらく300mmレンズで撮影したものと思われ、ホームからはそれなりの距離があるようです。
これはキハ181系「やくも」が留まっていたために偶然撮影したもので、写真には2線分しか写っていませんが、ググった情報では3線分のレンガ庫であったようです。暗がりで見づらいのですが、庫の中にはスユニ60と思われる客車も見て取ることができます。

昭和40年代前半くらいまでは、交通の要衝として蒸気機関車などが元気に構内を駆け回っていたものと思われますが、この時代でも構内は静寂な印象しかありませんでした。

出雲市駅は平成10年に高架化されたらしく、現在の駅舎写真や航空写真から確認してみましたが、当時の面影はまったく見当たりません。
駅前(おそらく北口)でブラブラしたときは、ゴチャゴチャしていてホコリが立ちそうな街の印象しかないのですが、現在は想像を絶するほど整った都市に発展したようです。逆に、昭和の鉄道の街を回顧することがまったく出来なくなってしまい、寂しさを感じざる得ません。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村

ED7712牽引 12系客車:臨時急行「ばんだい」

2019-06-29 22:49:00 | 国鉄・JR急行列車
ED7712牽引 12系客車:臨時急行「ばんだい」


磐越西線の電化区間用電気機関車として導入されたED77形交流電気機関車。

量産型15両が誕生しましたが、貨物列車の削減や、東北新幹線開業に伴う余剰急行形電車の導入などもあって、約半数の7両のみがJRに継承されました。
平成5年、路盤強化によってED75の入線が可能となったため、全てのED77形機関車が運用を終えています。

昭和57年に東北新幹線が大宮暫定開業、昭和60年には上野までの延伸を達成することになり、東北本線の殆どの急行列車が廃止されることとなりますが、多客期にはまだ少数ながら臨時急行が運転されており、上野口においても「ざおう」「ばんだい」の設定がありました。

国鉄の分割民営化直後ですが、磐越西線への撮影において、ED77牽引の臨時急行を撮影したものがありました。



昭和62年4月5日 更科(信~)翁島間にて ED7712牽引 臨時急行「ばんだい」

国鉄時代に1度だけ訪れたことのある磐越西線の電化区間ですが、この時は2度目の訪問であり、既に半減した後でした。試作車の901号機も既に廃車になっていたのが残念です。

当時は12系急行など興味の対象外でしたが、ED77の活躍も先が見えており、今となっては貴重な記録となってしまいました。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村

キハ58系:普通列車(磐越西線)

2019-06-23 21:44:00 | 国鉄・JR普通列車
キハ58系:普通列車(磐越西線)


磐越西線の喜多方~新津間は非電化区間であり、昭和50年代半ばまでは殆どの普通列車が客車列車によるものでしたが、短区間列車を含む一部の列車は気動車による運転となっていました。

この区間の撮影は昭和末期からなので、当時運用されていた気動車の形式は良く知らないのですが、東北新幹線開業後となると本線系の気動車急行が激減したことにより、その運用から外れたキハ58系がかなり幅を利かせていたようです。特に、急行から格下げされた快速「あがの」を含め、キハ58系以外の気動車を見た記憶がありません。



昭和61年11月22日 喜多方~山都間にて

光線状態からしてかなり早朝の時間。喜多方から新津方面への初列車である新潟行の221D辺りではないかと思われます。
鹿瀬~新津辺りまでが通学時間帯に当たるためか、5両という比較的に長い編成が充当されているのかもしれません。



平成2年10月28日 荻野~鹿瀬間にて

こちらは平成になってから。あまり良く覚えていませんが、陽が高いところからすると、前述の新潟折り返しと思われる会津若松行きかもしれません。
この頃になると新潟色が発生しており、検査の度に同色が増殖していったように思います。

この時代はまだ車齢が比較的に浅かったこともあり、まだまだ普通列車に活用されていたキハ58系でしたが、東北地方のキハ58系は冷房化率が非常に低かったことなども災いしたか、比較的早いうちにキハ110系に置き換えられてしまったようです。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村

東京都交通局:日産+西日本車体工業 RM ノンステップ車

2019-06-22 18:26:00 | バス・トラック
東京都交通局:日産+西日本車体工業 RM ノンステップ車


久し振りになりますが、都バスシリーズです。

所有台数の多い東京都交通局では、毎年車両が更新され、年度によっては多くの車両が導入されます。今でこそバスの製造会社が減ってしまい、OEMにより個性的な車両もあまり見ることができなくなってしまいましたが、10年ほど前にはまだ様々なメーカー、年式の車両が走っていました。

いすゞや三菱、日産を中心に、富士重工の車両なども多くあり、関東では比較的に少なかった西日本車体工業架装の車両も導入されていました。

西日本車体工業の車両は殆どが96MCノンステップではなかったかと思われますが、これ以外にかなりレアな車両がいました。



平成22年6月3日 一之江駅前にて 臨海支所 G896

外回りで江戸川区に行く機会がありました。午前から午後の場所に移動する際、一之江駅のバス停で京成バスを待っていると、一つ前のバス停に都営のノンステップバスが停まっていました。ノンステップ車なので気にも留めていなかったのですが、「これ字幕車だね」と同伴氏に言われ、まだ発車まで時間もあったので、前に回って覗き込んでみました。
すると、今までに見たこともないミョーな顔付きだったので、取り敢えず写真に撮っておいたものです。

家に帰ってから調べてみますと、日産UDのシャーシに西日本車体工業RMのボディーを載せた車両で、都営バスではどうも3台しか導入していないレアな車種のようです。
ミドルボディーに釣り合いの悪い大きなCNGタンクカバーを付けた、何とも不恰好に見える姿。しかし、逆にそれが非常にレアさを物語っている感じがします。フロントマスクも無用な出っ張りがあり、他ではあまり見られない特異な顔付きになっています。

都バスの更新は概ね15年サイクルのようですが、この車両もCNG仕様であるため、もうとっくに引退してしまったと思われます。その後も二度と会うことはありませでしたので、貴重な資料となりました。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村

DD51牽引 50系客車:磐越西線(その1)

2019-06-15 16:50:00 | 国鉄・JRディーゼル機関車
DD51牽引 50系客車:磐越西線(その1)


磐越西線は郡山~新津を結ぶ路線で、スイッチバックとなる会津若松を起点に運転形態が大きく変わります。また、郡山~喜多方間は交流電化されている関係で、会津若松~喜多方間は郡山からの電車と新津からの非電化列車が同居しているという、変化のある路線となっています。

現在は全線から定期客車列車が撤退してしまったため、郡山方の電車運用と新津方の気動車運用が中心となりますが、かつては全線を通して客車列車が運転されていました。

会津若松~新津(新潟)間の客車普通列車は、無煙化からDD51が牽引機として活躍し、昭和50年後半頃までは旧型客車が使用されていましたが、東北本線とは違い、磐越西線では早くから50系客車が使用されました。

私が友人と非電化区間へ良く通うようになった頃には既に旧型客車が撤退しており、当時新型であった50系客車は興味の対象外となっていましたが、東日本ではディーゼル機関車が牽引する客車列車が殆どなかったためか、地域別に捉えてみると、一番多く通った路線でした。

今回は50系客車時代の客車普通列車の写真を集め、1回目として昭和時代に撮影したものをアーカイブしたいと思います。



昭和62年6月13日 山都~喜多方間にて DD51781牽引



昭和62年6月13日 喜多方~山都間にて DD511182牽引
 
運転免許取得後で、ED77の記録も兼ねて訪れていたようであり、足を延ばした程度の感覚で初訪問となったようです。



昭和62年6月14日



昭和62年6月14日 DD51793牽引



昭和62年6月14日 塩川~会津若松間にて DD51757牽引



昭和62年6月14日 塩川~会津若松間にて

この時もED77絡みですが、ED77牽引普通列車の写真を撮らずに、山奥まで入っていたようです。
50系客車は、基本的にオハフ+オハ+オハフ+オハ+オハフの5両編成が基本となっていたようでした。



昭和62年11月22日 山都~喜多方間にて 



昭和62年11月22日  喜多方~塩川間にて

こちらは晩秋となります。
バックは飯豊連峰でしょうか、既に積雪があったようですね。
通勤通学の列車は、ご覧のような8両編成という長い編成が使用されていました。



昭和63年2月13日 喜多方~山都間にて

こちらは青函連絡船の廃止前、北海道渡道への訓練を兼ねて訪れたもの。
客車列車を撮るというより、12系お座敷客車を牽くDD51745を撮るためにわざわざ訪れた時に撮影したものです。

平成時代になってからの写真も何枚かありますので、別の機会にご紹介したいと思います。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村