マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

私有貨車:ホキ5700

2021-06-30 08:03:00 | 貨車
私有貨車:ホキ5700


KATOから「ホキ5700 秩父セメント 8両セット」が発売されました。

昭和の時代から写真を撮っている身としては、ホキ5700というセメント輸送貨車は身近で当たり前の存在であり、過去河合商会で発売していた貨車を当たり前のように揃えていたものです。

しかし、やはりその出来は満足できるものではなく、老舗KATOのグレードで製品化されたことを嬉しく思います。

そんな当たり前の貨車ですが、当たり前の活躍を知らない世代の割合が多くなってしまったのも時代の流れ。何かの役に立てばと過去の記録からその現役時代の写真を拾ってみようと思いました。




まずは飯田線でED62が牽引する貨物列車。
咄嗟に撮ったものらしく、あまり良い構図ではありません。ホキ5700もちょっとしか写っていないので、見本写真としてはどうも・・・ですね。

ホキ5700を牽引する列車は辰野方からのみ設定されていたようで、結構写真を撮った割にはこの1枚しか見当たりませんでした。

KATOのホキ5700の取っ掛かりはこのシチュエーションをモチーフにしたようで、「タキ25000+ホキ5700飯田線貨物列車 4両セット」として発売されました。この時は値段が高かったので購入は見送ってしまいました。

なお、ホキ単品2両セットも発売されており、これについては購入しています。




やはり秩父セメントと言えば八高線を思い出します。DD51重連が牽引する専用列車は良かったですね。
編成中にタキ1900が連結されていますが、正直なところどのような使い分けであったのかよくわからず、セメント専用列車にしてもランダムに連結されているようにしか思えませんでした。模型の中でもそんな自由さで楽しんで良いと思います。




上越線の上り貨物列車で、EF641000番代が牽引しています。
国鉄時代ですが、59・2大合理化以降、車掌業務の廃止以降の列車であるため、緩急車の連結がありません。一般貨物が混結されなくなったため、面白みがなくなりましたが、今回のセットそのままという感じの編成です。


大宮操車場勤務時代は、このホキ5700にも随分と乗ったものです。
特に駅別入換に入って来るので、熊谷貨物ターミナルまで行くと思われるホキ5700やタキ1900がハンプ下り16番線に大量に落ちてきました。
ホキ5700等の貨車は単車が殆ど無く、3両から長いものだと10両以上繋がっているものも珍しくありませんでした。
群線の中でも一番短い16番線では、このような車群が落ちてくるとすぐに一杯になってしまうので、なんでもありで限界のない17番線へ振られるのが当たり前の日常でした。

ここではその群線に停車するホキ5700等をご紹介したかったのですが、写真を撮ったタイミングが悪かったようで、あまり良い写真がなかったため、残念ですがカットさせていただきます。


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キハ100系:快速「しもきた」

2021-06-28 00:26:00 | 国鉄・JR快速列車
キハ100系:快速「しもきた」


青い森鉄道八戸・青森~JR東日本大湊線大湊を結ぶ快速「しもきた」。

国鉄時代に青森~大湊を結んでいた急行「なつどまり」が起源になるとおもわれますが、快速となってからは青森~大湊間が1往復の設定に対し、八戸~大湊の方が3往復の設定と、こちらの方がメインアクセスになっているようです。ちなみに、昭和53年の時刻表を見ると、八戸~大湊間の直通列車の設定はありませんでした。


まったく気が付かなかったのですが、令和3年3月ダイヤ改正において、青森~大湊間に1往復設定されていた列車が廃止になってしまったようです。

本来ならあまり縁のない場所ですが、寝台特急「日本海」を撮影に行った際、偶然にも撮影していました。



平成24年3月11日 青森駅にて キハ100-21 3534D 快速「しもきた」

初日、ちょうど青森駅に到着した際に遭遇しました。愛称も表示されていて、撮り甲斐のある列車です。
それにしても、単行とはさびしい。キハ100が検査時はキハ40系が使用されることもあったらしいです。



平成24年3月13日 青森駅にて キハ100-204 3534D 快速「しもきた」

撮影最終日、時間があったので駅をぶらつきに行ったらまた逢いました。
反対側から撮るとバックにハープ橋が写せることが分かったので、1両でまとまりも良いことだし、ちょっと凝ってみました。結果として良い記念になりました。


そう言えば、キハ100系って全然撮ったことがないような気がします。
ちなみに、0番代は64両を製造、200番代はたった5両のみ。
0番代がプラグドアなのに対し、200番代は引き戸化されているということです。

短い滞在期間で2種類の車両で記録できたのは大変良かったです。


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JR貨物:EF651056

2021-06-26 19:12:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
JR貨物:EF651056


EF65PFシリーズで、今回はJR貨物のEF651056ですが、ちょっと残念な記事です。


1056号機は、昭和51年度に久し振りに生産が再開された後期型PF(PS22Bパンタグラフを搭載)のトップバッターとなるカマです。
昭和51年12月16日に落成し、首都圏の旧型電機の置換え用として新鶴見機関区に配置されました。後期には高崎機関区に配置されていたようです。

実は、このカマには会ったことが無いようで、実車の写真がありません。



平成25年5月5日 東京貨物ターミナル開業40周年公開にて

EF651056のナンバープレートのみです。
入札開始価格で¥280,000-!・・・切り抜きナンバーですらないのにちょっと高過ぎじゃないですか?

同機は原色青プレートの出で立ちで、既に1121号機1122号機ではご紹介していましたが、当時は2機しか居ないレアガマだったそうです。

この写真は平成25年の撮影ですが、同機は平成22年3月16日付で廃車になってしまったようですので、私がPFを撮影するようになった頃には既に休車等で稼働していなかったかもしれません。


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根室本線 混合列車:混441レ&混444レ

2021-06-23 08:43:00 | 国鉄・JR普通列車
根室本線 混合列車:混441レ&混444レ


今回は写真ネタではないのですが、ちょっと身近で話題になっている時刻表ネタからご紹介します。


過去ログ『国鉄 釧網本線:混合列車&客車列車』において、北海道の混合列車をご紹介したことがありました。
資料によると、SL時代にはこの釧網本線だけではなく、石北本線や宗谷本線なども含め、北海道の幹線では至る所で設定されていたようです。
私が初めて北海道に行った昭和50年代半ばにおいても、根室本線では混合列車が走っていたようなんですが、当時はそのような情報を知る由もなく、非常に勿体ないことをしてしまいました。


今回話題になったのは、その根室本線の釧路~根室間に設定されていた客車列車。これがあまりにもすごい列車なので、写真が無いのが非常に心苦しいのですが、記事にしてみたいと思いました。



交通公社時刻表 昭和54年4月号より拝借

切り取りの関係で見えなくなっていますが、札幌~釧路間を走っていた夜行急行「狩勝」(のちの「まりも」)から、終点の釧路で接続するように、客車列車の441列車根室行きが設定されていました。
時刻表からはその接続を確認するだけに留まってしまわざる得ないのですが、実はこの列車が非常にクセものだったというお話。


この列車、他の方の記述によれば、旧型客車2両に郵便車1・荷物車1を合わせた4両編成が基本となっていたようです。しかも、その編成は、急行「狩勝」から寝台車をすべて外したものがそのまま根室に行くらしく、言い換えれば根室行きの急行「狩勝」と言ってもおかしくないわけです。ただ、旅行客はその1本前に急行「ノサップ」が接続していますので、旅行客は何もこの遅い列車を選択することはないでしょう。実際に、この列車は途中通学客でかなり乗車率が良かったようです。

そしてこの郵便車+荷物車ですが、隅田川から青函連絡船に乗り遥々とやって来た長距離ランナーで、急行「ニセコ」から引き続き「狩勝」となり、441レとなって根室まで来ていたというのだから凄いですね。

さらにもう一つ、最大のサプライズはこの列車に「北海ライナー」のコキ10000が2両連結されていたということ。ただし、441レの記録があるのか、上りの444レだけだったのか、この辺りは調べきれませんでした。


100km/hの高速で走ることのできるコキ10000が、最果ての地で混合列車となって根室までやって来ていたというのは想像できませんでした。北海道に何回も通っていながら実物を見ることができなかったのが非常に残念でなりません。


まあ、過去のことを今更悔やんでも仕方がないので、こんな良いネタをどうしたいか?と考えた時、真っ先に模型で再現できるじゃないか!となる訳ですね。
実編成の写真を色々と見てみたいと思うのですが、この根室本線の混合列車に関してはあまりHITしないんですね。コキ10000は連結されていても2両だそうですので、もうちょっと貨車を足しても有効長に収まりそうな感じです。
北海道らしさということであれば、レム5000やトラ、石油系のタキとかでも良いかもしれません。

なかなかレアモノだったんですね。


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国鉄コンテナ:5個積み派? 4個積み派?

2021-06-19 12:44:00 | 貨車
国鉄コンテナ:5個積み派? 4個積み派?


コンテナ車と言えば100系列しか知らないという世代の現代。
しかし、コンテナ輸送が始まったのは60年も前の昭和34年。誕生から好評を得て推移し、現在へと続いています。

その標準となるコンテナは、いわゆる12ftコンテナと言われるもので、コキ50000が誕生して以降の一般的なスタイルとなっていますが、誕生当初はいわゆる10ftコンテナ(実際は11ft)でした。

登場時の貨車はチキ5000を名乗り、改良を重ねながらコキ5500へと標準化され、10ftコンテナを5個搭載できるようになっていました。
しかし、さらに輸送効率を上げた12ftコンテナとコキ50000系の普及に伴い、車長の短いコキ5500には従来のような5個積みができないケースが発生するようになったため、10ftコンテナの減少に連動するように4個積みへと改造されて行きます。

これは同じ形態の高速貨車コキ10000系も同じことが言え、やはり5個積み→4個積みへの改造が迫られることになりました。



昭和57年10月4日 瀬野~八本松間にて

コキ5500を押し上げるEF61200番代。C20系列を満載する一般貨物編成で、隙間の開いた等間隔の4個積みは後年のコキ5500の特徴です。

これらの改造は短期間に実施されたわけではないらしく、当時はあまり気にしたことがありませんでしたが、今写真を見返してみると、これらが混在・混成していた様子が分かるものがいくつか出てきました。
このような状態は昭和50年代半ばくらいまでは続いていたようです。



昭和54年5月 品川駅にて

品川駅で出発待ちをするEF651牽引の貨物列車。
2・3両目がコキ5500の初期型。2両目は4個積み改造後、3両目は未改造でC10系コンテナが5個積載されています。
同時期まで5個積みのコキ5500を撮った写真はいくつか見つかっていますが、2両ならんでいる姿はなかなか難しいです。
当時は積載するコンテナの種類によって積載できるコキ5500やコキ50000を使い分けていたということになりますので、現場では色々と苦労があったのではないかと思われます。



撮影時期不明 品川駅にて

EF65F型重連が牽引する貨物列車。
1両目がコキ50000、2両目がコキ5500初期車、3両目がコキ5500後期車です。コキ50000が旧型のC10系コンテナのみ、コキ5500はいずれもC20系と混載になっており、この辺りの不合理さも過渡期の特徴と言えます。


その後、C10系の減少により5個積みのコキ5500は消滅することになりますが、5→4個積みになることで輸送力が20%も減となることからコキ5500は余剰化することになります。


今回このような記事を記したのはTOMIXからコキ10000系が再生産されることになったのがきっかけです。
コキ10000もコキ5500も共通して言えるのですが、TOMIXでは両形式とも4個積み仕様で製品化しており、後発であるための再現性の良さもあり、さらに民営化後の貨物列車再現も可能となっている点で評価できます。

一方、KATO製品は50年近くも前に設計されたものを未だにリニューアルせずに販売しており、5個全部が繋がっているコンテナ、車体共通化のための無理な車体表現など。コンテナも交換できなけりゃ台枠のヌキ表現も無し、コキフ10000はテールランプも点灯しないし車掌室で無い側のエンド表現もありません。値段はもちろん差がありますが、昔に比べると値上がりしています。

今回、予約在庫を探していた時に目にしたのが、KATO製コキ10000系が1両で4~6000円で販売している店があること。こんなものにそんな大金を出して買うヤツが居るか?と、正直なところバカにしています。

かつてKATO製のコキ10000系を改造パーツで4個積みに改造すること約20両。大金を掛けたのですが、こんな模型事情になるのであればTOMIX製を待った方が良かったと思ってしまいます。
それよりも、近年のKATOが意味不明なコンセプトで新規製品化やリニューアルを続け、値上げを断行しているイメージが強くなっています。むしろ人気があるのに旧態然とした車両の再生産などモデラーをバカにした経営方針を改め、期待を裏切らないリニューアルに舵を切り直すことを希望するばかりです。マジ潰れますよ。


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