マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

東京都交通局 上野懸垂電車(上野動物園モノレール):40形(前編)

2019-10-29 23:04:00 | 公営鉄道(地下鉄・路面など)
東京都交通局 上野懸垂電車(上野動物園モノレール):40形(前編)



上野動物園内を走るモノレールが廃止の危機に直面しています。
実は、このような状況は初めてではなく、平成11年にもありました。
3代目となる30形が老朽化で更新が必要になった際、阪神淡路大震災の教訓に基づき実施された耐震診断で、橋脚の耐震補強が必要となったのです。
この時、ちょっとだけですが仕事に関わったことがありました。車両だけでも当時1両で1億円超という概算に驚いたものです。さらに、耐震補強にもかなりの費用が掛かることが分かり、東京都交通局は廃止の方針を打ち出していたようです。
しかし、上野動物園の看板でもあるモノレールを無くしたくなかったのでしょう。動物園を管理する東京都建設局が工事を実施し、運行を交通局が行うことで存続が決定したのです。
車両の製造には宝くじの助成金を充てることも実現し、40形車両には「宝くじ号」のロゴが表示されています。

あれから20年、また同じ現実を突きつけられ、令和元年10月31日をもって運転が休止されることになってしまいました。どこの記事で見たか忘れましたが、車両の製造のみでも前回とはかけ離れたべらぼうな金額が掛かるということです。
復活があるのかないのか、今は休止という現実を受け入れるしかありません。確実に言えることは、現在の40形が復活することはないということです。


そんな経歴に関わったモノレールですが、この40形が導入されてからは上野動物園には行ったことがなく、今回の撮影が最初で最後という、なんとも寂しい結果となりました。
枚数をそこそこ撮ってきましたので、2回に分けてアーカイブしたいと思います。


※撮影は、令和元年10月27日です。


西園駅から発車する40形。


多分、東京スカイツリーが写し込める唯一の場所。ただし障害物が多くて画にならず。


このアングルだけは都会的な雰囲気。





















周辺の樹が高いので、順光なのに陽当りが良くありませんね。多分、木が育って昔よりかなり大きくなってしまったんでしょうね。

運行最後の日曜日ともあって、モノレールに乗車するために行列するお子様連れ、モノレールには乗らずにただひたすら写真を撮り続けるテツ達。思い思いに時間を過ごしていました。

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東武鉄道 ED4010形電気機関車:ED4012

2019-10-26 13:21:00 | 私鉄(大手)
東武鉄道 ED4010形電気機関車:ED4012


電化のイメージが強い東武鉄道各線ですが、需要の大きかった貨物輸送では蒸気機関車が幅を利かせていたそうです。
そんな東武鉄道に初めて電機関車が導入されたのは昭和5年で、しかもたった1両だけだったということです。終戦後、戦地向けの電機関車として東京芝浦電気で製造されたED40が、終戦による注文流れで昭和20年に東武鉄道へやってきたそうで、この2両が後のED4010形となります。

高校時代、東武鉄道に凸型の古い機関車が居るという情報は友人から得ていたと思いますが、当時は貨物列車のダイヤなど知る由もなく、幅を利かせていたED5000系の機関車しか見たことがありませんでした。



昭和57年8月23日 杉戸(現東武動物公園)駅にて ED4012

この日は千葉方面を中心に大回り乗車をしており、何故こんなところに寄り道したのか全く覚えていません。
たまたま杉戸駅を通り掛かった際、特徴のある凸型の機関車を発見して撮影したように思います。当時は貨物列車に興味を示すこともなかったので、このような地味な機関車を撮ることも殆どなかったのですが、さすがにこのスタイルの機関車は古いものであることが分かりますので、喜んで撮影した記憶だけが残っています。

同車は昭和61年6月27日付で廃車になったことになっていますが、実際には国鉄59・2ダイヤ改正で貨物列車が激減したと思われますので、かなり前から運用離脱していたものと思われます。
除籍後も保管されていたようですが、残念ながら解体されてしまったようです。

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ED7114牽引:旧型客車列車(東北本線)

2019-10-21 00:21:00 | 国鉄・JR電気機関車(交流・交直流)
ED7114牽引:旧型客車列車(東北本線)


当ブログにおいて、過去ログで何回かご紹介してきた東北本線のED71形電気機関車ですが、今回の記事がラストで、唯一撮影することができた旧型客車による普通列車の写真をご紹介したいと思います。


※撮影は、いずれも昭和57年6月22日です。


在来線特急「やまびこ」の最後を撮影するため、福島県を訪れました。
前日に駅名が改名となる「東那須野」「「磐城西郷」と寄り道、入場券購入などをしながら初めての飯坂温泉で宿泊、早朝から撮影へと出掛けました。

その際、移動に便利な藤田行きという珍しい行先の普通列車に乗ります。



福島駅にて ED7114牽引 523レ 藤田行き

郡山発の藤田行きという珍しい区間に設定された普通列車。牽引していたのはなんとED71。
ED71そのものも終焉に向かいつつある頃で、写真を撮るようになってからも数年間、ED71が客車列車(臨時以外)は見たことがありませんでした。

当該列車が郡山駅からの下り始発列車であり、早朝の通勤通学対応列車であったようです。この時代、同区間に電車による普通列車は1本もありませんでした。



藤田~桑折間にて ED7114牽引 1524レ 福島行き

紙焼きが良くないので画像が大荒れなのはご勘弁。
藤田駅で折り返し、福島までの短距離列車となります。もちろん牽引は着回しを行ったED7114。これも福島市内への通勤通学時間にちょうど良い設定の列車です。

藤田~貝田間を徒歩撮影したのですが、滅多に見ることのできないED71牽引の普通列車を見逃すわけには行かず、目的地とは反対側の桑折寄りに歩いて撮影しました。

ED71は少数ながら運用は残っていたようですが、この写真を撮影した年の11月22日を最後にすべての運用から離脱したそうです。


国鉄 交流型電気機関車:ED71(その1)
国鉄 交流型電気機関車:ED71(その2)
ED7114牽引:12系臨時急行列車

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EF58牽引:謎な客車列車

2019-10-19 22:37:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
EF58牽引:謎な客車列車


昔撮った写真はアルバムに整理しているために、そのシチュエーションというのはそれなりに覚えていますが、それでも良く観察すると記憶が曖昧になってしまっていたり、思い込みだったのが実は違っていたりと気付かされることがあります。
今回はそんな写真から1枚ご紹介いたします。



昭和53年10月頃? EF58牽引 東北本線 上り客車列車

ヒサシ付き小窓のEF58が牽引する客車列車で、光線状態と影の状況から16時くらい想像します。
スノープラウが装備されていないため宇都宮運転所のEF58であることは間違いなく、ナンバーも3桁となっていることから、102号機・152号機・153号機のいずれかと思われます。

当時、東北本線上野口では客車普通列車が終焉を迎える時であり、上りの定期客車普通列車は1本のみ。これ以外に2本が存在していましたが、いずれも回送で戻されていたようです。
当時の記憶として、この回送列車と思い込んでいましたが、連結された客車がオユ10(冷房改造車)+6連となっていることから、???となってしまったのです。

東北本線の下り客車普通列車は、いずれも荷物車込みで10~12連くらいの長い編成であったことから、車両のやりくりの関係で、このような短い編成はちょっと考えづらいのです。しかも、荷物車なしで郵便車のみというのも不自然。
考えられるとしたら、転属等に関連する回送(配給)も有り得ますが、良く見ると客車の窓がかなり開いていることから、営業中またはその折り返しとしか考えられません。※客車を回送する際は、雨の吹込みを防止するため、窓は閉めなければいけません。

急行サボは無く、行き先サボが挿入されている様子は判りますので、多客臨の急行列車でもなさそうですし、修学旅行臨としてはこの時間帯の上りは考えづらいし、高校生が乗っていれば必ず窓から顔を出したり手がぶら下がっている。まして、臨時列車に郵便車の運用を設けることも考えられません。

そんな考察をしていたら、何が何だか分からなくなってしまいました。

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489系ボンネット白山色:特急「白山」

2019-10-17 00:04:00 | 国鉄・JR特急列車
489系ボンネット白山色特急「白山」


京都鉄道博物館で展示されているクハ489-1ですが、来館者の投票により白山色にラッピングされるそうです。
489系については、民営化の際に貫通型編成の一部を長野に残し、殆どがJR西日本に継承されましたが、民営化から1年半を経過した昭和63年12月、有り得ない塗装となって現れました。
それが白山色と呼ばれた塗装です。



昭和63年12月23日 西川口~蕨間にて

D51498が「オリエントエクスプレス」を牽いて復活運転をした際、撮影のために自転車橋上で待っていると、今までに見たことのない色彩の列車が来ました。何事か分からず写真を撮ったのですが、まさかの489系「白山」でした。
誕生・運転開始の詳細な日付は分かりませんが、おそらく首都圏に初めて姿を見せたのがこの時だと思われます。賛否両論というよりは、非難轟々という印象だったと思います。私もそうでした。



平成6年11月 古間~黒姫間にて

その後、こんな塗装の列車など撮影する気にはなれず、記録として残っていたのはD51498牽引「アップル号」を撮影に行った際に撮っていたものです。写真は下り列車のおそらく「白山1号」だと思われます。



平成9年8月20日 軽井沢~横川間にて

碓氷峠の廃止に当たり、最後は何度か足を運びましたが、189系「あさま」ばかりで変化の少ない碓氷峠では、115系普通列車やむしろこの白山色の「白山」の方が映えていたように思います。
実はこの写真、EF63をアタマにフツーの撮ろうとしていたのですが、フィルムの巻き上げを忘れてシャッターが切れず、慌てて撮影した結果の構図。489系を狙って撮ったようなふりしていますが、完全な失敗作です。


そんな忌み嫌っていた489系白山色ですが、結果的には489系非貫通型の白山色や、共通運用となっていた特急「あさま」、急行「能登」など、他の北陸本線を走る特急列車も含めて全く記録に残っていません。

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