マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

臨時寝台特急「エルム」(展示車)

2016-01-30 22:41:00 | 国鉄・JR特急列車
臨時寝台特急「エルム」(展示車)


「エルム」という列車名は、室蘭~札幌間を結んでいた準急列車に使用されていた。昭和25年~昭和36年ということから、かなり由緒のある名称ですね。
一旦は消滅しますが、北海道第3の特急列車である「北斗」がキハ82系で運転され、3往復に増発されるようになると、函館~旭川間と函館~札幌間という区間違いが発生し、これを整理するためか、函館~札幌間の1往復を「エルム」と改称し、復活することになります。昭和44年10月のことでした。
しかし、昭和46年7月にまた「北斗」に編入されてしまったため、その復活も2年足らずで再び消滅してしまうことになりました。

子供の頃、雑誌で見たキハ82「エルム」は、当時としても特急「オホーツク」以外に初めて見るカタカナ名の特急列車で、すごくかっこいい名称だな、と思っていました。ちなみに、昭和47年以降しばらくの間は「オホーツク」国鉄唯一のカタカナ特急であり、「オホーツク」の誕生前は「エルム」が唯一の列車だったようです。


時は過ぎ、青函トンネルの開業により寝台特急「北斗星」が運転を開始。当初は3往復のうち1往復は季節列車扱いとなっており、3・4号は食堂車の連結もないモノクラス編成となっていました。しかし、「北斗星」人気は留まるところを知らず、供給が追い付かない状況が続いたため、個室寝台を追加の上、食堂車を連結、定期化により3往復体制となります。
さらに、多客期にはこれでも供給が追い付かないため、予備車を使用して平成元年7月21日からモノクラスのみの臨時寝台特急が増発されます。
この列車に「エルム」の名称が充てられ、2度目の名称復活となりました。

運転本数はそこそこありましたが、臨時スジが限られている中で「夢空間北斗星」や山線経由、トマム方面など多数の列車が仕立てられたため、やや不安定な運転設定であったように記憶しています。
そして、「カシオペア」の誕生や利用者の減少もあり、平成18年のお盆輸送をもって運転が終了したようで、華やかであった北海道直通寝台特急の中でも一番地味な存在のまま、3度目の愛称消滅となってしまいました。


私が地元での撮影を復活したのが平成20年頃でしたので、日中の一番光線状態の良い時間帯を走っていた列車でありながら、ただの一度も撮影したことがありませんでした。撮りたいと思った頃には既に「北斗星」も2往復に減便されており、さらに1往復化されてしまうほど衰退していました。

したがって、私が撮った写真は尾久センターでのふれあいフェスタで撮影したもののみとなっています。



平成20年11月22日 EF8186

尾久センターではメジャーな存在である筈が、この1回しか撮ってありませんでした。
※他の回で展示された可能性もあります。



平成21年11月14日 DD51842


平成26年11月15日 DD51895


平成27年11月14日 DD51842

何故か実在しなかった筈のDD51の原色が3回も???
でも、こんなのが牽いている「エルム」を見てみたかったですね。



平成27年11月14日 オハネフ25

ブルートレインが全廃となり、車両が無くなってしまえばこのような展示すらできなくなってしまいます。
このオハネフの最後の展示になるかもしれない回では、センターの計らいで「北斗星」と「エルム」の並びが展示されました。
それまで客車での「エルム」の展示は記憶にありませんので、この回はこの写真を撮れたことが一番うれしかったかもしれません。本当に行って良かったと思いました。


まだ「記録」という意識が薄かった時代に無くなってしまった列車たち。
この列車も撮らずに終わらせてしまったことを後悔した列車でした。



ED75牽引:12系団体列車(磐越西線)

2016-01-26 01:41:00 | 国鉄・JR団体・臨時列車
ED75牽引12系団体列車(磐越西線)


今でこそ動態保存車となった12系客車ですが、東北新幹線が開業してもしばらくの間はまだ第一線で活躍していたんですね。
今回はそんな1枚です。



平成7年2月5日 磐越西線 更科信号場~磐梯町間にて

私も昔はこんな写真を撮っていたんです。仲間内では信じていない人も結構いますがw

ED77が、そして客車列車も撤退して魅力が無くなってしまった磐越西線でしたが、D51が走る毎年2月だけは大盛況でした。
会津まつりが催行されるためか、このD51が走る時はこのような団臨を見ることがありました。

写真は大きくなるようにしてありますので、拡大してお楽しみください。



DD51原色:寝台特急「カシオペア」(展示車)

2016-01-25 01:19:00 | 国鉄・JR特急列車
DD51原色:寝台特急「カシオペア」(展示車)


定期運転撤退間近となった寝台特急「カシオペア」。

函館~札幌間の牽引機は、平成11年の運転開始以来、一貫してDD51型が重連で牽引にあたりました。
「北斗星」は運転開始初期にDD51型原色が牽引しましたが、直ぐに北斗星色に塗り替えられてしまったため、後発の「カシオペア」の牽引は北斗星色のみとなっています。

したがって、原色のDD51に「カシオペア」のヘッドマークが付くのはイベントに限られました。



平成22年11月20日 DD51888



平成24年11月10日 DD51842

いずれも「尾久ふれあい鉄道フェスティバル」における展示です。
DD51は高崎のものですから、当然にして「カシオペア」を牽く機会はありません。

考えてみれば、私が最後に北海道へ行ったのが平成5年ですから、まだ「カシオペア」だとという列車自体が存在していません。よって、DD51牽引の「カシオペア」は実物さえ見たことが無い訳です。
鉄道誌などで見慣れてしまったため、新鮮さの感じられないDD51牽引「カシオペア」ですが、終わってみればこの架空の姿しか記録に残っていないというのも非常に残念です。



583系:特急「ひばり」

2016-01-24 01:47:00 | 国鉄・JR特急列車
583系:特急「ひばり」


キハ82系による季節列車として誕生した特急「ひばり。
定期化と共に483系化、さらに485系へと発展、列車本数も増発を重ねていきます。

昭和48年10月、13往復化と共に583系が1往復のみですが運用されるようになります。これは夜行寝台特急の間合い使用による合理化策でした。

気が付いた時には583系「ひばり」が走っていましたが、未だ誕生間もない頃だったようです。小~中学生の頃なので良い写真はありませんが、あるだけここにご紹介いたします。



昭和49年ごろ 須賀川駅にて

当時、急行か普通列車しか乗れなかった頃ですが、どうしても583系特急に乗りたくて親にせがんで乗った時のもの。583系乗車のデビューです。



昭和52年頃 宇都宮駅にて

EF57に逢いに宇都宮へよく通っていた頃。





昭和52年頃 上野駅にて

関西~九州の寝台特急用に新製配置されたクハネ583は、暖地仕様として開放タイプのタイフォンになっていました。
-29と-30が青森運転所の配置となり、約1年ほどそのまま使用されていましたが、のちに開閉式に改造されています。
当時は運用を知りませんので、これが撮れるかどうか、行き当りばったりでした。



昭和52年3月21日 栗橋~古河間にて



昭和52年頃 西川口~蕨間にて

部活をやっていたので、この頃は地元であまり撮っていなかったようです。



昭和53年9月 大宮駅にて



昭和53年9月 蕨駅にて

昭和53年10月の白紙ダイヤ改正にて、583系「ひばり」が消滅すると聞き、ギリギリに2回ほど撮影に行ったようです。
青森運転所の特急運用はなかなか帰還できない長周期で過酷なダイヤとなっていたためか、特急列車のヘッドマークをイラスト化するにあたり、1か月以上前からイラストマークへの交換を行っていたようです。
この時に撮影した「ひばり」も既にイラスト化されていましたが、改正後はこの姿で走ることもなくなってしまいますので、言わば幻のヘッドマークということになります。

583系は、下り「ひばり4号」と上り「ひばり10号」に運用され、登場時から運用廃止となる昭和53年10月まで一貫していたようです。
私の撮った写真はすべて下り「ひばり4号」でした。これは上野発10:00という大変活動しやすい時間設定であり、日没後の到着となる上り「ひばり10号」は撮影に向かなかったというのが大きな理由です。



伊豆箱根鉄道駿豆線:1100系

2016-01-23 00:33:00 | 私鉄(中小)
伊豆箱根鉄道駿豆線:1100系


今回は1枚モノですが、伊豆箱根鉄道駿豆線で永らく活躍した2100形です。

旧型電車を置き換えるため、平成元年~2年に掛けて導入された西武鉄道701系で、4両編成を3両編成に改造して使用されました。このような場合、モハ車に運転台を取り付けるのが一般的ですが、同車はクハにモハの動力を移設して制御電動車としたものらしいです。
3編成が導入され、平成2年から平成23年まで活躍しました。



平成20年8月16日 三島駅にて

500系「のぞみ」の写真を撮りに行ったときのもので、あくまでもついでに撮ったものでした。
昔からここを通りかかると、西武鉄道のカラーの電車を良く見たものですが、あまり興味もなかったので1度も訪れたことはありませんでした。
この回も乗り継ぎの際に偶然出くわしたもので、たまたま発車した同列車を辛うじて撮ることが出来たものです。

3編成のうち第3編成は701系の初期車で、乗務員扉の手すりが外に飛び出しているタイプらしいです。写真を拡大して見ると手すりが飛び出しているようなので、これがその第3編成のようです。

最後まで残った第1編成は、西武鉄道時代の塗装に復刻されました。撮りに行きたいとは思ったのですがどうも腰が上がらず、ついに最期を見ぬ間に廃車となってしまいました。