マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

485系非貫通型:特急「とき」

2014-06-29 00:09:00 | 国鉄・JR特急列車
485系非貫通型:特急「とき」


上越線の特急といえば「とき」が代表格であり、183系1000番代や181系が一番有名なところでしょう。
183系1000番代が登場する前、上越の雪は181系には過酷な道のりだったらしく、特に冬場は故障が多発したようで、485系のピンチヒッターも走ったことがあるようです。
そんなこともあって、183系1000番代という耐寒耐雪構造の車両開発が急務となり、誕生後は急速に置き換えられていったわけです。


ところで、上野駅でこんなのに出遭ったことがあります。



昭和51年 上野駅にて

これ、実際には特急「とき」ではないです。
確か「やまびこ」だったんじゃないかな?
でも、紛れも無く「とき」のヘッドマークを掲出しています。

まだ中学生のとき、それまで見たことの無かった交直流型の「とき」には驚いてシャッターを切りました。


前述のように、485系がピンチヒッターで「とき」に運用されたことがありますので、当時の仙台車や青森車には「とき」のヘッドマーク&方向幕が常備されていたのではないかと思います。しかし、定期の幕回しでは見たことがありません。

その後53・10でヘッドマークがイラスト化されたときには、183系1000番代も大量に増備されましたので、485系が「とき」に運用される想定も無くなっていますから、おそらく485系には引き継がれることは無かったと思います。

この時に撮影したほかのコマにこの構図の写真がないことから、幕回しではなく、指示ミスで「とき」の字幕が出ていたのではないかと考えられます。

それにしても、この前頭部の凹みは一体何があったんでしょうかね?かなり丈夫な厚のある場所ですから、相当なスピードで強固なものと衝突したとしか考えられません。

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旧型国電 モハ62系:身延線 アコモ改造車

2014-06-21 23:20:00 | 旧型国電
旧型国電 モハ62系:身延線 アコモ改造車


モハ62系は、モハ73系(旧63系)の下回りに、無理矢理113系のボディーを載せたアコモ改造車で、昭和49年に誕生しています。
外観では塗装こそ113系スカ色となっていますが、ベースは115系になります。113系と一見区別が付きませんが、厚い旧型国電の台枠に無理矢理接合する関係で、車体裾が絞られて、さらに直線部分があることが特徴です。

アコモ改造は経費節減のために取られた措置でしたが、思ったよりコストがかさみ、4両×3編成のたった12両の改造で終わりました。

同類には仙石線で活躍し、最後には103系新性能化されたモハ72970番代があります。103系のボディーを載せたモハ72は、4ドア車だったせいか970番代と73系を名乗ったのに対し、身延線で活躍していた3ドア近郊型に形態が変わったためか62系という新形式を名乗っています。※制御車はクハ66、電動車はモハ62。





昭和56年7月2日 鰍沢口~落居間にて



昭和56年8月21日 柚木駅にて





昭和56年8月21日 西富士宮駅にて

旧型国電が終盤を迎えており、貴重なクモハユニ44や低屋根クモハ、2ドア車のオリジナルクハ47など、魅力的は車両が活躍していましたので、戦前型廃車後も残ると言われた62系にはまず興味がありませんでした。
なぜこれらの写真が残っていたかといえば、編成数が少なかったなりにも115系が導入されつつある中で最後まで生き残ったため、この車両に当たる確率が高かったのでしょう。
今となっては、サイドから台車の特徴を生かした写真を撮っていなかったのが非常に悔やまれます。


読者の方から写真提供の依頼があったためにお貸ししたところ、大変面白い動画を作っていただきました。



佐久間レールパークで第二の人生を歩んでいたとは知りませんでした。
張りぼてに興味が無かったので写真すら撮ってこなかったのですが、記録はやはりもれなくしておきたいですね。

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国鉄 直流型電気機関車:EF59(その2)

2014-06-16 00:49:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
国鉄 直流型電気機関車:EF59(その2)


前回のEF59の続きで、昭和58年以降に撮影したものです。

EF59の形態は大きく分けると2つあり、1~19号機までが元EF53からの改造車です。各車ともに個体差があり、パンタグラフがオリジナルのもの、PS22Bに換装されたもの、テールランプがオリジナルのもの、埋め込み式に改造されたものなど、外観でも違うものが存在しました。
また、20~24号機はEF56から改造されたグループとなり、20~23号機が前期型丸車体で、24号機のみは後期型の角ばった車体となります。前車と同様にパンタグラフがPS22Bに換装されたものが存在しましたが、テールランプが改造されたものは無かったようです。

初回の撮影ではEF56改造のEF59に逢うことが出来ず、既に全廃になったと思いこんでいたのですが、その後の情報で1両のみ残っていることを確認していたと記憶しています。目標をそこに定め、瀬野八2回目の訪問と挑みます。挑むというのは、駅間徒歩が当たり前の時代で、駅間10km超での撮影はかなり過酷なものであったからにほかなりません。



昭和58年5月15日 EF5918+EF59??

18号機は運転席が窓が白Hゴムで、プレート式のナンバーが特徴だったようです。埋め込み式のテールランプはオリジナルのEF53とは大きく印象を変えてしまっています。それでも、EF57までの旧型電機は引退してしまいましたので、この時代としても貴重な存在でした。



昭和58年5月15日 重連回送

この時の撮影は、前回訪問時と比較して明らかに運用が減っていました。もしかしたら、曜日が良くなかったのかもしれませんが、その辺りの記憶は全くありません。とにかく、ポイントで待っても何もこないような状態で、移動時間ばかりという印象。
そんな中、国道を移動中に逃してしまったものも多くあったのかもしれません。見通しの良い場所で移動中にこのようなコマを撮ったことは、当時、非常に悔しかったのですが、今この絵を見る限り、日野のトレーラーがこんなバッチリ写っていることに大変感動しています。トラコレで作ってみたいシチュエーションです。
この重連回送、左側が18号機のようですので、前の写真の補機が回送されたもののようです。右側がPS22Bへの換装車ですが、残念ながらナンバーが識別できません。



昭和58年5月15日 EF593+EF5921

確かこの撮影で撮った最後のコマだと思いますが、ここでやっとEF56改造の21号機に逢えました。しかし、後部ではなかったのでバッチリという訳にはいきませんでした。
この後、回送にも逢えず終いで、1日掛けて歩いた割に3コマという結果にガッカリ感は最大級のものでした。



昭和59年2月10日 EF591

3回目の訪問は、59・2改正で大宮操車場ハンプが解体され、余剰人員になってしまった時。何もやることが無いので同僚と旅に出ました。連続の休暇を取るのは容易ではなかったですから、この休暇取得も心情としては複雑なものでした。
既にEF61200の配備は終了し、EF671がちょうど誕生して運用に入った頃でしょうか。休眠状態のトップナンバーは、休車なのか稼働状況なのかもわからない状態。しかも驚いたことに、EF61200番代にも休車が発生していました。
貨物列車の大合理化により、青い新性能車ですらお役御免になってしまった悲しい改正でした。



昭和59年2月10日 EF5921

構内を歩いていると、隅っこの方にスペシャルプレゼントが転がっていました。
もう撮れないと諦めていたEF56改造の21号機が、なんとパンタグラフを上げて停まっていました。この時は本当に嬉しかったですね。テツではない同僚にはその喜びが伝わっていなかったようですが・・・。
重連運用が当たり前の瀬野八で、何故単機で待機していたのか今でも不明です。右側には、休車を免れたEF61200番代と、登場したばかりのEF671が写っています。
PS22Bに換装された姿にはガッカリというところでもあるんですが、最後の1両となったEF56の生き残り、贅沢は言えませんでした。



昭和60年3月30日 高崎第二機関区にて EF5911

高崎第二機関区に、全国から貴重な車両たちが集められました。その中に、廃車になったEF5911の姿も見られ、EF30とともに遠く西から来たメンバーに驚いたものです。
せっかくですから、よりオリジナルに近い形態のEF59の方が良かったのでは?と思いましたが、EF53の元ナンバーで最若番である同車を引っ張ったのでしょう。
同車はEF532に復元され、保存されています。

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国鉄 直流型電気機関車:EF59(その1)

2014-06-14 20:29:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
国鉄 直流型電気機関車:EF59(その1)


西の箱根越えといわれる山陽本線の瀬野~八本松間では、上り列車に対して長く厳しい勾配となっていて、昔から補機なしでは列車を通すことのできない難所でありました。非電化時代はSL(C52など)が補機の任にあたっていましたが、電化に際して余剰となっていたEF53とEF56をその後任に選抜しました。この両者に自動開放装置など改造を施したものがEF59であります。種車の違いにより大きく2種類に分かれます。(種車の年次により、もう少し多く細分されます。)

私もEF59にはEF56の改造車がいること早い時期から知っていたので、逢いには行きたかったのですが、関東からの距離を考えると、これだけのために逢いに行くことは年齢的にも厳しかった時代になります。しかも、本来であれば、逢えずに終わっていたはずなのですが。

EF59の後ガマとなるべく、EF60初期車を改造したEF61200番代が登場したのですが、重連使用だと出力がありすぎて中間貨車を突き上げて脱線させてしまう危険があり、また、単機では1000t未満でないと出力が不足するというジレンマな状況になってしまいました。これにより、一部のEF59が生き長らえることになったわけです。

そして、後にこの問題をクリアすることになるEF67(一次車)が登場するまでの間に、私も行動範囲を広げられる年齢となり、山口線の撮影と兼ねて彼らに逢うという夢が叶ったのです。

行った回数は少ないでいですが、枚数があるので2回に分けてご紹介いたします。
今回は、昭和57年10月4日の撮影分です。



EF593+EF5918







EF5916+EF599







EF591+EF596

日中は貨物列車の本数が少ないためか、同じカマの組み合わせが行ったり来たりしているようでした。



EF5915+?


4重連回送

勾配は片道となりますので、下り坂は回送のみとなります。
通常は2両単位で移動しているようですが、スジを節約するためか、写真のように4重連回送も行われていました。確か、6重連回送や、EF61200を挟んだ5重連回送の写真を見た記憶があります。

この時は残念ながら大好きな元EF56に逢うことが出来ず、非常にガッカリしたものでした。EF61200が登場しており、既に廃車になってしまったか?

その2に続きます。

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211系:高崎線・最後のサロ入りC16編成

2014-06-11 00:24:00 | 国鉄・JR普通列車
211系:高崎線・最後のサロ入りC16編成


東北・高崎線の上野口では、E233系の増備により211系が撤退することとなりましたが、C16編成のみが平成26年3月の改正まで残存じました。
特に、平成25年には「高崎線開業130周年」として、先頭車のみですが湘南色のラッピングを施し、さらにヘッドマークを取り付けて長い期間を走り抜けました。
引退時に写真を取りまとめるのを忘れていましたので、遅くなりましたが総括しておきたいと思います。



平成25年7月6日 882M



平成25年7月6日 871M



平成25年7月21日 824M



平成25年7月28日 837M



平成25年9月14日 824M



平成25年10月1日 868M



平成25年10月25日 824M



平成26年1月3日 863M

装飾は平成25年度内とアナウンスされており、それで引退と思われましたが、年が明けると、ラッピングを外したまま運用に復帰しました。



平成26年2月19日 868M



平成26年2月19日 857M



平成26年2月19日 925M

首都圏も大雪に見舞われ、屋根に雪を積んだ211系を見ることができました。
平日の夕方1往復は、15連で運転されていました。




平成26年3月14日 868M

ダイヤ改正前日、北王子線の最終日にお別れに行ったのですが、ついでに「北斗星」をと思いましたら、211系が通る時間に間に合い、偶然に収めることが出来ました。
しかし、なんの予告もなく、C16編成はこの改正で運用離脱したようで、上野口から211系は姿を消してしまいました。
ほんとの偶然に撮れたこの1枚が、惜別写真になってしまうとは思いませんでした。


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