マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

気仙沼線:津波に呑まれた志津川駅

2021-03-11 00:10:00 | 国鉄ローカル線
気仙沼線:津波に呑まれた志津川駅


東日本大震災からちょうど10年が経過しました。
もう10年・・・という想い。長かったのか、あっという間と言えるのか。

乗り鉄ではないので、東北のローカル線には殆ど訪問した記録がなく、石巻線や仙石線までは行ったことがあるものの、三陸は未開の地です。クルマでは通ったかもしれませんが・・・。


そんな三陸で、バスで行ったことがある唯一の地域が南三陸町の志津川でした。平成23年4月、東日本大震災の発災から1か月弱のことです。
ただ、被災地への緊急支援のため、どこに何をしに行くかも告げられず、しかも、1日前倒しで出発するように命令されました。そんなことで、自分の行った場所が理解できませんでした。



昭和50年7月号 交通公社時刻表より

場所を把握する手段として、手元にあった時刻表路線図をスキャンしてみました。しかし、海岸沿いに志津川駅が見つかりません。良く見ると、気仙沼線がまだ完成していないのです。
気仙沼線は、昭和52年12月に全通、国鉄最後の地方交通線だったそうです。



平成26年6月号 交通公社時刻表より

近場の時刻表路線図で、震災発生後となりますが、路線図はそのまま掲載されています。
志津川駅は内陸部に入っているような表示ですが、これはデフォルメで、もっと海に近いですね。そのため、町の中心部を含め、大津波に襲われてしまいました。




支援先である志津川小学校から町の中心部方向を撮った写真です。
見渡す限りの更地になっていますが、家の基礎だけは残っており、かなりびっしりと家が建っていたのではないかと思われます。




中学校へ作業用のレンタカーを返却した帰り道、川もないのになぜか陸橋があるのでここを昇ってみて愕然としました。
知識のあるものならわかる、線路の路盤にしか見えない光景。ケータイしか持っていないので見易い写真ではないのですが、直線の奥のほうには土台のような残骸が残されており、ここが駅だったんであろうということも想像するに難くなかったです。

無くなってしまった街、そこら中に散らかった瓦礫・残骸ももちろんショックな光景でしたが、路盤流失でも大概は残るはずである線路が全く残されていなかったのは衝撃でした。津波がこれほどまでのパワーを持っていること。


震災からちょうど10年。支援に行った当時は、復興したらもう一度行ってみようと思っていましたが、とても復興したとは思えません。地元の方々もおそらく同じ気持ちだと思います。とても再訪問する気にはなれません。

原発事故さえなければもう少し早く復旧できたのではないかという想いもあります。復旧まで30年掛かると言われていましたが、現状を見るとあと20年で元通りになるとはとても思えませんし、何よりも亡くなられた方々はもどれません。離れてしまった方々は戻りたくないと思う方も多いように思います。

そして、また災害に襲われる危険のある気仙沼線は、BRT化により区間廃止とならざる得ない状況となってしまいました。

こんな辛い気持ちで迎える廃線は初めて。この機会を最後と願います。
改めまして、亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。


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国鉄 清水港線:622レ→621レ

2019-08-20 06:57:00 | 国鉄ローカル線
国鉄 清水港線:622レ→621レ


清水港線シリーズの最終回で、最後は乗車編です。

清水港線は貨物輸送が主体の路線であるため、唯一残っていた旅客営業列車も客貨混合列車となっていました。私が全国に出掛けられるようになってからは混合列車は殆どなくなってきており、実物を見たのは釧網本線のみでした。必然的に見ることができる清水港線は、本当にドキドキものでした。


1日目は清水駅から徒歩で終点の三保駅まで。
翌日の団体列車用12系お座敷客車「いこい」の据え付けが終ると、上り列車として組成されたのが前回のこの写真。



昭和59年3月22日 三保駅にて DD13140牽引 622レ

この日はタキ5450形が1両のみで、混合列車としては寂しい編成でした。
この列車に乗って清水駅へと戻ります。



折戸~巴川口間にて

清水港線の車内からの見どころはこの区間。1駅間、殆どがカーブで終ります。
かなりの乗車率で、ほぼ100%がテツでしょう。



巴川口~清水埠頭間にて

そして巴川可動橋へ。画面が曲がってしまいましたが、臨場感そのままアップします。
記憶が全くないのですが、写真を撮るために最後部の一番後ろの座席に乗っていたようです。



昭和59年3月23日 巴川口駅にて DE101524牽引 621レ

翌日は早朝に三保駅を発車する臨時団体列車を撮影し、その足で巴川口駅から下り列車に乗り込みます。
ホームでカメラを構えていると、やってきたのはなんとDE10が牽引する列車でした。当時、DE10は全国に腐るほどいましたので、本当にガッカリしたものですが、清水港線の列車でDE10牽引の列車写真は殆ど出てきませんので、もしかしたらかなり貴重な記録かもしれません。
※追記 タキの形式が何か、非常に気になって調べたところ、なかなかそれらしい資料が見つからなかったのですが、どうもアルミナ専用のタキ2000形っぽいです。アルミナ専用のタキは数形式がありますが、いずれも昭和電工か日本軽金属所有ということで、日本軽金属が三保工場を構えている点とも一致しています。




この日は4両ものタキを連ねており、混合列車らしい画になる編成でしたが、この写真はタイミングを逸してしまったようでした。



三保駅にて

短い旅を終え、終点の三保駅に到着した621レ。
タキが長過ぎたためか、客車の殆どがホームに入っていません。最後部に乗っていたため、車内を歩いてホームに降りた記憶があります。

ここで短かった2日間は完結となり、記憶は全く無いのですが、多分、バスに乗って帰って来たのではないかと思います。

ここでの列車番号は他の方の情報を元に表示していますが、昭和55年の時刻表では663レ・668レとなっており、完全な貨物列車扱いになっていたようです。このような扱いは全国でも珍しかったのではないでしょうか?

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国鉄 清水港線:三保駅

2019-08-15 06:03:00 | 国鉄ローカル線
国鉄 清水港線:三保駅


清水港線折戸駅からの続きで、さらに歩き続けると、翌日に運転される12系お座敷客車による団体列車の回送がやってきました。
写真を撮って見送ると、間もなく終点の三保駅に着きます。


※撮影は、昭和59年3月22日、清水港線三保駅にて。




単線の線路を歩いて行くと、三保駅の構内が見えてきました。
構内は想像を絶するほどの広さがあり、とても1日1往復のローカル線とは思えません。当時は良く知りませんでしたが、営業係数が全国1位だったことは今なら納得いくかもしれません。
12系お座敷客車が構内に入って来たことで、賑やかに動いていました。



スハフ422184


スハフ422286

配置客車はスハ43系の更新車(青色)ばかり5両で、通常は4両使用のようです。写真を見ただけでもこの時代としては非常に良い感じです。
考えてみると、この周辺には客車の配置はここ以外に全くなく、地域的には蒸気暖房車が一般的に思われますが、暖房を使用できないDD13牽引区間でありながら電気暖房車のみが配置されていることに違和感があります。もしかしたら、全国で旧型客車が淘汰された際、状態の良い客車を持ってきたのかもしれませんね。



駅名板

ホームは駅舎に接続した1面1線のみ。やはり貨物輸送の比重が大きい駅です。



駅舎

入口の部分しか撮っていませんでした。
上り列車の発車時間が近づくにつれ、どこからともなく大勢のファンが集まってきて、かつての烏山線アンドロメダ駅を思い出しました。



列車時刻表

大きさの関係からか、上りの到着列車まで表示されています。
清水から接続する列車も丁寧に案内されており、急行「東海」も今となっては懐かしい。
その横には編成の表示がちらっと写っており、最期に向けたファンサービスも有難く思います。



DD13140牽引 622レ

準備の整った622レ。この時代は線路からでも撮り放題。それでも撮り鉄は意外に少なかったイメージ。にわかお祭り家族っぽい感じの人たちが多かったように思います。
この日は、貨車がタキ5450形1両のみという寂しい編成でした。

半日かけて歩いた道を、この列車に乗って清水へと戻ります。

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国鉄 清水港線:折戸駅

2019-08-12 06:45:00 | 国鉄ローカル線
国鉄 清水港線:折戸駅


清水港線の続きで、巴川口駅から折戸駅へと移動します。

列車の来ない線路を三保駅方向へひたすら歩くと、着いたのが折戸駅。



昭和59年3月22日 折戸駅

清水埠頭駅と同じような、カーブを描く単線駅。しかし、こちらは建物が駅に迫るような雰囲気ではなく、閑散とした風景です。

ここから終点三保駅を目指します。


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国鉄 清水港線:巴川口駅

2019-08-10 10:11:00 | 国鉄ローカル線
国鉄 清水港線:巴川口駅


前記事の続きです。
巴川を渡ると、直ぐに巴川口駅になります。構内は非常に広くなっていますが、休日であること、列車がないこともあって、構内はひっそりとしてます。



昭和59年3月23日 巴川口駅舎

昔ながらの木造瓦葺の駅舎です。構内が広いので駅員が常駐しているようですが、客扱いは行っておらず、無人駅扱いのようです。
この写真は2日目に撮影したようです。





昭和59年3月22日

ホームは1面2線の島式ホームで、行き違いができるようになっています。
側線もあり、構内に隣接して小野田セメントがそびえ立っています。



昭和59年3月22日

側線に停車していた日通グループ清水運送のスイッチャー。
旧三保駅にスイッチャーの保存機があるようですが、当該車両とは別物のようです。


同駅は廃止後、下水処理センターの用地になったようですが、当該ホームが残されているそうです。

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