マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

JR四国 2000系:特急「いしづち」(アンパンマン)

2022-02-13 09:55:00 | 国鉄・JR特急列車
JR四国 2000系:特急「いしづち」(アンパンマン)


国鉄時代から通して四国には未だに1回しか行ったことが無く、JR四国の車両・列車もその時に撮影したものしかありません。その中でも、短時間で多く記録できるように、とにかく動き回りました。

国鉄時代、四国初めての特急列車として「しおかぜ」「南風」が設定され、キハ181系により運転が始まりましたが、国鉄末期にキハ185系が置き土産として導入されます。
JRになって間もなく、本四連絡橋(瀬戸大橋)が開通し、さらにキハ181系の置換えを目的に2000系気動車が導入されます。

宇高連絡船の廃止によって四国の玄関が変わってしまいましたが、四国で一番の都市である高松からも特急列車が存置され、瀬戸大橋組と併結・分割を行うようになり、予讃本線では特急「いしづち」の愛称が誕生しました。

特急「いしづち」では、8000系電車と2000系気動車が使用されていましたが、新型気動車の導入により、2000系は2020年3月8日をもって運用から撤退してしまったそうです。
ダイヤ改正ではその辺りの動きもチェックしていた筈なんですが、どうも失念してしまったようです。


※撮影は、平成22年7月25日、高松駅にて。



2000系 2110 


2000系 2152

アンパンマン仕様の2000系2両編成で出発を待つ特急「いしづち13号」です。

昭和40年代から続く鉄道趣味では、どうしてもこのような装飾をしている車両が邪道に映ってしまい、邪道を通り越して許せない存在になってしまいます。
しかし、DF50やキハ181系特急、キハ58系急行、雑型の郵便荷物気動車などを国鉄時代に一切記録することができなかった四国に30年以上の時を越えてやっと訪問することができたため、とにかく目の前に映った列車は捕獲するようにしていました。まあこれもデジタル時代のお蔭であります。

この写真を撮影した当時はまだまだこの時代が続くと思っていましたが、10年も経つと時代が移り変わってしまうもので、高松から2000系気動車が消えてしまった事実を思うと、記録しておいて良かったと思います。


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583系 クハネ581:特急「はつかり」(常磐線)

2021-12-12 20:05:00 | 国鉄・JR特急列車
583系 クハネ581:特急「はつかり」常磐線


既にアーカイブ済みの特急「はつかり」ですが、先般、金町のHさんより常磐線を走る特急「はつかり」の貴重な画像の提供を受けましたのでご紹介したいと思います。

特急「はつかり」が誕生したのは昭和33年10月。特急「つばめ」が電車化されたことにより余剰となった客車を転用した客車編成で、東北初の特急列車として設定されました。
昭和35年12月、特急形気動車の開発によりキハ80系(キハ81)よる運転が始まります。開発を急いでしまったために故障・不具合が多発したことは有名です。

そして昭和42年に誕生した世界初の電車寝台の特急形車両581系が誕生。翌43年には50Hz区間も走行可能な583系が追って製造され、全線電化された東北本線に導入されることになります。
この583系による「はつかり」の運転は昭和43年10月ダイヤ改正からとなりますが、その導入はやや前倒しとなり、改正前月の昭和43年9月より、気動車時代のスジのまま、常磐線経由で運転が開始されました。



昭和43年9月頃 常磐線 金町~松戸間 特急「はつかり」
※金町のHさんよりご提供。

常磐線の江戸川橋梁を行く583系による特急「はつかり」で、登場当初のためクハネ581が両先頭に連結されています。
この時代はまだ片側のみ旧橋が使用されていたようで、右側には新しい複線分の橋梁が架橋されている様子が分かります。

583系が誕生した当初は電動車のみの対応となっており、共通して使用できる付随車は581のままになっています。しかし、MGの小型化により床下装備が可能になったことにより、クハネ583が誕生し、定員の増加を図ることができました。昭和45年のことでした。
これにより、混雑が激しかった青森車はすべてクハネ583に交代し、余剰となったクハネ581はすべて西日本へと転属しています。

そしてこの常磐線経由の583系「はつかり」ですが、昭和43年10月1日改正より正式に東北本線経由として再出発となる前、同年の9月9日より先行導入となったため、わずか3週間のみ見られた姿となるそうです。その後昭和45年8月に臨時特急「はつかり」として常磐線経由で運転されたことがあるそうで、おそらくその時にはこの橋梁の様子も変わってしまったことでしょう。

そんな1枚の写真、クハネ581であること、常磐線であること、旧江戸川橋梁を渡っていること、どれを取っても貴重な時代の記録となっています。



ちなみに・・・
クハネ581は581系と言われがちですが、581系に属するクハネ581は-9番までであり、-10番以降は583系に属する車両となります。この583系クハネ581は青森と南福岡へ導入されていますが、青森車についてはタイフォンにシャッターが付いた開閉式を採用し、雪の侵入防止を図っています。クハネ583導入によりクハネ581青森車は南福岡へと転属しますが、開閉式のタイフォンのまま使用されたため、西日本に見られるクハネ581の中でも東北出身であることが一目瞭然で判る姿で走っていました。



特急「金星


特急「しらさぎ2号」

名古屋発着として異色の寝台特急だった「金星」。間合い運用で「しらさぎ」にも充当されており、当時は唯一となる北陸本線運用でした。



特急「雷鳥」

「しらさぎ」は昭和53年10月ダイヤ改正で消滅しますが、変わって大阪発として特急「雷鳥」に4往復が設定されます。しかし、これには九州特急の相棒がおらず、夜行需要の低迷による485系代わりという位置付けになっていました。※雪害等による運用への支障から切り離す意味があったような・・・。



583系「彗星」 回送

同時期に撮影した九州特急の「彗星」。時間的には「雷鳥」に運用することは可能だったと思いますが・・・。問題は夜発への運用ですかね。

これらの写真を撮影した時代にはそんな事情を考えたこともなかったですが、今こうして調べてみるとある程度の答えが出てきますし、そんな様々な事情があったんだな~と今更ながら感心してしまいます。


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E257系2000番代:特急「湘南21号」 新宿発初日

2021-03-20 09:18:00 | 国鉄・JR特急列車
E257系2000番代:特急「湘南21号」 新宿発初日


ダイヤ改正から1週間が経ちました。

令和3年3月ダイヤ改正において、東海道線系のホームライナーが全廃となり、また使用車両もE257系1000番代に刷新され、特急「湘南」が誕生しました。
特急化に当たり、全車指定制になったのは時代の流れ、運行体系は従来のホームライナーと殆ど変わりませんので、実質的な値上げ・・・という印象が強いのも時代の流れです。


ダイヤ改正は土曜日となっていますが、特急「湘南」は平日のみの運転となっているため、月曜日が運転初日となります。
待望の列車という訳でもありませんが、どこかで記録しておかなければなりません。定時の帰り時間から20分程時間調整をすればよいので、新宿発下り列車を記録しておきました。


※ 撮影は、令和3年3月15日、新宿駅にて。特急「湘南21号」です。




発車案内

設定時刻は、新宿発時間で「ホームライナー小田原21号」と全く同じ。
「ホームライナー小田原」用の券売機はシャッターが下ろされたまま閉鎖となりました。



乗車位置表示

いつのまにか新しい表示が足元に。
使用車両が「踊り子」と全く共通になりましたので、表示も併用されています。
「ホームライナー小田原」では乗車位置が2か所でしたが、特急「湘南」では全車指定席となったため、乗車の際の検札も廃止され、全車両のドアが開けられるようになりました。





先頭車両

入線時間も19:20と、ライナー時代と全く同じ。ヘッドマークが切り替わるまで少し待たされるのも全く変わらず。
イラストのないヘッドマークに唖然としましたが、まるで国鉄時代のようなシンプルさは個人的には好感を持ちました。





横サボ

行先表示も至ってシンプル。すべてが指定席表示となります。
先頭車と中間車では、塗り分けの関係で背景色が大きく異なります。





最後部車両

こちらは貫通型で小型のヘッドマーク。
こちらもシンプルな表示です。

LEDの利点として数種類の切替表示ができますが、ライナー的存在の同列車には英文字表記は正直なところ不要な気がします。


新登場となった特急「湘南」。
新たなスタイルですが、E257系に統一されてしまったために車両バリエーションが無く、また名称も東京発・新宿発が統一されてしまたため、変化に乏しく、今後はあまり執着して撮影に興じることもないでしょうね。


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185系:特急「踊り子」

2021-03-13 11:09:00 | 国鉄・JR特急列車
185系:特急「踊り子」


特急「踊り子」は、昭和56年10月ダイヤ改正において特急「あまぎ」を増発して改称した特急列車です。これには、「踊り子」用として185系電車が用意され、特急形としてそれまでになかった斬新なスタイル・塗装で注目を浴びました。
一方で、117系並みの普通列車然としたアコモデーションや「踊り子」という愛称の誕生そのものに疑問を呈する傾向も大きいものでした。

185系の誕生自体はそれよりも早い昭和56年1月に誕生しており、試運転や習熟訓練を経て昭和56年3月に営業運転を開始しました。最初の運用は、東京発早朝の下り普通列車で、その運転時刻は新聞にも掲載されるほど注目されたものです。私自身も記念すべき初列車を撮影に行きましたが、リバーサルで撮影したもののスキャンをしていません。


「踊り子」が運転されるまでは、それまで153系で運転されていた急行「伊豆」普通列車に使用され、153系と混用・併結でされていましたが、特急「あまぎ」に充当されることはありませんでした。


特急「踊り子」そのものには当時興味がなかったため、あまり撮る機会はありませんでした。国鉄時代に撮影した数枚は『185系:特急「踊り子」(国鉄時代)』既にまとめていますので、これまで特化してアーカイブしたもの以外の、主に本来のテリトリーで撮影したものをまとめて最後のアーカイブにしたいと思います。



平成20年3月9日 伊豆多賀~網代間にて A3編成





平成20年3月9日 伊豆多賀~網代間にて

寝台特急「富士」「はやぶさ」が終焉となるころ、東海道線での撮影に出向いた際、初めて伊藤線内での撮影を。
それまでも職場旅行で何回か伊東線へ行ったことがありましたが、「踊り子」を撮影したのはこれが最初で最後になってしまいました。



平成21年2月28日 横浜~東神奈川間にて A1編成

これも寝台特急「富士」「はやぶさ」の撮影の際についでに撮れたもの。
デジカメが入院していたため久し振りにF-1を使用したネガ写真ですが、残念ながらブレてしまいましたね。





平成30年9月16日 品川駅にて C2+OM04編成 特急「踊り子102号」


マクセルアクアパーク品川のチケットが手に入ったため、久し振りに家族で外出。品川駅に着くとちょうど「踊り子」の時間だったために撮影したもの。
高輪ゲートウェイ駅の開業に向けた線路切替工事の過渡期であったため、記念撮影しておいたものです。



令和2年8月4日 新宿駅にて A7編成 「踊り子5号」



令和2年12月24日 新宿駅にて A1編成 特急「踊り子5号」



令和3年2月8日 新宿駅にて A6編成 特急「踊り子5号

コロナ禍で時差通勤が続いています。本来ならちょうど新宿駅へ着く直前で発車してしまう「踊り子5号」ですが、東海道線のダイヤ乱れにより何回か撮影する機会がありました。

近年は殆ど撮影に出掛ける機会も無くなり、地元での「踊り子」しか撮影することはありませんでした。
それほど関心もなかったために誕生から共に歩んできた185系ですが、それほど撮影する機会は無かったように思います。


185系:特急「踊り子115号」大宮延長
185系:特急「踊り子114号」(東京駅にて)
185系:特急「踊り子173号」大宮始発
185系B2編成:特急「踊り子175号」大宮始発
EF5868牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」
EF651116牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」
E259系:「マリンエクスプレス踊り子」(展示)
251系:特急「スーパービュー踊り子」
251系:「スーパービュー踊り子」(回送編)
185系OM08編成:臨時特急「上州踊り子」


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651系:新宿行き 特急「あかぎ10号」

2021-03-09 07:28:00 | 国鉄・JR特急列車
651系:新宿行き 特急「あかぎ10号」


令和3年3月のダイヤ改正において、唯一残っていた高崎線からの新宿行き特急である「あかぎ10号」が廃止になってしまうということです。
「あかぎ10号」は休日のみの運転であり、平日朝の「スワローあかぎ」は存続するようなので、湘南新宿ライン(貨物線経由)の「あかぎ」という名称は消滅することになります。



平成30年9月24日



令和2年3月28日

時間帯があまり良くないため、撮った枚数が全然ありませんでした。「サフィール踊り子」の回送には近い時間なのですが、まったく無視していた感じでもあります。

上野発着はそれなりの乗車率があるようですが、なんで新宿行きはダメなんでしょうね。


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