マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

キハ82系:特急「北斗」

2011-04-30 00:30:00 | 国鉄・JR特急列車
キハ82系:特急「北斗」


特急「北斗」は、函館~札幌を結ぶ、北海道では「おおぞら」に続く第2の特急列車です。
登場から永らくキハ82系が使用され、臨時列車を含めると、最後までキハ82系が使用された列車としても有名です。
車両的にはグレードアップが進められ、現在も都市間を結ぶ特急列車として重要な地位にあります。
今回はキハ82系時代をご紹介いたします。



昭和56年3月 札幌駅にて

北海道へは前年の3月同時期にも訪れていますが、「北斗」の写真は函館駅で撮ったものくらいしか見当たりませんでした。本数も道内で一番ありましたので、逆にあまり撮っていなかったようです。
その反動か、2回目に訪れた時は、結構駅撮りもしていたようで、特に地平時代の札幌駅で撮った写真は多かったようです。



昭和56年3月 札幌駅にて

こちらも同じく札幌駅にて。時計があって、17時を回ったところですが、かなり明るいですね。低いホームと相まって、直ぐに線路に降りられるくらい高く根雪が積もっています。



昭和56年3月20日 函館本線 森~東森間にて

北海道からの帰途、そのまま友人とウマが合わずに別れ、一人でさっさと帰ろうとしたものの何だか惜しくなってしまい、早朝に着いた函館から引き返して走行写真を撮りました。そこそこ長い時間いましたが、通ったのは「北斗」「おおぞら」と貨物列車貨物列車の3本だけだったみたいです。





昭和56年3月20日 函館駅構内にて

函館駅の外れに掛かっている跨線橋から、青函連絡船乗り継ぎの合間に撮影していました。
札幌駅は氷の中と言った情景でしたが、道南はやはり気温が高いのでしょうか、日陰に雪の残骸がある程度しか見当たりません。
上の写真はキハ82の初期型で、運転席直後のクーラーを増設したタイプ。そして、下の写真は後期型で、初めからクーラーが増設されているタイプです。上から見ると、2番目のクーラーとの距離の違いが判ると思います。写真からでは見づらいですが、初期型の行先札はトイレ窓直上に設置され、後期型はドアの直ぐ横上にあるので、サイドから見るとより違いが判ります。そのようなアングルの写真も撮っておけば良かったのですが、この頃はそんな違いがあることさえ知りませんでした。



昭和58年9月7日 函館本線 赤井川駅構内にて

大沼駅~大沼公園~赤井川と徒歩で踏破した際、赤井川駅に着いて普通列車を待つ間に撮影した写真です。
本来であれば駅から外れたポイントで撮りたいところですが、何故かこの安全側線と本線の坂道の雰囲気が非常に気に入って、敢えてこのアングルを選んで撮りました。
とにかく、このときは東京を出てから家に帰るまで雨が一切止むことは無かったという悲惨な撮影行でした。晴天だったら、もっと違うさわやかな雰囲気で撮ることが出来たのでしょうが、如何にもローカルなひなびたシーンになってしまいました。


当時からでも本数が多く設定されていた「北斗」でしたが、室蘭本線などでの駅間撮影をしなかったこともあり、キハ82系の写真は意外と少なかったです。その分、後の撮影では道南から室蘭本線に掛けて立ち寄ったことが多かったため、キハ183系の「北斗」は随分と撮っています。
まあ、高校生レベルで行っただけで興奮モノの北海道でしたから、全体の中でこれだけ撮れていれば仕方なかったと思います。

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155系・167系:臨時急行「伊豆」

2011-04-29 00:30:00 | 国鉄・JR急行列車
155系・167系:臨時急行「伊豆」


急行「伊豆」は、東京~伊東・伊豆急下田・修善寺を結んでいた温泉急行列車で、現在の特急「踊り子」の前身となる列車。特急がまだ高級品であった頃、全車指定の急行列車としてそれでも高級な感じのある急行列車でした。
自由席連結の急行「おくいず」とペアを組んでいましたが、後年は「伊豆」にも自由席車が連結されるようになり、「おくいず」を吸収して大所帯となりました。

急行「伊豆」と言えば153系が定番で、多客臨で155系や167系が使用されました。



昭和55年5月頃 品川駅にて 155系使用の臨時急行「伊豆」



昭和55年頃 田町駅にて 155系使用の臨時急行「伊豆」

いずれも155系を使用した臨時急行の「伊豆」です。
週末ともなれば温泉地は大混雑となりますので、予備車をフル活用した運用が組まれ、多数の臨時列車が運転されました。
日光集約臨などで使用される155系も登板の機会が多く、良く見掛けたものですが、非冷房の155系では同じ急行料金を払ったとしても夏場はグレードが低かったと言えるでしょう。



昭和53年頃? 東京駅にて

東京駅に到着した修学旅行色167系の急行「伊豆」。167系は165系をベースとした急行形車両ですが、修学旅行用という性質上、冷房化改造が165系比べてかなり遅れていました。ちょうどこの頃から167系にも冷房改造車が現れたようです。
隣の10番線に停車中の横須賀線。大目玉のまま冷房化された車両で、既に1000番代化が促進されていた横須賀線では異色の存在です。方向幕の「横須賀」という行き先表示も珍しいかもしれません。



昭和52年頃 品川駅にて

品川止まりの上り「伊豆」だったか、下りを運転した後の基地返却回送かまでは覚えていません。
まだ冷房化される前の姿で、167系としては完全なオリジナルスタイルの写真です。
まだ年齢的にはポケットカメラからやっと一眼レフに変えた頃、オリジナルスタイルの167系にギリギリ間に合った状態ですので、非冷房時代の写真は私的に貴重なものとなります。
写真の右側には地上時代の横須賀線113系、左には0系新幹線と、その下には東京機関区のEF15の姿を見ることができます。





昭和55年 品川駅にて

修学旅行色が終焉となる頃で、既に湘南色の167系も登場していたと記憶しています。品川駅で撮影を行っているとき、偶然にも修学旅行色の車両を撮影することができた、167系修学旅行色の撮影としては最後のコマとなってしまった写真。
この写真は、臨時急行「伊豆」の8両編成の前後を撮ったものです。前4両は原型ライトですが、後部4両はシールドビーム化されており、『ここまで手が伸びてきたか・・・』と落胆した記憶が今でも残っています。
ホームがびしょ濡れになっているので、夏休み、夕立に遭った直後の夕方に撮った写真のようです。

臨時列車もあり、それなりにバラエティではありましたが、終始特急列車の陰になって地味な存在となっていました。
その昔、157系を使用していた頃の準急時代、まるで夢の世界ですね。


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153系・185系:急行「伊豆」

2011-04-28 00:30:00 | 国鉄・JR急行列車
153系・185系:急行「伊豆」


急行「伊豆」は、東京~伊東・伊豆急下田・修善寺を結んでいた温泉急行列車で、現在の特急「踊り子」の前身となる列車。特急がまだ高級品であった頃、全車指定の急行列車としてそれでも高級な感じのある急行列車でした。
自由席連結の急行「おくいず」とペアを組んでいましたが、後年は「伊豆」にも自由席車が連結されるようになり、「おくいず」を吸収して大所帯となりました。



昭和56年5月頃 保土ヶ谷~戸塚間にて 下り153系急行「伊豆」

急行「伊豆」は、基本10両+付属5両の最大15両編成で設定され、グリーン車2両を常時組み込んでいたのが特徴といえます。また、付属編成は修善寺まで乗入運転を行っていました。このあたりの設定状況を考えると、今の185系「踊り子」そのままという感じですね。


急行「伊豆」と言えば、153系が定番で、多客臨で155系や167系が使用されました。
そんな急行「伊豆」に一大転機が訪れたのが昭和56年3月のことでした。
153系の老朽化を見込んだ上で新製車を投入。そのコンセプトは特急運用を基本としながらも、153系が間合い運用していた普通列車までカバーしてしまおうというもの。それまでの国鉄では、特急車両を急行や普通列車に使うなど有り得なかったんです。

153系の置換えともなると、普通列車もカバーしていることから新製数も多く、一度に全ての車両を置き換えて特急化するのは困難です。そのため、昭和56年3月に第1編成誕生以来、新製毎に徐々に置き換える間、急行運用のままの「伊豆」に使用されるようになったのです。



昭和56年5月 東海道本線 東戸塚~戸塚間にて



昭和56年9月 東海道本線 品川駅にて




昭和56年9月28日 東海道本線 戸塚~保土ヶ谷間にて



昭和56年9月28日 東海道本線 戸塚~保土ヶ谷間にて


185系の車両を使った急行は、他にも高崎・上越スジで「ゆけむり」「草津」「あかぎ」がありましたが、この「伊豆」だけは「急行」とせずに、ちゃんと愛称名が用意されたのです。

これらの写真は、殆どがEF58や特急「あまぎ」を撮る時のついででした。でも、今となっては貴重な写真です。

特急「踊り子」の誕生は昭和56年10月ですので、この形態の「伊豆」はわずか半年間のみの運行ということでした。その割には良く撮っていたなぁという印象です。

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東武鉄道8000系:秩父直通特急「ちちぶ」

2011-04-27 00:30:00 | 私鉄(大手)
東武鉄道8000系:秩父直通特急「ちちぶ」

特急「ちちぶ」と言えば、真っ先に西武鉄道のレッドアローを思い浮かべると思いますが、東武東上線から秩父鉄道に直通で乗り入れていた特急列車に「ちちぶ」の愛称を使用しているものがありました。



昭和51年7月31日 撮影場所不明 東武8000系 特急「ちちぶ」

東武東上線から秩父鉄道への直通乗り入れ列車は、西武鉄道からの同様の例として定番だと思っていたのですが、記事によると東武からの乗り入れは平成4年3月に廃止されてしまったらしいですね。

写真は、中学生になったばかりの頃、電車で長瀞辺りに行ったとき、長瀞もしくは途中の交換駅で撮影したものと思われます。

鉄道ファン誌の写真はきれいに写っており、晩年のヘッドマークも大変見易い中ぶりのきれなものが装着されていますが、この写真では列車種別ホルダ(急行とか準急とかの札を入れるホルダ)をそのまま利用した非常に小さいヘッドマークであり、目を細めないと何が書いてあるかも判らないくらいです。

8000系の2代目塗装として誕生した頃のセイジクリームと相まって、観光が栄えた古き良き時代の1コマでした。

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キハ58系:快速「あがの」

2011-04-26 00:30:00 | 国鉄・JR快速列車
キハ58系:快速「あがの」


快速「あがの」は、仙台から東北本線・磐越西線を経由して新潟を結ぶ気動車列車です。
元々は仙台発新潟行きの急行列車として走っていたものですが、東北新幹線開業後は磐越西線の急行列車も次々と格下げされ、メジャーであった「ばんだい」「いなわしろ」「いいで」といった全ての急行列車は快速列車に格下げ又は廃止になっています。



昭和62年6月14日 磐越西線 快速「あがの」

急行「あがの」もご多聞にもれず快速化されてしまったわけですが、写真のとおり、急行列車としても遜色が無いほどの編成で走っていました。グリーン車が付いていないのは止むを得ないところですが、それでも新津方の非電化路線を走る7両編成は圧巻だったと言えます。



昭和63年4月10日 磐越西線 快速「あがの」

スキャンしていないプリントがあったのでスキャンして拡大したところ、種別表示に「快速」が表示されていましたので、間違いなく快速「あがの」であることが判明しました。
この時代は景色を重視して撮影した写真が多く、この時代としては珍しくヘッドマークシールが掲示されていたのですが、遠目に撮影してしまったために結局何が表示されていたのか全く判らない写真になってしまったのは残念です。(令和元年6月23日記事追加)


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