キハ82系:特急「北斗」
特急「北斗」は、函館~札幌を結ぶ、北海道では「おおぞら」に続く第2の特急列車です。
登場から永らくキハ82系が使用され、臨時列車を含めると、最後までキハ82系が使用された列車としても有名です。
車両的にはグレードアップが進められ、現在も都市間を結ぶ特急列車として重要な地位にあります。
今回はキハ82系時代をご紹介いたします。
昭和56年3月 札幌駅にて
北海道へは前年の3月同時期にも訪れていますが、「北斗」の写真は函館駅で撮ったものくらいしか見当たりませんでした。本数も道内で一番ありましたので、逆にあまり撮っていなかったようです。
その反動か、2回目に訪れた時は、結構駅撮りもしていたようで、特に地平時代の札幌駅で撮った写真は多かったようです。
昭和56年3月 札幌駅にて
こちらも同じく札幌駅にて。時計があって、17時を回ったところですが、かなり明るいですね。低いホームと相まって、直ぐに線路に降りられるくらい高く根雪が積もっています。
昭和56年3月20日 函館本線 森~東森間にて
北海道からの帰途、そのまま友人とウマが合わずに別れ、一人でさっさと帰ろうとしたものの何だか惜しくなってしまい、早朝に着いた函館から引き返して走行写真を撮りました。そこそこ長い時間いましたが、通ったのは「北斗」「おおぞら」と貨物列車貨物列車の3本だけだったみたいです。
昭和56年3月20日 函館駅構内にて
函館駅の外れに掛かっている跨線橋から、青函連絡船乗り継ぎの合間に撮影していました。
札幌駅は氷の中と言った情景でしたが、道南はやはり気温が高いのでしょうか、日陰に雪の残骸がある程度しか見当たりません。
上の写真はキハ82の初期型で、運転席直後のクーラーを増設したタイプ。そして、下の写真は後期型で、初めからクーラーが増設されているタイプです。上から見ると、2番目のクーラーとの距離の違いが判ると思います。写真からでは見づらいですが、初期型の行先札はトイレ窓直上に設置され、後期型はドアの直ぐ横上にあるので、サイドから見るとより違いが判ります。そのようなアングルの写真も撮っておけば良かったのですが、この頃はそんな違いがあることさえ知りませんでした。
昭和58年9月7日 函館本線 赤井川駅構内にて
大沼駅~大沼公園~赤井川と徒歩で踏破した際、赤井川駅に着いて普通列車を待つ間に撮影した写真です。
本来であれば駅から外れたポイントで撮りたいところですが、何故かこの安全側線と本線の坂道の雰囲気が非常に気に入って、敢えてこのアングルを選んで撮りました。
とにかく、このときは東京を出てから家に帰るまで雨が一切止むことは無かったという悲惨な撮影行でした。晴天だったら、もっと違うさわやかな雰囲気で撮ることが出来たのでしょうが、如何にもローカルなひなびたシーンになってしまいました。
当時からでも本数が多く設定されていた「北斗」でしたが、室蘭本線などでの駅間撮影をしなかったこともあり、キハ82系の写真は意外と少なかったです。その分、後の撮影では道南から室蘭本線に掛けて立ち寄ったことが多かったため、キハ183系の「北斗」は随分と撮っています。
まあ、高校生レベルで行っただけで興奮モノの北海道でしたから、全体の中でこれだけ撮れていれば仕方なかったと思います。
特急「北斗」は、函館~札幌を結ぶ、北海道では「おおぞら」に続く第2の特急列車です。
登場から永らくキハ82系が使用され、臨時列車を含めると、最後までキハ82系が使用された列車としても有名です。
車両的にはグレードアップが進められ、現在も都市間を結ぶ特急列車として重要な地位にあります。
今回はキハ82系時代をご紹介いたします。
昭和56年3月 札幌駅にて
北海道へは前年の3月同時期にも訪れていますが、「北斗」の写真は函館駅で撮ったものくらいしか見当たりませんでした。本数も道内で一番ありましたので、逆にあまり撮っていなかったようです。
その反動か、2回目に訪れた時は、結構駅撮りもしていたようで、特に地平時代の札幌駅で撮った写真は多かったようです。
昭和56年3月 札幌駅にて
こちらも同じく札幌駅にて。時計があって、17時を回ったところですが、かなり明るいですね。低いホームと相まって、直ぐに線路に降りられるくらい高く根雪が積もっています。
昭和56年3月20日 函館本線 森~東森間にて
北海道からの帰途、そのまま友人とウマが合わずに別れ、一人でさっさと帰ろうとしたものの何だか惜しくなってしまい、早朝に着いた函館から引き返して走行写真を撮りました。そこそこ長い時間いましたが、通ったのは「北斗」「おおぞら」と貨物列車貨物列車の3本だけだったみたいです。
昭和56年3月20日 函館駅構内にて
函館駅の外れに掛かっている跨線橋から、青函連絡船乗り継ぎの合間に撮影していました。
札幌駅は氷の中と言った情景でしたが、道南はやはり気温が高いのでしょうか、日陰に雪の残骸がある程度しか見当たりません。
上の写真はキハ82の初期型で、運転席直後のクーラーを増設したタイプ。そして、下の写真は後期型で、初めからクーラーが増設されているタイプです。上から見ると、2番目のクーラーとの距離の違いが判ると思います。写真からでは見づらいですが、初期型の行先札はトイレ窓直上に設置され、後期型はドアの直ぐ横上にあるので、サイドから見るとより違いが判ります。そのようなアングルの写真も撮っておけば良かったのですが、この頃はそんな違いがあることさえ知りませんでした。
昭和58年9月7日 函館本線 赤井川駅構内にて
大沼駅~大沼公園~赤井川と徒歩で踏破した際、赤井川駅に着いて普通列車を待つ間に撮影した写真です。
本来であれば駅から外れたポイントで撮りたいところですが、何故かこの安全側線と本線の坂道の雰囲気が非常に気に入って、敢えてこのアングルを選んで撮りました。
とにかく、このときは東京を出てから家に帰るまで雨が一切止むことは無かったという悲惨な撮影行でした。晴天だったら、もっと違うさわやかな雰囲気で撮ることが出来たのでしょうが、如何にもローカルなひなびたシーンになってしまいました。
当時からでも本数が多く設定されていた「北斗」でしたが、室蘭本線などでの駅間撮影をしなかったこともあり、キハ82系の写真は意外と少なかったです。その分、後の撮影では道南から室蘭本線に掛けて立ち寄ったことが多かったため、キハ183系の「北斗」は随分と撮っています。
まあ、高校生レベルで行っただけで興奮モノの北海道でしたから、全体の中でこれだけ撮れていれば仕方なかったと思います。