マル鉄・鉄道写真館

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平成28年ダイヤ改正:新宿夜発 特急「あかぎ」廃止

2015-12-31 03:21:00 | 国鉄・JR特急列車
平成28年ダイヤ改正:新宿夜発 特急「あかぎ」廃止


平成28年3月ダイヤ改正において、特急「あかぎ」系統から185系電車が撤退することはお伝えいたしましたが、このうち、新宿を夜に発車する「あかぎ13号」「スワローあかぎ13号」については、車両交代どころか列車そのものが廃止されてしまうことになりました。



平成24年2月29日 185系 「あかぎ9号」 新宿駅にて

「スワロー」制度への切替前で、当時は9号となっていた夜発の「あかぎ」です。

写真からもお判りのとおり、ホームは閑散としています。
「青梅ライナー」が好調である一方、明らかに差が出てしまった形での廃止となります。
私なりの分析では、
1 ライナー料金と比較し、特急料金が割高で敬遠されてしまう。
2 本数が1本のみで、選択、見送りの余地がない。
3 発車する6番線がオフィス街の出入り口である西口から遠すぎる。

3番の意見はあまり現実的では無いように思えますが、南口から乗車する場合と比較しますと、隣の代々木駅まで歩かされるほどの距離・時間を要しています。
こうした不便さもあり、わざわざ遠くまで歩いて、1本しかない時間に縛られるくらいなら、湘南新宿ラインのグリーン車に乗った方がマシ。
ということではないかと思います。

平成22年12月3日改正において「ホームタウンとちぎ」も既に廃止になっており、新宿からのホームライナー的な帰宅特急は北方面から完全撤退となってしまうことになります。



E233系埼京線:「川越・さいたま」ヘッドマーク

2015-12-30 00:04:00 | 国鉄・JR普通列車
E233系埼京線:「川越・さいたま」ヘッドマーク


地元メンバーであるレッドライダーさん情報で、埼京線に「川越・さいたま」と描かれたヘッドマークを掲げた編成が走っているようです。

意味が分からないのであまり興味もなかったのですが、忘年会の帰り道、新宿で埼京線の始発電車ホームに向かうと、なんとこのヘッドマークを取り付けた電車が停まっておりました。

※撮影は、平成27年12月29日です。



埼京線 E233系 124編成




良く分からないのでネットで探してみましたが、なにやらキャンペーンでもやっているんでしょうかね?
しかし、JRの告知等も特に見当たらないので、結局良く分かりませんでした。



185系:特急「あかぎ8号」

2015-12-26 22:00:00 | 国鉄・JR特急列車
185系:特急「あかぎ8号」


昭和57年11月、上越新幹線大宮暫定開業により誕生した特急「あかぎ」。
運転開始以来185系特急型電車が使用されてきましたが、いよいよその活躍も終焉を迎えることになったようです。

185系には東海道線用の0番代と東北・高崎線用の200番代があり、200番代うち「新幹線リレー号」に使用されて任務が解除された分については、7両編成のまま東海道線「踊り子」に使用されていました。

上野口と東海道口では長らく分離運用されていましたが、新宿発着で運転された「あかぎ」については東海道用の200番代を使用しており、特急「ウィークエンドあかぎ」から「あかぎ」「スワローあかぎ」に移行した後は、元チタ車A編成(0番代10両編成)が使用されるようになりました。

平成26年3月、「スワローあかぎ」の誕生と共に上野口の特急列車は651系化されました
。新宿発着となる「あかぎ8号」「あかぎ9号」は185系10連のまま存置されていましたが、平成28年3月のダイヤ改正で651系化されることになりました。

地元でしか撮っていないので同じ写真ばかりですが、殆どの編成が撮ってあったようなので、編成番号順にまとめておきたいと思います。

※列車は、すべて「あかぎ8号」です。また、紛らわしいですが、平成26年3月改正以前は「ウィークエンドあかぎ」時代の平日運転の「あかぎ8号」であり、改正以降は「スワローあかぎ」と対になる休日運転の「あかぎ8号」となります。



平成25年3月24日 A1編成(ブロック色)



平成27年4月29日 A1編成(踊り子色)



平成27年1月12日 A2編成



平成25年4月27日 A3編成



平成25年3月20日 A4編成



平成22年12月12日 A5編成(ブロック色)


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平成28年2月14日 A5編成(踊り子色)


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平成23年7月16日 A6編成(ブロック色)



平成27年3月14日 A6編成(踊り子色)



平成24年3月3日 A7編成(ブロック色)



平成27年12月30日 A7編成(踊り子色)



平成23年1月9日 A8編成(ブロック色)

ポジションが良くなかったですが、A8編成塗装変更の直前最後の頃だったようです。



平成23年8月13日 A8編成(踊り子色)



平成24年78月28日 A8編成(踊り子色)

///復活の先駆けとなったA8編成。しばらくして他編成にも波及していきましたが、全編成に波及する前に廃車が出てしまいそうな予感がします。




平成28年ダイヤ改正:特急「しなの」運転区間短縮

2015-12-23 18:35:00 | ノンジャンル
平成28年ダイヤ改正:特急「しなの」運転区間短縮


平成28年3月、JR東海のダイヤ改正において、特急「しなの」の伝統的運転区間であった大阪~名古屋間の廃止が発表されました。





昭和43年10月1日、いわゆる「ヨンサントオ」ダイヤ改正において、キハ181系の初導入と共にキハ91系急行「しなの」からの格上げにより、名古屋~長野間の特急列車として運転を開始しました。

昭和46年4月に大阪~長野間の急行「ちくま」を特急に格上げ、この際に大阪~長野間の特急「しなの」として40年以上、新幹線との併走ながらも長らく東海道本線を走り続けてきました。


381系振り子型特急電車の導入後においても、大阪発着の「しなの」にはキハ181系が使用されており、完全撤退まで大阪駅で唯一見ることができるキハ181使用の特急列車でもありました。
私が初めて大阪に連れていってもらった際、8時台発車の良い時間でありながら、旅館の朝食の時間と重なっていたために撮り損なってしまった、非常に悔いの残る列車でもありました。


新幹線から乗り継いだ方が当然にして所要時間が短くなる訳ですが、ここまで長く残っていたということは、この区間の需要がそれほどあったのでしょうか?


私が最後に撮影したのは平成21年。



東海道本線 近江長岡~関ヶ原間での1コマ。
基本6両と付属4両の堂々10両編成でした。これには正直驚きましたが、民営化されてから列車キロの調整とかビミョーな会社間の取引もあったりするので、その辺の事情もあるかもしれません。


特急「しなの」自体は、中京圏と長野圏を結ぶ重要な速達手段ですから無くなることは無いと思いますが、永く伝統であった区間が廃止になってしまうのはやはり時代の流れと感じざる得ません。
いや、むしろ今まで良く残っていたな・・・というのが正直なところです。

私自身、この特急「しなの」については何故か中央西線内で撮影したことが1度もなく、その殆どが東海道区間でした。
既に過去ログにてすべて整理してありますので、下記リンクにてご覧ください。

381系~383系:特急「しなの」



JR貨物:ED7950番代電気機関車

2015-12-18 02:17:00 | 国鉄・JR電気機関車(交流・交直流)
JR貨物:ED7950番代電気機関車


ED79形交流電気機関車は、青函トンネル専用機関車として、国鉄時代末期に余剰となるED75700番代の改造により誕生しました。
基本の0番代と補機専用に搭載機器を一部省略した100番代があり、民営化時には全てのED79がJR北海道に継承され、昭和63年3月、青函トンネルの開業時において貨物列車を含むすべての列車の牽引を行っていました。

青函トンネルが開業してまもなく、貨物列車の増発により増備が行われることとなりますが、増備車全てが貨物列車牽引用名目となったためにJR貨物の発注となり、改造では無くED790番代をベースとした新製車として誕生しました。そして、これらは50番代の区分が与えられ、平成元年~2年に掛けて10両が誕生しています。

その後、老朽化したED75の置き換えを目的としてEF500が誕生し、東北地区のED75を淘汰するとともに、青函トンネルのスルー運転も実施されるようになると、ED79牽引の貨物列車も徐々に運用をなくしていきました。



平成24年3月13日 ED7955ほか牽引 99レ 青森信~油川間にて

写真は、下調べもせずに撮影に行き、偶然に捉えることのできたED79牽引の貨物列車です。
後で調べてみますと、この時点でも既に定期2往復程度しか残っていなかったようで、日中に撮影することのできる列車もこの1本くらいしかなかったようです。本当にラッキーでした。

青函トンネル開業後、北海道へは6度ほど行っていましたが、殆どがC623や道東・道央を絡めた撮影であったため、海峡線や江差線では1度も撮影したことがありませんでした。
また、トンネル通過には「はつかり」か「北斗星」、「はまなす」と言った列車しか乗ったことが無く、快速「海峡」ですら写真に収めたことがありません。
もちろん、貨物列車の撮影もこの回が初となってしまいました。

北海道新幹線開業に備えたEH800が徐々に完成し、ある程度の両数が揃うと、習熟を兼ねて定期運用に入るようになりました。
そして、平成27年3月ダイヤ改正においていよいよ定期運用から離脱となり、特にイベントが行われるような様子もなく、静かにその生涯を終えることになってしまいました。誕生からわずか25年程度。近年の電気機関車としては非常に短命でした。