マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

DD51牽引 旧型客車:函館本線 客車普通列車(俱知安~小沢)

2019-08-31 22:39:00 | 国鉄・JRディーゼル機関車
DD51牽引 旧型客車:函館本線 客車普通列車(俱知安~小沢)


国鉄時代の北海道における普通列車は、長距離は客車列車、短距離は気動車列車というパターンが多かったように思います。
幹線には長距離を走る客車普通列車が1日に数本が設定されていましたが、これは荷物輸送を行うために存在していたようです。


社会人になって初めての北海道は、通算で3回目の渡道。初めて雪のない季節でしたが、生憎の雨模様。キハ80系による「北海」を記録するため、函館本線(山線)を訪れました。


※撮影は、昭和58年9月6日、函館本線 小沢~倶知安間にて。



DD511051牽引 上り普通列車

移動中に来てしまって慌てて撮った写真。露出不足からブレてしまった残念な写真です。
客車は3両しか連結されておらず、荷物車と郵便車が1ずつの5両編成と、長距離列車にしてはこじんまりとした編成です。



DD51(番号不明)牽引 下り普通列車

天気が良ければ、多分バックに羊蹄山が見えたのではないでしょうか?
こちらも客車は3両しかなく、函館寄りに郵便車が1両だけ繋がっており、こちらもこじんまりとした編成です。

山線には夜行の普通列車が荷物輸送を主体として設定されており、その外にも急行「ニセコ」が本州への便を兼ねた荷物輸送を担っていました。
特に北海道では気動車郵便車の配置が無かったため、こうした客車列車の役割は大きかったようです。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村

EF8195牽引:上越線迂回貨物列車(東日本大震災関連)

2019-08-29 20:03:00 | 国鉄・JR電気機関車(交流・交直流)
EF8195牽引:上越線迂回貨物列車(東日本大震災関連)


常磐線の貨物列車は、JR貨物のEH500形が出揃うまでの間、JR東日本田端機関区所属のEF81が牽引に当たっていました。常磐線内のほか、スルー運転している武蔵野線内でも運用されており、コンテナ列車や安中貨物を牽引する姿を見ることができました。

我が地元では、常磐線からのスルー列車と言えば安中貨物1本のみであり、通常のコンテナ貨物列車などの運用を見ることはできませんでしたが、1度だけEF8195が牽引するコンテナ列車を捉えた機会がありました。



平成23年4月16日 蕨駅付近にて EF8195牽引 臨貨9089レ

同年3月11日に発生した東日本大震災以来、東北本線の不通によって東北北海道方面への貨物物流が分断されてしまいました。
私自身も勿論、未曽有の大地震に動転してしまい、4月上旬には被災地への派遣など、鉄道写真どころではない状況でした。

そんな時、上越・羽越本線経由の臨時貨物列車が運転されていることを知り、18時過ぎという厳しい時間帯ですが、1度だけ撮影できたようです。
冒頭のとおり、地元ではEF81牽引のコンテナ列車を見ることが出来ない訳で稀少な写真である訳ですが、事情が事情なだけに、喜ばしいことではありません。
首都直下地震が近いうち起きるかもしれないことを考えると、趣味だけではなく、防災に係る啓発活動にも力が入ります。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村

国鉄 455系:クハ455-600番代(サロ改造)

2019-08-25 21:16:00 | 試験・事業車、配給、列車車両等
国鉄 455系:クハ455-600番代(サロ改造)


国鉄末期の頃、新幹線の開業などにより役目を終えた急行型車両が、旧型を含む客車列車の置き換え用として普通列車に使用されるようになりました。普通列車化にあたっては、短編成化が行われたため、不足する先頭車を改造により捻出するなどの工夫が行われています。

455系に関しては、クモハ+モハのユニットが多数余剰となる中、圧倒的にクハの両数が不足していたことから、直流型165系や169系からもクハを流用するなど、多種の先頭車が派生誕生しました。

その中でも特に異色だったのが、サロ165やサロ455といったグリーン車を普通車に格下げの上、さらに先頭車化するという無理無理な改造を行った車両があり、これがクハ455-600番代を名乗っています。



昭和62年11月23日 翁島~猪苗代間にて

逆光でどうにも見苦しい写真になってしまいましたが、磐越西線に運用された600番代です。画像が不鮮明で、番号までは読み取れません。
その形式の特殊性から、九州と東北仙台地区を中心に配置されました。北陸地区に配置されたか、記憶が定かではありません。

改造当初はいわゆる交直流急行色の車両がありましたが、間もなく九州色や仙台色に塗り変わっています。
種車の違いにより、窓がユニットサッシ化されたものと、オリジナルの1段下降窓のものが存在しています。私的には、やはりオリジナル窓の方が好きでしたが、全て九州地区へ配置されたということで、実車に出会うことができなかったのが非常に残念です。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村


箱根登山鉄道:モハ1形 モハ101・102・106号

2019-08-24 18:59:00 | 私鉄(中小)
箱根登山鉄道:モハ1形 モハ101・102・106号


先般、モハ1形で最後の吊り掛け式電車が廃車となって話題となり、『箱根登山鉄道:モハ1形 モハ103号』でもご紹介したところですが、その他にも撮影したモハ1形の写真がありましたのでまとめておきたいと思います。


※撮影は、平成10年3月14日です。



彫刻の森~強羅間にて モハ106



大平台駅にて モハ101&モハ109



大平台付近? モハ102

箱根湯本までは数えきれないくらい行っていますが、箱根登山鉄道自体は2回しか乗ったことがありません。この時は駅間を徒歩で歩いて撮影したのですが、山道で地図もなく、なんとも無謀なことをしたものです。
山道を歩いている間に何本もの列車を撮り逃してしまい、結果的にはこの程度しか記録することができませんでした。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村


国鉄 清水港線:622レ→621レ

2019-08-20 06:57:00 | 国鉄ローカル線
国鉄 清水港線:622レ→621レ


清水港線シリーズの最終回で、最後は乗車編です。

清水港線は貨物輸送が主体の路線であるため、唯一残っていた旅客営業列車も客貨混合列車となっていました。私が全国に出掛けられるようになってからは混合列車は殆どなくなってきており、実物を見たのは釧網本線のみでした。必然的に見ることができる清水港線は、本当にドキドキものでした。


1日目は清水駅から徒歩で終点の三保駅まで。
翌日の団体列車用12系お座敷客車「いこい」の据え付けが終ると、上り列車として組成されたのが前回のこの写真。



昭和59年3月22日 三保駅にて DD13140牽引 622レ

この日はタキ5450形が1両のみで、混合列車としては寂しい編成でした。
この列車に乗って清水駅へと戻ります。



折戸~巴川口間にて

清水港線の車内からの見どころはこの区間。1駅間、殆どがカーブで終ります。
かなりの乗車率で、ほぼ100%がテツでしょう。



巴川口~清水埠頭間にて

そして巴川可動橋へ。画面が曲がってしまいましたが、臨場感そのままアップします。
記憶が全くないのですが、写真を撮るために最後部の一番後ろの座席に乗っていたようです。



昭和59年3月23日 巴川口駅にて DE101524牽引 621レ

翌日は早朝に三保駅を発車する臨時団体列車を撮影し、その足で巴川口駅から下り列車に乗り込みます。
ホームでカメラを構えていると、やってきたのはなんとDE10が牽引する列車でした。当時、DE10は全国に腐るほどいましたので、本当にガッカリしたものですが、清水港線の列車でDE10牽引の列車写真は殆ど出てきませんので、もしかしたらかなり貴重な記録かもしれません。
※追記 タキの形式が何か、非常に気になって調べたところ、なかなかそれらしい資料が見つからなかったのですが、どうもアルミナ専用のタキ2000形っぽいです。アルミナ専用のタキは数形式がありますが、いずれも昭和電工か日本軽金属所有ということで、日本軽金属が三保工場を構えている点とも一致しています。




この日は4両ものタキを連ねており、混合列車らしい画になる編成でしたが、この写真はタイミングを逸してしまったようでした。



三保駅にて

短い旅を終え、終点の三保駅に到着した621レ。
タキが長過ぎたためか、客車の殆どがホームに入っていません。最後部に乗っていたため、車内を歩いてホームに降りた記憶があります。

ここで短かった2日間は完結となり、記憶は全く無いのですが、多分、バスに乗って帰って来たのではないかと思います。

ここでの列車番号は他の方の情報を元に表示していますが、昭和55年の時刻表では663レ・668レとなっており、完全な貨物列車扱いになっていたようです。このような扱いは全国でも珍しかったのではないでしょうか?

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村