マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

近畿日本鉄道 内部線・八王子線(パステルカラー)

2018-08-27 00:15:00 | 私鉄(中小)
近畿日本鉄道 内部線・八王子線(パステルカラー)


三重県四日市市に存在する「四日市あすなろう鉄道」。
今では希少となった軌間762mmのナローゲージによる鉄道線で、かつて軽便鉄道で運営されていた路線を近畿日本鉄道が買収し、運営していました。

平成24年に廃止が提案されましたが、協議の末に最終的には近鉄と四日市市が出資する第三セクターとして存続しました。
ここ数年は老朽化した車両の更新を実施し、新車の導入、車体の更新により冷房化等も実施され、グレードアップが図られています。
そして、最後まで未更新のまま残っていた3両編成が、平成30年9月2日の運転をもって運用を離脱することになったようです。


過去の2度、いずれもまだ近畿日本鉄道時代に訪問したことがあります。
今回はパステルカラー編成の引退ということですので、2度目に訪問した際に撮影した写真をまとめにしたいと思います。


※撮影は、平成21年8月23日、近鉄四日市駅付近にて。





四日市行き





西日野行き

この時はちょーハードスケジュールだったため、1往復分しか撮影できませんでした。いずれも八王子線の列車だったようです。
乗客も殆どなく、やはり経営は厳しいと思います。

列車本数が少ないのも難点ですが、沿線では幹線道路もあり、やはり自動車の利便性に勝ちようがありません。
しかし、趣味人の勝手な言い分ではありますが、北勢線と共に希少なナローゲージであり、末永く存続してほしいものです。



JR四国:121系電車

2018-08-24 00:10:00 | 国鉄・JR普通列車
JR四国 121系電車:予讃線


国鉄末期の昭和61年、四国初の電化路線用として投入された電車が121系です。
窓の構造の関係から、その後開業する瀬戸大橋は通過できないそうで、あくまでも四国島内の電化区間で普通列車及び快速列車用として導入されています。

編成はM+T’cの2両固定で軽量ステンレス製。片側3扉の近郊型ですが、裾絞りはない狭い車体で、車内はセミクロスシート。形態的には珍しいもので、言わば飯田線用119系のステンレス版といったところでしょうか?

誕生から30年になり、機器や内装が老朽化したため、リニューアルにより延命を図っています。JR東日本のような会社であれば転用先もありますが、電化区間の短い四国でもそのようなことはできず、新車を導入する資金もなく、このような措置もやむを得ないところでしょう。

リニューアル後は形式も7200系と変化、走行機器類や台車まで更新されることになり、全19編成のうち、平成30年8月時点での未更新車が最後の1編成となってしまいました。

私個人は四国そのものへ1度しか行ったことが無く、その際にちょっとだけですが121系の記録を残すことができました。


※撮影は、全て平成22年7月25日です。



高松駅にて 第19編成

当時は気にも留めませんでしたが、ラストナンバー編成でした。クハ120の台車は101系の発生品だそうで、当時は知りませんでした。



国分~讃岐府中間にて 121系 第19編成 「快速サンポート」

瀬戸大橋を渡って岡山へ出向き、まだ戻って来て立ち寄った国分駅付近で撮影したものです。
構図は良くなかったのですが、快速でヘッドマークが付いていたので取り敢えず撮影していました。



国分~讃岐府中間にて 121系 第12編成

同じ区間でちょっと駅から離れた道路橋から撮影したものです。こちらは第12編成でした。

強硬な1泊2日の撮影だったので時間がなく、121系はこれだけしか撮影できませんでした。
それでも昔だったら普通列車の写真なんて撮影しないことも当たり前でしたので、デジカメになってかなり意識が変わりました。そのお陰で少しでも記録に残せてよかったです。




185系大宮車:日光集約臨

2018-08-20 00:42:00 | 国鉄・JR団体・臨時列車
185系大宮車:日光集約臨


夏休み中はオフシーズンとなる修学旅行。関東ではメジャーである日光集約臨も9月から運転が再開となりますが、ダイヤ情報によるとすべての設定が現在余剰となって疎開しているE257系による運転となるようです。

中央東線の特急が353系化されるとともに、E351系はすべて廃車、E257系は「踊り子」への転用が発表されていますが、何らかの改造など整備が必要になると思われます。しかし、特に工場への入場もないままに、E257系が集約臨に使用されるということは、半室グリーン車を連結したまま運用されることになるようです。

そんな急な情報であったため、185系による集約臨はあまり撮影する機会が無いまま、突然に終焉を迎えることになってしまいました。



平成25年9月14日 185系C3編成ほか10連 9584M 日光集約臨

まだ189系元チタ編成から置き換わったばかりの頃。
グリーン車を外した6連、4連が誕生し、日光へは有効長の関係で、6+4の10連が多用されました。まだ塗装変更も実施されていない頃です。



平成25年9月23日 185系B2編成 9583M 日光集約臨

背後から襲われて撮り損なった集約臨。
拡大してみるとB2編成の札が掛かっていました。画像を見るとパンタグラフの位置関係から既に8連化されているようで、この姿での集約臨は非常に短い期間だったようでした。



平成26年9月13日 185系B2編成 9584M 日光集約臨

前の写真からちょうど1年後、B2編成は塗装が///に変更されました。



平成30年5月27日 185系B7編成ほか10連

上野東京ラインの開通により、集約臨も上野経由となるものが誕生しました。
終焉となった平成30年、「修学旅行」幕をあまり撮影していなかったことを意識したため、敢えてこのシチュエーションを狙いに行ったのですが、見事に本線下りにカブられてしまい、後部を押さえたものです。

この後梅雨入りしてしまったため撮影の機会を逸してしまいましたが、そのままこれが最後の写真になってしまうとは思いもしませんでした。

地元ネタがなくなってしまってからついででこのような集約臨を撮る機会も無くなってしまい、活躍の期間も短いものとあって、非常に少ない記録で終わりました。



JR西日本バス 三菱ふそうエアロキング:JRハイウェイバス

2018-08-18 22:47:00 | バス・トラック
JR西日本バス 三菱ふそうエアロキングJRハイウェイバス


ちょっと間が開きましたが、三菱ふそうエアロキングシリーズです。

生産が終了してしまったエアロキングですが、座席のグレードを複数設定しやすいということで、2階建てバスの需要は完全には終わっていないようです。
そんなこともあってか、東名高速バスではまだエアロキングが重宝されているようです。

以前は仕事で朝の東京駅へ行く機会があり、その度にエアロキングを探しては撮影したものですが、ここ数年はそういった機会も無くなりました。特に、上手く時間が合わない限りは、JR西日本バスに出会う機会はなかなかありません。


※撮影は、平成22年9月9日、東京駅八重洲口にて。



JR西日本バス 744-4972 三菱エアロキング 2004年車

今まで1度だけ撮影したことのあるJR西日本バスのエアロキングです。
既にそれなりの年数が経過しているので調べて見ましたら、この時は一般の「ドリーム号」仕様ですが、現在は「Premium Dream」仕様に化けてしまったようです。
この塗装での同車としては既に過去帳入りしてしまったようです。



クモユニ147:飯田線

2018-08-14 01:24:00 | 荷物列車、荷物車
クモユニ147:飯田線


クモユニ147は、飯田線の新性能化に際して昭和58年に製造された郵便・荷物車です。
車体はこれより少し前に誕生した身延線用のクモユニ143に準じていますが、101系からの流用(改造)によって誕生したため、別形式となっています。




平成30年7月下旬にKATOから発売されたクモユニ147です。
ここでは模型写真を使いたくないのですが、現役時代の写真が撮れていないために使います。
塗装は京浜東北線と同じ青22号に灰色9号の帯が入っており、同時に誕生した119系と同じ出で立ちです。帯も119系と同様に塗装ではなく、樹脂テープによるものです。印象としては唐津線の103系1500番代に似ています。




パンタグラフは一基のみで、辰野方に向いています。荷物車の連結が豊橋方のため、119系との併結では前パンにならなかったようです。



昭和58年6月28日 飯田線 田切~伊那福岡間にて

列車が小さいので非常に判り難いですが、クモユニ147を先頭としたクモハ119+クモハ119+クハ118の4連です。
119系の投入時にはまだ姿を見なかったように思いますので、戦前型のクモニやクハユニとの交代時、つまり119系導入よりもやや遅れて運用に入ったと思われます。

そんなタイミングもあってか、嫌々ながらも撮影していた119系と比較し、現役のクモユニ147を捉えていたのはたったこの1枚だけでした。

昭和60年に飯田線内の郵便・荷物輸送が廃止されてしまったため、当初の目的を果たしたのはたった2年くらいとなってしまったようです。
その後、大垣区に転出して東海道線などの荷物輸送に当たりましたが、こちらもたった1年で国鉄における郵便・荷物輸送の全面廃止によって役目が無くなってしまいます。
当時フリークエンシーによる短編成化が全国的に行われており、1M方式の利点を活かしたクモハ123へと用途を変え、活躍することになります。