マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

DD51ユーロ色牽引:臨時急行「奥飛騨」

2011-06-30 00:30:00 | 国鉄・JR急行列車
臨時急行「奥飛騨」


高山本線では、客車急行で「奥飛騨」号が設定されていました。
ユーロライナー(12系欧風客車)を使用して「ユーロ奥飛騨」として運転されていた頃もあったようですが、ユーロライナーも分割して様々な臨時に使うようなケースが生じていましたので、晩年は14系化されてしまったようです。




平成3年2月11日 高山本線 下油井~白川口間にて

DD51ユーロ色が牽引する臨時急行の下り「奥飛騨」号です。
鉄橋の通路柵が無い側から撮影したのが、完全逆光で仇になってしまった写真。でも、大変急峻な場所ですので、反対側に回るにしても足場が無かったかもしれません。

今でしたらせっかくのユーロ色でヘッドマークまで付けているのですから、列車主体の記録用アングルで撮影していたのでしょうが、SLフリーク真っ盛りの時代でしたので、ほとんどこんな景色優先の構図にしていました。
やはり、被写体によって使い分けるということも大事なんだなぁと痛感します。これだと、カマが何号機かも判らないですもんね。

私が撮ったユーロ塗装のDD51は最初で最後となってしまい、列車写真としては貴重だと分かっているのですが・・・見ているとどうしても残念だと思ってしまう1枚です。

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キハ82系・381系:特急「くろしお」

2011-06-29 00:30:00 | 国鉄・JR特急列車
キハ82系・381系:特急「くろしお」


「くろしお」は、天王寺から阪和線を経由して紀勢方面を結ぶ特急列車です。
昭和40年代、リゾート地として栄えた白浜や紀伊勝浦などを結んでおり、1往復は名古屋へ直通していた列車も存在しました。

当初の使用車両はキハ82系であり、リゾート特急らしくキロが2両に食堂車が連結されていました。また、キハ81系の東北撤退に伴い、この紀勢本線に流れてきたのも有名な話です。



昭和49年8月 天王寺駅にて

小学5年生の時、初めて写真を撮りに行った関西での撮影の1コマ。何故か天王寺駅へ「くろしお」も撮りに行きました。
当時は小学生ですから、キハ81が走っているなんて情報はもちろん入っておらず、「くろしお」という名称だけに魅かれていったと思います。
天王寺駅は上野駅に似た雰囲気を持っており、好感の持てた駅だったことを覚えております。ただ、夏休みだったからか分かりませんが、ホームがヒジョーに混雑していた記憶があります。



昭和52年3月30日 名古屋駅にて

この時点で名古屋発着の「くろしお」は1日1往復のみで、唯一運用でキハ81が組まれていました。ただし、運用が変則的で、前後でキハ81+キハ82とバラされていた時期や、前後が揃っている時期があり、たまたまこのときは揃っていた時だったんですね。1日片道のみの行程でしたので、天王寺行きにキハ81が当たるか、名古屋行きに当たるか50%の確率だったわけです。で・・・結局ハズレでした。



昭和59年7月6日 紀勢本線 白浜~朝来間にて 381系100番代 「くろしお」

こちらは「しなの」より5年くらい遅れて誕生した100番代非貫通型を使用した「くろしお」です。誕生当初は増備が追いつかなくて485系まで導入して運転されたのですが、いつの間にか381系100番代に統一されてました。

紀勢本線の新宮電化が昭和52年、名古屋口は未だに電化されておらず、新鋭の気動車キハ85系特急「南紀」がその任を継承しています。
381系でさえも世代交代を迎えた時代、面子が一新されるのもそれほど遠くは無いことでしょう。

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JR貨物 交直流機関車:EH500-60~66(3次車その7)

2011-06-28 00:30:00 | 国鉄・JR電気機関車(交流・交直流)
JR貨物 交直流機関車:EH500-60~66(3次車その7)


EH500型電気機関車は、平成9年に誕生したJR貨物の交直流型電気機関車で、EH10型直流電気機関車以来、久し振りとなった重連車体・H級の形態となっています。
901号機の試作車、1号機・2号機の量産先行車(1次車)、3~9号機(2次車)、10号機~(3次車)に分類されますが、実際には形態にやや差異があるため、細かく分類することができます。

3次車は、2次車の同様に、着雪による支障を防止するため、ヘッドライトが窓下まで上げられています。さらに、塗色のベースである赤色が901号機のような明るい色となり、窓周りの黒色も省略されたため、2次型とはかなり印象が異なります。
15号機以降のスタイルは、現在も毎年度において継続的に製造されており、同形式の完成形と言えると思います。



平成23年2月11日 EH500-60 遅3086レ



平成21年12月6日 EH500-61 3086レ



平成22年1月24日 EH500-62 3086レ



平成22年7月14日 EH500-63 3057レ



平成22年11月21日 EH500-64 3054レ



平成21年12月30日 EH500-65 3054レ



平成23年6月18日 EH500-65 3054レ

 

平成22年4月18日 EH500-66 3086レ


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臨時快速「レトロ横濱」

2011-06-27 00:30:00 | 国鉄・JR快速列車
臨時快速「レトロ横濱」


2009年6月1日~8月31日に掛け、横浜・神奈川デスティネーションキャンペーンが実施されました。各種イベントや臨時列車が設定され、横浜界隈は盛り上がりました。
私の住む地域にはまったく関係のない話ですが、出不精な生活の中で盛り上がったのは、臨時快速「レトロ横濱」の送り込み・返却回送が地元を通ったことです。
回送では期待どおりヘッドマークを付けたままの状態となり、労せずしてその姿を捉えることが出来ました。



平成21年6月7日 EF65501牽引 臨時快速「レトロ横濱」返却回送

EF65牽引の旧型客車は違和感がありますが、やはりヘッドマークを付けたP型のデザインは秀逸ですね。



平成21年6月27日 EF65501牽引 臨時快速「レトロ横濱」送込み回送

今回の「レトロ横濱」は、EF65501+旧客7両+EF641001と、旧客編成としては最大を組んでいます。そして、戦前型のスハフ32と注目のオハニ36は敢えて中間に組むという凝った編成となっていました。



平成21年6月28日 EF641001牽引 臨時快速「レトロ横濱」返却回送

翌日の返却回送はあいにくの雨。
暗いので正面がちに望遠でスピードを押さえたのですが、やはり先頭はブレてしまいました。
でも、EF64の車体が茶色いお陰で雨の様子が良く映りましたね。最後部のEF65501の近くは、屋根に跳ねた雨の水しぶきが霧のように映ってくれました。

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485系:特急「やまびこ」 53・10改正後

2011-06-26 00:30:00 | 国鉄・JR特急列車
485系:特急「やまびこ」 53・10改正後


「やまびこ」は、上野~盛岡間を結んでいた特急列車です。
特急列車としての起源を辿ると、上野~福島間を「つばさ」に併結していた盛岡編成ということになり、上野~盛岡間の特急としては気動車特急として運転が最初でした。昭和38年12月のことです。
昭和40年、東北本線の盛岡電化開業に伴い、電車での特急列車が運転開始となります。481系交直両用型特急電車として実績が認められ、50Hz版の483系が登場し、東北特急として初めての電車特急「やまびこ」が誕生します。

今回は、特急「やまびこ」のうち昭和53・10改正~東北新幹線大宮暫定開業前日までの画像をまとめています。



昭和55年頃 川口駅にて



昭和56年 蕨駅にて



昭和56年1月5日 白坂駅にて

母親の田舎に行く際、単独行動で寄り道して撮った写真。
急行の止まらない白坂駅ですが、特急の追い越し待ちで運転停車する例が多く見られました。





昭和57年1月4日 豊原~白坂間にて

景色の良いところで最後の勇姿を撮ろうと一大決心で、豊原~白坂間を踏破しました。
しかし、雪ならまだしもずうっと雨・雨・雨。参りました。
上下線が離れているのであまり効率が良くなく、「やまびこ」はたった2枚しか撮れませんでした。



昭和56年 蕨~南浦和間にて



昭和57年6月 大宮駅にて

北海道初の電車特急「いしかり」の781系化により北海道を追われた四つ目の1500番代は、初期の配置区である青森運転所へと里帰りし、この「やまびこ」以外にも、「はつかり」「ひばり」「いなほ」に運用されるようになりました。
いずれも共通運用であったため、いつ、どの側に連結されているかは全く分かりませんので、シャッターを押した時に何が連結されていたかと言う感じでしたね。で、まあ偶然にもこの2枚が写っていたというわけです。
北海道を追われたのが昭和55年、この「やまびこ」が新幹線開通により廃止されたのが昭和57年ですから、この姿を見ることが出来たのはたった2年だけだったということになります。










昭和57年6月22日 貝田~越河間にて

在来線特急「やまびこ」としての最終日です。国鉄に入社して間もない頃でしたが、出番を合わせてもらって友人と最終日の「やまびこ」の撮影に臨みました。
この日限りでなくなってしまうなんて信じられない気持ちでした。走っている「やまびこ」たちは何の装飾もなく、いつもどおりに東北本線をかっ飛ばして行きました。



昭和57年6月22日 宇都宮駅にて 上り最終「やまびこ8号」

そして、とうとうお別れの時がやってきました。全ての撮影の行程を終え、最終の「やまびこ8号」へ乗り込もうと福島駅で待っていると、入線してきた列車には「さようなら やまびこ」の大きな装飾がされていました。カメラを構えていなかったため、写真を撮ることができず、上野駅ではパニックだろうし、写真は撮れないと思っていたのです。
しかし、途中の宇都宮付近に来たところで、東北本線が送電故障だか忘れましたが、運転見合わせになってしまったんです。確か、宇都宮駅で30分以上は止まってしまったと記憶しています。そんなトラブルのお陰で、真っ暗な中、勘でスローシャッターにより撮影したのがこの写真です。なんとか、ギリギリ画像になった感じですが、とても思い出深い最後となりました。


「やまびこ8号」に乗車したときの特急券を「マル鉄コレクション館」でアップしています。『在来線「やまびこ」特急券:上り最終列車

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