マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

国鉄 直流型電気機関車:EF1832(大宮工場)

2017-05-28 02:33:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
国鉄 直流型電気機関車:EF1832(大宮工場)


今回は、EF58シリーズの途中ですが、EF58として製造されながらも他車とは違う運命を辿ったEF1832をご紹介いたします。

EF58は戦時設計であり、戦前製の~EF57までと同様に先台車・デッキ付きとして誕生しましたが、その時代背景から製造が中止され、打ち切り後は暖房装置を搭載した箱型に変わりました。さらに、製造途中であった旧車体の2両(35・36号機)は、車体の頭部分を挿げ替えて変形機として誕生しています。
さらに、既にほぼ完成していた3両(32~34号機)については、車体をほぼそのままに歯車比をEF15と同様とし、不足していた貨物用機に転用することになりました。ただし、将来的にEF58への編入を考慮したためか、別形式としながらも車号は32~34号機そのままとして誕生しています。

性能の特殊性からか汎用として使用できなかったようで、静岡周辺のローカル貨物運用に終始し、わずか30年ほどで生涯を終えています。



昭和54年 大宮工場解体線にて EF1832

詳細の記憶は定かではありませんが、友人から「大宮工場で茶色い機関車が解体するところにいた」という情報を聞いて訪れたと思います。
小雨降る中、1時間駆けて自転車で行き、高い塀の外から自転車の荷台に乗りって傘を差しながら撮ったような記憶があります。

そこに居たのはEF1832号機で、パンタグラフも外されておらず、まだ手が付けられていないようでした。他に複数のEF80も居り、当時はあまり記憶していませんが、EF80も淘汰され始まっていたようです。その陰からクハ181「とき」がちらっと。


EF18が現役の頃、静岡方面に写真を撮りに行ったことがありますが、EF18には逢えませんでした。他に、どのタイミングだったか忘れましたが、新幹線車窓から駅にて停車中のEF18牽引貨物列車を追い越した光景が目に焼き付いており、飛び降りて写真を撮りたかったという衝動に駆られた記憶が今でも残っています。

EF58の旧車体を完全な姿で残す生き証人的存在であったEF18。その姿を活躍中に記録することができなかったのが非常に残念です。


EF1832

昭和26年 5月31日落成 東芝製 沼津機関区
昭和54年 1月12日廃車 浜松機関区



京浜急行電鉄 デハ230形:デハ236(青木町公園)

2017-05-25 06:32:00 | 私鉄(大手)
京浜急行電鉄 デハ230形:デハ236(青木町公園)


廃車以来、永らく川口市の青木町公園に保存展示されてきた京浜急行電鉄230形(デハ236)ですが、予算不足から放置され荒れ放題になっていました。
里親探しで募集をかけたところ、元の所有者であった京浜急行電鉄が手を挙げ、保存が継続されることに決まりました。
平成29年5月24日、陸送により工場に無事到着したそうです。


地元で子供の頃に遊びに通った青木町公園。長い間訪問したことが無く、娘の水泳大会で行くことになり、保存されていることを初めて知りました。

※撮影は、平成19年7月8日、川口市立青木町公園にて。




道路側からの撮影です。
こちらは陽当たりが良いためか、塗装がかなり劣化しています。




園内側からの撮影です。
撮り易い角度、スペースとなっています。
こちらは日中に日陰となるためか、比較的良好な状態でした。




しかし、保存状態は良好とは言えず、いたずらにより破壊されている部分も見受けられました。




子供の頃はなかったと思いましたが、昭和54年4月に譲渡されたようで、既に高校生になっており、保存車があるのは全く知りませんでした。


これらの写真を撮ってから既に10年が経過。最後は本当に悲惨な状態になっていました。
これから京浜急行電鉄において整備され、またきれいな姿になって戻ってくることを嬉しく思います。



国鉄 直流型電気機関車:EF58118(米原機関区)

2017-05-23 00:44:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
国鉄 直流型電気機関車:EF58118(米原機関区)


EF58シリーズ、今回は米原機関区所属の118号機です。

前回ご紹介したしました宇都宮運転所所属機の歯抜け部分に118号機ですが、発想としては逆ですかね?むしろ、関西系の110番代が宇都宮運転所へ大挙して移動していった中で、米原機関区に残留したのが118号機です。
宇都宮機関区のカマは、Hゴム化→デフロスタ装備と姿を変えてしまいましたが、118号機は米原機関区に残ったことによって、原型小窓を保ったまま生涯を全うしました。



昭和59年3月23日 東戸塚~保土ヶ谷間にて EF58118牽引 荷物列車

この写真を撮影した時点で荷物列車も晩年になります。
同機は即刻廃車を免れ、下関でEF62交代までの繋ぎ運用をこなしたようです。


EF58118

昭和32年 3月15日新製 東芝製 米原機関区に新製配置
昭和60年 2月 4日廃車 下関運転所



国鉄 直流型電気機関車:EF58114・116・117・119(宇都宮運転所)

2017-05-20 08:43:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
国鉄 直流型電気機関車:EF58114・116・117・119(宇都宮運転所)


EF58シリーズ、今回は宇都宮運転所に所属した114号機、116号機、117号機、そして119号機です。


いずれもあまり特徴的なカマではありませんでした。
昭和50年代前半くらいまでは原型小窓だったようですが、宇都宮運転所の他のカマと同様に、晩年はHゴム化され、さらに最末期にはデフロスタが装備されたようです。



昭和55年4月27日 蕨駅にて EF58114牽引 臨時特急「はつかり51号」

繁忙期の常連となっていた14系座席車使用の臨時特急「はつかり51号」
この頃はまだデフロスタが装備されていないようです。



昭和55年7月23日 南浦和~蕨間にて EF58114牽引 「おが4号」

ブレブレですが、辛うじて判別できました。季節急行「おが4号」の旧客時代です。



昭和59年9月 蕨駅付近にて EF58114牽引 12系客車

サボが無く、乗客もないようなので、回送列車かと思われます。
既に活躍末期になっていますが、この時にはデフロスタが装着されていました。



昭和60年1月頃 与野駅にて EF58114+マニ60+マヤ34

回送列車のようですが、東北本線の軌道試験列車です。『国鉄 マヤ34:高速軌道試験車』でご紹介しています。



昭和60年1月5日 栗橋~東鷲宮間にて EF58114 荷物列車

荷物列車としても末期の頃。EF58の活躍も最後を迎えていました。



昭和52年3月21日 栗橋~古河間にて EF58116牽引 旧型客車による集約臨

まだ中1の頃で思いっきり構図を外してしまいましたが、旧客を牽く116号機です。
時刻表に無かったので何かと思いましたら、サボ受けに「修学旅行」のサボが入っていました。
態度の悪そうな高校生が文句でも言いそうな顔で窓から顔を出していたのを今でも覚えています。
まだ原型小窓ですが、フィルタはヨロイ戸型になっています。



昭和55年頃 蕨~西川口間にて EF58116+スニ41

急行「八甲田」かと思っていましたが、すれ違っている165系と思われる列車に511Mと表示があり、これが「日光1号」「わたらせ1号」だとすると、尾久送りの回送列車かもしれません。
Hゴム化されてしまっていますが、デフロスタは装備されていません。
※改めて調べたところ、165系が2511Mだとすると急行「なすの1号」となり、蕨付近で「八甲田」とすれ違いになる可能性が非常に高いことが判りました。「2」を入れ忘れたか、運転台に見当たらなくてそのままにしてしまったか・・・そんなところかもしれません。


昭和54年8月 尾久駅にて EF58117牽引 12系客車

突然来た列車で慌てて撮ったものですが、この時代でも昼間の下りの客車急行の設定は殆どありませんでしたので、団体かと思われます。夏なのに窓全開でヒジが出ていますので、集約臨の可能性が高いですね。当時は冷房使用が高校生には贅沢と扱われていたような記憶があります。
この117号機は、昭和54年時点で既にデフロスタが装備されています。



昭和57年11月6日 上野駅にて EF58117牽引 寝台急行「新星」

急行「新星」を牽引して上野に到着した117号機。



昭和56年 南浦和~蕨間にて EF58119牽引 上り急行「八甲田」

あまり遭遇機会がなかった119号機で、既にHゴム化、デフロスタ装備の出で立ちとなっています。過去ログ『EF58・EF65・ED75牽引:急行「八甲田」(12系時代)』でご紹介しています。



昭和56年 上野駅にて EF58119牽引 荷物列車

同じ頃、上野駅で撮影していた時に偶然捉えたもの。
先般『EF15牽引:荷物列車』でご紹介いたしました荷2935レと思われます。
まだEF15が残っていたと思いますが、EF58牽引に変わってガッカリした記憶が甦ってきますが、この列車を牽くEF58はかなり短期間であったため、こちらの記録も貴重なものです。

こうしてみると、114号機はやたらと当たる機会が多かったようです。地元ながらまったく記録していないカマもありますので、縁があったりなかったり、と言う感じでしょうか。


114号機

昭和31年11月14日新製 東洋電機・汽車会社製 浜松機関区
              東京区→宮原区→広島区→下関区→広島区→宇都宮区
昭和60年 5月16日廃車 田端機関区(宇都宮運転所を統合)


116号機
昭和32年 3月29日新製 日本車輌・富士電機製 東京機関区
              宮原区→広島区→宇都宮区
昭和60年 6月27日廃車 田端機関区(宇都宮運転所を統合)


117号機
昭和32年 3月13日新製 東芝製 東京機関区
昭和58年 6月18日廃車 宇都宮運転所


119号機
昭和32年 3月 4日新製 川崎車両・川崎重工製 浜松機関区
昭和57年12月 8日廃車 宇都宮運転所




EF15牽引:荷物列車

2017-05-16 00:45:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
EF15牽引:荷物列車


一旦終えたEF15シリーズですが、ちょっと特徴的な列車を残していたのでご紹介いたします。

まずはカマの方から。30号機です。
EF15の正面窓には基本的にヒサシがついています。一般的なヒサシや上越仕様のツララ切りタイプのものがありますが、上端が曲線になっているのが一般的です。
しかし、30号機は何故か上端が直線になっており、さらにやや高い位置に設置されているため、EF15一族の中でも非常に特徴的な顔をしていました。





昭和52年頃 上野駅にて EF1530牽引 荷2935レ

色違いの写真ですが、影の位置や汚れの状況から同じ時に撮影したもののようです。
EF15といえばれっきとした貨物用機であり、客車である荷物列車を日常的に牽くことがあるというのをこの時に初めて知りました。

これは、隅田川駅から常磐線を経由し、品川駅まで運転され、さらに品川駅から汐留駅発の荷物列車と併結し、東海道本線を下って行ったということです。



昭和52年頃 東京駅にて EF1530牽引 荷2935レ

こちらも同じ頃に撮影した荷2935レです。
やはり30号機が牽引しており、東京駅ではホームの無い11番線に一旦停車し、時間調整を行っていたようです。
12番線に停車中の153系は、急行「東海」のようです。



昭和51年頃 西川口~蕨間にて EF1530牽引 貨物列車

過去ログ『貨物列車で回送された旧型客車』でご紹介いたしました、旧客を併結回送する貨物列車を牽引する30号機です。
ブレブレでナンバーは全く判りませんが、特徴のあるヒサシ形状から30号機であることが判ります。
それくらい特徴のある顔をしたカマでした。


30号機

昭和22年 9月30日 三菱製 新製配置 水上機関区
昭和24年 4月10日 高崎第二機関区へ移動
昭和33年 8月 9日 新鶴見機関区へ移動
昭和38年 3月12日 宇都宮機関区へ移動(借入れにより37.8.11より在籍)
昭和43年10月 9日 再び新鶴見機関区へ移動
昭和47年 3月15日 東京機関区へ移動
昭和54年 5月 7日 廃車