大宮操車場の残像
さいたま新都心駅に横付けされたように「大宮操車場」駅があります。
しかし、本来はその位置づけは逆で、大宮操車場の方が遥かに歴史が長く、関東でも有数の大規模貨物操車場でした。特に、関東でカーリターダー設備を持つ操車場は新鶴見と大宮くらいなもので、北へ出発点、北からの玄関としても重要な位置付けの操車場でした。
過去にも大宮操車場の光景はご覧いただきましたが、今回は、さいたま新都心を訪れた際にいつもは行かない北寄りの陸橋を通り、かつて私が働いていた頃の面影を見ましたので、比較しながら昔を映してみたいと思います。
※現在の写真は、平成27年4月23日撮影のものです。
アリーナの北側から西側を見たところです。ちょうどハンプ群線のポイント部辺りだと思います。
現在は新幹線と埼京線が国道17号線をオーバークロスし、旧大宮操車場の敷地内に入って来たところになります。
下の写真は手前がハンプ群線、ハンプ引上げ線。さらに下り本線とその上を高架になった通過線がありました。既に新幹線及び埼京線の高架工事で基礎が立ち上がってきたところで、囲いが橋脚の下にちらっと見え始めています。
現在の貨物線(湘南新宿ライン)はさいたま新都心側に移設され、100km/hほどの高速で通過するようになりましたが、もし貨物輸送事情が変わっていなければ、湘南新宿ラインはこの高架の上を貨物列車並みに減速して入換を見下ろしながら走っていたことでしょう。
こちらは反対の東側を見たところになります。
貨物列車は本線の下をくぐって大宮操車場へと進入します。
これも下の写真とほぼ同じ位置で撮ったもののようで、下の写真の左端に上り本線のガーターがちらっと写っています。
下の写真の左下の分岐部分は、手前側が大宮機関区への回送線、直進が上りハンプ引上げ線になります。
そしてこちらは北側(大宮駅方向)を示したものです。
左側が下り(貨物)本線(湘南新宿ライン)で、この部分は旧上りハンプ群線内となっていた場所になります。
中央のトンネルになっている部分が旧大宮機関区(北部運転、大宮工場入出場を含む)への連絡線で、現在も大宮総合車両センターへの連絡線として使用されています。
道路で坂道になっている部分が旧ハンプ入換の上り引上げ線の線路敷きでした。
大宮機関区への連絡線を走行するEF641042です。
トンネルの上はハンプ山(ハンプ入換のサミットで、貨車の切り離し作業を行う部所)がありました。
ここは上り本線との専用連絡線で、下りの連絡線は先ほどの新幹線側から直接出入りが出来ました。東北・高崎線の貨物列車は、コンテナ専用列車や石油・石炭等の専用貨物を除いて殆どがハンプ通過となりましたので、機関車は殆どがここ大宮操車場で交換となっていました。
右側の建物が大宮操車場駅庁舎。今も昔も位置は変わっていないようです。
トンネルの上に立っている建物が先ほど説明したハンプ山になります。ここで切り離した貨車はカーリターダーで速度調整され、広大なハンプ群線へと散って行きます。
まさにその落ちて来た貨車に飛び乗ってブレーキを掛け連結をしていたのが私。
位置関係からして、このさいたまスーパーアリーナの辺りを走り回っていたんですね。
懐かしさも半分。余りにも変貌してしまったので、こうして書き留めておかないと忘れてしまいそうです。
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さいたま新都心駅に横付けされたように「大宮操車場」駅があります。
しかし、本来はその位置づけは逆で、大宮操車場の方が遥かに歴史が長く、関東でも有数の大規模貨物操車場でした。特に、関東でカーリターダー設備を持つ操車場は新鶴見と大宮くらいなもので、北へ出発点、北からの玄関としても重要な位置付けの操車場でした。
過去にも大宮操車場の光景はご覧いただきましたが、今回は、さいたま新都心を訪れた際にいつもは行かない北寄りの陸橋を通り、かつて私が働いていた頃の面影を見ましたので、比較しながら昔を映してみたいと思います。
※現在の写真は、平成27年4月23日撮影のものです。
アリーナの北側から西側を見たところです。ちょうどハンプ群線のポイント部辺りだと思います。
現在は新幹線と埼京線が国道17号線をオーバークロスし、旧大宮操車場の敷地内に入って来たところになります。
下の写真は手前がハンプ群線、ハンプ引上げ線。さらに下り本線とその上を高架になった通過線がありました。既に新幹線及び埼京線の高架工事で基礎が立ち上がってきたところで、囲いが橋脚の下にちらっと見え始めています。
現在の貨物線(湘南新宿ライン)はさいたま新都心側に移設され、100km/hほどの高速で通過するようになりましたが、もし貨物輸送事情が変わっていなければ、湘南新宿ラインはこの高架の上を貨物列車並みに減速して入換を見下ろしながら走っていたことでしょう。
こちらは反対の東側を見たところになります。
貨物列車は本線の下をくぐって大宮操車場へと進入します。
これも下の写真とほぼ同じ位置で撮ったもののようで、下の写真の左端に上り本線のガーターがちらっと写っています。
下の写真の左下の分岐部分は、手前側が大宮機関区への回送線、直進が上りハンプ引上げ線になります。
そしてこちらは北側(大宮駅方向)を示したものです。
左側が下り(貨物)本線(湘南新宿ライン)で、この部分は旧上りハンプ群線内となっていた場所になります。
中央のトンネルになっている部分が旧大宮機関区(北部運転、大宮工場入出場を含む)への連絡線で、現在も大宮総合車両センターへの連絡線として使用されています。
道路で坂道になっている部分が旧ハンプ入換の上り引上げ線の線路敷きでした。
大宮機関区への連絡線を走行するEF641042です。
トンネルの上はハンプ山(ハンプ入換のサミットで、貨車の切り離し作業を行う部所)がありました。
ここは上り本線との専用連絡線で、下りの連絡線は先ほどの新幹線側から直接出入りが出来ました。東北・高崎線の貨物列車は、コンテナ専用列車や石油・石炭等の専用貨物を除いて殆どがハンプ通過となりましたので、機関車は殆どがここ大宮操車場で交換となっていました。
右側の建物が大宮操車場駅庁舎。今も昔も位置は変わっていないようです。
トンネルの上に立っている建物が先ほど説明したハンプ山になります。ここで切り離した貨車はカーリターダーで速度調整され、広大なハンプ群線へと散って行きます。
まさにその落ちて来た貨車に飛び乗ってブレーキを掛け連結をしていたのが私。
位置関係からして、このさいたまスーパーアリーナの辺りを走り回っていたんですね。
懐かしさも半分。余りにも変貌してしまったので、こうして書き留めておかないと忘れてしまいそうです。
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