マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

大宮操車場の残像

2015-04-30 01:07:00 | 駅・停車場・操車場
大宮操車場の残像


さいたま新都心駅に横付けされたように「大宮操車場」駅があります。
しかし、本来はその位置づけは逆で、大宮操車場の方が遥かに歴史が長く、関東でも有数の大規模貨物操車場でした。特に、関東でカーリターダー設備を持つ操車場は新鶴見と大宮くらいなもので、北へ出発点、北からの玄関としても重要な位置付けの操車場でした。

過去にも大宮操車場の光景はご覧いただきましたが、今回は、さいたま新都心を訪れた際にいつもは行かない北寄りの陸橋を通り、かつて私が働いていた頃の面影を見ましたので、比較しながら昔を映してみたいと思います。

※現在の写真は、平成27年4月23日撮影のものです。






アリーナの北側から西側を見たところです。ちょうどハンプ群線のポイント部辺りだと思います。
現在は新幹線と埼京線が国道17号線をオーバークロスし、旧大宮操車場の敷地内に入って来たところになります。
下の写真は手前がハンプ群線、ハンプ引上げ線。さらに下り本線とその上を高架になった通過線がありました。既に新幹線及び埼京線の高架工事で基礎が立ち上がってきたところで、囲いが橋脚の下にちらっと見え始めています。

現在の貨物線(湘南新宿ライン)はさいたま新都心側に移設され、100km/hほどの高速で通過するようになりましたが、もし貨物輸送事情が変わっていなければ、湘南新宿ラインはこの高架の上を貨物列車並みに減速して入換を見下ろしながら走っていたことでしょう。






こちらは反対の東側を見たところになります。
貨物列車は本線の下をくぐって大宮操車場へと進入します。
これも下の写真とほぼ同じ位置で撮ったもののようで、下の写真の左端に上り本線のガーターがちらっと写っています。
下の写真の左下の分岐部分は、手前側が大宮機関区への回送線、直進が上りハンプ引上げ線になります。




そしてこちらは北側(大宮駅方向)を示したものです。
左側が下り(貨物)本線(湘南新宿ライン)で、この部分は旧上りハンプ群線内となっていた場所になります。
中央のトンネルになっている部分が旧大宮機関区(北部運転、大宮工場入出場を含む)への連絡線で、現在も大宮総合車両センターへの連絡線として使用されています。
道路で坂道になっている部分が旧ハンプ入換の上り引上げ線の線路敷きでした。




大宮機関区への連絡線を走行するEF641042です。
トンネルの上はハンプ山(ハンプ入換のサミットで、貨車の切り離し作業を行う部所)がありました。
ここは上り本線との専用連絡線で、下りの連絡線は先ほどの新幹線側から直接出入りが出来ました。東北・高崎線の貨物列車は、コンテナ専用列車や石油・石炭等の専用貨物を除いて殆どがハンプ通過となりましたので、機関車は殆どがここ大宮操車場で交換となっていました。




右側の建物が大宮操車場駅庁舎。今も昔も位置は変わっていないようです。
トンネルの上に立っている建物が先ほど説明したハンプ山になります。ここで切り離した貨車はカーリターダーで速度調整され、広大なハンプ群線へと散って行きます。
まさにその落ちて来た貨車に飛び乗ってブレーキを掛け連結をしていたのが私。
位置関係からして、このさいたまスーパーアリーナの辺りを走り回っていたんですね。

懐かしさも半分。余りにも変貌してしまったので、こうして書き留めておかないと忘れてしまいそうです。

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国鉄旧型電機 EF15(高崎第二機関区)

2015-04-26 03:30:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
国鉄旧型電機 EF15(高崎第二機関区)


国鉄における貨物用電気機関車で、旧型電機の決定版として製造されたEF15型電気機関車。貨物用デッキ付き機関車としても最終形式となり、202両が製造されています。
一部は勾配線区用としてEF16型になっており、202両のEF15が揃ったことはありませんが、比較的に少数製造が多かった旧型電機の中でも、最大両数を誇っていました。

ほぼ全国の直流線区で活躍しましたが、今回は高崎第二機関区所属のEF15を集めてみました。



昭和54年3月頃 川口駅付近にて EF1564単機回送

高崎第二機関区の初期型車両です。
今はマンションだらけになってしまった背景も、殆どが鋳物工場で埋め尽くされている感じですね。

昭和28年10月 1日 日立製 新製配置 浜松機関区
昭和33年 4月 3日 高崎第二機関区へ異動
昭和54年11月12日 廃車

ご覧のとおり、EF15の中でも異動経歴の少ないカマでした。



昭和56年 蕨駅にて EF1565

かなり窮屈な写真になってしまったのですが、今まさに115系電車にカブられようとしている瞬間です。

65号機
昭和28年 9月29日 落成 日立製 新鶴見機関区新製配置
昭和31年 8月28日 高崎第二機関区へ異動
昭和56年 5月 8日 廃車

新鶴見区への新製配置ですが、正味2年強しかおらず、殆どを高崎二区で過ごしました。



昭和52年頃 大宮駅にて タキ1900を連ねて通過中のEF1588

ホームが日に翳ってしまい非常に見づらいのですが、当時はセメント輸送が本当に盛んな頃で、秩父セメントのタキ1900やホキ5700ばかりをつなげた列車は定番のように走っていました。

88号機

昭和29年 3月15日 落成 日立製 新鶴見区新製配置
   同年 6月16日 稲沢第二機関区へ移動
昭和31年11月19日 米原機関区へ移動
昭和38年 9月 1日 沼津機関区へ移動
昭和39年 5月26日 広島機関区へ移動
昭和44年10月 3日 新鶴見機関区へ移動
昭和47年 3月 2日 高崎第二機関区へ移動
昭和56年10月12日 廃車

88号機は、EF15の中でも最も移動の激しかった号機のうちの1台でした。



昭和54年 西川口~蕨間にて EF15121

何のことは無い、単機のブレた写真です。番号が判別できたのでアップしてみました。

121号機 
昭和29年12月10日 落成 東洋電機・汽車会社製 豊橋機関区新製配置
昭和31年11月11日 稲沢第二機関区へ異動
昭和38年12月12日 岡山機関区へ異動
昭和44年 7月12日 東新潟機関区へ異動
昭和54年12月12日 高崎第二機関区へ異動
昭和56年 8月27日 廃車



昭和57年7月 大宮機関区にて EF15148

一般の人では撮ることができない、大宮操車場の職員輸送列車から大宮機関区を撮った写真。この頃既にEF15が貴重になりつつあった時代ですので、確信犯的に狙っていたと思います。
EF15も然ることながら、EF62・EF651000・EF60初期車と、当時の貨物輸送を支えた千両役者たちが揃い踏みですね。

148号機
昭和32年 9月 6日 落成 東芝製 新鶴見機関区新製配置
昭和33年 4月26日 宇都宮機関区(当時)へ異動
昭和38年10月 1日 高崎第二機関区へ異動(貸出がS38.9.21~)
昭和58年 3月11日 廃車



昭和56年7月頃 品川駅にて EF15154牽引 貨物列車

154号機

昭和32年 9月11日 川崎製 新製配置 高崎第二機関区
昭和58年 1月24日 廃車

154号機を調べてみると、新製配置から廃車となるまで、貸し出しも含めて一切高崎を離れることがなかった生粋の高崎っ子だったようです。




昭和55年 蕨~西川口間にて EF15161

161号機
昭和33年 2月15日 落成 東芝製 新鶴見機関区新製配置
昭和37年11月20日 高崎第二機関区へ異動(貸出がS37.9.16~)
昭和57年12月23日 廃車



昭和57年1月5日 八木原~群馬総社間にて EF15200+EF641000

「とき」を撮影しに行った時にたまたま捉えた200号機です。
次位にEF641000番代を従えた重連仕業となっており、EF15の終焉が近いことを表わす絵面になってしまいました。
逆光だったので表情が見づらいですが、200号機は高二では珍しくシールドビーム2灯化されています。この高二でも最後まで活躍した2両のうちの1両です。



昭和60年2月9日 小野上~祖母島間にて EF15200牽引 工臨

200号機
昭和33年 9月17日 落成 日本車両・富士重工製 稲沢第二機関区新製配置
昭和38年 8月20日 米原機関区へ異動
昭和39年 3月12日 岡山機関区へ異動
昭和44年 9月25日 高崎第二機関区へ異動
昭和61年 1月18日 廃車


この記事以外にも、過去ログ

国鉄型電気機関車 EF15+レサ5000

EF15165牽引:サロンエクスプレス東京

で、既にアップしています。

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E257系:特急「しおさい」

2015-04-19 23:28:00 | 国鉄・JR特急列車
257系:特急「しおさい


平成27年3月ダイヤ改正、この時点で東京発の特急列車としている房総特急「しおさい」ですが、それまで活躍してきたE255系及びE257系コンビのうち、E257系の運用が消滅してしまったようです。
「あやめ」の廃止は大きくニュースになりましたが、この運用の変化には全く気が付かず、平成27年5月号のDJ誌で初めて知りました。



平成21年1月3日 佐倉~物井間にて E257系 「しおさい?号」



平成22年7月17日 西船橋~船橋間にて E257系 「しおさい3号」

こんなんしかありませんでした。113系を撮りに行ったついでと言う感じでしかなく、本数も少ないので遭遇機会も少なかったですね。おまけにヘッドマークも写っていません。
E255系で運転は継続していますが、ヘッドマークがない分、益々疎遠になりそうな特急列車です。


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EF551+EF641001(原色)牽引:12系臨時列車

2015-04-12 19:57:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
EF551+EF641001(原色)牽引:12系臨時列車


平成27年4月12日、予てから鉄道博物館入りを前提に整備が行われていたEF551ですが、本日から鉄道博物館における展示が始まったとのことです。
本来であれば関東のニュースでもトップになりそうですが、早朝に起きた山手線の架線柱倒壊事故で都心の鉄道が大混乱、EF55のニュースはかき消されてしまったようです。

過去ログでEF55の記事はいくつもアップしておりますが、今回はEF641001が原色時代に12系臨時列車を重連で牽引した数少ない記録をご紹介したいと思います。

※撮影は、全て昭和61年8月28日です。



敷島~津久田間にて

確かEF55が復活して第2段目の運転だったと思います。
第1弾は旧型客車(スエ78込み)を連結、単機で高崎~水上間を運転。そして第2弾は、高崎からなんと上越国境を越えて石打まで運転されています。

国境越えにあたり、補機としてEF641001(当時はまだ原色)を連結した重連運転となりました。当時最新型であったEF641000番代との重連運転は完全なミスマッチでしたが、今となっては貴重な原色時代の記録となりました。



石打駅構内にて 方向転換中のEF55

EF55は機能的には片運転台と同様であるために方向転換が必要となります。転車台は石打駅構内に残存していたためこれを利用し、復路も正向きで運転が可能でした。EF55が引退となった今、SLが石打へ行く可能性も少ないため、転車台の役目も終ってしまいそうです。



石打~越後湯沢間にて

この回の撮影で唯一順光で撮れた場所。しかし、送電線がうるさくて絵になりませんでした。足場がないために選択肢がありませんでした。



越後湯沢~越後中里間にて

上り列車は越後湯沢駅停車中に先回りができましたが、撮影場所を探している時間が無くて良いアングルでは撮れませんでした。



渋川~八木原間にて

今度は関越道を使って先回り。かなり日が傾いて暗くなってしまいました。今だったらデジタルでどうにでもなる条件でしたが、当時は限界でしたかね。

この後の運転では、EF55の不具合時の対策のためか、EF641001が補機仕業につくことが多くなります。また、旧型客車による組成も頻繁に行われるようになり、EF641001は茶色塗装に白帯を入れた現在の塗装へと変更されることになります。
ちなみに、翌年(昭和62年)4月には茶色となったEF641001が補機仕業に就いているのを確認しています。
僅か数回であったと思われるEF55との貴重な組み合わせの列車でした。

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113系:総武本線・成田線(晩年)

2015-04-05 16:17:00 | 国鉄・JR普通列車
113系:総武本線・成田線(晩年)


昭和49年から房総各線で活躍を始めた113系電車。借入れを除けば、全てがスカ色で運用されていました。
気動車からの置き換えや73形旧型国電等を駆逐した新性能近郊型電車も、銀色の211系や元京浜東北線209系に後進を譲り、2011年(平成23年)に引退となりました。

総武快速線には地下線用難燃・ATC車である1000番代が使用されましたが、津田沼以遠のローカル運用には113系初期車が使用されていました。
それら初期車も老朽化が進み、1000番代からの転用を受けさらには冷房化、快速線への217系導入後は1500番代が転入するなどの世代更新がされてきましたが、時代の要請によりJR東日本管内から113系は姿を消すことになりました。

房総各線における晩年の活躍はあまり記録する機会がありませんでしたが、総武本線物井~佐倉間に訪問する機会が度ほどあったため、辛うじて晩年を記録することが出来ました。















以上、平成21年1月3日撮影。





以上、平成20年5月3日撮影。


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