マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

国鉄 直流型電気機関車:EF58144・145(宇都宮運転所)

2017-10-30 22:47:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
国鉄 直流型電気機関車:EF58144・145(宇都宮運転所)


EF58シリーズ、今回は宇都宮運転所の144号機と145号機です。


先にアップいたしました141号機と同じく、元は宮原機関区に配置された車両で、宇都宮運転所にやって来ってきたカマのようです。
やはり転属当初は原型小窓で、昭和53年頃を境としてHゴム化され、最終期にはデフロスタの取り付けが施工されたようです。



昭和52年頃 144号機牽引の回送列車

まずは144号機です。
写真はオロネ10とスニ40を連結していた回送列車で、おそらく尾久客から大宮工場への入場車ではないかと思われます。私が高校に入ってからは、控車がマニ36ばかりだったように記憶していますが、昭和50年代半ばくらいは、写真のようにマニ40を控車とした写真が他にも見つかっています。
まだ転属してきたばかりの頃のようで、前面窓は原型のままとなっています。



昭和53年9月30日 144号機牽引 普通125レ

東北本線上野口で最後まで残った普通客車列車。
写真は、上野16時台発の福島行き125列車です。EF58やEF57の表舞台であった客車普通列車も、昭和53年10月改正で廃止となってしまいました。
上り「八甲田」を牽引してきたカマが尾久で停留後、125列車で折り返すという運用。最盛期は最も重連運用が組まれる可能性が高い列車としても有名でした。
ダイヤ改正で普通客車列車が廃止となる2日前の写真で、翌日はEF65PFが牽引したため、事実上125列車最後の運用となりました。
上の写真からわずかな期間ですが、Hゴム化されています。



昭和56年3月 144号機牽引 12系団体列車

まだ12系客車が団体列車に活躍していた頃。
山手貨物線から直通する臨時列車は、手前の貨物線を走ってきました。



昭和59年1月頃 大宮操車場内にて 145号機牽引 荷物列車

ここから145号機です。
59・2改正の貨物大合理化により、私が大宮操車場を追われようとしていた頃、そして荷物列車の牽引機も一新されようとしていた晩年の頃です。
高崎二区のEEF58が全廃となり、東日本で唯一残った宇都宮区のゴハチが、高崎線・東北本線のすべての荷物列車を受け持つようになりました。



昭和59年9月 145号機牽引 試運転列車

蕨駅付近を走る14系客車を使用した試運転列車です。
この数日後に走るお召し列車の訓練運転で、お召1号編成を引きずり出す訳にはいかないため、重量合わせのための14系7連を牽引し、訓練が行われました。
実際にはこの区間を61号機が牽引しましたが、訓練では何故かこの145号機が選ばれました。訓練は数回行われた筈ですが、すべての訓練に145号機が使用されたかどうかは不明です。

145号機に関しては晩年の写真しかなく、既に最終形態となっていました。


144号機

昭和33年 3月21日 日立製 宮原機関区
昭和59年 8月24日 廃車  宇都宮運転所
            さいたま市と栃木県のレストランでカットモデルで保存?

145号機

昭和33年 3月27日 日立製 宮原機関区
昭和60年 4月15日 廃車 田端機関区(宇都宮運転所統合)




JR貨物 EF652065(EF651065)

2017-10-28 21:05:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
JR貨物 EF652065(EF651065)


既に古参機の部類になってきましたが、JR貨物のEF652065号機が平成29年10月の検査において、なんと国鉄色となって出場しました。
数年前に国鉄色のEF65が次々と倒れ、一時期はゼロになってしまったはずですが、ラストナンバーである2139号機が4月の検査で国鉄色で復活となり、これに続き、今年2機目の快挙となりました。

まだ運用でのキャッチは出来ていませんが、過去のデータを探ってみたところ、改番前の1065号機の時代から結構枚数としてありましたので、ここで拾ってみたいと思います。


まずは改番後の2065号機です。



平成24年8月8日 4094レ


平成26年4月20日 3070レ


平成26年9月27日 3083レ

1枚目の写真は改番直後くらいで、かなりキレイな状態です。


続いて改番前の1065号機です。



平成22年7月18日 2071レ


平成22年11月21日 2071レ


平成22年12月4日 3075レ


平成22年12月19日 3075レ


平成23年7月3日 4094レ

その後のJR貨物標準色となる塗装で、現在も残るEF65も大部分がこの配色です。



平成21年1月17日 大宮駅にて

大宮駅で偶然に撮っていたものですが、この時代はいわゆる3色塗装でした。
しかし、この時点においても検査入場の際に順次塗り替えが始まっており、翌年には塗装更新によって3色塗装は消滅してしまいました。



平成14年3月31日 梅小路機関区にて

さらに遡って、立ち寄った梅小路機関車館を見学していた時、柵越しに見えたEF66100番代の実物を見たのが初めてであったために撮影したもので、EF66と並んでいたために写り込んでいたのが偶然にも国鉄色赤プレ時代の1065号機でした。


昭和50年代前半に誕生し、国鉄色→試験塗装→国鉄赤プレ→3色塗装→2色標準塗装→国鉄色復活と、随分といろんな姿になったものですね。
他には例のない程の変遷ですが、これも長生きあってのものだと思います。


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交流電気機関車 ED751015

2017-10-22 01:56:00 | 国鉄・JR電気機関車(交流・交直流)
交流電気機関車 ED751015


最近の記事に関連して東北本線のED75を調べていましたら、偶然ですが、異なるシチュエーションで2枚の同号機を見つけましたので、ここにご紹介したいと思います。



昭和55年3月 青森駅にて ED751015牽引 24系 特急「ゆうづる」

過去ログ『寝台特急「ゆうづる」:ED75編』でご紹介済みの特急「ゆうづる」を牽引するED751015です。

1000番代は20系や10000系貨車を牽引するため、元空気溜引通しと電磁ブレーキ指令回路を追加し、ブレーキ増圧装置を搭載した区分番代です。後に20系カヤ21にこの仕組みを搭載し、さらにコキ10000系の撤退すると用途区分が失われ、他の一般型と共通で運用されるようになりました。



平成20年5月24日 大宮総合車両センターにて 検査入場中のED751015

上の写真から28年後、ふれあい大宮フェスタで公開された、検査入場中の1015号機です。
民営化によってJR貨物所属となり、後年になって裾部に白いラインが配されました。

59・2の貨物大合理化で初期車に大量の余剰車が発生し、さらにまだ経年の浅い700番代ですら余剰車が改造等で失われています。
そんな中でも比較的に古株の1015号機は生き永らえていましたが、既にこの時代でもレッドデータとなっています。おそらくはこの検査が最終で、最後に見られたピカピカの姿ではないかと思われます。

東北を代表する高速機として誕生し、僚機の中でも活躍期間が長かった幸運なカマではないかと思います。

ED751015号機

昭和43年 5月16日 新製 福島機関区
昭和43年 6月 7日 転属 青森運転所
昭和61年11月 1日 転属 盛岡機関区
昭和62年 4月 1日 継承 JR貨物 盛岡機関区
平成20年 4月 1日 転属 仙台?


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JR東日本 E721系:東北本線(黒磯~新白河)

2017-10-19 23:55:00 | 国鉄・JR普通列車
JR東日本 E721系:東北本線(黒磯~新白河)


黒磯駅の交直切替方式の変更に伴う車両の変化で、もう一つの形式がありました。
それがE721系です。

まだ新しい形式なので、その去就を心配する必要のない車両ではありますが、新しい車両でありながら、早々にこの地を離れることになってしまいました。

こちらの写真も719系及び701系を撮ったときに訪れた1回だけで終わりました。


※撮影は、平成22年5月2日です。



白坂駅にて

白坂駅の上野方踏切から撮った黒磯行き4連の発車シーン。
昔の上り通過線にホームが設けられ、追い越し・退避設備がなくなっていました。

ちなみに・・・



昭和57年に同じ場所から撮った白坂駅上り線の写真です。



高久駅にて

何度通ったか数えきれない高久駅ですが、ここは待避線がないために普通列車でも長時間停車することはなく、一度も下車したことがありませんでした。
かつて、10分程度の停車時間があれば入場券を買いに走ったものですが、この駅ではホームにさえ降りたこともなく、この時、初めてホームに立ちました。

多分、上の写真の編成が折り返してきたものと思われます。


新しいが故にノーマークでしたが、これからもE721系がこの区間を走ることはないと思われます。



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JR東日本 701系:東北本線(黒磯~新白河)

2017-10-18 23:48:00 | 国鉄・JR普通列車
JR東日本 701系:東北本線(黒磯~新白河)


前記事に関連し、同じく交直切替方式の変更に伴い黒磯~白河間の運用から撤退した701系をまとめたいと思います。
こちらも719系と同様ですが、同じ日に撮影したものしかありませんでした。


※撮影は、平成22年5月2日、東北本線 豊原~白坂間にて。




後部が見えませんが、黒磯発福島行きの4連だったと思います。
撮影場所を探していたときに踏切が鳴ってしまい、慌てて撮影したもの。
昭和時代は有名撮影区間であり、ある程度の獣道があったと思うんですが、誰も訪れなくなったか、線路内への立ち入りが厳しくなってしまったためか、撮影場所へ辿り着く道が見つかりませんでした。




2両編成には厳しいスケールの鉄橋のため、サクラを入れて撮ってみました。
年にもよると思いますが、この年はGWでサクラが満開でした。クルマでの野宿をしましたが、暖房なしには耐えられない寒さでした。




27年振りくらいに訪れた白坂駅構内の踏切から撮った写真です。
草が伸び放題で、昔のようには撮れなくなっていました。

いずれも貨物列車の撮影のために行ったものですが、10時間くらい粘って、撮れたのはたった2本だけ。貨物列車は9割以上が運休という悲惨な日で、719系や701系の写真を撮りに行ったような感じになってしまいました。

東北地区では既に鋼製車の交流・交直流の残存車はなくなってしまい、この701系や719系は一番古い車両となってしまいましたので、車齢はそれほどではありませんが、世代交代の対象になってしまう可能性もあるようです。


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