マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

251系:「ホームライナー小田原」

2020-01-26 21:04:00 | 国鉄・JR快速列車
251系:「ホームライナー小田原」


東海道本線にホームライナーが登場したのは昭和61年と後発で、当初は全てが東京発着となっており、名称を「湘南ライナー」として現在も好調を保っています。
一方、昭和63年7月に横須賀線及び山手貨物線を経由する新宿発着のライナーが設定され、これを「湘南新宿ライナー」としました。その後、山手貨物線を経由する「湘南新宿ライン」の営業が開始されると、紛らわしさから新宿発着のライナーの名称を上り「おはようライナー」・下り「ホームライナー小田原」と変え、現在に至っています。

新宿発着のライナーには、215系のほか一部に中央線特急用の車両が充当され、過去には189系・E351系・E257系といった歴代の主要車両も活躍していましたが、平成16年3月改正から251系が投入されるようになります。平成20年には中央特急車が撤退し、251系と185系のみの運用となっています。

令和2年3月、ダイヤ改正により251系「スーパービュー踊り子」が廃止となる関係で、1往復に運用されていた両ライナーからの撤退が確実なものとなりました。



平成24年2月29日 新宿駅にて 251系 「ホームライナー小田原23号」





平成28年3月25日 新宿駅にて 251系 「ホームライナー小田原23号」

勤務先である身近な新宿駅発着の列車ではありますが、我が家とは完全な反対方向の列車であり、かつ自分の出勤より早い時間に到着するか、逆に残業しないと縁のない時間帯の発車となります。
過去にも残業帰りに目撃することは多々ありますが、この時間だともう元気がなくなっているので、家に早く帰りたい気持ちの方が強くなってしまいます。何よりも、やはりヘッドマークのない251系のスタイルが写欲をそそらない原因であることに間違いはありません。
せめて違いと言えば旧態然として維持された側面方向幕くらいですが、これもにも「小田原」の文字はありません。

改正後からは185系に置き換えされるようですが、それもおそらくは1年ほどの期限付きであると思われ、利用者の方々はそのグレードダウンを我慢するしかないようです。

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E231系500番代:山手線(終焉)

2020-01-25 17:41:00 | 国鉄・JR普通列車
E231系500番代:山手線(終焉)


平成14年から山手線に導入されたE231系500番代もいよいよ最後の1編成となり、最終編成となったトウ506編成には令和2年1月10日から「ありがとう」ヘッドマークを前後に取り付けて運転されてました。
1月をもって引退ということでしたが、具体的な日程は発表されておらず、その日はいつになるのか分からなかったファンが大勢であったと思います。



令和2年1月16日 新宿駅にて E231系506編成

最終編成でヘッドマーク付きになると、近年はかなりアタマの狂ったマニアが台頭してくるので、写真を撮りに行くようなことは控えているのですが、この日、午前中の在宅勤務から新宿へ向かう際、ちょうど埼京線の新宿着から5分以内に最終編成がやって来そうな運用に入っていました。
ラッキーなついでで撮れると思ったのですが、乗っていた埼京線が何故か新大久保付近から最徐行や停止を繰り返し、新宿着が遅れ、間に合わなくなってしまいました。ダメもとで山手線ホームの階段を降りると、最終編成がちょうど到着し、発車ベルが鳴り始めたところ。ギリギリ発車シーンを撮ることができました。

そして何の予告もなく、令和2年1月20日の運転をもって運用に入ることはなくなり、1月24日の情報で、東京総合車両センターに入場したことを知りました。

平成29年からのE235系量産車導入により本格的に置き換えが始まりましたが、そのペースは非常に遅く感じていました。しかし、最後の半年くらいはあっと言う間に置き換えが進んだ感があり、名残惜しむ前に終わってしまった印象でした。


E231系500番代:山手線(ラッピング編成)
E231系500番代:山手線(6扉車交代後)
E231系500番代:山手線(6扉車)
E231系 みどりの山手線:「伊右衛門」ラッピング
E231系 みどりの山手線:
みどりのリラックマ電車「Rilakkuma Yamanote Line」

E231系みどりの山手線:クリスマストレイン
E231系山手線:チョコ電「山手線命名100周年」
E231系山手線:東京駅開業100周年記念ラッピング

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ジョイフルトレイン 14系欧風客車「スーパーエクスプレスレインボー」公式試運転

2020-01-19 20:34:00 | 国鉄・JR ジョイフルトレイン
ジョイフルトレイン 14系欧風客車「スーパーエクスプレスレインボー」公式試運転


国鉄時代の末期、民営化を控え、国鉄各局では増収策の一環として様々なジョイフルトレインが誕生しました。特に新幹線の延伸開業に伴って余剰となってきた急行形12系・14系客車を改造した車両が多く誕生しています。
それまでの団体用車両としてはお座敷列車が中心でしたが、趣向の高まりにより「旅を楽しめる」選択肢として、洋式の豪華客車(欧風客車)へとシフトしていった時代でもあります。

東京北鉄道管理局としては、やっと12系改造のお座敷客車が導入された時代でしたが、民営化に向けた新たなコンセプトの基に、欧風客車を誕生させることになりました。
それが、新型欧風客車(スーパーエクスプレスレインボー)です。


種車はそれまで12系客車が中心となっていましたが、地方への転用が多くなったためか14系客車へとシフトしていったようです。
スーパーエクスプレスレインボーも14系客車が主たる種車となっており、センターに連結されるイベントカーのみが12系客車となっています。




まずは新型欧風客車完成記念オレンジカードから。
発売は東京北鉄道管理局で、枚数限定だったと記憶しています。
2枚組で、外観デザイン及びイベントカーの内装完成図。誕生まで非公開だったようで、オレンジカードの作成に当たっても実車の写真は使用されていません。
この時点では名称の「スーパーエクスプレスレインボー」という言葉さえ決定されていなかったようです。



昭和62年3月19日 栗橋~東鷲宮間にて EF8195牽引 スーパーエクスプレスレインボー

公開試運転で初めて公の場に姿を現した「スーパーエクスプレスレインボー」のフル編成。
度肝を抜かれたのは客車ではなく、圧倒的に国鉄の姿を逸脱したデザインのEF8195でした。
初めて遠くから見たカマは、「DF50が牽いてきたのか?」と思ってしまうほど想像を絶するデザインだったのが、今でも鮮明に覚えています。



昭和62年3月19日 蓮田~東大宮間にて EF651019牽引 スーパーエクスプレスレインボー

そしてもう1本の撮影では、また印象の違う何かがやって来ました。
それは青一辺倒で活躍してきたPFが、またなんとも奇抜な色でやって来たので、これにも度肝を抜かれました。

こうして「スーパーエクスプレスレインボー」のお披露目運転を無事に記録することができました。
記憶では、1往復の試運転で、往路・復路のカマを取り替えて運転されたと記憶していたのですが、写真を見る限りでは2枚とも上り列車となっているので、それぞれのカマで1往復ずつ、2往復が運転されたようです。光線状態から2本ともそれほど長い時間が開いている感じがしないので、運転区間も短かったようですが、残念ながらその辺りの詳細な記録も記憶もなく、不明のままとなっています。

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EF715牽引 12系客車:臨時列車(奥羽本線)

2020-01-18 22:09:00 | 国鉄・JR電気機関車(交流・交直流)
EF715牽引 12系客車:臨時列車(奥羽本線)


今回は季節的に雪景色の写真を探してみました。

過去ログにおいて、板谷峠を行くEF71やED78牽引の列車をご紹介してきました。
今回は分類から外れていた12系客車による臨時列車(団体?)の写真をご紹介したいと思います。


※撮影は、平成2年2月18日です。



板谷駅付近にて


赤岩駅にて

いずれもEF715牽引による12系客車を連ねた臨時列車です。
1枚目が山形方面へ、2枚が板谷峠を下山した帰りに撮影した福島方面への列車で、いずれかが営業運転・回送になっていると思います。

記憶としては臨時急行列車と思っていたのですが、その後の調べで臨時急行が設定された様子はなかったため、一般団体列車のようです。
今でしたら12系客車による臨時列車も情報が載るのですが、当時は客車によるジョイフルトレインの全盛期で、それらによる団体列車の情報で満載でした。このような特徴のない12系による団体列車程度では、運転情報に載るような余地はない時代でした。


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DD51牽引 旧型客車:普通列車(根室本線421レ)

2020-01-15 00:34:00 | 国鉄・JRディーゼル機関車
DD51牽引 旧型客車:普通列車(根室本線421レ)


昭和54年の時刻表から根室本線を見ると、気動車による普通列車が多い中で、区間は異なりますが、3往復程の客車普通列車が運転されていたようです。このうちの1往復は、全国で4往復存在した寝台車付きの夜行普通列車で、北海道では「からまつ」を名乗っていました。

しかし、この「からまつ」が昭和55年10月のダイヤ改正で廃止されてしまうと、客車列車による普通列車は激減し、滝川~釧路間、釧路~根室間に1往復ずつのみと、大変貴重な存在になっていました。



昭和56年3月16日 池田駅にて DD51578牽引 421レ

この写真は、池北線を北見側から踏破し、池田駅での交換待ちの際に偶然に出くわしたときのもの。
当時の時刻表を見ると・・・

根室本線 下り 421レ  池田 11:29着 11:49発 釧路行き
池北線  上り 932D  池田 11:21着 11:37発 帯広行き

となっており、池北線から直通の帯広行きにもかかわらず、421レが到着してから932Dが発車するまで8分も停車時間があったため、余裕で撮影できたということのようです。



昭和56年3月17日 落合~新得間にて DD51642牽引 421レ

翌日、早朝から狩勝峠での撮影に臨みました。とは言いましても、当時は地図も持っていませんでしたので、比較的に安直な場所を選んでいます。

めちゃくちゃ気温が低く、カップラーメンを食べるために鍋に雪を入れ、沸騰させるまで30分も掛かりました。雪が積もっていますので、乾いた枯れ草を集めるのも一苦労。極寒の大地で食べたカレーヌードル、生涯忘れられないおいしさです。

この区間唯一の普通客車列車となった421レ・422レは、客車3両に荷物車が5両という、人荷が逆転した編成。時刻表を見る限り、根室本線には急行荷物列車が設定されていませんので、1往復の客車列車が帯広・釧路・根室方面の荷物輸送を担っていたということが分ります。

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