マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

京王電鉄:デワ600

2016-05-29 03:43:00 | 私鉄(大手)
京王電鉄:デワ600


改めて思いだしてみると、大手私鉄でも専用の試験車など事業用車を持つ会社というのは意外と少ないように思います。
京王電鉄では古くから電動貨車を所有しており、5000系改造のデワを引き継いだ6000系改造のデワ600が所属していましたが、平成28年4月、後継の新車稼働によりとうとう廃車になってしまいました。

当方にとっては縁のない路線ですので、まずお目に掛かれる機会はないのですが、たまたま現場仕事で移動中に出くわし、走行写真の撮影は叶わなかったものの、車庫に佇む姿を捉える機会がありました。

※撮影は、平成24年4月19日、若葉台車庫にて。




仕事に入る前、高架下を移動していると、ゆっくりとしたスピードで、ダブルパンタが通過していくのが見えました。走行音が4両編成だったので、間違いなくデワだと思い、線路の見える位置で折り返しを待機していたのですが、結局戻っては来ませんでした。そのまま入庫してしまったようです。

仕事が終わった帰り、電車に乗らずに車庫の方へと行ってみました。すると、やはり休んでいました。
近くへ寄ったものの障害物が多く、これでは記録になりません。




ホームからは物凄く遠い位置ですが、このコンデジは画質はともかく720mmまで行けますので、なんとか撮ることができました。しかし、良く見るとここも障害物(斜めワイヤー)が・・・




反対ホームへ移動して、ワイヤーはクリアできたんですけど、移動機がブラインドしています。

これ以上はどうにもならないので諦めましたが、やはりチキを含めた全体像を撮りたかったですね。

なかなかお目に掛かれる車両ではないので、仕事のついでに捉えることができたのはラッキーとしか言いようがありません。

旧車を利用した事業用車と言うのは、大体は長生きするものですが、種車である6000系の僚友たちが居なくなってからまだそれほど時間も経っておらず、事業用車としては異例の寿命のように思います。

同車は前後半分に分割され、トラックで陸送されて行きました。



埼玉新都市交通:1010系

2016-05-23 00:07:00 | 私鉄(中小)
埼玉新都市交通:1010系


埼玉新都市交通で、開業当初から使用されていた1010系(←1000系)ですが、平成28年6月26日の最終運転をもって引退となってしまうようです。
開業して間もない頃に1往復したくらいしか乗った記憶が無く、写真もまったく撮ったことがありませんでした。



平成26年6月14日 大宮駅新幹線ホームから

新都市交通内で写真を撮ったことがないため、こんな写真しか撮っていませんでした。
既にかなりの編成が撤退していましたので、その希少性は理解していましたが、どうしても本格的に撮影する気にはなれませんでした。

まだ新都市交通の創成期に誕生した車両で、イマいちパッとしないデザインであったためであったと思います。



EF81代走牽引:寝台特急「カシオペア」

2016-05-15 01:28:00 | 国鉄・JR特急列車
EF81代走牽引:寝台特急「カシオペア」


寝台特急「カシオペア」が、団体臨時列車として平成28年6月にカムバックしてきます。
昨日(平成28年5月14日)、試運転のため上野を立ったようですが、残業続きの疲れから爆睡していました。

EF81が「カシオペア」を牽引していた時代、基本的には専用塗装(カシガマ)しか牽引しませんでしたが、EF510への交代後災害などの理由で赤いEF81が「カシオペア」を牽引したことがありました。

これ以外は比較的にトラブルが無く、EF510のJR貨物への譲渡なども順調に行われていましたが、「北斗星」が定期列車としての終焉を迎える頃、ついにトラブルが発生してしまいました。
「北斗星」の臨時化に向け、EF510の配置が最小限になった時期に、EF510に故障車が発生し、検査入場中のカマが存在したりと不足が生じたため、突然のEF81代走が行われました。しかも、牽引に当たったのがローズピンクに塗装変更されたEF8181が充当されたため、大変話題になりました。



平成27年3月1日 EF8181牽引 8009レ 「カシオペア」

突然の情報に慌てて家を出て撮影したものです。生憎の雨模様で鮮明な画像は撮れませんでしたが、この時代にまさかローズピンクのEF81がヘッドマークを付けて「カシオペア」を牽引する絵を撮れるとは思ってもみませんでした。



平成27年3月3日 EF8181牽引 8010レ 「カシオペア」

折り返しもそのままEF8181が牽引してきましたが、またも天気に恵まれず、京浜東北線にカブられるわ、ブレてしまうわで散々でした。



平成27年3月8日 EF8181牽引 8010レ 「カシオペア」

EF510の修繕はまだ終わらないようで、代走が続きます。
良い写真が撮れなかったので天気の回復を祈りましたが、またも酷い雨。



平成27年3月8日 EF8197牽引 8009レ 「カシオペア」

朝方の雨は止んだものの、暗~い夕方。しかも、牽引機が97号機差し替わってしまいました。

その後は仕事を休めずに追わなかったものの、青森へ向かった97号機の故障により青森機の138号機が代走の代走に入るという珍事にまで発展してしまいました。
次の休みにそれを狙おうと思っていましたが、故障EF510の復帰により、一連の珍時に幕が下ろされました。



ED75牽引:寝台特急「日本海」

2016-05-08 00:21:00 | 国鉄・JR特急列車
ED75牽引:寝台特急「日本海」


奥羽本線の秋田~青森間の電化は、昭和46年8月だそうです。
羽越本線の電化とも絡み、ED75700番代が同時に誕生し、日本海側交流区間の客車列車や貨物列車の輸送を担っていました。
もっとも、私が経験した限りでは、羽越本線の客車列車はEF81牽引列車しか見たことがありません。

寝台特急「日本海」も、羽越本線~奥羽本線に非電化区間があったときはDD51が牽引していましたが、電化後は秋田を境として羽越本線をEF81、奥羽本線をED75700番代が牽引していました。



昭和61年9月8日 鷹ノ巣~前山間にて ED75700番代牽引 「日本海2号」



昭和61年9月9日 前山~鷹ノ巣間にて ED75743牽引 「日本海1号」



昭和61年9月9日 前山~鷹ノ巣間にて ED75700番代牽引 「日本海3号」

まだ運転免許を取って間もない頃、東北方面をほぼ一周して帰ってくる冒険に出掛けた時のものです。
目的は色々ありましたが、この時のメインはこのED75牽引「日本海」でした。
この前年からヘッドマークが復活し、さらに「日本海」の牽引機がEF81によるスルー運転になるということで、ED75牽引の「日本海」がなくなってしまうという情報が入ったためでした。

EF81牽引に移行される列車は「日本海」のみであり、同線を走行する「あけぼの」や、まだ残存していた50系使用の普通列車などには変化がなかったようです。

当時は風景重点で撮影していたため、牽引機の特定ができないような写真ばかりでしたが、「日本海」の牽引機としては地味な区間でもあったため、自分の資料としても貴重な記録となっています。



寝台特急「日本海」(寝台客車編)

2016-05-03 23:37:00 | 国鉄・JR特急列車
寝台特急「日本海」(寝台客車編)


寝台特急「日本海」は、昭和43年10月ダイヤ改正において大阪~青森を結ぶ寝台特急として誕生しました。
それ以前は、同区間を急行「日本海」として運転されていましたが、名称を特急列車へ移行し、急行列車はそのまま「きたぐに」と改称され存続しました。

寝台特急としての運転開始当初より20系寝台客車が使用され、車両は青森運転所所属車で「あけぼの」や「ゆうづる」と共用されていました。



昭和49年8月 大阪駅にて ナハネフ21使用 特急「日本海」

20系客車は昭和50年3月ダイヤ改正まで使用されたようです。
湖西線が開業するまでは米原経由で運転されており、米原から大阪まではEF58やEF65が牽引していました。
初めて「日本海」に遭遇したのがこのとき、小学5年生の夏でした。
それまで「あけぼの」や東京発着ブルトレなどで20系は知っていましたが、このスタイルを見るのが初めてでした。何故か流線型の20系よりもこのスタイルに強く惹かれ、「日本海」の初めての出会いが寝台特急そして「日本海」大好きに染まっていったきっかけでした。惜しむらくは、当時の写真代が非常に高かったため、EF58かEF65がヘッドマークを掲げていたであろう、先頭の機関車を撮っていなかったことでした。

50・3改正で20系客車から14系化され、所属も早岐客車区となりました。
残念ながら、これ以降、しばらくは「日本海」と逢うことはありませんでした。



昭和55年3月 青森駅にて オハネフ24使用 「日本海3号」?

次に出会ったのは、高校生になって初めて渡道した際、乗り継ぎの青森駅でした。
昭和53年10月ダイヤ改正で、「日本海」は2往復体制となります。宮原区と青森区がそれぞれ1往復を持つことになり、青森区は24系24形、宮原区は24系25形を使用していました。
写真は、車種と明るさから青森区の3号ではないかと推測されます。
ブルトレのイラストマーク化は、電車に比べて1年遅れとなりましたが、既にこの写真を撮った時はイラスト化されていたため、文字サインの時代の写真は記録できませんでした。



昭和57年8月8日 富山駅にて オハネフ25使用 「日本海4号」?

宮原区持ちの1・4号は、24系25形客車が使用されていました。この編成は当初からA寝台を連結しない、銀帯編成でした。
この後、57・11ダイヤ改正から2往復とも宮原区持ちとなり、全てが25形化されたようです。



昭和61年9月8日 羽越本線 下浜~道川間にて 「日本海3号」

昭和59年2月ダイヤ改正から再び1往復が青森運転所持ちとなります。
この時点においては、関西で余剰となった24系25形が青森区へ転属してきており、「ゆうづる」にも使用されていました。
また、需要の低迷によりA寝台車も連結が廃止されており、写真からも判るように、オハネフ25が電源車の次位に連結されています。本来の25形は両向き仕様となっていますので、関西のオハネフ25は両端に車掌室を出していましたが、青森車は分割併合がないため、写真のように車掌室を青森向きに方転していたようです。

最後部はカヤ24(←マヤ24)が連結されています。
本来は関西用に投入された24系用の電源車マヤ24でしたが、荷物需要に応えるために荷物スペースを確保、この際に荷重が増えたためにカヤ24になっています。
昭和55年頃、合理化によって余剰となったカヤ24が大挙して青森区に配置されたため、「ゆうづる」やこの「日本海」での運用が目立つようになりました。



平成24年3月11日 青森駅にて 上り「日本海」

民営化を前後として、渡道の際に青森駅へ寄ったことはあるものの、駅撮りをしなくなったこともあって「日本海」を撮ったことが無く、青函トンネル開業後は青森駅すらスルーしてしまうことに。
引き続き2往復が存続した「日本海」は、西日本、東日本がそれぞれ1往復ずつ担当し、1往復の函館乗り入れやモトとレールの連結など、青函トンネル効果で需要があったようです。
また、閑散期には修学旅行の団体客にも需要があったようで、運行区間と時間距離が不便な割には2往復体制が堅持されました。

平成20年に西日本運用が廃止されて1往復となり、需要の低迷に歯止めが掛からず、平成24年3月のダイヤ改正をもって、その生涯に幕を閉じました。




電車特急の新製による継続運転などのウワサもありましたが、北陸新幹線開業による北陸本線の分断、北海道新幹線開業による旅客流動の変化などを考慮すると、その実現性は皆無であろうと思われ、趣味的発想からだけでは難しいことが、今になって納得でき、仕方のないことだったと諦めもつきます。

物心ついた頃に鉄道に興味を持ち、その興味をより強くしたのがこの寝台特急「日本海」だったように思います。いつでも逢える列車ではなかったことが、余計にそういう存在になっていた。
地味ながらも自分の中では大きな存在だったブルートレイン、それが寝台特急「日本海」だったのだ、と改めて思います。