マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

ED751035牽引:荷物列車34レ

2017-07-30 16:54:00 | 国鉄・JR電気機関車(交流・交直流)
ED751035牽引:荷物列車34レ


昭和の時代、当たり前のように走っていた荷物列車。
手荷物輸送として優等列車に併結したもの、ローカル輸送として普通列車に併結していたもの、そして地域間の定期輸送で専用に仕立てられた幹線の急行荷物列車などいろいろありました。

列車そのもののスピードや荷扱い停車の関係から夜行列車が多かった幹線の荷物列車でしたが、走行区間の関係で昼間を堂々と走る荷物列車も一部見られることができました。



昭和56年1月5日 白坂駅付近にて ED751035牽引 荷34レ

東北本線の仙台~大宮間では、早朝の44レと午後の34レが撮影可能であったようです。
写真の34レは仙台~隅田川間の比較的に短距離の急行荷物列車。不思議なことに、仙台~福島間は無停車でありながら、なぜか普通列車扱いの1044レとなっています。
時刻表を見ると、仙台~福島間は普通列車として客扱いをしていることになっていることが判りました。おそらく、2~3両程度の客車を併結し、福島で開放、他の荷物車をさらに増結していたのではないかと想像します。

写真の列車は末期に近いということもあり、マニ50形が半分を占めています。東北本線の荷物列車は、本来ならば半数にワキ8000やスニ40といった銀箱客車が連結されていたものですが、かなり車両構成が変わってしまっているようです。

荷物列車は結構撮っていますが、私が社会人(国鉄入社)になって3年で荷物列車自体が全廃になってしまいましたので、雪景色の中を行く荷物列車の写真というの数があまりありません。
まして交流区間では、ということになりますと、 私的に大変貴重な1枚となっています。


ED751035

昭和49年 3月16日 東芝製 青森運転所
昭和61年 3月 1日 青森東運転所
昭和62年 4月 1日 JR貨物へ継承




国鉄 直流型電気機関車:EF58130~136(高崎第二機関区)

2017-07-29 01:16:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
国鉄 直流型電気機関車:EF58130~136(高崎第二機関区)


EF58シリーズ、今回は高崎第二機関区の130~136号機まで、連番で一気に掲載します。



昭和56年10月頃 EF58130牽引 荷物列車 蕨駅付近にて

130号機は、高崎第二機関区で最後まで残ったEF58ということです。
右側はかつて存在した住友セメントの側線です。今はこの部分がマンション及び一方通行の道路になっていますが、当時は西川口~蕨間で線路際を歩くことのできない2箇所のうちの1箇所でした。



昭和56年5月 EF58131牽引 荷物列車 南浦和~蕨間にて

突然背後から来たので、しょうもない構図になっております。高い草もカブっていますし・・・。どアップになったおかげで、番号だけはハッキリしています。



昭和56年12月 EF58132牽引 荷物列車 蕨駅付近にて

ブレちゃって判りづらいですが132号機です。ピンも来ていないかもしれません。
上から撮ったので、屋上に常磐線用の列車防護無線アンテナが付いているのが確認できます。
高崎二区のEF58は、この1年後には2機を除いて廃車となっていますので、ほぼ終焉に近い頃の写真となります。



昭和53年頃 EF58133牽引 回送列車? 大宮駅にて

ここからは133号機です。
夕暮れの大宮駅でしょうか?珍しく高崎二区のカマが12系客車を牽引して9番線に停車しています。臨時列車でも東北本線を牽くことはないでしょうから、おそらくは東大宮操への回送列車ではないかと思われます。
当時の大宮駅はどのホーム端にも屋根がなく、まだ新幹線もないため非常に空が大きく見えました。



昭和54年3月 EF58133牽引 臨時急行「佐渡54号」 川口駅付近にて(再掲)

EF58の存在意義は「そこに客車列車があったから」。昭和50年代は今では想像を絶するほどの客車列車がまだまだ残っていました。



昭和55年 EF58133牽引 荷物列車 蕨~西川口間にて

こちらも133号機です。フィルム現像を自分でやった結果、焼き込み過ぎてメチャクチャ高コントラストの荒れた画像になってしまいました。
この目線の高さからも、常磐線用の無線アンテナは目立ちます。



昭和55年秋 EF58134牽引 急行「鳥海」 蕨~西川口間にて(再掲)

秋田発の上り急行「鳥海」を牽引する134号機。晩年はA寝台が3号車となりましたが、まだこの時代は1号車がA寝台車でした。



昭和56年2月頃 蕨~西川口間にて EF58135牽引 大宮工場出場車(再掲)

大宮工場からの出場車を連ねた列車で、いわゆる配給列車です。マヤ34が2両も連結された、趣のある編成でした。



昭和57年1月 EF58136牽引 荷物列車 蕨~西川口間にて

いつも良い撮影時間帯にあるらしく、とにかくこの荷物列車の写真がたくさん残りました。



昭和56年9月 EF58136牽引 臨時急行「佐渡54号」 南浦和~蕨間にて

これも臨時急行「佐渡54号」のようです。これも時間帯が良かったのでしょうね。


荷物列車の牽引により隅田川駅へ出入りする関係で、常磐線用の防護無線アンテナを装備していたようです。これを含めても安定した形態に揃えられており、個体差のないカマ達でした。
137号機も高二だったようですが、写真は見つかりませんでした。


130号機
昭和32年12月26日 東洋電機+汽車会社製 高崎第二機関区
昭和58年10月 5日 廃車 高崎第二機関区


131号機
昭和32年11月19日 日本車輌+富士電機製 高崎第二機関区
昭和57年 6月 8日 廃車 高崎第二機関区


132号機
昭和32年12月19日 日本車輌+富士電機製 高崎第二機関区
昭和57年 8月 5日 廃車 高崎第二機関区


133号機
昭和32年12月26日 日本車輌+富士電機製 高崎第二機関区
昭和58年12月 6日 廃車 高崎第二機関区


134号機
昭和32年11月15日 日立製 高崎第二機関区
昭和59年 1月 6日 廃車 高崎第二機関区


135号機
昭和32年11月19日 日立製 高崎第二機関区
昭和57年 6月 8日 廃車 高崎第二機関区


136号機
昭和32年12月 3日 日立製 高崎第二機関区
昭和57年 7月 1日 廃車 高崎第二機関区




国鉄 直流型電気機関車:EF58129「瀬戸」(東京機関区)

2017-07-28 01:24:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
国鉄 直流型電気機関車:EF58129「瀬戸」(東京機関区)


EF58シリーズ、今回は東京機関区の129号機です。


私の中では、東京機関区所属のEF58の中でも最も地味だったカマだと思います。
というか、今回調べるまで東京機関区のカマだと思っていませんでした。



昭和52年ごろ 東京機関区にて

これは、東京機関区の一般開放の際に撮った写真です。当時、同区がどの程度このような催しを実施していたのか不明ですが、あまり鉄道機関の車庫や工場の開放といった行事はなく、大変珍しいことでした。

「瀬戸」のヘッドマークを取り付けていますが、特急「瀬戸」はブルトレの中でも急行から格上げされた後発のものであり、登場当初からEF65Pが牽引していました。故障等による代走などという現象も聞いたことがなく、架空のシチュエーションになると思います。

東京機関区の中でも晩年まで活躍したようですが、末期にEF58ブームを迎え、かなりの枚数を撮ったことがある東京機関区のカマの中でも、この時以来1度も目撃したことがありませんでした。
東京区のカマはHゴム化されたのも早く、129号機も特徴がないカマでしたね。


127号機

昭和32年10月 3日 東洋電機・汽車会社製 高崎第二機関区
昭和59年 7月30日 廃車 広島機関区 ※下関説もあり。



国鉄 直流型電気機関車:EF58127(宮原機関区)

2017-07-25 22:51:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
国鉄 直流型電気機関車:EF58127(宮原機関区)



EF58シリーズ、今回は宮原機関区の127号機です。

過去ログ、123号機や124号機の記事でご紹介いたしました側面ナンバープレートの件ですが、124号機が切り抜きナンバーとなっていたため、123号機までがプレートであったと記しました。
しかし、今回の127号機で調べたところ、124号機が切り抜きナンバーに対し、125~127号機はプレート式となっており、整理上は128号機以降が切り抜きであるとなっているようです。124号機だけなぜ切り抜きとなっているのか分かりませんが、この記事にて補足させていただきます。



昭和57年10月6日 名古屋駅にて EF58127牽引 14系団体列車

山口線・小野田線の撮影の帰り、何故か名古屋に寄っています。理由は覚えていません。
ちょうどEF58の廃車が本格的に始まってきた頃でしょうかね。それでもEF58の特徴というのはそれほど理解していない頃でしたので、臨時列車に偶然出くわしたから撮ったという程度だったと思います。

原形小窓に原形ワイパー、原形テールランプと、かなりオリジナル形態を残したスタイルですね。改造で目立つのはフィルタのヨロイ戸化くらいのものでしょうか。


127号機

昭和32年 3月14日 東洋電機・汽車会社製 宮原機関区
昭和60年10月14日 廃車 吹田機関区(宮原機関区統合)


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183系0番代:前面貫通扉を開ける

2017-07-22 07:38:00 | 試験・事業車、配給、列車車両等
183系0番代:前面貫通扉を開ける


特急電車の前面貫通扉の起源は、581系寝台特急電車に遡ります。その後485系クハ481200番代、そして、183系や381系へと波及していきます。
この貫通扉、そもそもは将来の分割併合に備えたものとして位置付けられていたようですが、183系に導入された理由は、東京~錦糸町間に総武快速線の地下線区間が開業したため、災害時における避難用出口として、当時の法令基準において必要だから設置されたことに他なりません。そのため、581系(583系)やクハ481200番代とは、明らかに目的が違うと言えます。



昭和52年頃 品川駅にて 貫通扉を開けた183系

写真は、幕張電車区からおそらく大船工場へ検査に向かうための回送列車と思われます。
品川駅で見るのが珍しかったために何となく写真を撮っていたら、運転士が何を思ったか、突然貫通扉の開け閉めを行い始めたのです。当然そのようなことをする必要性がなく、運転台へ出入りしながら、明らかに私たちを意識して行っているようでした。サービス精神としてやってくれたのかもしれません。

当時、併結運転を行っていた特急電車は、「かもめ」「みどり」以外にはなく、東北方面から貫通型を取り寄せて設定されたのですが、肝心の貫通扉は使われなかったようです。

確か、紀勢本線の「くろしお」増発時において、381系100番代増備までのつなぎとして485系を使用した際、改造により誕生したクハ481800番代(簡易貫通扉設置車)と200番代により、初めて貫通扉が使われるようなったと記憶しています。

その後においては、「シュプール」の485・583系の併結や、房総地区における183系の基本+増結、「雷鳥」「しらさぎ」による基本+増結など、結構メジャーに見ることが出来るようになっています。

途中駅での併解結のある列車では見ることは出来ますが、房総地区での併解結は電車区内で行われていた筈ですので、なかなか見ることのできないシーンではなかったでしょうか。