マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

485系ボンネット型:特急「ひたち」(文字マーク時代)

2012-07-30 00:30:00 | 国鉄・JR特急列車
485系ボンネット型:特急「ひたち」(文字マーク時代)



特急「ひたち」は、昭和44年10月に上野~平を結ぶ季節列車として誕生しました。
車両はキハ81を含む80系気動車で、特急「いなほ」の間合運用のかたちを採っていました。
昭和47年10月、羽越本線の全線電化により「いなほ」が485系化。これにあわせて、特急「ひたち」も仙台運転所の485系を使用するようになりました。
485系は仙台運転所持ちの9連又は12連が使用され、9連は「あいづ」と、クロを含む12連は「ひばり」「やまばと」と、クロを連結しない12連は「ひばり」と共通運用を組んでいました。

その後、フリークエンシーによる整備が始まると短編成化が実施され、サロを含む9連のみ、さらにはサロを連結しない7連へ変化していくことになります。

今回は、比較的に多く撮影していたボンネット型のうち、文字マーク時代の画像をご紹介いたします。



昭和51年頃 上野駅にて クハ481「ひたち」ボンネット車の並び

上野駅で1日いるとこのような風景に短時間ですが出くわすことがあります。
「ひたち」と「ひばり」が共通運用のため、片方のヘッドマークを取り替えた瞬間に見られる風景です。実際には、「ひたち」同士の同方向への並びはありませんので、どちらかが「ひばり」だと思われます。



昭和54年頃 上野駅にて クロ481「ひたち」

「ひたち」には仙台運転所持ちのクロを含む9両編成の運用があり、「あいづ」と共通運用が行われていました。このうちの数往復がクロを含む編成でしたが、あまり撮影していなかったようです。






昭和57年10月12日 常磐線 荒川沖~土浦間にて

上越新幹線が間もなく開業となる頃で、「みちのく」が廃止されるために撮影に行ったときのものです。
この頃の「ひたち」は、上信越スジのイラストマーク化に遅れをとっており、まだ文字マークでした。私的にはこちらの方が好きなので、この時撮っておいて良かったと思います。まだ仙台運転所持ちの時代です。

その後、九州からの転入車を加えて大所帯化し、勝田区の所属となってヘッドマークもイラスト化されることになります。

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相模鉄道:旧6000系

2012-07-28 00:30:00 | 私鉄(大手)
相模鉄道:旧6000系


私事ですが、首都圏の私鉄と言うのは殆ど利用した(乗った)ことがあるか、乗ったことが無いまでも撮影に出掛けたりはしているのですが、第3セクタを除くと、唯一乗ったことも写真を撮りに行ったことも無いのが相模鉄道です。
何故か?言われれば、地域的に訪れるきっかけが無く、車両的にも昔から魅力を感じなかったのは否定できません。興味があった部分としては、ディスクブレーキ丸出しの愉快な台車でしょうか。併走する東海道や横須賀線からは良く眺めていたものです。



昭和52年10月31日

写真は、昭和52年の社会科見学で鎌倉へ行く際、横須賀線の窓から撮ったものです。

旧6000系は、平成4年頃から廃車が始まり、平成9年に最終を迎えたようですが、それまでには8連化10連化を経て冷房改造も受けています。
この写真を撮ったのは昭和52年ですから、国鉄でもやっと通勤車に冷房車が普及し始めた頃でもあり、当然にして私鉄でもまだまだ非冷房車が当たり前だった頃ですね。

今でも私鉄の中では個性的なデザインの車両が走っている相模鉄道ですが、今見ると素朴なデザインの車両もあったのだな、と言う感じがします。

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EF13 直流型電気機関車

2012-07-26 00:30:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
EF13 直流型電気機関車


EF13は、昭和19年に誕生した戦時設計の直流型電気機関車です。
局面を凌ぐため、徹底した簡素設計となっており、電気機関車の中でもっとも曰く付きのカマと言えると思います。
製造は戦中から戦後に掛けて行われ、EF15の製造の前までに31両が誕生しました。特徴のある凸型をしていましたが、戦後間もなく誕生したEF58が暖房装置を搭載する改造に伴って車体の載せ替えを実施するあたり、不要となる車体数が丁度31台あたために、この全てがEF13に流用されることになりました。

私の世代では、もちろん凸型の車体を見たことはありません。
写真をそこそこ撮り始めたころは既にEF13も活躍末期となっており、それほどの枚数は撮っていませんでした。


今回は、私が撮影したEF13のうち、番号の判るものを掲載いたします。



昭和53年8月頃 新宿駅にて EF132

新宿駅の中線(待避線?)に停車中のEF132号機です。
EF13の活躍も末期の頃、地元では何枚か撮った写真がありましたが、みんな広角レンズで、しかも条件が悪い時に撮ったものが多いらしく、まともに見られる写真がありません。
そんな中、やっと標準レンズを手に入れた頃でしょうかね。私の撮ったEF13で唯一キレイに撮れていたものです。

2号機は、戦時中の昭和19年11月21日に誕生、日立製。所属はあまりにも転々としているので割愛しますが、昭和52年に八王子、53年の9月に立川に配置となり、同年の12月9日付で廃車となっています。
ボディーはEF5823号機のものを搭載していたようです。

写真は新宿駅で撮影されていることから、立川機関区に転属になる寸前くらいに捉えたものと考えられます。この3ヵ月後には廃車になってしまったわけですから、ギリギリセーフのところだった訳ですね。



昭和52年頃 EF135

5号機は、昭和20年3月26日に誕生、日立製。最終が新鶴見区の配置で、昭和54年9月13日付で廃車になっています。ツララ切りが角ばり、他車よりも高い位置に付いており、EF13の中でもズバ抜けて特徴のある顔をしていました。



昭和52年頃 EF1323

23号機は、戦後の昭和21年11月6日に誕生、日立製。最終が新鶴見区の配置で、昭和53年10月20日付で廃車になっています。



昭和52年頃 EF1328

28号機は、昭和21年1月31日に誕生、東芝製。最終が新鶴見区の配置で、昭和53年5月29日付で廃車になっています。



昭和52年頃 EF1329単機

29号機は、昭和21年1月31日に誕生、東芝製。最終が新鶴見区の配置で、昭和53年11月9日付で廃車になっています。


貨物用機関車のEF13ですが、昭和30年代頃には中央東線で普通客車列車も牽引していたようです。もちろん暖房装置を搭載していませんので、冬はマヌ34等の暖房車を連結する必要がありました。
まだ一眼レフを手に入れたばかりの頃で、殆どまともな写真を残すことが出来ませんでしたが、それでも地元を走っていた記録が何枚かでも残すことが出来て良かったと思います。

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キハ183系(新国鉄色):特急「オホーツク」

2012-07-24 00:30:00 | 国鉄・JR特急列車
キハ183系:特急「オホーツク」


キハ82系時代の特急「オホーツク」については既に過去ログでご紹介しておりますが、今回はキハ183系に移行してからの「オホーツク」をご紹介したいと思います。

平成5年を最後に渡道していませんので、現状の「オホーツク」にはあったことがありません。私がキハ183系「オホーツク」を撮影した頃は、まだ国鉄時代のスタイルをそのまま使用していた頃でした。よって、その塗装から「新国鉄色」としての編集となります。


※撮影は、全て平成3年7月8日、撮影場所は石北本線ですが、詳細は不明です。






キハ183-500を先頭とする編成の「オホーツク」。
JR塗装車が発生する前で、既に国鉄色も無く、「スーパーとかち」の準備車両以外はこの塗装で統一されていました。
ヘッドマークも国鉄以来使用されているデザインで、現在のものとは大幅に趣きが異なります。
先頭車の脇にちょこっと見えるキロ182は、まだ形態がオリジナルで、キロハ改造が行われるなんて夢にも思っていない時代ですね。




こちらは0番代を先頭に走る「オホーツク」。この頃は、片側が0番代、もう片側が500番代の編成が多かったようです。
35mm判で300mm×2で撮ったため、画質が非常に悪くなってしまいました。ただ、600mmの圧縮感、電線・電柱などの障害物が無い、北海道の幹線ならではの風景ですね。




このときは内地からクルマをフェリーで持ち込んでの強行軍でした。原生花園から深名線へ向かう途中、石北本線沿いに走り、この一面花畑に感動し、せっかくだからと「オホーツク」が来るまで待って撮ったものです。

この頃はSL撮影ばかりが多く、俯瞰写真も好んで撮っていましたので、花がやや小さくなってしまったのは残念ですね。
後で気が付いたのですが、キハ184が連結されていること、グリーン車がキロ182-901(客扉が車端に寄っている)という希少車輌であったことから、私的には貴重な写真となりました。

この時代は駅撮りを殆どすることがなかったので、キハ183系の「オホーツク」の写真もここにあるだけです。今もなおキハ183系が活躍している「オホーツク」ですが、そろそろカウントダウンとなってしまうのでしょうか?

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旧型国電 クモハ51852:身延線

2012-07-22 00:30:00 | 旧型国電
旧型国電 クモハ51852:身延線


身延線は、トンネルの断面が小さいことから、電化は早かったものの入線できる電車の構造に制限があることは良く知られています。
旧型国電時代は、現在とは違って特殊なパンタグラフは開発されていなかったため、標準のパンタグラフでも入線できるように、車体屋根側の高さを下げて対応しており、殆どの電動車に800番代の番号が付与されていました。

そんな経緯もあり、身延線入線に当たって特殊な形態をした電動車がいくつか存在しました。



昭和56年7月23日 富士駅にて クモハ51852

形式はセミクロスシートのクモハ51を名乗っていますが、元は2ドア車のクモハ43です。
この車両は、3扉に改造してセミクロス化し、さらに、身延線用にパンタグラフ部の屋根を下げるため、後部に移して部分低屋根化を行っています。元パンタグラフがあった部分は、ベンチレータを新たに設置していますので、改造後にしては形態が整っている方ですね。

なかなか先頭には立ってくれない車両なので、キレイに撮ることはできませんでした。
戦争によりその形態の変更を余儀なくされた、彼もまた時代の申し子と言えるでしょう。

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