マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

蒸気機関車 D51200(梅小路機関車館)

2017-11-26 23:06:00 | 国鉄・JR蒸気機関車
蒸気機関車 D51200(梅小路機関車館)


平成29年11月25日、山口線を走る「SLやまぐち号」の牽引に、梅小路機関区で動態保存され本線運転の整備が実施されたD51200が初充当されました。
かつては山口線でもD51が使用されており、ここでのD51復活は44年振りとなるそうです。元々勾配の多い路線である山口線では、高速旅客型のC57よりも、むしろD51の方が適任であると考えるのは私だけはないと思います。

関東ではJR化直後からD51498が復活運転されているたえ、今更D51?感もあると思われますが、SLの代名詞でもあるデゴイチが複数路線に運転されていてもむしろ自然な流れとも言えます。代わりに第一線から退くC56160の動向も気になりますし、かつて同僚として重連を組んだC581も復活の見込みがないのは寂しく思います。


東日本在住の身からすれば縁のない筈のD51200ですが、以前、従姉妹の結婚式で奈良まで参列のために訪れた際、ついでに梅小路機関車館に寄り道しており、この時にD51200に遭遇していました。


※撮影は、平成14年3月31日、梅小路機関車館にて。






梅小路機関車館では、動態で本線を運転できる機関車、構内運転のみ耐えうる機関車、静態保存となっている機関車があり、C622やD51200は構内のみの展示運転に使用されていました。
1日に数回、「SLスチーム号」としてトロッコを牽引し、短いながらもSL列車への乗車を楽しめます。

この日はD51200が牽引を担当しており、最後の1本はC622との重連運転でした。

既に15年も前であり、この時小学生にもなっていない娘も成人式を迎えます。
まさかこのD51が本線復活するなど夢にも思っていませんでしたが、できればC622も復活できることを望みます。



12系お座敷客車「やすらぎ」(高タカ)

2017-11-25 15:27:00 | 国鉄・JR ジョイフルトレイン
12系お座敷客車やすらぎ」(高タカ)


過去ログ『12系お座敷客車「くつろぎ」(高タカ)』で昭和58年に高崎客車区(高タカ)に配置された「くつろぎ」をご紹介いたしましたが、さらに上向きの景気の中で次々と改造お座敷客車が誕生し、高崎客車区には第2編成目となる「やすらぎ」が誕生します。昭和61年5月のデビューでした。




デビューを記念して発売された「やすらぎ」のオレンジカード。
裏面を見ると昭和61年4月の発行となっていますので、写真も実車あることから、完成直後に急いで写真を撮って採用したようです。背景から大宮工場の留置線で、スロフ1両のみのように見えます。

「くつろぎ」でも1ドア化や内装の変更等、外観にはあまり手が付けられませんでしたが、「やすらぎ」ではSETから大流行した展望室が両端に設備されました。
塗装も既に12系のベース色を表現しない塗装となっており、赤字のために命ぜられた塗装簡略化の流れは10年もしないうちにすっ飛んでしまった、当時の状況がこの辺にも表れています。




こちらは民営化後、高崎支社発行「やすらぎ」デザインのオレンジカードです。
客車がメインの題材で発売されていますが、復活したEF55にスポットを当てているように思われるデザインです。
「やすらぎ」には専用の牽引機としてEF6019を特別塗装で用意しましたが、現実には牽引する客車を限定せずに運用されていました。



平成2年5月4日 渋川~敷島間にて EF651034牽引 12系お座敷客車「やすらぎ」

「やすらぎ」の写真は全然残っていないと思っていましたが、アルバムの中から1枚だけ出てきました。
雨のため露出が足りず、プリントからのスキャンのために画像が悪いのですが。フィルムからスキャンすればなんとかなりそうです。
「くつろぎ」の記事でも触れましたが、EF58が撤退してEF641000番代が大量にJR貨物に継承した結果、足りなくなった穴埋めのために旅客用EF65PFが高崎第二機関区に配置されたようで、この年代に撮影した上越線のお座敷客車はみんなPFばかりでした。

「やすらぎ」は平成13年3月31日をもって廃車・除籍となりましたが、一部の車両がわたらせ渓谷鉄道へ譲渡されました。しかし、これも老朽化によって平成21年度に廃車、先の除籍車も含め複数の車両が個人に引き取られ、活用されているそうです。




JR東日本:キハ48形リクライニング車

2017-11-23 02:45:00 | 国鉄・JR ジョイフルトレイン
JR東日本キハ48形リクライニング車


キハ48形リクライニングと言っても、この記事を書いている私自身がピンと来ない車両です。
JR東日本において、東北新幹線八戸開業の際、八戸線観光用の気動車編成ということで、「うみねこ」の愛称で運転を開始しました。
キハ48555+キハ481549の座席を回転式リクライニングシート化した2両編成で、塗装もかなり派手な色となっていました。

こうした観光列車も殆ど乗ることはないので、まったく縁のない車両ですが、特急「日本海」の最後を撮影に行った際、寄り道した青森車両センターで偶然見掛けました。



平成24年3月13日 青森車両センターにて

なんか変な色の車両が停まっていると思ったのですが、なんとなくこんな車両を雑誌で見た覚えがありました。
調べてもなかなかHITしなかったのですが、この編成が旧「うみねこ」であることが判りました。平成22年11月に「き・ら・き・らみちのく」が引退し、改装して「リゾートうみねこ」として平成23年のGWから八戸線に運用されるようになりました。
活躍の場を奪われた旧「うみねこ」ですが、姿そのままに他線区における臨時列車などにちょくちょく使用されるようになりました。

このところは使用されずに青森車両センターに留置されていたようですが、平成29年11月29日、DE&ED75に牽引されて秋田工場へ送られた模様です。おそらくはこのまま廃車ということで、国鉄型としては新しいキハ40系もそろそろ淘汰の足音が大きくなってきそうです。


同編成との遭遇はこの時1回きりであり、記録に残せるような写真とは言えないものですが、一応記録としてアーカイブしておきます。


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国鉄 直流型電気機関車:EF58152・153(宇都宮運転所)

2017-11-19 14:46:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
国鉄 直流型電気機関車:EF58152・153(宇都宮運転所)


EF58シリーズ、今回は宇都宮運転所の152号機と153号機です。

前記事の151号機と同じ宇都宮運転所の所属で連番でもありますが、形態が違うので別記事といたしました。
152号機と153号機は宇都宮運転所で少数派のヒサシ付きであり、その出自も同じものとばかり思っていましたが、調べてみると全然別ものであり、一見そっくりな両車もかなり違いがあるようです。


152号機


昭和51年後期? 蕨~西川口間にて EF58152牽引 上り急行「八甲田」

まずは152号機です。
写真は上り「八甲田」を牽引する152号機で、この時点において既にHゴム化が完了しています。
同機は新製配置が高崎第二機関区であったため、当初から上越仕様であったようです。150番代では新造当初からHゴム窓で誕生したカマもあったようで、原型小窓でツララ切り装備としては最後のカマだったようですね。



昭和55年8月13日 上野駅にて 455系と並び出発を待つ152号機

お盆の多客シーズン真っ盛りの上野駅。455系は山形・会津若松から到着した「ざおう6号」「ばんだい10号」。152号機牽引の列車は「津軽3号」と思われます。時刻表によると、この並びはありえない筈なのですが、番線変更があったのかもしれません。



昭和56年5月 蕨~西川口間にて EF58152牽引 上り急行「八甲田」(再掲)

12系化された後の上り急行「八甲田」。12系9連で上野方にスニ40を連結しています。以前はワサフ8000を連結していましたが、12系化とほぼ同時期に置き換えられたと思われます。

宇都宮運転所に異動すると運転台窓の二重化が行われ、この際に窓内側が下辺R付き、外側がR無しの非常に珍しいスタイルとなっていたそうです。
しかし、EF58の中でも比較的早いうちにHゴム化されてしまったため、特徴あるスタイルを記録する間もなく標準化されてしまったようです。


153号機


昭和52年 大宮駅にて 153号機牽引 上り急行「八甲田」(再掲)

続いて153号機です。
こちらは新製配置が宇都宮機関区でしたが、ツララ切りを装備しています。この辺りの経緯を示す記述が見つからないのですが、東京区でもあったように、寒冷地への入線に備えて一部のカマに施工されたものと同じような事例かもしれません。
そのためか、上越型のツララ切りとほぼ同じような形状ながら、やや下向きに取り付けられているようです。

写真は旧客時代の急行「八甲田」。この当時はワサフ8000の他に、さらに郵便車が連結されています。電気暖房を必要とする旧客時代の、もっともEF58が力を発揮していた時代の1コマです。



昭和52年8月 蕨~西川口間にて 153号機牽引 12系臨時急行

ピンボケ写真で恐縮です。上りの臨時急行列車と思われますが、資料が不足しており詳細は不明です。当時、12系臨時列車の場合は、東北急行が6連+6連の12両編成、上越線は9連が一般的でした。写真は12系8両編成であり、東北本線の急行列車として考えるのは非常に不自然なため、ひょっとすると、信越からの臨時急行を高崎から牽いてくる臨時運用に借り出されたことも否定できません。謎の列車です。
撮影時期が上の写真と同じくらいであり、152号機と違ってまだHゴム化されていません。 



昭和56年12月頃? 蕨駅付近? EF58153牽引 上り急行「八甲田」?

こんな撮り方しているので、列車の状況すら把握できませんが、おそらくは急行「八甲田」ではないかと思います。あまりにも酷いのでプリント化すらしていませんでした。
しかし、良く見るとHゴム化された後の153号機であり、自身としてはこれ以外に状況を記録するものがありませんでしたので、敢えて資料として残すことにしたものです。

宇都宮運転所のEF58としては貴重な存在であったヒサシ付きのカマでしたが、ほぼ同時期に廃車になってしまったことにより、これを受けてEF5889が解体を免れたという逸話の関係車でもありました。


152号機

昭和33年 3月27日 東芝製 高崎第二機関区
昭和36年??月    転出 宇都宮運転所
昭和58年 2月18日 廃車 宇都宮運転所


153号機

昭和33年 4月 9日 東芝製 宇都宮運転所
昭和58年 3月11日 廃車 宇都宮運転所




国鉄 直流型電気機関車:EF58151(宇都宮運転所)

2017-11-18 16:48:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
国鉄 直流型電気機関車:EF58151(宇都宮運転所)


EF58シリーズ、今回は宇都宮運転所の151号機です。


151号機も新製配置は宮原機関区のようですね。
物心ついた頃には宇都宮に居たように思いますが、152号機や153号機が昭和50年前後の写真に写っているのに比較すると、151号機の写真は昭和50年代後半からしかありませんので、もしかしたらEF56やEF57の廃車補充で宇都宮に来たのかもしれません。



昭和57年10月頃 尾久駅にて EF58151牽引 12系客車

既に活躍晩年の頃となっており、Hゴム・デフロスタが装備されいます。
写真は12系6両を牽引しており、いくつかの窓が小さく空いているところから、大人の団体が乗った臨時列車と思われます。



昭和59年10月14日  東大宮~土呂間にて EF58151牽引 12系「くつろぎ」(再掲)

12系お座敷列車「くつろぎ」の登場時塗装編成を牽く151号機です。
定期列車の牽引は一部の夜行急行と荷物列車のみとなり、余力のあるEF58の残党は、当時活発に運転されていたお座敷列車等の客車列車牽引が頻繁に設定されていました。



昭和59年10月18日 宇都宮駅にて EF58151牽引 ホキ800工臨

宇都宮駅から日光線へ向け、夜間にバラスト輸送を行った際に起用された151号機です。
当時、貨車を牽くゴハチは全国的にも大変珍しかったため、局報(部内報)に運用を見つけたとには大変驚いたものです。勤務が非番の日だったため、このためにわざわざASA1600(現ISO1600)を買って出掛けて行きました。

中線から出発と思いきや、ホームでないところから出発してきたため、走行写真になってしまいましたが、そこはさすがにASA1600、見事にストロボ無しで止めてくれました。しかし、画像が大荒れでガッカリしたものです。



昭和60年1月5日 古河~栗橋間にて EF58151牽引 荷物列車

EF58が活躍する最晩年のシーン。
高崎二区のゴハチ撤退により、それまで上越形が牽引していた東北本線の荷物列車も宇都宮区のカマが牽引するようになりました。
荷物輸送の事業も斜陽化し、ご覧のとおり連結両数も非常に寂しくなっています。


宇都宮区の最後の精鋭として活躍してきた151号機ですが、全廃を前にした検査で台車か台枠に亀裂が見つかり、僚機が最後の活躍を続ける中惜しくも運用離脱、一足早く休車→廃車になったと記憶しています。


151号機

昭和33年 3月18日 東芝製 宮原機関区
昭和52年10月    転出 宇都宮運転所
昭和60年 4月15日 廃車 田端機関区(宇都宮運転所統合)