マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

さようならEF651118

2015-11-28 03:19:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
さようならEF651118



平成27年11月26日、EF651118号機が廃車のため長野工場へと旅立ちました。



EF641053+EF651118 配9637レ

調査不足と把握時間の違いからこんな最後の写真になってしまい、非常に残念。最後の最後もコケてしまいました。


スーパーエクスプレスレインボーが誕生したのが国鉄民営化直前の昭和62年3月。これと同時に専用塗装のEF8195とEF651019が用意されました。
平成10年、EF651019が老朽廃車になることに伴い、後継として同様の塗装に換装されたのがEF651118号機でした。

レインボー機、赤鬼、虹ガマ、ゲッパ、これほど多くの愛称で呼ばれたカマは珍しいのではないでしょうか?ゲッパ・・・だけは個人的には許せません。



過去に撮影した同機の写真を漁ってみました。意外と少なかったですね。


平成21年9月5日 回9502レ


平成21年10月18日 回9502レ

日常で一番華やかだったのはやはりブルトレの牽引でしょう。急行「銀河」なんかも牽いたみたいですが、1度も撮影したことはありません。
地元では黒磯訓練を撮る機会がありましたが、殆どがEF81の牽引であったため、EF65で、しかも1118号機となるとやはり出会う機会は非常に少ないものでした。



平成26年8月20日 配8937レ

定期的に運用されるスジとして、毎週水曜日のホキ配給列車。
ロンチキ列車に比べると地味ですが、これもなかなか巡り会わず・・・



平成20年3月9日 団体列車「さよならゆとり」

元サロンエクスプレス東京の「ゆとり」さよなら列車の牽引。
様々なイベント列車に活躍しましたが、基本お祭りには参加せず。やはりこの時くらいしか撮っていませんでした。


一番多かったのが、センターの公開で展示されたもの。
思いもよらないヘッドマークの掲出がありました。





平成22年10月9日 京葉車両センターにて

珍しい京葉車両センターでの公開にて。「あけぼの」と「はくつる」の組み合わせ。




平成21年11月14日 尾久車両センターにて



平成27年11月14日 尾久車両センターにて

いずれも尾久車両センターのふれあい鉄道フェスティバルにて。「あさかぜ」





平成22年11月20日 尾久車両センターにて

ちょっと有り得ない「北斗星」と「カシオペア」の組み合わせ。
「北斗星」は臨時であったのかな?



平成20年11月22日 尾久車両センターにて

撮り鉄トラブル多発でお蔵入りになったとみられる「さようなら銀河」のヘッドマークが掲出されました。



平成27年11月14日 尾久車両センターにて

高崎線での故障後、結局お別れ披露となってしまった最後の展示。





最後の後ろ姿も、不意打ちの登場に成す術無く、こんな形でしか見送れなかったのが残念。
ナンバープレートは外されていましたが、白く粉を吹いたプレート跡の塗装には、「EF651118」の文字が書かれていました。
おそらく、名前を消されたカマを不憫に思い、機関区の職員の方が軍手で書き込んだのでしょう。

本体の客車が廃車になってから、随分と頑張ったものです。

おつかれさま・・・



国鉄 ワキ8000系列:ワサフ8800

2015-11-23 15:08:00 | 荷物列車、荷物車
国鉄 ワキ8000系列:ワサフ8800


ワキ8000系列は、パレット輸送用に製造されたワキ10000系列を基本とする構造で、荷貨物兼用車として製造された車両です。
台車は高速型ではなく、TR203を履いていました。

中間車のワキ8000は、貨車記号を有しながらも、専ら荷物列車に連結されて使用されることが殆どであり、緩急車を設備するワサフ8000も同様となっていました。


昭和50年3月10日、寝台急行「北星」が20系による寝台特急に格上げされると、それまでマニ36等で行っていた仙台地区の新聞輸送をそのまま寝台特急「北星」に引き継ぐことになり、20系に連結させる車両として専用形式とも言えるワサフ8800~8802が製造されました。

これは、20系客車に旧型客車を連結させると20系客車のブレーキ性能を害してしまうためであり、また、それまでのワキ8000系列においても元空気溜管と電磁指令ブレーキ回路のための制御信号線を付加する必要があったことから、専用車を用意する必要があったためとなっています。

外観はそれまでのワサフ8000と大差が無いようですが、性能が大幅に違うことから番台区分をし、外観も20系と同様に青色とした非常に特徴を持つ車両となっていました。



昭和50年夏頃 ワサフ8800を連結した寝台特急「北星」(再掲)

昭和50年3月改正で誕生した20系寝台特急「北星」は、運転開始当初よりワサフ8800を連結して新聞輸送を担いましたが、当時建設真っ只中の東北縦貫自動車道が昭和50年11月に仙台地区まで延伸開業したことによりトラック輸送に切り替えられ、僅か8か月でその使命を終えることになってしまいました。


その後、用途を失ってしまったワサフ8800は、本来の使命である20系寝台客車と併結される機会もなく、他のワキ8000系列と同様に、主に東北地区の荷物列車に使用されていたようです。
EF58の運用が終焉となる頃、地元などでも荷物列車の写真を撮る機会が非常に多かったですが、残念ながらその後のワサフ8800を撮影した記憶も目撃した記憶もありませんでした。



昭和60年3月26日 東大宮~蓮田間にて 回9101レ

荷物列車の運転が終焉を迎える頃の写真。EF5889が牽引する12系転属車の回送列車です。
おそらく、一関~青森方面の旧型客車を淘汰するための代替車を送り込むための回送ではないかと。全てがオハフ13のようです。
そして、機関車次位に連結されているのがワサフ8800です。被写体が遠くて車番までは残念ながら判別できません。
久し振りに会ったワサフ8800に感動してしまいましたが、この移動が何を意味するかは今もって良く分かりません。

特異な経緯で誕生したワサフ8800ですが、本来の活躍はあまりにも短く、その割には非常にインパクトが強い車両でした。




115系豊田車:快速「むさしの奥多摩」

2015-11-21 22:50:00 | 国鉄・JR快速列車
115系豊田車:快速「むさしの奥多摩」


快速「むさしの奥多摩」の続きで、平成24年秋に設定された臨時快速です。

夏臨では高崎車が使用されましたが、この回は豊田のM40編成が充当されました。


※撮影は、平成24年11月10日です。











大宮駅にて

ヘッドマークは前回使用のものと同じようで、前後の枠の色がやはり違ったものでした。
3番線入線は非常にアングルが取りづらく、場所の選定を失敗しました。



与野駅にて

先回りしてもう1枚行ってみましたが、やはりあまり良くありませんでした。

この年の秋臨及び翌25年春臨で設定されており、やはりM40編成が充当されています。

平成26年にはM40編成も廃車となり、快速「むさしの奥多摩」も運転されていないようです。



115系高崎車:快速「むさしの奥多摩」

2015-11-19 01:48:00 | 国鉄・JR快速列車
115系高崎車:快速「むさしの奥多摩」


前記事に続きまして、平成24年に久し振りに設定された快速「むさしの奥多摩」です。

201系四季彩が廃車され、この回に設定されたのは何と高崎の115系でした。つまり湘南色の115系です。
東北・高崎線から115系が撤退して以降、大宮以南には殆ど顔を見せたことは無い筈ですので、大宮工場内を除けば本当に久し振りに見ます。


※撮影は、平成24年8月12日です。







新座駅にて

高崎車4両編成で、専用のヘッドマークが装着されました。
ヘッドマークは前後で同じデザインですが、枠の色のみ前後で異なっていました。

運転日は平成24年7月28日~8月19日までの土日でした。

運転初日には青梅線内で故障を起こし、青梅線を大混乱に陥れた張本人となってしまいました。その際、同日の上り列車と翌7月29日は豊田のE233系が代走する事態となっています。

異色の115系高崎車による運用は、この1シーズンのみで終わってしまいました。



201系四季彩:快速「むさしの奥多摩」

2015-11-15 23:27:00 | 国鉄・JR快速列車
201系四季彩:快速「むさしの奥多摩」


東北本線方面から大宮・武蔵野線を経由して青梅線奥多摩まで運転されている快速「むさしの奥多摩」。
平成18年のGWから運転を開始、当初は小山センターの115系が使用されたようです。

小山センターの115系撤退に伴い、平成19年から201系四季彩が充当されるようになりました。
しかし、201系四季彩も引退となり、平成21年GWまでのわずかな実績となりました。







平成21年5月3日 201系四季彩 快速「むさしの奥多摩」

201系の撤退によって観光用に改造され、主に青梅線方面の臨時列車として使用された201系四季彩。
それまで興味が無かったので特に撮影したことも無かったのですが、201系の全面撤退によって、少し遅れながらも201系四季彩は廃車されることになり、慌てて撮りに行ったのがこの快速「むさしの奥多摩」でした。

201系四季彩が廃車となった後、なぜか快速「むさしの奥多摩」自体が運転されなくなってしまったようで、平成24年に115系による運転が復活するまで空白の期間が続くことになりました。