マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

キロ59系:サロンエクスプレスアルカディア

2012-10-30 00:30:00 | 国鉄・JR ジョイフルトレイン
キロ59系サロンエクスプレスアルカディア


「サロンエクスプレスアルカディア」(通称「アルカディア」)は、国鉄末期の昭和62年3月25日に竣工。実際に営業運転に就いたのは分割民営化後という、国鉄生まれか、JR生まれなのか、非常に判りづらい珍しい車両です。

北海道で「アルファ・コンチネンタルエクスプレス」から始まった、えらく激しい造りの展望室をもつ欧風タイプの団体用グリーン車。
そのデザインの元となったのは、おそらく名鉄の「パノラマスーパー」かと思われますが、その後の経済成長に伴って豪華さが売りの欧風車両が次々と誕生し、九州・四国を除く全国に波及していったスタイルです。特に、短編成で小回りの利く気動車に採用されています。

アルカディアも分割民営化とともに営業運転に就き、配置区の新潟を中心として活躍を始めたわけですが・・・



昭和62年11月22日 磐越西線 山都~喜多方間にて

その矢先、わずか1年後の昭和63年3月30日、上越線の越後中里~岩原スキー場前を走行中、1号車(キロ59 508)の排気管過熱により同車が全焼してしまうという、大変不幸な出来事が起きてしまいました。

その後、片側先頭車を廃車により失って運行できなくなってしまった「アルカディア」は、残り2両も休車となってしまいました。

しかし、約4年後の平成4年、先頭車を追加で改造して組成、普通車に格下げした上で盛岡へと活躍の場を変え、今も活躍中の「Kenji」として生まれ変わることになります。改造車とはいえ、たった1年では改造費の減価償却も出来ませんから、なんとか残り2両を活かしたかったところでしょう。
不運なスタートなったにもかかわらず、東日本に残る最後のキハ58系として現在も活躍しています。

写真は、鉄橋を渡ってくるところを正面から狙っていたのですが、不覚にもフィルムの巻上げを忘れてしまったために撮影することが出来ず、慌てて三脚からカメラを外して後追いで撮ったものなんです。
あわよくば、一切、記録に残すことが出来なかったおそれもあった「アルカディア」ですが、残念な構図とはいえ、1枚でも記録に残せたことは私としても不幸中の幸いでした。

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583系:特急「はつかり」その1

2012-10-28 00:30:00 | 国鉄・JR特急列車
583系:特急「はつかり」その1


「はつかり」は、昭和33年10月ダイヤ改正で誕生した東日本初となる特急列車で、上野(東京)~青森間を結びました。
誕生当初は、東海道線特急列車の電車化により発生したスハ44系及び10系グリーン車・食堂車を使用した客車列車であり、ブルートレインと同様の塗装をした大変オリジナル色の強いものでした。また、しばらくの間は常磐線経由の設定となっています。

昭和35年、国鉄初となる気動車特急キハ81系により無煙化、スピードアップが図られますが、初期故障が多く、遅れが多発したことは有名です。

昭和43年、東北本線の全線電化開業により、初めて東北地区に583系が誕生します。
583系による運転は9月9日となり、さらに10月のダイヤ改正では東北本線経由に改められます。
大きな改正ごとに本数が徐々に増発され、昭和48年のダイヤ改正で初めて「はつかり」にも485系が使用されることとなりました。

今回は583系「はつかり」の昭和53年10月改正前の写真をご紹介いたします。



昭和51年 上野駅にて


昭和52年 上野駅にて


昭和52年頃

中学生になったばかりくらいなんでご勘弁ください。
この頃から上野駅でよく撮影するようになりました。
昭和53年10月改正以前は文字マークが使用され、特にこの583系の夜行列車の雰囲気をした緑色の文字が大好きでした。



昭和51年頃



昭和52年頃


昭和52年頃

東北地区の583系の運用が増大する中で、これに不足した車輌を西日本から転属で賄うことになり、このとき青森所に転属してきた車輌の中に、クハネ583-29及び-30がありました。
型式はクハネ583ですので、特に「変わり者」というものでもないのですが、この2両は暖地向けとして製作された車輌であったため、タイホンが開放型であったわけです。見慣れない顔つきに、初めて見たときはものすごい違和感を覚えました。

転属してきた最初の頃は、前後で-29と-30がペアを組んでいたようですが、後にバラされてしまい、後も確認しないとわからないという、神出鬼没的な車輌でした。おかげで、なかなかバッチリとした写真を撮ることは困難を極めました。
いつの間にか標準の開閉式に改造されてしまったようで、1年強の期間くらいしか見ることができなかったように記憶しています。

昭和53年10月改正以降についてはいずれまたご紹介したいと思います。


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荷物・客車合造車:スハニ64

2012-10-26 00:30:00 | 荷物列車、荷物車
荷物・客車合造車:スハニ64


旧型客車で、客荷合造車と言えばオハニ61が有名ですが、オハニ61を電暖化した際に重量が変わり、結果として新形式が与えられたのがスハニ64です。
暖房方式以外はオハニ61と何ら変わりません。



昭和53年頃 黒磯駅にて スハニ642143

昭和50年代、客荷合造車は亜幹線での使用が殆どであり、需要の多い東北本線では珍しい存在だったと思います。
毎年数回、母親の実家へ行く際に、急行に乗ったり普通列車に乗って行ったりしましたが、黒磯口ではホンの数回しか見たことがありません。
そういう状況の中で、たまたま旧型客車を撮りに行ったときに偶然にも居合わせたので、非常にラッキーだったと思います。

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クモエ21000 救援車:田町電車区

2012-10-24 00:30:00 | 試験・事業車、配給、列車車両等
クモエ21000 救援車:田町電車区


救援車は、大規模な鉄道事故が発生した際に、現地へ出向いて救援活動を行うための車両です。そのため、車内には様々な工作機械等が用意されています。
車両種別としては電車と客車があり、気動車の救援車は存在しません。非電化区間においては客車で用が足りるということによります。

電車による救援車は両数がそれほど多くなく、すべての電車区に配置されていたわけではありませんが、古くから存在する電車区には旧型国電を改造した車両がそのまま配置されていたようです。
基地の片隅などに隠れていることが多く、殆ど目にする機会のない救援車ですが、偶然にも田町電車区のクモエ21を捉えたことがありました。



昭和55年頃 田町電車区にて クモエ21000 

クモエ21000は、17m車のクモハ11114を種車として昭和38年に改造して誕生した救援車です。

電車区の片隅に居座り、有事の出番を待ちますが、それほど有事というのがある訳ではありませんので、大体は出番のないまま一生を終わってしまう車両が多いのではないでしょうか?

記憶は定かではありませんが、京浜東北線か東海道線辺りの電車の窓から300mmレンズで撮影したものと思います。
ほかに撮影した電車救援車も『クモエ21009 救援車:伊那松島機関区』くらいしかなく、私自身の記録として貴重なものとなっています。

これら救援車もJRに引き継がれることなく姿を消しています。

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シキ611の記事が決勝戦へ

2012-10-23 00:40:00 | ノンジャンル
ブログ村で行われている「珍しい列車(車輌編)トーナメント」というものに、

過去ログから『特大貨物輸送:シキ611』の記事で参加したところ、

なんと決勝戦まで残ってしまいしました。

珍しい列車(車輌編)ブログトーナメント - 鉄道ブログ村
珍しい列車(車輌編)ブログトーナメント

記念すべきことでもありますので、是非http://railroad.blogmura.com/tment_vot/99_3633.htmlでその様子を覗いてみてくださいマシ。

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