キロ59系:サロンエクスプレスアルカディア
「サロンエクスプレスアルカディア」(通称「アルカディア」)は、国鉄末期の昭和62年3月25日に竣工。実際に営業運転に就いたのは分割民営化後という、国鉄生まれか、JR生まれなのか、非常に判りづらい珍しい車両です。
北海道で「アルファ・コンチネンタルエクスプレス」から始まった、えらく激しい造りの展望室をもつ欧風タイプの団体用グリーン車。
そのデザインの元となったのは、おそらく名鉄の「パノラマスーパー」かと思われますが、その後の経済成長に伴って豪華さが売りの欧風車両が次々と誕生し、九州・四国を除く全国に波及していったスタイルです。特に、短編成で小回りの利く気動車に採用されています。
アルカディアも分割民営化とともに営業運転に就き、配置区の新潟を中心として活躍を始めたわけですが・・・
昭和62年11月22日 磐越西線 山都~喜多方間にて
その矢先、わずか1年後の昭和63年3月30日、上越線の越後中里~岩原スキー場前を走行中、1号車(キロ59 508)の排気管過熱により同車が全焼してしまうという、大変不幸な出来事が起きてしまいました。
その後、片側先頭車を廃車により失って運行できなくなってしまった「アルカディア」は、残り2両も休車となってしまいました。
しかし、約4年後の平成4年、先頭車を追加で改造して組成、普通車に格下げした上で盛岡へと活躍の場を変え、今も活躍中の「Kenji」として生まれ変わることになります。改造車とはいえ、たった1年では改造費の減価償却も出来ませんから、なんとか残り2両を活かしたかったところでしょう。
不運なスタートなったにもかかわらず、東日本に残る最後のキハ58系として現在も活躍しています。
写真は、鉄橋を渡ってくるところを正面から狙っていたのですが、不覚にもフィルムの巻上げを忘れてしまったために撮影することが出来ず、慌てて三脚からカメラを外して後追いで撮ったものなんです。
あわよくば、一切、記録に残すことが出来なかったおそれもあった「アルカディア」ですが、残念な構図とはいえ、1枚でも記録に残せたことは私としても不幸中の幸いでした。
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「サロンエクスプレスアルカディア」(通称「アルカディア」)は、国鉄末期の昭和62年3月25日に竣工。実際に営業運転に就いたのは分割民営化後という、国鉄生まれか、JR生まれなのか、非常に判りづらい珍しい車両です。
北海道で「アルファ・コンチネンタルエクスプレス」から始まった、えらく激しい造りの展望室をもつ欧風タイプの団体用グリーン車。
そのデザインの元となったのは、おそらく名鉄の「パノラマスーパー」かと思われますが、その後の経済成長に伴って豪華さが売りの欧風車両が次々と誕生し、九州・四国を除く全国に波及していったスタイルです。特に、短編成で小回りの利く気動車に採用されています。
アルカディアも分割民営化とともに営業運転に就き、配置区の新潟を中心として活躍を始めたわけですが・・・
昭和62年11月22日 磐越西線 山都~喜多方間にて
その矢先、わずか1年後の昭和63年3月30日、上越線の越後中里~岩原スキー場前を走行中、1号車(キロ59 508)の排気管過熱により同車が全焼してしまうという、大変不幸な出来事が起きてしまいました。
その後、片側先頭車を廃車により失って運行できなくなってしまった「アルカディア」は、残り2両も休車となってしまいました。
しかし、約4年後の平成4年、先頭車を追加で改造して組成、普通車に格下げした上で盛岡へと活躍の場を変え、今も活躍中の「Kenji」として生まれ変わることになります。改造車とはいえ、たった1年では改造費の減価償却も出来ませんから、なんとか残り2両を活かしたかったところでしょう。
不運なスタートなったにもかかわらず、東日本に残る最後のキハ58系として現在も活躍しています。
写真は、鉄橋を渡ってくるところを正面から狙っていたのですが、不覚にもフィルムの巻上げを忘れてしまったために撮影することが出来ず、慌てて三脚からカメラを外して後追いで撮ったものなんです。
あわよくば、一切、記録に残すことが出来なかったおそれもあった「アルカディア」ですが、残念な構図とはいえ、1枚でも記録に残せたことは私としても不幸中の幸いでした。
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