マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

101系:南武線イベント列車「ドラえもん号」

2011-09-30 00:30:00 | 国鉄・JR団体・臨時列車
101系:南武線イベント列車「ドラえもん号」


昭和55年11月、かわさき市民祭りの実施に合わせて、イベント列車「ドラえもん号」が運転されました。



昭和55年11月2日 矢向駅?にて 101系「ドラえもん号」

新性能化が完了したばかりの頃の南武線。使用車両も一般車両と共通の101系6両編成が使用されました。
運転の経緯等は、下の記念入場券に記されていますのでご参考まで。






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73系:富山港線

2011-09-29 00:30:00 | 旧型国電
73系:富山港線


富山港線は、北陸本線富山駅から分岐し、終点岩瀬浜までを結ぶ8kmのローカル線です。
交流区間の北陸にあり、直流電化による電車運転が行われる変わった形態路線であり、東北の仙石線に似ています。
ローカル線であることから新車の投入は行われず、遅くまで旧型国電で運行されていました。

私は旧型国電に興味がありましたので、末期の頃に他の用事も兼ねて2度ほど訪れています。









昭和57年8月8日 富山駅にて

初めて見るスカイブルーの73系は新鮮でした。





昭和57年8月8日 富山口駅付近にて



昭和57年8月8日 城川原駅にて

城川原駅に電車区がありました。











昭和57年8月8日 東岩瀬~岩瀬浜間にて



昭和57年8月8日 岩瀬浜駅にて

最初に訪れたときは日曜日だったでしょうか、終日2連の運用でした。
天気が悪くスッキリしない日。しかし、初めて訪れたこともあって、途中の駅間も何箇所か歩きました。全線踏破もしています。









昭和58年4月15日 富山~富山口駅間にて

2度目に訪れたのは翌年。富山第二機関区からの徒歩での帰り道でした。
そんなこともあって時間もなく、乗車はしていません。

現在はライトレールとして再生され、利用率も良いようですね。
しかし、思い出に残る73系の北陸ローカル線は、一部の路線とともに過去へと消えていきました。

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国鉄 輸入電機 ED182(入換機械時代)

2011-09-28 00:30:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
国鉄 輸入電機 ED182(入換機械時代)


飯田線から引退した車両たちを撮影しようと、国鉄浜松工場に行ってみました。
工場の回りを徘徊していると、ある物体を見つけました。そう、それが、かつて飯田線の貨物列車の牽引に活躍したED182でした。



昭和58年6月29日 浜松工場にて(敷地外から撮影)

ED182は、大正末期にイギリスから輸入されたED50に端を発するもので、その後ED17に改造、さらに飯田線入線に際し、昭和30年頃に軸重軽減のために遊車を設ける改造を施したものです。

このED18の現役時代は飯田線には来たことがありませんので、実物を見るのはもちろん初めてでした。工場の入換用機械として使用されていることは雑誌か何かで見たことはあったのですが。なかなか趣のあるスタイルですね。感動しました。
ただ、この錆びの浮き具合からして、使ってるようには見えませんでした。機械扱いなのに、ナンバープレートをつけたままなのは、工場に働く人の思い入れの表れだと思います。

まさかこの車両が本線営業車に返り咲くとは夢にも思っていませんでしたが、さすがに老朽化に耐えることが出来ず、再度廃車になってしまいました。
しかし、戦前生まれの古参車両が再び大手を振って本線を走ることができ、最高に幸せ者だったと思います。

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185系:臨時特急「日光」

2011-09-27 00:30:00 | 国鉄・JR特急列車
185系:臨時特急「日光」


現在は東武伊勢崎線を経由して新宿~日光間をスルー運転している特急「日光」ですが、かつて上野~日光に運転されていた急行「日光」が昭和57年を以って廃止、日光線には優等列車が走らなくなっていました。
それでもシーズンには臨時快速を走らせるなどしており、平成になって驚きの列車が設定されます。それが臨時特急「日光」でした。



平成5年6月13日 東大宮~蓮田間にて 185系 特急「日光」

157系の再来とも期待された185系でしたが、簡易なアコモの造りから特急型車両としての貫禄はなく、あまり注目されない車両でした。
しかし、運転区間を上野ではなく新宿や池袋発としたこと・・・




そして何よりも157系準急時代を髣髴させるヘッドマークを取り付けたことで、かなり注目度はあったと思います。

それでも、マニア的には注目を集めましたが、肝心の旅客はあまり乗っていなかったようで、その後は「特急」としては運転されず、細々と快速の乗入れがあった程度となってしまいました。

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401系・403系・415系:常磐線 近郊型赤電時代

2011-09-26 00:30:00 | 国鉄・JR普通列車
401系・403系・415系:常磐線 近郊型赤電時代


既に鋼製電車がいなくなってしまった常磐線。
都心に最も近い交流区間は、ある特殊な事情から。無煙化にあたってどうしても必要になったのが交直流型の近郊型電車。そのために開発されたのが初の新性能近郊型401系電車です。
カラーリングはローズピンクを採用し、その後に誕生した交直流型のカラーのベースとなります。

長らく常磐線で「赤電」と呼ばれ、415系まで採用されていましたが、昭和60年のつくば万博開催に合わせてアイボリーに濃いブルーの塗装に変更され、特徴のあったカラーリングも消滅することになります。



昭和53年頃 上野駅にて 415系と115系の並び

今は無き上野駅19番線・20番線の並び写真です。20番線115系初期車は、おそらく東北本線の列車です。昭和57年頃までは、高崎線の列車が高架ホーム、東北本線の列車が地平ホームと、比較的うまく区別されていました。
115系は非冷房車ですが、415系はもちろん冷房車です。モノクロなのが残念ですが、古き良き時代の上野駅の雰囲気が伝わると思います。



昭和54年頃 東北本線 尾久駅にて

番号がハッキリしないのですが、クハ411が10番代とかではないようなので、おそらく403系の編成になると思います。
この時代、何故かこの時間には、尾久客車区の一番ホーム寄りの発着線に常磐線赤電が停まっていました。
ネガのコマ重なりでプリントされなかった画像がフィルムスキャンで蘇りました。



昭和54年3月頃 上野駅にて 折り返し準備中のクハ401低窓車

401系登場時から活躍していた車輌です。地味な「赤電」群の中で唯一関心があったスタイルで、近郊型でありながら153系初期車と同じマスクを持った異端的なスタイルが好きでした。



昭和55年頃 上野駅にて クハ401低窓 シールドビーム車

401系初期車に廃車が出始めた頃でしょうか。段々見かける機会が少なくなってきたように思います。4連×3で組成されることが多く、中間に入ってしまうと撮れなくなってしまうのが難点でした。
運良く低窓車に出逢ったものの、残念ながらシールドビームに改造されていました。それでも、低窓・シールドビームはこの1枚だけしか見つかりませんでした。



昭和57年10月12日 常磐線 荒川沖~土浦間にて 415系8連の普通列車

初めて本格的な常磐線の撮影に行ったときの写真です。当時の目的は、「ゆうづる」「みちのく」「ひたち」などの特急とEF80牽引の普通列車や貨物でしたので、415系など「赤電」は、この時代ですら撮影の対象になっていませんでした。


401系の低窓車に興味があったため若干の写真が残っていましたが、今となってはこれほど貴重な車両でさえ、当時は非常に地味な存在だったのです。


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