マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

身延線:クモハユニ44803

2019-07-07 19:54:00 | 旧型国電
身延線:クモハユニ44803


身延線クモハユニ44シリーズの最終回となります。
最後はクモハユニ44803です。

戦後、横須賀線から都落ちした4両のうちの1両(44003)は、他車が全低屋根改造を受けていた際には大糸線へと活躍の場を移していたため、原形のまま運用されていたようです。他車と同時に何故か44000と改番されてしまい、さらに大糸線から身延線に転属した際、低屋根改造を受けてクモハユニ44803へとさらに改番されたということです。
44803が低屋根改造を受けた時代には、パンタグラフ部の部分低屋根化改造が一般的となっており、クモハ43のように前パン車についても、パンタグラフを後部に移設の上、部分低屋根改造されました。そのため、このクモハユニ44803のみ、他車とは違った風体となっていました。



昭和56年7月23日 金手駅にて クモハユニ44803

雨樋は丸化されてしまいましたが、全低屋根とされなかったのでいちばん原型に近いスタイルになっていました。特に改造当初は前面窓に桟が残っていて、さらに原型に近かったようです。
パンタグラフを撤去した屋根前部にはベンチレーターが設置されなかったため、改造車らしい痕跡が残っていました。

旧型国電に興味を持ち始めた頃には終焉を迎えてしまい、身延線については殆どの車両が最初で最後の出逢いで終ってしまいました。
飯田線の旧型国電たちがKATOから発売されましたが、中途半端にシリーズがストップしてしまい、非常に残念に思います。オールラインアップは望みませんが、クモハユニ44は完成品として手掛けてもらいたい車両です。

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身延線:クモハユニ44802

2019-07-06 01:24:00 | 旧型国電
身延線:クモハユニ44802


前記事の続きになりますが、身延線で撮影したクモハユニ44802です。

横須賀線から都落ちしたモハユニ44ですが、製造された5両のうちの1両(005)は戦災廃車となり、残った4両のうち3両は全低屋根へと大きくスタイルを変えて身延線で生涯を終えることになります。



昭和56年8月21日 柚木~富士間にて クモハユニ44802

身延線旧型国電の撮影で訪問した最後の写真だったと思います。
撮影に出掛ける前に、宿泊したホテルから最寄となる柚木駅まで行き、下り列車に乗る前の待ち時間に上り列車を後追いで撮影したものです。

800と802は前面窓の形状がかなり似ているようで区別が付かないのですが、この写真では幸いにもナンバーを確認することができました。
この写真を見ると、荷物扉が思いの外へっこんでいるのが判ります。

もう1両のクモハユニ44800は撮影できていなかったのが残念です。


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身延線:クモハユニ44801(鰍沢口~落居)

2019-07-05 00:32:00 | 旧型国電
身延線:クモハユニ44801(鰍沢口~落居)


先般、富士駅にて撮影した身延線クモハユニ44801をご紹介いたしましたが、番号不明のクモハユニ44を撮影した写真を見ていたところ、やはり801番であることが判りましたので、1枚だけですがご紹介したいと思います。



昭和56年7月23日 鰍沢口~落居間にて

高校の夏休み、当時最後の旧型国電が活躍していた飯田線、大糸線、そして身延線を訪問した時に撮影した写真です。

昔は風景主体の写真を良く撮っていたため、このように遠巻きで番号把握ができない写真が多くあります。この写真も車番などまったく読み取るすべはありませんが、運転席窓の特徴を精査した結果、後に富士駅で撮影したクモハユニ44801であることが判りました。

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身延線:クモハユニ44801(富士駅)

2019-02-12 00:53:00 | 旧型国電
身延線:クモハユニ44801(富士駅)


旧型国電時代の末期、身延線で活躍していた旧型国電群の中でも最も有名だったクモハユニ44。

昭和9年、それまで横須賀線で使用されていた17m車モハユニ30の置換用として誕生した郵便荷物客車合造車モハユニ44を起源とします。
5両が製造されましたが、44005は戦災廃車となり、戦災復旧車マニ7220となったそうです。

残った4両は、昭和31年に身延線及び大糸線へと転出し、建築限界の狭小な身延線への入線にあたり、低屋根化工事が施工されます。改造にあたっては、17m車クモハ14と同様に全低屋根となり、全面窓の1枚化とともに原形がかなり失われてしまいました。
これにより、クモハユニ44800番代となっています。
(800~802←001~003)


今回は、富士駅で撮影した停車中のクモハユニ44801の写真をご紹介いたします。
※撮影は、昭和56年8月21日、富士駅にて




富士駅で折り返し待機中のクモハユニ44801です。
全低屋根で屋根が低く、42系のズラッと並んだ小窓で客ドアが後位に1つしかないためか、非常に長くスマートに見えます。




この時代くらいだと、普通列車であれば真夏の非冷房も当たり前。窓全開で涼風を取り入れながら旅をするのは当たり前でした。




発車先頭となる荷物・郵便室付近は、狭いスペースに載せ込む荷物や台車で溢れかえっており、写真を撮りに行くにもすごく狭くて窮屈な感じでした。
荷扱いをしている作業員が2名写っており、ターレットに到着した荷物を積み込んでいるように見えます。

低屋根前面はサイドビューとはまるで別物の雰囲気で、クモハ14800を連想させる雰囲気を持っていました。




狭いスペースにターレットや郵便用?の台車でしょうか、想像以上に多くの荷物が扱われていたようです。

当時は走行写真を中心に撮影しており、駅撮りはあまりしていなかったのですが、この数年後には郵便事業も荷物輸送も鉄道部門から撤退してしまったため、特殊な車両と荷扱い風景を記録できて良かったな、と思う写真です。


身延線:クモハ60
身延線:クモハ51系
旧型国電 クモハ51852:身延線
身延線:クハ47
旧型国電 モハ62系:身延線 アコモ改造車
115系:身延線 ワインレッド色
郵便・荷物合造車:クモユニ143(身延色・長岡運転所時代)

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旧型国電:クモハ12

2016-06-12 18:17:00 | 旧型国電
旧型国電:クモハ12


クモハ12形電車は、昭和8年に誕生した旧33系両運転台型のモハ34形を起源とする17mの電車です。
戦時中の輸送力増強の必要性から片運転台へ改造を行うなどしたために両数が減りましたが、戦後再び増結用車両の必要性などから、旧31系からの両運改造により、形態の異なるモハ12形がクモハ12に編入されバラエティになっていきます。

新性能車が誕生し勢力を伸ばすようになってくると、輸送力に劣る17m車両運転台車は荷物電車クモニ13や事業車に改造され、晩年に活躍していたのはごく限られた地域・線区となっていました。



昭和53年2月19日 武蔵白石駅にて

かつて鶴見線大川支線で活躍していたクモハ12050番代。モハ31系クモハ11からの改造車です。
全国で最後まで残ったクモハ12の営業線で、老朽化による101系への移行と共に、ホームごとその使命を終えることになり、武蔵白石駅は接続駅としての役割もなくなってしまいました。



昭和54年12月頃 浜川崎駅にて

こちらは南武線浜川崎支線ですが、本来であればクモハ11+クハ16となるところ、クハ16に代わってクモハ12が連結され、2Mで運転されていました。
両運転台の特性を生かしたもので、知らないだけで結構このような運用が行われていたのかもしれません。



平成21年8月22日 クモハ12054 佐久間レールパークにて

佐久間レールパークに保存されていたクモハ12054。
なぜ鶴見線用の車両がここに?と思いましたが、この車両は比較的に早いうちに鶴見線を離れ、静岡運転所で長く使用されたようです。その経緯もあって解体されないままJR東海に継承されましたが、同パーク閉園に伴って解体されてしまったということです。勿体無い・・・



昭和58年6月29日 浜松工場附近にて クモヤ22112

運転台無しのモハ10を両運転台に改造しクモヤ22となった車両ですが、鉄道ブームに乗って旅客用に復元、クモハ12041として飯田線を走りました。
本来、クモハ12としては仙石線に存在した12040がラストナンバーとなりますが、元々クモヤ22112はクモハ12としての原番号を持たなかったため、このラストナンバーの追番号を名乗っていました。
事業用車然とした前面に「クモハ12」としての風格は感じられず、違和感アリアリであったことも原因となり、大好きな飯田線にはまったく訪問することはありませんでした。


17m車の中ではクモハ12は好きな形式でしたが、昭和30年代に廃車されてしまったものも多く、お目に掛かれる機会というのはなかなかありませんでした。大糸線のダブルパンタ車や気動車色を纏った12040なんかも見てみたかったですね。