マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

更新休止のお知らせ

2017-08-17 23:33:00 | ノンジャンル
鉄道写真館へのご訪問、ありがとうございます。

パソコンが動かず、全く更新できない状態になってしまいました。

おそらく、初期化するか、代替を購入するしかないと思われますが、ジリ貧状態でどう出て良いのか苦慮しているところです。

そんなわけで、環境が整うまで更新を休止いたします。
取り急ぎ、タブレットからお知らせいたします。

国鉄 181系特急型電車:モロ181

2017-08-13 02:35:00 | 試験・事業車、配給、列車車両等
国鉄 181系特急型電車:モロ181


日本初の特急電車として誕生した151系(誕生当初は20系を名乗った)。使用列車から「こだま型」と呼ばれていました。
昭和32年に誕生し、試運転を行いながら昭和33年11月にデビューとなっています。

戦後の混乱からようやく立ち直り、高度成長が始まった頃でしたが、まだまだ貧富の差が大きく、特急列車は高根の花の時代。特急列車を利用できるのは金持ちや政治家官僚くらいしかなかったようで。編成も今のようなグリーン車が1両または2両などというものではなく、大体は編成の半分が優等車となっていました。

そんな経緯もあり、151系ではサロ×2+モロ+モロでというスタイルの1等車(のちのグリーン車)で編成されました。

私が鉄道写真を撮るようになった頃には、既に新幹線が岡山まで開業しており、さらに交直両用の485系や583系も誕生していたため、151系は181系へとグレードアップしていました。この時点での181系使用列車は、おそらく山陽の「はと」「しおじ」の一部や、関東の「あずさ」「あさま」「とき」くらいになっていたと思われます。
地元では「あさま」「とき」くらいしか見ることはできませんでしたが、「あさま」に関しては昭和51年に189系・489系化で早々に姿を消してしまったため、実質、最後まで181系が運用された「とき」だけに限られました。



昭和52年頃 上野駅にて モロ181乗車口

中学生でまだフィルム代が自由になる時代ではなかったので、車両に特化して写真を撮ることは殆どありませんでしたが、当時はパンタグラフのついたグリーン車というのは新幹線車両かこのモロ181だけでしたので、すごく関心を持っていました。
まだ撮影テクがなかった時代なので、暗がりの露出不足、絹目写真の非常に見づらい写真で申し訳ない。



昭和52年頃 御徒町駅にて モロ181-102

これも中途半端な写真ですが、辛うじて番号が判別でき、台車も100番代であることが判る写真です。
当時、高架ホーム発着で折り返し時間があるものは、上野~秋葉原間の回送線を使って留置しており、午後になるとここに良く181系が留置されました。

昭和53年改正頃からか、183系と同じ12両編成となり、グリーン車の連結位置を合わせるようになったため、融通の利かないモロ181+モロ180のユニットは外され、殆ど残っていなかったサロ181&180に代わって、サロ481の姿をしたサロを組み込むようになりました。
その際、経年の浅かった100番代のモロ+モロユニットは格下げモハユニットとなり、一部は晩年まで使用されましたが、昭和57年11月の上越新幹線開業に伴い、181系自体がすべて撤退することになりました。

電動車の比率の高い新幹線では電動グリーン車は当たり前であり、ジョイフルトレインでも165系や485系からの改造でモロやクモロといった車両も誕生しました。
しかし、純粋な一般車両としての電動グリーン車としては151系(181系)が特異な例であり、時代の変化がなければ本来当たり前になるべき形態であったのかもしれません。



EF5861+12系お座敷客車「江戸」:団体列車「ジパング倶楽部」

2017-08-11 23:37:00 | 国鉄・JR団体・臨時列車
EF586112系お座敷客車「江戸」:団体列車「ジパング倶楽部」


国鉄時代の最末期、増収策の一環と思われますが、「ジパング倶楽部」という会員制の割引制度が設定されました。
それまでは駅ごとに高齢者(老人会等)を対象とした団体募集を渉外により獲得していましたが、そうした渉外によらずに固定客を獲得しようと目論んだものではないでしょうか?
私も当時はまだ国鉄職員でしたが、そのような制度が考案されていたことなど全く知ることはなく、無駄な増収策(余剰人員を対象とした無意味な渉外等)に駆り出されたこともありました。

そんな制度が走り出した頃、当時、各地で増殖しだした数多くのジョイフルトレインが日本全国を走り回り、この「ジパング倶楽部」を銘打った団体列車が走りました。




昭和61年9月頃? 蕨駅にて EF5861+12系「江戸」 団体列車「ジパング倶楽部」

詳細な撮影記録がないのですが、前後のコマから推定される時期です。
人気のEF5861が牽引し、「ジパング倶楽部」のヘッドマークまで誂えています。事前の情報でもヘッドマークの掲出の情報があったかどうかは記憶がありませんが、それほど執着のなかったこの時代にわざわざ撮りに行ったのですから、事前の情報があったのかもしれません。

客車は、南シナのスロ81系お座敷客車の後継として誕生した12系「江戸」が使用されています。「サロンエクスプレス東京」や「なにわ」で導入された展望室は普通のお座敷客車にも採用されるようになり、旅心をくすぐったと思われますが、若い年齢にはまだ手の届かないまだシチュエーションでした。

高齢者向けの制度であった「ジパング倶楽部」は、65歳以上という対象はあまりにも遠い話であり、全く縁のないものと考えていました。その年齢にはまだ達してはいないものの、JR東日本でその後に設定された「大人の休日俱楽部」は既に対象となってしまい、いつの間にか30年以上の歳月が流れてしまったことに、ただため息が出るばかりです。



EF8181+EF5889牽引:団体列車「機関車撮影列車の旅」

2017-08-08 21:19:00 | 国鉄・JR団体・臨時列車
EF8181EF5889牽引:団体列車「機関車撮影列車の旅」


国鉄時代末期、増収策として様々なジョイフルトレインが誕生するとともに、旧型の世代交代に伴うイベントも結構実施されていたように思います。
基本的には有料イベントの参加を好みませんが、昭和60年、与野駅に勤務していた時に募集があり、増収策への寄与として友人と共に参加を申し込んだような記憶があります。




運転日は昭和60年7月7日、クーポンがあったかどうか全く記憶にないのですが、ワッペンを配布されています。裏側はシール式になっており、かなり大きめのものでした。

運転区間は上野~常磐線~武蔵野線を経由し、大宮駅~東大宮操車場へと向かう路線でした。当時は団体列車でもこのような経路を辿る列車は珍しく、鉄道ファンの心をくすぐる企画でした。

EF8181とEF5889の重連で、旧型客車7両を牽引しました。保存車として人気絶頂であったEF5889と、科学技術博覧会(つくば万博)で御召指定機として一躍ヒーローとなったEF8181、さらに、全国から淘汰され姿を消しつつあった旧型客車と、誰もが納得する組み合わせでした。




現地では、東京機関区から別に回送されてきたEF5861が参加し、人気の茶ガマ重連を連結した編成が仕立てられました。




返しの準備をしながらの段取りが見え見えなセッティング。EF5889に何故か「北陸」のヘッドマーク、EF8181にはお召列車を彷彿させる日章旗の掲出が行われました。
せめて幻の「北星」や「つばさ」のヘッドマークなんていう方が喜ばれたのでは?と思います。




そして前後は変わりますが、来た時と同様のシチュエーションが組まれました。

残念なのは、乗車したこの編成での撮影がメインであり、他にも583系などの車両も居た筈なのですが、それらは一切参加せず、近くに居た廃車待ちのような車両を自由に撮ってくださいみたいな感じで、殆どに参加者が消化不良であったと思います。

乗車距離も非常に短く、まだまだ企画としては十分なものではなかったと思いますが、今のように何かを売りつけて参加費を吊り上げるような悪どさはなく、ある意味まだ素朴な時代だったかもしれません。



キハ58系:キロ58お座敷気動車(秋田車)

2017-08-06 23:29:00 | 国鉄・JR ジョイフルトレイン
キハ58系:キロ58お座敷気動車(秋田車)


昭和50年代後半、急行列車の整理によって各地で急行型気動車が余剰となり、老朽化した気動車に代わって普通列車に使用されたり、当時流行したお座敷・洋風気動車への改造が活発になりました。
特に、地方の鉄道管理局においては6両編成程度の規模を必要としないため、3両編成程度の短編成ジョイフルトレインとしてキハ58系を種車としたものが多用されました。

非電化区間の多い秋田地区においてもキハ58系によるジョイフルトレインが用意され、お座敷の「おばこ」(←こまち)、洋風気動車の「エレガンスアッキー」が活躍しました。

「エレガンスアッキー」について遭遇しませんでしたが、お座敷気動車については偶然にも出会うことができました。しかし、「おばこ」にしてもその前身の「こまち」にしても、塗装・外観が違うんですね。調べてもなかなか全貌が判らなかったのですが、やっと概要が掴めました。



昭和61年9月8日 キロ58系 お座敷気動車(秋田車) 前山~鷹巣間にて

初めての奥羽北線の撮影の際、偶然に撮影したものです。
外観からお座敷気動車であることは判りましたが、その後、調べてもこの色の資料が出てきませんでした。
「こまち」はピンク系とグレー系の明るい塗装であり、秋田新幹線の開業で「おばこ」と改名されてから改装され、とんでもない派手な塗装に変わっています。

調べましたら、どうも「こまち」の愛称が名付けられる前にこの塗装で走っていたようです。
それにしても、えらく地味な塗装でしたね。

調べてもなかなか画像が出てこないようですので、比較的に短期間の貴重な姿だったのかもしれません。